昔の犬。二匹目
目標から少し遅れましたが、連載再開しました。
年内のこの章完結を目指して頑張ります。
文中に登場する店名やメニュー名は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
単身で招かれたニコルの屋敷のサロンにて、形式的な挨拶の後、ネイサンはジルベルトの前に跪いた。
「再会を、待ちわびていました。素良」
微塵の躊躇いも無い言葉と見上げる視線。ニコルとクリストファー、茶の用意をしているニコルの使用人らの存在も、まるで気にしていない。
もっとも、ニコルの使用人達は、ニコルが否定していないことは何でも拒否せず受け入れるので、これで通常営業だ。
普通ではないのはネイサンだ。どう考えても、己の築き上げた今の立場を全て失うことまで厭わない、捨て身の覚悟が無ければ出来ない暴挙である。
しかし、ネイサンは賭けに勝つ。
呆れたような溜め息一つを吐いて、ジルベルトはネイサンを認めたのだ。
「御堂だな?」
「よく、おわかりで」
ニコリと、前世で馴染みのある胡散臭い誠実そうな笑顔で肯定され、ジルベルトは胡乱な目になる。
「お前、前世と性格変わってないだろ。ネイサン・フォルズの調査書を見た時から怪しいと思ってた。あと、前世の名を呼ぶな。私も今の名でしか呼ばない」
「承知しました。ジルベルト様。今生でも貴方に永遠の忠誠を捧げましょう」
跪いたまま、ネイサンがジルベルトのマントの裾に口付けて誓う。優雅で違和感の無い所作に、「こいつ、前世からこういうキャラと喋り方だったから、ホント、まんまなんだよなぁ」と、ジルベルトは胡乱な目のまま誓いを受け入れた。
「ネイサン殿は、どこで私だと分かったんだ?」
バダックの時は前世の好物を食す様子でバレたが、ネイサンとはアンドレアの執務室で紹介された時くらいしか対話もしていない。執務室ではジルベルトは護衛の任に専念していて、応対はアンドレアとモーリスが行っていた。
訝るジルベルトに、ネイサンはうっそりと微笑んで答える。
「バダックが白河であることは何故か一目で分かりましたので、バダックとの距離感ですね。ついでに、こちらに案内されてから気付きましたが、ミレット嬢とクリストファー殿は、もしかしたら京ちゃんと海都君じゃないですか?」
うわ、バレてる。相変わらず弁護士の観察眼ヤベェ。前世の親子三人の遠い目が揃った。
「それも、距離感での判断か?」
代表でジルベルトが訊ねる。バダックもクリストファーとの距離感で、前世の家族だろうと見当をつけていた。そんなに、他の人間と違うものなのだろうか。
「ええ、まあ。貴方が『大切なもの』としてパーソナルスペースに受け入れる人間は少ない。中でも、二人の子供は別格でした。本来、貴方の他人には踏み込まれたくないスペースは、一般人のそれより大分広いですからね。表情や態度に出ていなくても、嫌そうな雰囲気や無意識の警戒は、前世から分かっていました。そのお二人には、それが全くありませんから、そうなのだろうな、と」
クリストファーが何か言いたげにジルベルトを見る。「犬に対して脇が甘い」と紺色の垂れ目が言っているようで、ジルベルトは、そっと濃紫を逸らした。
前世でも今生でも、犬達がハイスペック過ぎるだけだと言い訳したくなるが、基本的に「絶対に裏切らない味方」と認めている犬達への警戒が緩くなってしまう自覚は前世からあったので、目を逸らしただけで口は噤む。
「取り敢えず、色々聞きたいから座ってくれ。杏仁豆腐もある」
「ニコット商会の大人気商品ですね。開発者の謎が解けてスッキリしました。白々楼の『舌でとろける極上杏仁豆腐・改』にそっくりでしたから」
ジルベルトとクリストファーの視線がニコルに集まる。前世の記憶の味を再現できる、味覚の記憶力や再現能力は素直に称賛するが、有名店の味をそのまま再現する危機感の無さは後から説教である。前世の母と兄は白々楼に行った時は、それぞれ胡麻団子とマンゴープリンを毎回注文していたので気付かなかった。
「フォルズ様のお話を聞きましょう?」
ニッコリと笑顔で誤魔化そうとするニコルにクリストファーが軽くデコピンして、限られた時間しか無い今は誤魔化しに乗ることにした。
ジルベルトが先ず確認するのは、「御堂」ではなく「ネイサン・フォルズ」が、クリソプレーズ王国及び第二王子アンドレアに敵対意思や害意を持っていないか、持つ予定が無いかである。
中身が前世の犬であれば、ジルベルトが守ろうとするモノに望まぬ害意を向けることなど無いと分かっていても、前世とは違う身分制度のこの世界では、ネイサンも立場に縛られる貴族だ。本人の希望に関係無く、その意思を持てと家や国家から命じられた場合の、身の振り方は聞いておかなければならない。
ネイサンの答えは「否」だった。
最初から留学の目的は敵対では無かったし、ポロック子爵はどうであれ、フォルズ公爵も、この件を大事にしてクリソプレーズ王国と事を構える意思は、少なくともネイサンが出立する時には無かったと言う。
クリソプレーズ王国への留学許可をカーネリアン王国で取得する際にも、国家からも王家からも、敵対や間諜行為の指示は特に受けていない。
ただし、留学の意思を固めてから最速で手続きを終えて出立したので、父親も王室も間に合わなかっただけの可能性は有る。
しかし今のところ、そのような指令を伝える使者も書簡も届いていないそうだ。
「もしも、今後そのようなモノが届いたとしても、私が従うのは貴方のみですよ。お分かりでしょう? ジルベルト様」
薄紅の涼やかな両眼を陶然と細め、ネイサンは上品な唇の両端を吊り上げる。
「クリソプレーズ王国の『剣聖』となっている貴方と再会した私の現在の最も力を注ぐべき目標は、私自身には瑕疵の無い状態でクリソプレーズ王国の貴族となり、貴方に堂々と仕える立場を手に入れることです。手っ取り早いのは、能力を売り込んでクリソプレーズ王国の貴族家に養子に入るという手段でしょうかね。貴方に近付くことが許される家でなければ意味が無いので、厳選したいところですが」
「いや、ちょっと待て。お前、カーネリアン王国の宰相公爵の実子だろうが。有能さも知られてるなら家も国も手放さないだろう」
若干頬を引き攣らせて話を止めるジルベルトに、ネイサンは輝くような笑顔を向ける。
「そこはどうとでもなります。元々、愛人への同情心からポロック子爵の養子として売り飛ばそうとしていた成人している息子が、自分の意志で将来を選ぶだけです。将来を自由に決めて良いと、父親である公爵の直筆の文書も確保しています。フォルズ公爵家当主の立場で参加した公の場でも、三男の私の将来は自由に選ばせると口にしていますからね。王家から横槍が入っても、自分の言葉に責任を持てと父親に止めさせます」
ネイサンの輝くような笑顔が、薄紅に映す感情だけで昏いものに一転した。続けられた言葉は、後で聞こうとしていた「本来のネイサン」に関する内容だった。
「もしも父親が私へ、クリソプレーズ王国への敵対行為という泥舟の船頭になれと命じるならば、私がポロック子爵の養子にされた場合の最も高い可能性で予想される末路を、愛人可愛さに緩んだ色ボケの頭でも理解出来るように、懇切丁寧に具体的に提示します」
「・・・それは、『本来のネイサン』が辿った末路か?」
「ええ。スカウトされた際に伝えられたのは、『父親の愛人である下位貴族の養子にされた後、愛人が極刑になるのを避けるために、愛人の犯した罪を被せられて領地にて死ぬまで幽閉される』という死に方でしたが。具体的な家名等は容量オーバーになるから教えられないそうで。他に伝えられたのは、『親は尊敬しても期待も信頼もするな。ただし利用するために気に入られてはおけ』、『親に対抗し得る人脈を手に入れろ。成人してからでは手遅れだから早く動け』などですね。ああ、愛人から聞かされたという父親の恥ずかしい性癖や、幽閉中に気付いたという隠し財産等の情報も得ています」
後半にサラリと爆弾発言が紛れ込んでいたが、ジルベルトとクリストファーは、『一度目』のネイサン・フォルズの辿った人生を推測することを優先した。
こちらの調べや、クリストファーによるポロック子爵の『地雷』という人間性への予想から、現在フォルズ公爵の愛人であるポロック子爵は、極上のカモであるフォルズ公爵に強く執着し、離れる気は無いと思われる。
もしもフォルズ公爵の気持ちが離れて別れを切り出されたら、刃傷沙汰になりかねない気性であると、前世の経験からクリストファーは言っている。
今回は転生者であるエリカがポロック子爵令嬢の死に関わっているが、もしかしたら『一度目』でも、何らかの原因でポロック子爵の娘は子供の内に亡くなっていたのかもしれない。『一度目』のネイサンも、ポロック子爵家の「入婿」ではなく「養子」だったのだから。
最悪の想像では、フォルズ公爵への人質としてネイサンを養子に得るために、『一度目』のポロック子爵は、自分の娘を事故か病気にでも見せかけ、殺害している可能性も否定できない。
常識的に考えて、将来が有望視されている公爵家の令息が、何の利益も家に齎さない下位貴族の養子になることは有り得ない。
公爵家を継がなくとも、「公爵家の人間」であることで得られる様々な権利は、王城への出仕後の立場や昇進に大きく関わるのだから。
有り得ない非常識故に、『一度目』のネイサンも想像もしていなかったのだろう。そのため対策は遅れ、父親の命令に抵抗する術は無かったと思われる。
また、現在までの調べで把握している情報では、フォルズ公爵は交際中は一途だが、遊び慣れた貴族男性らしい移り気さも持ち合わせている。
人格に相違の無い『一度目』でも、フォルズ公爵のポロック子爵への気持ちが、ずっと変わらずに続いたとは考えられない。やがて新しく気を惹く相手が現れて、フォルズ公爵はポロック子爵に別れを告げただろう。
自己愛の強烈なポロック子爵が、「大切な自分」の「楽して美味しいトコ取り」な人生の邪魔をした「新しい愛人」の存在を許さないだろうことは、容易に想像できる。刃傷沙汰ルートだ。
ここで問題になるのが、フォルズ公爵の愛人は必ず「貴族家の当主」であることだ。フォルズ公爵は、貴族家の当主だけが入会できる紳士倶楽部で愛人を見繕っているのだから、それは確実である。
一口に「貴族」と言っても、下位貴族と高位貴族の間には厳然たる身分差がある。
高位貴族が下位貴族へ怪我をさせても慰謝料で済むケースでも、逆ならば最高刑は死刑だ。
ほとんどの王政の国では法に則ればそうであり、カーネリアン王国も例外ではない。
本来のネイサン・フォルズから今のネイサンが聞かされた、「父親の愛人の下位貴族が極刑になる罪」というのは、下位貴族のポロック子爵が、フォルズ公爵の新しい愛人として選ばれた高位貴族家の当主を害そうとした罪だと推測される。
ネイサンが罪を被せられたのは、子爵の血統でしかないポロック子爵が裁かれれば極刑に処されるが、子爵家の養子となっていてもフォルズ公爵の実子であるネイサンならば、養子縁組を解消することで公爵家の籍に戻し、「高位貴族である公爵令息を表舞台から抹殺する生涯幽閉」という、身分に対しては相当に重い罰を与えることで、ポロック子爵の命は助かり、ネイサンも命までは取られないで済むという、フォルズ公爵は罪悪感に駆られずに済む結末に持っていけるからだろう。
色ボケジジイだろうが、表向きは有能さを認められている実力者の宰相であり、外面は人柄も信頼され慕われている公爵家の当主だ。
フォルズ公爵が「犯人は我が息子ネイサンであった」と断言して事件を処理すれば、父親を超える後ろ盾など持たない息子は従う他に道は無い。
今のネイサンへ伝えた内容からしても、本来のネイサン・フォルズとて、父親の愛人のご機嫌取りやら善人気取りなどと言う、実にくだらない理由で無駄に人生を浪費されることを受け入れられるような、大人しく骨の無い性格ではないだろう。本質が弁護士の御堂と同質なのだ。計算高く諦めの悪い、そして有能な人物であったと推測できる。
いつ、どこで、『やり直し』の方法を知る人物との接触があったのかは分からないが、そういう性質の「ネイサン・フォルズ」が『やり直し』を願った背景は、十分に想像できた。
そして、伝えられた内容を活用した「今のネイサン」は、幼い頃から王立図書館で父親に対抗し得る人脈を築き、父親から自由な将来を認める言質を取れるよう誘導し、公の場で多くの証人を得られるよう発言させ、直筆の手紙でも、三男であるネイサンの人生は自由に選ばせるという記述を引出して確保した。
今のところ、『一度目』のネイサンの無念を晴らす方向での『やり直し』に沿っているのではないだろうか。
それにしても、呆れるほどに、「本来のネイサン・フォルズ」と「今のネイサンを引き継いだ御堂」の性質は似ている。
魂のスカウトの際で行われた伝達も、まるで気心の知れた同僚間での業務連絡のようであり、ツーカーで引き継ぎが行われたように感じる。
前世の親子は納得の視線を交わした。
そしてクリストファーが前世の経験から、被害を広げずポロック子爵を切り離したければ、生物としての完全なる無力化を目指すことを提案し、他国の宰相公爵の実子が自分目当てで国籍まで移す気でいる責任の重さから暫し逃避したいジルベルトの心情も汲まれ、この話題はひとまず切り上げられることになった。