モスアゲート王国の転生者
クリソプレーズ王都城下町、平民の豪商が代替わりの際に遺産整理で手放した別邸の一つに、カリムとモスアゲート王国からカリムの監視について来た男達は滞在していた。
この別邸は、少々特殊な性癖を持つ家主の豪商が、気に入りの愛人を囲う為に改装した屋敷で、見かけは豪華な監禁に適した部屋が在る。
窓には瀟洒なデザインの鉄格子が嵌められ、敷地の中心部に造られているために、叫んでも外部には聞こえず、部屋から抜け出しても敷地外まで逃げ出すことは難しい。頑丈な部屋の扉の鍵は外側からのみ解錠可能で、部屋の中に風呂もトイレもあるので、部屋を出る言い訳も作り難い。
そんな部屋に、カリムは居る。
扉の外には見張りが立っているが、分厚い頑丈な扉は中の様子を窺うことも妨げる。
昼間、学院で旧知の間柄だったネイサン・フォルズから言われた言葉を、自分が正しく受け取っていたならば、家人、つまり「カリム・ソーンの監視達」が寝静まった頃に、ネイサンから報告を受けた何者かが接触して来る筈だ。
それなりの訓練は受けているカリムでも脱出出来ない、この屋敷の監禁部屋に密かに侵入出来るような人物が、ネイサン側には居るということだ。
カーネリアン王国の公爵家の人間だという話だが、ネイサン自身からは暗部の人間の匂いはしなかった。公爵家の人間ならば「使う側」であれば何もおかしな話ではないが、ここはネイサンにとって本国では無い。
となれば、「この国で将来が定まった」というネイサンの言葉から考えて、この国にカリムも再会を渇望するあの人が居るのだ。
おそらく、この部屋に侵入出来る人物は、あの人の関係者───。
「よっ、木崎さん。久しぶり」
思考途中に突如正面に現れた水色の柔らかそうな髪の少年。
全く気配を感じなかったことに心臓が冷えたが、身構えそうになった身体を無理矢理制御して力を抜く。
そして、呆れた目線を遣って安堵の溜め息を吐いた。
「えーと、海都、だよな?」
「せいか〜い」
他のコナー家の見張りを一時的に指令を与えて遠ざけ、カリムが監禁されている部屋に侵入したクリストファーも、一応色々と考えて配慮したのだ。
その結果、ネイサンからの報告で、前世のジルベルトの犬の一人、ホストクラブや風俗店のオーナーだった木崎だと判明したカリムに対し、一発で信用を得る手段として、前世で木崎から「秘伝の宴会芸」と教えられた変顔をしながら登場した。
「イケメンがやるから芸になるんだ」と力説された変顔は、前世で役職付きになる前の若い頃に確かに役に立ったが、まさか転生して貴族で王国暗部の支配者という超絶シリアスな立場になってから、再び披露して役に立つことがあるとは思わなかった一芸だ。
おかげで一発で木崎の魂を持つカリムからの信用は得られたが、配下には絶対に見せられない姿である。
「海都はクリストファー・コナーなのか。ニコル・ミレット嬢の婚約者だったな。ならば話が早い」
「あ、ニコルは京だぞ。で、この国の『剣聖』ジルベルト・ダーガが母さんな」
「なんと・・・」
絶句するカリムだが、その心の内では言葉に表せない様々な想いを孕んだ灼熱が渦巻いていた。
この世界に、失って絶望して正気を手放してでも再会を渇望していた、御主人様が、存在している。同じ空気を吸っている。
そして、きっと、また忠誠を誓える。
転生した当初から「難しい」と一言で済ませられない複雑な立場に居たが、これで身の振り方は決まった。
逡巡の必要も無い。「祖国」と叩き込まれた国を捨て、この国の『剣聖』となった御主人様の役に立つならば、「祖国」など売り飛ばしてやる。
銀の髪とモスアゲートの瞳を有し、「カリム・ソーン」として育てられた自分の持つ情報は、一国の王家を崩壊させるに足る醜聞になる。
カリムは、目を覆う布と、黄緑色の鬘を外す。
真面目な顔に戻ったクリストファーが、驚きもせずに見ていることに、「カリム・ソーン」の正体など、とっくにクリソプレーズ王国側に掴まれていたのだと「祖国」を嗤う。
「やっぱり驚かないんだな」
「まぁな。そっちこそ、コナー公爵家の役割を知ってる感じだよな」
「そりゃあな。本来第二王子が教わるべき以上のことを叩き込まれてるからな。同盟国のヤバい家なんて必修だろ?」
「だよなー。で、勿論こっちに付くつもりだろ?」
「当然だろ。元々『祖国』に恩も愛着も無い。あの人のためなら、いつでもいくらでも売ってやる」
カリムの答えはクリストファーの予想通りだった。
カリムの言う通り、元々カリムの置かれていた状況は、愛国心が育つようなものでは無いのだ。その上、最初から「生まれていなかった」ことになっている「存在しない」王子だ。彼にとっては、前世の御主人様が見つかった後まで、しがみつく必要など一切無い立場だろう。
カリムが木崎だと知ってから「カリム・ソーン」の調査書を見直せば、凶暴かつ暴走しがちな木崎にしては、随分と大人しく行動を抑えて息を潜めていると感じられた。
それは、御主人様と再会を果たすまでは命を繋ぐための猫被りでしかなかったと思われる。
ジルベルトが前世の主であると知った今、「カリム」に迷いも躊躇いも無いだろう。
前世のように、ただ只管に、主のために暴走するのみだ。
猛獣の枷が外れてしまったのだから、早期に御主人様と面会の場を持たせて首輪を付けさせないと危険だな、とクリストファーは計算する。
ジルベルトへの忠誠心を疑う必要は無いが、こちらの手の者になったとしても、カリムの立場と外見は色々と不味いのだ。きっちり手綱を取って大人しくさせておかなければならない。
「今のアンタの立場的に、母さんに直接仕えるのは無理だからな。それは覚えておいてくれ。けど、俺が必ず直接会わせる」
「・・・分かった」
色々と飲み込んだことが滲む了承の返事だが、カリムにも、その髪と目の色を持っていてはどうにもならないことは理解できる。感情は苦くとも重くとも、会うことが出来れば忠誠は誓える。元より、表舞台に登場できない人生であることは、転生を決めた時から覚悟はあったのだ。
カリムの納得を見定めて、クリストファーは提案する。
「この件を任されてるこの国の第二王子殿下の了承は必要だが、アンタが過去を捨ててこっちに付くなら、多分、俺の直属の配下にすることは可能だ。その方がジルと会うチャンスは増える。俺とジルは『親友』ってことになってるからな」
「親友か・・・。なるほど。ありがたい提案だ。ミレット嬢が京ちゃんてことは、婚約者というのも形だけか?」
「俺は後継者を産ませる必要の無い次男だしな。白い結婚予定だ」
「だよな。転生して宗旨変えしたんでもなけりゃ、お前、女は対象じゃないし。で、俺は上司になるかもしれない『クリストファー・コナー』を、どう呼べばいい?」
話が早い。本当に、国を捨てることに一切の躊躇いが無いのがよく分かる。
「最初は名前に様付けかな。実力で他の配下を納得させられたら、俺の右腕にするから。そうなったら愛称に様付けで。あと、分かってるだろうけど敬語」
「了解しました。クリストファー様」
前世で世話になった年上の知人だろうが、流れる血が同盟国の正統な王子様だろうが、今後の互いの立場を示唆するクリストファーの上からの物言いも、カリムは否定すること無く受け入れる。
これが必要なことであることは、転生後に各々が教育で身に染みているのだ。
カリムは上役に報告する部下の態度で、淡々と自分の置かれている立場と今回の指示を述べていく。
その内容は、大まかにはクリストファーも把握しているものだったが、詳細は調査以上にモスアゲート王国の内部腐敗が窺えるものだった。
カリムは、産まれた時から王子としては扱われていない。
カリム自身は母親が付けた「本名」など知らないし、養育者達の誰も、カリムが王子だとは教えていない。
ただし、自分の髪と目の色を鏡で見ているのだし、影武者になるためだと王子教育も施されているのだから、「カリム」の出自は、転生当初から何となく想像がついていたと言う。
それに、7歳の時には第二王子と名乗るアホ面をした子供が、「お前が僕が自由に使っていい卑しい道具だな。僕には絶対服従だぞ。卑しいクズなりに役に立てよ」と言いに来たが、そのアホ面王子の顔面の造りが素顔の自分と瓜二つだったのだから、多胎児差別のある国で自分が産まれた当時に何があったのかなんて容易に想像はつく、というのが本人の弁だ。
カリムは、モスアゲート王国の辺境伯領でも、ずっと黄緑色の鬘と目を覆う布を付けていたので、第二王子の方は「カリム」の正体を知らない可能性があるそうだ。
カリムが施された「教育」は、モスアゲート王国の一般的な王子教育に留まらず、暗部並みの毒や拷問の耐性訓練、騎士並みの武術や馬術の他、暗殺者用の体術や暗殺術、男女両方に対する性技も仕込まれていた。
はっきり言って、前世の日本よりも人権が無視されがちなこの世界であっても、確実に非人道的な幼児・児童虐待に当たる内容の「教育」だ。
クリストファーも、コナー家の生まれなのだから、虐待レベルの訓練など当たり前に目にして来たし、力を付けるために自ら率先して過酷な訓練にも参加して来た。
だが、コナー家は代々それが専門の家系故に、その手の教育のノウハウもある。折角産まれた貴重な直系の血筋の子供を、壊す教育は、してはならないことになっている。
壊してもいいから短期間の教育で使えるようにとされるのは、最初から一回の作戦で役目を果たせば死んでも構わない捨て駒だ。
カリムに仕込まれた「教育」の内容は、コナー家ならば、余程の適性が無ければ15歳未満で詰め込む進度では無く、また、指導者の性癖なのか指導のやり方が嗜虐趣味に塗れた拷問でしかない。コナー家の「仕事」に慣れたクリストファーが聞いて胸糞悪くなるレベルだ。
胸糞の悪さは表情に出さないが、日本人の記憶がある木崎が、よく理性を保って耐えたものだとクリストファーは感じた。
そんなやり方で、この年齢で、そこまで「教育」が進んだ王族の血を持つ男を、簡単に殺して構わない捨て駒扱いで他国に出して、出国先でまで監視達に折檻と言う名の虐待をさせている。
クリストファーは思う。
カリムという若く有能な、耐性が強く頑丈で汚れ仕事も出来る、貴公子から場末の色事師まで演じ分け可能な『駒』は、腐敗したモスアゲート王国には勿体無い、と。
実に宝の持ち腐れであり、有効活用が出来る頭も無く、その価値を理解しようともしていない。
なら、貰って良いよな?
クリストファーは、内心でほくそ笑む。
仕込まれた教育内容も調査以上だが、中身が木崎なのだ。目的のためなら手段を選ばず、『血に飢えた色事師』の異名を取った男だ。「ダセェ渾名で呼ぶな」と顔を顰めていたが、その気質を持った、裏切る心配の無い、才能と容姿に恵まれた駒。
コナー家の支配者として、欲しくない訳がない。
その血筋と容姿、虐げられながら諦めず這い上がる、生に貪欲な生命力の強い生き様は、きっと妖精好みであり、加護は王族としても多めだろう。ということは、身体能力と魔法の分野も高い期待が持てる。
(よし、ジルに忠誠を誓わせたら、カリムは俺が貰おう。)
何故か背筋を悪寒が走ったカリムが訝しげに眉を寄せたが、クリストファーは報告を続けるよう促す。
カリムに留学生としてクリソプレーズ王国への潜入を指示したのは、第二王子ダニエル。そこまでは事前に把握していた。
だが、目的は、ダニエル王子の進退にとってかなり不味いものであり、従わねば殺すと脅されていたとは言え、もしも遂行してしまえばカリムは必ず処刑されていた内容だった。
ニコル・ミレットの誘惑及び略取。
カリムが命じられたのは、ニコルを籠絡してクリソプレーズ王家の庇護下から誘き出し、略取してモスアゲート王国へ連れ去った後に調教し、ダニエル王子の「市井の妾」として、ニコット商会の商品を開発しながらダニエルに富を献上することを歓びとする女に躾けることだ。
ニコルが前世の御主人様の愛娘であると知る前から、アホ王子のアホ過ぎる命令を遂行する気は無かったカリムだが、ニコルが京だと知った今は尚更、カリムにとってニコルは略取対象や調教対象ではなく庇護対象だ。
そもそも、カリムが今回の命令を受けたのは、ようやく国外へ出るチャンスが巡って来たからだ。まともに命令を遂行する気など初めから無い。
だから、報告を聞きながらクリストファーの紺色の垂れ目がどんどん剣呑な光を灯して行っていても、カリム自身は恐れは抱かない。
ダニエル王子はアルロ公爵によって「平民の血が入っている=獣の末裔で下賤」の思想が植え付けられている。
祖父が平民から成り上がった新興貴族であるニコルは、ダニエルにとって側妃にすることすら耐え難い「下賤の女」であるが、ニコルの生み出す富は欲しい。
だから、寵愛する気は無いが、囲うのに都合の良い「妾」という立場を用意してやるから、高貴な血の王族である自分のために金を産めと言っているのだ。
どうやらカリムを「下賤の血混じりだから辺境伯の息子なのに道具に成り下がってる」と思い込んでいるらしいダニエルは、「下賤の者同士で話も合うだろうから籠絡して躾けろ」と命令を下した。
クリストファーは、扉の外に殺気が漏れないよう、深く呼吸を一つ吐き、状況を整理する。
カリムは完全に、こちら側に寝返る決意がある。
アンドレアの了承を得る方向で動くが、クリストファーとしては、駒として非常に有益なカリムを直属の配下として迎えるつもりがある。その場合、「カリム・ソーン」は記録上、死んでもらい、コナー家で用意した全くの別人の身分で、本来の髪と目の色を一生隠させ、クリストファーの片腕とするべく育成する。
つまり、カリムの責任をクリストファーが持つということだ。それだけの価値が、カリムには有るとクリストファーは踏んでいる。
今回、カリムに留学という形でのクリソプレーズ王国への潜入を命じたのは、モスアゲート王国第二王子ダニエルである。
潜入の目的はニコル・ミレットの略取。更にダニエルの私財を富ませるためにニコルの籠絡と調教を行うよう命じられている。
カリムは今回の命令の他にも、ダニエルがアルロ公爵側の人間に唆されて企んだ、王族としてどころか貴族としても外聞の悪い、非人道的な命令を数多く握っている。
また、ソーン辺境伯領とモスアゲート王国王都を行き来する、王宮やアルロ公爵側の使者らから抜き取った情報を、多数所持している。
カリムを生かして保護する価値は、クリソプレーズ王国側に十分ある。
カリムを引き取り、自分の片腕に足る配下にしたいという、クリストファーの希望は叶えられるだろう。
既にバダックとネイサンを受け入れているジルベルトが、カリムを受け入れないということは考えられない。
犬達が死んでも御主人様離れが出来ないのは、あの人は、一度拾った犬を捨てることが絶対に無いからだ。どちらかが生きている限り、一度懐に入れた者は決して見捨てない。どれだけ面倒な奴でも狂った奴でもだ。
(だから、犬達は、優秀さを競いながら狂って行くんだけどな。)
クリストファーは、心で呟きながら予想する。
ジルベルトに忠誠を誓うという願いさえ叶えれば、カリムが逆らうことも有り得ない。
カリムは、アンドレアが国王ジュリアンから任されている、モスアゲート王国のお家騒動絡みのモスアゲート王国上層部腐敗問題で、キーパーソンになる。
「明日の学院からの帰路で───」
クリストファーは、カリムを手に入れ、アンドレアに面通しさせるために、即座に計画を練ってカリムに指示を出す。
カリムの決意が覆ることなど無いのだから、もう身内扱いで部下扱いだ。
カリムがしっかり頷くと、クリストファーの姿は監禁部屋から幻のように消え去る。
一度この屋敷の近くから離した配下を呼び戻し、新たな指示を与え、クリストファーは王都の夜闇に溶けるように消えた。
行き先は王宮、アンドレアの私室。欲しい駒を確実に手に入れる根回しに向かうのだ。
その表情は元の顔立ちもあって無邪気で可愛らしいが、水色の睫毛に縁取られた紺色の垂れ目の奥に光るのは、他者の命と人生を片手で握り潰すことを愉悦とする、酷薄な悪魔とよく似ていた。