協力者
予定の刻限になり、打ち合わせ通りコナー公爵家の使用人を先触れに出し、ジルベルトとクリストファーはバダックを連れて王城の第二王子執務室へ向かった。
学院休校中の生徒会室の代わりとして第二王子執務室を使用するという体なので、生徒会役員であるクリストファーも一緒なのは何も不自然ではない。
第二王子執務室メンバーは現在の貴族学院生徒会役員のメンバーと重なり、殊に留学生に関係する問題に当たるとなれば、外務大臣であるダーガ侯爵の息子・ジルベルトや、宰相であるヒューズ公爵の息子・モーリスがメンバーに含まれることによって他の外野が同席する必要も無くなる。
ジルベルトやモーリスが、ただの大臣令息であれば専門の役人に助力を求めることが望ましいが、二人とも既に国政の実務をアンドレアの側近として担っているので、一般役人以上の実績と権限を持っている。
この場合、「学生だけに任せられない」などと横槍を入れ、「大人も同席します」などと首を突っ込もうとする輩が居たら、それは、探りを入れようとしている敵か、不敬の自覚の無い馬鹿だ。どちらにしろ拘束して退かせる大義名分は立つ。
部外者を伴っているため、ノックをして許可を得てからジルベルトを先頭に入室する。
ジルベルトの視界の端で、予想通りジルベルトの姿を目に入れて至極嬉しそうな顔をした後にバダックに視線を滑らせ、鼻に凶悪なシワを寄せるハロルドが映った。背後に牙を剥き出しに威嚇の唸り声を上げる凶犬の幻が見える気がする。
初対面で謂れのない敵意を向けられたバダックの方は、生来の図太さから平気でソレは受け流し、モーリスの顔面を口を半開きにして凝視している。
フローライト王国で『剣聖』の妖精を見たことがあるバダックにとって、モーリスは人間と同じ大きさの妖精にしか見えない。再会を渇望していた御主人様は隣に居るのだから、嫉妬含有率の高い敵意など気にするほどでも無い。人間大の妖精が実在する「世紀の大発見」の方が気になるし心を揺さぶるのだ。
面白くないのはハロルドだ。
ただでさえ、アンドレアの命でフローライト王国の留学生はジルベルトに堕とされている筈だ。任務完遂の先触れもあったのだから、今のバダックはジルベルトに過剰なほどの好意を持っているだろう。そんな男がジルベルトの隣に当然のような顔をして立ち、ハロルドの威嚇を空気のようにスルーしてみせたのだ。
協力者として利用するのだから排除は出来ないが、非常に面白くない。
ジルベルトは、ハロルドと前世の犬達の相性が最悪であろうことは予測していたので、下手に刺激をしないように口を噤んでいる。
ここで新旧の犬同士で争いが勃発しても不毛だからだ。
よって、御主人様のフォローが発生しない第二王子執務室の空気は、奇妙な緊迫感を孕んだ居心地の悪いものになる。
尤も、室内の面子は全員、必要以上に面の皮が厚いので平然としたものだ。天井裏のコナー家の配下が鳥肌と冷や汗を抑え込むのに労力を要する事態になっているのが、気の毒なだけだ。
「僕はただの人間ですよ」
『剣聖』を有するフローライト王国から来たバダックが何に驚愕しているのか気付き、モーリスが平坦な声で言うと、バダックはハッとしたように居住まいを正して半開きの口を閉じた。
そして、協力者となったことを示すように頭を下げる。
「不躾に、失礼した」
保護を受ける協力者になると言ってもバダックは『国の色』の瞳を持つフローライト王家の血筋だ。フローライト王国の特殊性から国内では家畜以下の無価値な存在と扱われていても、他国の王族以外の人間が表立って下位の扱いをするのは、扱った側の恥となる。
ここは公式の場ではないこと、アンドレアの保護下に入ること、自国での実際の低い立場を鑑みて、王族ではないモーリスに頭を下げたが、遜った言葉遣いはしない。
その理解力の高さと堂々とした肝の据わり方は、協力者としての期待感を高め、アンドレアとモーリスからの第一印象を良いものにした。ハロルドは剣呑なオーラを隠しもしないが。
「先触れの通り、バダック殿をこちら側の協力者とすることに成功しました。詳細の報告は後程クリスが行います」
ジルベルトがアンドレアに告げるとアンドレアが鷹揚に頷き、一歩前へ出る。
「バダック殿の決意に感謝する。貴殿が協力者である限り、クリソプレーズ王国第二王子アンドレアの名の下に貴殿を保護することを約束しよう」
「御礼申し上げます」
アンドレアに対し、モーリスの時よりも深く頭を下げ、言葉遣いも相手が上だと認めたものに改めるバダックに、モーリスは無表情のまま感心した。
王族や貴族としての教育を受けたようには見えない所作ではあるが、相手の身分に応じた区別を付け、優雅とは言えなくとも粗野では無く、よく鍛えられた身体をきちんと意識して「礼を尽くした態度」を取るよう心掛けていることが窺える。
アンドレアも内心でバダックの評価を上げていた。
ハロルドは益々面白くないが、使えそうな協力者であることは認めている。
「頭を上げてくれ。時間が無いのでジルから聞いたであろう説明は省くが、それ以上の話を詰めよう。この部屋で話した内容が外部に漏れることは無い。まずは座るか」
黙礼するバダックはアンドレアに勧められ、アンドレアが座ってから、その正面のソファに腰を下ろした。
モーリスは茶の用意に棚の脇にあるティーワゴンの方へ向かい、ハロルドとジルベルトはアンドレアの背後に立った。クリストファーはバダックの隣に腰を下ろす。
第二王子執務室の周辺は、クリストファーがアンドレアに『使う』ことを許してから、更に進んだ厳戒態勢となっている。執務室周辺から間者や暗殺者を排除する「第二王子執務室担当」のコナー家の精鋭も、今日は恐怖の大王も執務室を訪れるということで、いつも以上に気合が入っていた。
ここでの会話が敵方の耳に入る可能性は徹底的に潰されている。
モーリスが茶の用意を終えて空いている一人掛けソファに腰を下ろすと、クリストファーからの報告が始まった。
バダックがフローライト王国現国王の王子の一人であること。
ただし、「フローライト」を名乗ることは許されていないこと。
バダックの母親はフローライト王国の将軍家の関係者ではなかったこと。
母親の実家との関わりは一切持ったことが無いこと。
現在所持している身分証明書類の家名「ベルモント」は、与えられた『王命』のために用意された実態の無い養子縁組によるもので、名乗ることを許された血筋による家名を持たないバダックの『本名』は、平民同様に家名の無い、ただの「バダック」であること。
バダックが去勢を免れた方法と、バダックのフローライト王国での扱い。
祖国での扱いからフローライト王国への愛国心や帰属意識は無く、国家や王へ忠誠を誓うことは無かったこと。
フローライト王国の後宮の、こちらの推測以上の「王の実子」の多さと、王太子候補を含む精通を迎えた王子らも後宮で暮らし続けているという驚きの現況。
王の実子である『国の色』の瞳の男子が冒険者として国を出奔する際に必要な厳しい条件。
その厳しい条件をクリアして国外へ出た元王子が、それなりの数になるほどに多い、後宮で生み出される「フローライト国王の実子」の人数。
非現実的とも言える「王の実子」の人数は、現国王の強壮剤や精力剤の常用・濫用によって実現されている可能性があること。
各国の諜報員が掴んでいる現国王の麻薬中毒者のような風体及び言動と、どの諜報員も未だ掴めていない麻薬の実体は、現国王の長期に渡る強い薬の連用と重複使用が解明の鍵となる可能性があること。
フローライト王国における『剣聖』の虜囚の如き扱い。
男性のまま国外へ脱出することを目標に機会を狙っていたバダックが、今回出された『王命』を国外脱出のチャンスとして自ら志願したこと。
その『王命』は、こちらで掴んでいた通り、他国の『剣聖』の誘拐、失敗した場合は暗殺というものであること。
バダックの認識では『王命』に勝機は無く、バダックが当方に自らが受けた『王命』を伝える際には、「狂った王命」と表現していたこと。
淡々と、バダックから聞き取った話で、こちらの調査結果と擦り合わせが済んだ内容を報告したクリストファーは、次いで今後の動きの申告に移る。
現国王が使用する強壮剤、使用したと思われる精力剤の、実験を含む研究調査をコナー家で行い、近日中に結果を報告すること。
祖国の国家にも国王にも忠誠を誓うことの無かったバダックが、現在ジルベルトに忠誠を誓っていること。
ジルベルトに忠誠を誓ったことにより、ジルベルトの命令であれば如何様なことであれ拒むこと無く遂行する覚悟がバダックにはあること。
よって、今後はバダックには協力者として役割を担ってもらうことが可能であること。
「俺からは以上ですよ」
素を見せ、コナー家の支配者として話す時のクリストファーが敬語を使うのは、アンドレアに対してだけだ。
自国の王や王妃の前でも当然敬語は使うが、それは一人称が「僕」の公爵令息の可愛らしい少年の顔でのこと。
自分より上だと認めているのも、『使う』ことを許したのも、アンドレアだけなのだという表明だ。王族といえど、コナー家の真の支配者の、この態度を「不敬」と咎めることは出来ない。
クリストファーは必要な「表向きの臣下の態度」を執っているし、認められないのは実力と器故なのだから、騒ぎ立てることが恥だ。
クリストファーからの報告と申告に、先ずは内容を理解したと軽く頷いてアンドレアは思考する。
これまでの調査でも、フローライト国王が正気を失っているのではないかという疑いは濃厚だったが、今回、実際にフローライト王国の後宮で生まれ育ったバダックの齎した情報により、確実に王は正気を失っていると断言して構わない状況だと知れた。
多くの妃や妾を持つ王の中には、後宮内の管理をおざなりにし、興味を持たずに放置する者も居ると聞く。
王が放置する後宮内の勢力争いで、血で血を洗う殺戮劇が繰り広げられる話は珍しくも無い。
だが、肉体的に大人の、「王の実子」と同じ瞳を持つ子を成せる男性を、後宮内に野放しで生活させているというのは有り得ない。
バダックが去勢を免れるために他の王子の振りをすることが、身体が大きくなるまでは通ってしまったことからも、『国の色』の瞳さえ持っていれば、年頃や性別、せいぜいが髪の色くらいで雑に判別し、余程の違和感を抱かせなければ「名乗った者勝ち」で、別人に成り代わることが容易であると窺える。
無策としか言い様の無い異常な数の「王の実子」を産ませ、増やし、それらの管理は出来ていない。
真実、自分の実子であるか、実子であっても、真実、その者が名乗った通りの王子や王女であるか、現状では判断がつかなくなっているだろう。
フローライト王国の王太子候補は、現国王が後宮を持ってから幾度も変遷している。
勢力争いによる暗殺、寵姫の入れ替わりによる王子同士の力関係の変化。理由は様々だが、非常に不安定なものであり、名前と顔ぶれの入れ替わりが激しいと言える。
その状態で、名乗った者勝ちの杜撰な管理体制と、子を成せる王子の後宮暮らしは、王の足下を掬うものだ。
その考えに至らない王は、意思のある状態で愚かなのではなく、物事を考えることを許されない状況に置かれているか、正気を失っている。
正気を失った原因が強壮剤や精力剤であるならば、フローライト国王自身は「運の悪い事故」に遭った後に傀儡とされ、今回の『王命』も王の意思が反映されたものでは無いのかもしれない。
それでも王位に着いている国王なのだから、この騒動の責任は「国の代表者」として取ってもらうことになるだろう。
コナー家が、合法の強壮剤と精力剤の摂取による事故で正気を失っている状態だとフローライト国王の現状を証明したとしても、他国の『剣聖』の誘拐や暗殺を『王命』で出すのは宣戦布告と同意だ。『剣聖』を抱える各国と協議の上、落とし所を見つけなければならない。
だが、それを行うのは、こちらの問題が全て片付いてからだ。
それまでは、バダックにもフローライト王国の内情については口を噤んでもらう。
バダックが協力者となったことに疑いは持っていない。
ジルベルトが「成功」と報告し、クリストファーがそれを保証し、何よりハロルドがバダックから「敵の臭い」を嗅ぎ取っていない。
今も背後で不機嫌そうな顔付きでバダックを睨み付けているだろうハロルドの、初対面から容赦の無いバダックへの威嚇と、ジルベルトへ訴えるような微かな拗ねた唸り声から察するに、バダックはジルベルトに犬的な忠誠でも誓ったのかもしれない。
ジルベルトは、気にかけている人間以外には、外面だけが清廉な紳士で実際は非常に薄情で冷淡だ。ハロルドも、しょっちゅう冷たくあしらわれている。
だが、ジルベルトは一度拾った犬を捨てるような男ではない。拾ったからには、自分が死ぬか犬が死ぬまで、責任を持って面倒を見る男だろう。
それでも独占欲の強いハロルドは、他の犬を拾って来たことを不満に思い、拗ねるのだろうが。
まぁ、頑張れ飼い主、というところか。
背後の専属護衛達の、何となく鬱陶しい気配の無言の遣り取りを感じながらアンドレアが思考を終えた時、執務室の扉にノックがあった。
現在、何事も無くこの部屋の扉に到達することを許されているならば、こちらが必要としている来訪者だ。
アンドレアの目配せでモーリスが立ち上がり、扉を開ける。
来訪者はウォルター・コナーだった。
カーネリアン王国の留学生が王都入りし、予約していたホテルにチェックインしたという報告だ。
「ハリー」
「はい」
呼びかければ、顔一面に「不本意」と書き連ねているような表情だが、即座に応答する。
不本意の理由は分かる。カーネリアン王国からの留学生との対応は、子爵令嬢の件が絡むので、スラムの墓地に赴いたハロルドに第二王子執務室の代表を任せていた。
留学生が到着したとなれば、ハロルドは、この場を離れて挨拶に出向かなければならない。
新参の犬を飼い主の側に残して離れなければならないのだ。
それでも主であるアンドレアの命令には従い、職務を疎かにすることも無い。
アンドレアはジルベルトにチラリと視線を送る。視線から主の言いたいことを読み取って、ジルベルトはハロルドに耳打ちした。
「行って来い。私の犬。戻ったら褒めてやる」
「はい。ジル様」
ドロリ。ハロルドのオレンジの眼光が歓喜の熱で溶ける。
ずっと睨み付けられていた視線が外されて首を傾げたバダックが、自分と同じくらい体格の良い赤髪の騎士の視線を辿れば、それは大切な御主人様に執着を煮詰めながら注がれていた。
また拾ったのか。ここでも拾ったのか。バダックの胸中は複雑だ。渇望していた御主人様との再会を果たしたら、その隣には知らない犬が居たのだから。
(オッサンには後で注意しとかねぇとな。実力的に化け物な変態犬と下手に対立されると面倒だし、熱量の暴走がジルに向かうのは防ぎたい。)
新旧の犬が不穏な空気を醸し出す様子を眺め、クリストファーは内心でジルベルトを護る算段をつけていた。