昔の犬。三匹目
本日のニコル護衛班が帰還した知らせを受け、カリムを連れて来るために小部屋を出たクリストファーを見送って、ジルベルトも小部屋から『制裁の間』として使われる小ホールへ出た。
小部屋へは、攻撃魔法無効が常時展開されている者でなくては入れない。
カリムの「身体検査」は、バダックの「取り調べ」を行ったのと同じ、『制裁の間』で行う旨をアンドレア達にも報告していた。
幾重にも張られた一方通行の即死ダメージ魔法のゲートを潜り、クリストファーによって『制裁の間』へ連行されたカリムは、被っていたローブを脱ぎ捨ててジルベルトの前に跪いた。
見上げたモスアゲートの瞳からは滂沱の涙が流れている。
「会いたかったです、素良さん・・・ッ」
万感の想いの溢れ出す声色は痛切で、目の前には跪いて滂沱の涙を流す年下の美少年。
前世では年上の色気ダダ漏れ系で如何にも夜の帝王然とした大柄な男だったことを覚えていても、現在は長身とはいえ自分よりは小柄で細身の成長途上の猫目の美少年。
前世の犬達はジルベルトにとって「どうなってもいい人間」には分類されていないので、憐れみを誘うその姿は、中々に居心地が悪くなるものだ。
もう、どうせ全員と再会するんだろうなと予想と覚悟を持ったのだから、今更逃げる気も再会した後悔も無いが、思わず溜め息を吐いてから、ジルベルトはカリムに声をかけた。
「ああ。また会ったな、木崎」
「はい・・・ッ・・・、また、貴方に俺の忠誠を捧げさせてください・・・ッ」
そう言えば、前世で犬達から「人生」や「命」を捧げられそうになって全力でお断りしたら「忠誠」を捧げられることになったんだったな、と思い出し、ジルベルトは鷹揚に頷く。
「受け入れる」
「ありがとうございます。今生も、貴方だけに、永遠の忠誠を誓います」
言葉も態度も物凄く重く見えるが、これでも前世から御主人様を逃さないように、犬達は協定を結びながらギリギリのラインを見極めて傅いていることを、主人の側は知らない。
そんな犬達の黒さを何となく感知しているクリストファーは、微妙な目線をジルベルトに向けるのだが、御主人様にバレたことが暴走の引き金になりかねないので沈黙を守っていた。
「色々聞きたいことがあるから、そこに座れ」
ジルベルトの軍服のズボンの裾にカリムが口付けるのを好きにさせてから、ジルベルトはポツンと置かれた応接セットを指差す。
一礼して指示に従うカリムを目で追いながら、ジルベルトとクリストファーもカリムの向かい側のソファに座った。
「取り敢えず、分かっているだろうが前世の名を出すなよ」
「はい。ジルベルト様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「許す」
カリムもバダックと同じで、前世でも御主人様に恭しく接したかったのに、体裁や外聞を理由に本人に拒否されていた口だ。今生では表に出す態度から「御主人様の下にいる」実感が持てることに、キツめの美少年顔がウットリと赤らんでいる。これはこれで色気がヤバい。
まぁ、中身が木崎なら油断すれば勝手に色気は漏れ出すだろうな、とスルーすることにして、ジルベルトは本題に入る。
「カリム・ソーン」の身の振り方については、既にクリストファーとアンドレアの間で話が付いているから、ジルベルトが追加で言うことは何も無い。
カリムの身柄はクリストファーが預かり、指揮系統もクリストファーの直属となり、ジルベルトを含め他の人間は口を出さないことになっている。現在握っているモスアゲート王国に関する情報の献上以外でカリムに何かをさせたい場合は、全てクリストファーを通す約束だ。
カリムが今後クリソプレーズ王国で働くための躾も、クリストファーに一任されている。
だから「本題」とは、転生時や前世に関する話である。
「お前が『本来のカリム』から伝えられたのは何だ?」
御主人様に問われると、カリムは心得たように話し始める。「貴方は?」のような余計な逆質問が口から出ることは無い。出来た犬とは、御主人様が最も望む形で要求に応えるものだという考えを持っているのだ。
「俺が彼と同質の魂を持っていること。呼ばれる名は本名ではないこと。どれだけ心を折る教育で洗脳を試みられても、『祖国』への愛国心を持つな、ということ。『祖国』も『祖国の王家』も忠誠を誓う価値など無いこと。成長過程で知るであろう『本当の家族』への期待は最初から持つな、ということ。自分そっくりの顔をしたモスアゲート王国第二王子から下される命令を出来る限り受けるな、ということ。ただし、その命令内容は聞き出して記録して隠し持て、と。いつか国を捨てる時のために、自分の保護と引き換え出来るような、高値で売れる『祖国』の弱みになるネタを掴んでおけと。戦争が起きればモスアゲート王国第二王子の身代わりとして出陣して死ぬから、それまでに国外へ逃げられる機会を掴めと。あとは彼が消えるまで、『祖国』は敵だと思え、捨てること裏切ることに罪悪感を持つな、と繰り返し念を押されました」
それぞれから聞き取ってみれば、『ナニか』に魂を捧げて転生した各人の性格の違いがよく分かる。
同じく「国王の息子」であるバダックも魔境のような後宮で相当な目に遭っているが、やり直した時の一番強い望みは「生き延びること」であり、祖国への恨みを強調することは無かった。同質の魂を持った白河に伝えたのは、生き延びるための具体的な策がほとんどで、それさえ成就出来れば他は頓着しない淡白さも感じられた。
ネイサンは、自分を死に追いやった原因達を許してはいないだろうが、恨みを向けるような伝え方を御堂にはしていない。仕事の引き継ぎ依頼の業務連絡のように、「やり直しが失敗しないための情報」を伝えただけだ。一度目が無念な生き様だったのだとは感じられるが、ネイサンには明るい希望を持って「やり直し」に臨んだ気配を感じる。
カリムからは、強い恨みと、苦境からの脱出や生き延びたいという願いだけではなく、自分を苦しめた国と人間への復讐を望む深い執念が感じられる。
バダックと同じように「国の色」の瞳を持っているが、数が多過ぎて捨て置かれていたバダックと違い、産まれた時から入念に施された「祖国」と「王家」への忠誠を要求する洗脳教育の反動が、強固な憎悪へと転換したようだ。
カリムの恨み、憎しみ、絶望は相当に強いと察せられる。
捧げた魂の消滅までの制限時間なのか、ネイサンが口にしていた伝えられる情報の「容量」というものの制限なのか分からないが、それがいっぱいになるまで繰り返し念押しされた言葉は、まるで怨霊の呪詛だ。
おそらく、「元のカリム」の人生は、そんな風に繰り返し念押しで「祖国への愛国心」や「王家への忠誠」を刷り込まれ、肉体的、精神的暴力で支配と洗脳を受け入れることを強要されるものだったのだろう。
カリムの魂が木崎と同質ということは、本来であれば、血の気は多くとも情に厚く仲間意識の強い好漢だ。年下や部下に慕われやすく、手段を選ばない好戦的で残酷な部分もカリスマ性を高めていた。
もし、「カリム・ソーン」が本名の「クリード・モスアゲート」という、本来の正当な「第三王子」という立場で生きられていたら、長兄が王位を継いだ暁には「頼りになる王弟」として活躍していただろう。
モスアゲート王国は、王族にさえ牙を剥く歪な選民思想によって、随分と勿体無いことをしたものだ。
木崎が転生した「今のカリム」からの話を聞いて、ジルベルトとクリストファーはモスアゲート王国の現体制への呆れを更に強くした。
「で、お前は、『祖国』への復讐を願うのか?」
「いえ、正直どうでもいいです。貴方に再会出来た。貴方にまた忠誠を捧げられた。『祖国』への愛国心も無ければ、売り飛ばすことへの罪悪感もゼロですが、あの国が滅びようが栄えようが、貴方に害を及ぼさないなら関心がありません」
だろうな。
ジルベルトとクリストファーは深く納得する。
木崎が転生した「カリム」が、どれだけ洗脳教育を施されようが、中身は「既に絶対の忠誠を誓った御主人様を持つ犬」なのだ。御主人様との再会という大願さえ成就すれば、他のことなど構わないだろう。
今のカリムが「祖国」へ向けているのは、憎悪でも復讐心でもない。無関心だ。今のカリムの思考の中心はジルベルトのみである。
カリム自身の今までの恨みで「祖国」に不利益を働くことは無いが、ジルベルトが望むならば嬉々として「祖国」への攻撃に参加する、という態度だ。
「そうか。転生に関する話は外に洩れないようにしろ」
「承知致しました」
ジルベルトの命令に、深く頭を下げて恭順の意を示すカリム。
カリムは、本来第二王子ダニエルが受けるべきである王族教育も受けている。だから、ジルベルトが「転生に関する話を外に洩らすな」と言う意味の全容を瞬時に悟った。
王族に知られてしまえば世界が滅茶苦茶になりかねない「情報」であるやり直し転生話を考えれば、ジルベルトが、忠誠を誓っている主であるクリソプレーズ王国第二王子アンドレアに対して、秘密を持っているということに繋がる。
──忠誠を誓った相手にさえ隠す秘密を共有出来る。
その甘美さに、カリムのモスアゲートの瞳に仄暗い艶が滴る。
もう、絶対に離れない。後からは死なない。
離されないために、事情を知らない奴らの居る場では隠すつもりの執着を、今は惜しみなく全開で視線に乗せるカリムに、御主人様と表向きの飼い主は、よく似た表情で溜め息を吐いた。