同じで逆
食人を想像させる記述が出て来ます。
また、内容に含まれる「犬達」の欲望は、狂気を孕んでいると思われます。
地雷となる方はご注意ください。
フローライト王国からの留学生がジルベルトの前世の「犬」だったことで、任務遂行時間は大幅に短縮された。
そのため、第二王子執務室へバダックを連れて行く予定の刻限まで余裕が出来た。多少の時間は前後しても対応可能だが、あまりに早いと設定に疑惑の目が向く。
現在までの状況は、表向きは、
《道中で不審者の襲撃を受けた留学生が負傷しながら王都入りしたところを、王都周辺を警邏中のコナー公爵家所縁の兵士が保護し、兵団に報告に向かう途中で、婚約者との面会予定のため馬車を走らせていたクリストファーに遭遇。
話を聞いたクリストファーは、兵士にはそのまま兵団に報告に向かわせ、自分の従者を同時刻にニコルの屋敷に『王家の使者』として向かっている筈のジルベルトへ走らせた。
緊急事態としてニコルとの面会を中止したクリストファーとジルベルトは、怪我の手当のために一先ずコナー公爵家本邸へ留学生を連れて行った》
という話になるよう根回しと工作が済んでいる。
貴族学院の留学生となれば、他国の貴族だ。平民で構成された兵団の施設で身柄を保護して対応するには荷が重い。
手に余る高貴な身分の人間を保護した兵士が縁のある貴族に頼ることは、この国ではごく普通の事柄だ。
この後のシナリオは、
《留学生の手当が済んで、心身が落ち着くまで休息を取ってから、学院が休校中のため、トラブルに見舞われた留学生の状況聞き取りは王城の第二王子執務室にて行う》
という運びになる予定だ。
襲撃を受けて負傷した貴族に対し、応急処置が済んだら即、事情聴取などという対応は、少なくともこの国では、常識的にしない。
その対応は、相手が容疑者か重要参考人、または尊重する必要の無い身分であれば為されることもあるが、『貴族学院』への正式な留学許可を得ている他国の貴族を粗雑に扱うことは、国の体面に関わり、外交問題にもなりかねない。
保護した留学生を「丁重に扱っている」というポーズのためにも、コナー公爵邸から王城へ向かうのは、ある程度の時間が経過してからでなければならない。
バダックは大分強行軍でクリソプレーズ王国へ向かって来たようで、実際に身体中に傷を負っていたし、疲労度も強かった。
丁度いいので、予定の刻限までバダックは邸内の別室で休ませることにした。
同僚を幾人も殺されたコナー家の使用人達に囲まれながらでは休んだ気になれるかは分からないが、一応クリストファーが「重要人物だからどこでもぶっ壊したら反逆行為だからな」と釘は刺している。
その間、クリストファーとジルベルトは、『制裁の間』の奥の小部屋にて認識の擦り合わせを行うことになった。
「なぁ、『約束』って何?」
一番気になっていたことをクリストファーが訊ねれば、ジルベルトは再び前世でも見たことが無かったほどの心底嫌そうな顔をした。
「私はしていない」
「何かマジで嫌そうだな。転生者が『犬達』なら敵じゃねぇからラッキーだと思うんだが、ジルは喜んでねぇし」
「前世で逃げ切れたのに再会したくなかったんだよ」
「逃げ切れたってどういう──え? まさか、先に死んだことか?」
信じられないものを見るような目で見られて目を逸らしたジルベルトは何も答えないが、その態度が肯定を表している。
クリストファーの表情が、少年の顔に宿せば違和感を持つほど険しいものになる。
「死んで逃げ切りたいくらい受け入れ難い要求をされてたってことか? なら『犬達』は敵か?」
「いや・・・間違い無く今生でも、あいつらは私に従う。裏切りもしないだろう。『ナニか』による転生者の何割かでもあいつらなら、戦いも楽になると思う」
「なら何だよ。ジルがその態度だとハロルドが暴走してバダックを排除しかねねぇぞ」
クリストファーに諌められてジルベルトは溜め息を吐く。
確かに、独占欲が強く嫉妬深いハロルドは他の犬など認めないだろう。それが御主人様が望んで従えているのではない態度が見えるなら尚更。
態度で隠しても、最近は匂いで心情を嗅ぎ当てられることがあるので安心は出来ないが、見るからに嫌々であるよりはマシだと思う。
だが、前世の犬達が望んでいた「約束」は、異世界に生まれ変わったとしても、到底ジルベルトに受け入れられるものではなかった。
それに、今生の犬が奴らの「約束」を知る事態になったらと考えると寒気が止まらない。
想像して青くなったジルベルトを、気遣いながらも訝しげにクリストファーは見詰める。
その視線に促されるように、ようやくジルベルトは重い口を開いた。
「前世の犬達は、私と一体化することを望んでいる」
一体化。妙な言い回しだとは思ったが、クリストファーは一体化を「性行為による合体」だと解釈した。
だから、ジルベルトが青くなる理由が分からず首を捻る。
「一般女性だった前世ならともかく、『剣聖』なんだから一考の余地無く却下出来るだろ?」
「違うんだ、クリス。お前が考えてるのじゃないんだ。そもそもあいつら、私では勃たないからな」
「は?」
前世で見たオッサン達の、ドロドロに煮詰めた執着具合と熱視線が脳裏を過ぎり、クリストファーは益々困惑する。
「いや、だって、アレ、どう見ても、・・・えぇ?」
「そう、見えるよな。前世は私が女性だったことで一層、そう見えただろう」
社会的地位のある、年齢差のそれほど無い独身男性達に囲まれて特別扱いを受ける、美人ではあるが一般人の範疇に収まる程度の女性。
傍から見れば、恋愛感情でも無ければ意味の分からない優遇ぶりと執着度だっただろう。
だがそれは、「まやかし」なのだとジルベルトは声を大にして言いたかった。
「あいつらが私に向けているのは恋愛感情など1ミクロンも無い崇拝だ。だから、私を性対象になど奴らは出来ない」
「えぇ? いや、でもジルが子供欲しがった時に熾烈な父親の地位争奪戦があったってオッサン達から聞いたぞ」
「あー、それなぁ」
ゲンナリと天井を仰ぎ、ジルベルトは虚ろな目で前世の実情を暴露する。
「私の子供の父親になれば、私の遺伝子が入った人間の、正当な所有権を主張出来るだろ? ちなみに提示された方法は人工授精な」
「はあぁっ⁉」
「うん。引くよな。世界の果てまで引くよな。それを聞いて、絶対にあいつらを父親にするのは止めようと思ったんだ」
「で、契約結婚することになったのか」
クリストファーの声のトーンが落ちる。母親が、父親に謀殺された疑惑を消化することは未だ出来ていない。
天井からクリストファーに視線を移したジルベルトの目が、虚ろなものから気遣わしげなものに変わる。
「私自身も愛だの恋だのという感情が分からず、割り切った契約結婚の形は望ましかった。それに、他人を私の特別な存在にすることは犬達の妨害が酷くて無理だったこともある。ただの『契約相手』なら特別ではないからな」
「俺達は・・・」
「特別に決まってるだろ。他人じゃないから反発は無かったぞ」
「ウワァ・・・」
クリストファーの心情がどんどん遠くへ引いていくのを感じるが、前世の犬達が望んだ「約束」に比べれば、この辺の話は、まだまだ可愛いものだ。
出来れば前世の息子には聞かせたくなかった、自分でも口にしたくない話題だが、ここまで来ればクリストファーも聞くまで収まらないだろう。
ジルベルトは短く深呼吸をして息を整えると、敢えて感情を乗せずに、一方的に望まれた「約束」を口にした。
「あいつらは、自分達が先に死んだら私の一部にしてくれと言っていた」
「・・・・・・」
理解したくない。だが、彼らのヤバそうな本性と前世の母への執着を垣間見た記憶がクリストファーに正解を理解させてしまう。
沈黙するクリストファーの表情は、ジルベルトが前世でも見たことが無いほど引きまくった、嫌そうなものになっていた。
嫌そうな表情の作り方は、前世で親子だっただけあってジルベルトと似通っている。
「確認するが」
クリストファーが、苦い唾液を飲み込みながら、喉が焼けたような嗄れ声を絞り出す。
「それって、先に死んだら死体を食ってくれってことか?」
「第一希望は」
「第二があるのか」
「移植だな。ただし、移植で妥協するなら部位は希望通りで、と言われていた」
「・・・・・・」
部位まで、確認しようとは思わなかった。彼らが妥協で望んで、お茶を濁すような生温い「人体の部品」では無いだろうことは明白だ。
「そりゃ、再会したくねぇわ」
やっと普通の声を出せるようになり、クリストファーは疲労感を滲ませてジルベルトに同意する。
そして、しみじみと感想を洩らした。
「ハロルドって、すげぇマトモな変態犬だったんだな」
だが、その感想は即座に飼い主によって否定される。
「いや、方向が逆なだけで同じだぞ」
「え?」
どういうことだ? と眉根を寄せるクリストファーに、隠し事が無くなって開き直ったジルベルトは淡々と事実を告げる。
「ハロルドの私への執着が性欲込であることは知っているな?」
「ああ」
眉間のシワを深くしてクリストファーは肯定する。
ハロルドに付けているコナー家の監視者からの報告では、あの男は一人で部屋に居る時には睡眠を取っているか、物騒なリストを書き付けているか、「ジル様」と呪詛のように繰り返し呟きながら自慰をしているかの、三種類の行動しか取っていないらしい。
そもそも、与えられた自室に戻るのは、ジルベルトに同行することを許されない時間だけなので、あまり部屋を利用することも無いのだが。
配下からの報告を聞く限り、ハロルドの性欲は常人離れして旺盛であり、その全てがジルベルトに向いている。もしもジルベルトが『剣聖』でなければ、多分無事には済んでいない。
「取り敢えず、私に性欲を持っている今生の犬と前世の犬達は、私を求める方向が同じようで逆なんだよ」
「そう言えば、オッサン達は互いには排除し合ってなかったな。あれはオッサン同士で友情があったからじゃなく、御主人様への恋愛感情が無かったからか?」
「ああ。前世のあいつらは、私の害にならず役に立つと認めた仲間は攻撃も排除もしない。執着心も独占欲も強いが、独占に関しては犬達で独占する方向で一致していた。だが、ハロルドは私にとって奴と同じ立場に在ろうとする何者も許さないだろう」
「ぶっ飛ばすのが『ご褒美』になる存在は、ハロルドだけじゃねぇの?」
呆れたような口調になるクリストファーに、何故か困ったような、少し悲しげな表情で、ジルベルトは表情と似合わない台詞を口に出す。
「お前、ハロルドの性癖はドMだと思うか?」
「は? え?」
混乱しつつも思考を巡らせれば、前世でも鍛えた同性の性癖を見極める観察眼が、生徒会に入ってから直に対面することの増えたハロルドを思い出しながら機能する。
結果、導かれた答えにクリストファーは戦慄した。
「あいつ、性癖は絶対ドSだろ。それも、自覚アリの。てことは、まさか」
続く言葉を音にしたくない気持ちが、クリストファーの喉を鳴らして声を口中に仕舞う。
だが、続きはジルベルトが声にした。
「あいつは私が『剣聖』という国内最強の存在になることを疑っていなかった。だから、私の『唯一』になるために、私の攻撃を食らっても平気で悦べる人間になった。『剣聖』の攻撃を平気で食らえるなんて、人間を辞めてるだろ。誰も真似出来ない」
「ジルの『唯一』になるためだけに、常人なら即死の攻撃に耐え得る訓練を積んだってのか⁉ 頭オカシイだろ⁉」
「あいつの頭が、おかしくなかったことがあったか?」
「無ぇな!」
軽口を叩いてる風でいて、ジルベルトの濃紫はハロルドへの哀れみが覗いている。
最低の家庭環境で心を壊しながら幼少期を生き抜いたハロルドは、おそらくジルベルトに出逢った頃には既に、健全な精神状態の持ち方を覚えることが出来なくなっていた。
意図的ではなかったものの、ジルベルトはハロルドの光となり、縋れる拠り所となってしまった。
ジルベルトはハロルドにとって『唯一』だ。
ハロルドの本来の生家のパーカー家の特性で、才能に比例して重くなる執着心は、丸ごとジルベルトに注がれることになった。
けれど、ジルベルトにとってハロルドは『唯一』ではなかった。
ジルベルトとハロルドの関係を他人が見れば、「友人」か「同僚」という『唯一』には成り得ない、ありふれたものになる。
実際は、ただの「友人」よりは関係の深い、「親友」や「幼馴染み」でもあるが、それでも、その立場だけではハロルドはジルベルトにとって『唯一』にはなれない。
アンドレアやモーリスも、ジルベルトにとって「親友」で「幼馴染み」だからだ。
ハロルドは、自分がジルベルトにとって『唯一』になれる立場を模索し、辿り着いたのが『変態犬』だったのだ。
最強となるジルベルトの攻撃を平気で食らい、ジルベルトに与えられる全てを悦びに変換することが、最低な家庭環境で打たれ強さが異常に育ったハロルドの見出した『唯一』への道だ。
そのために、本来の性癖は引っくり返して封印し、他の誰も真似出来ないコミュニケーションをジルベルトに求めている。
「アレを、戻れぬほど歪ませて行っているのは、私だ」
「本人が望んでやってることだろ」
「ああ。だが、歪みに耐えきれず暴発すれば、激情は私に一斉集中だな」
性欲の強い男が性癖を真逆に抑圧する危うさは、前世でも男性だったクリストファーの方が、実感を伴って知っている。
今はまだ17歳と若いが、この先ずっとジルベルトの『唯一』であろうと己の本性の一部である性癖を真逆に歪め続けたまま、対象の近くに居続ければ、何かの拍子に正気や理性が飛んでしまえば───。
ゾッと、クリストファーの全身から血の気が引く。
「ここで、前世の犬達とハロルドの同じで逆な処が出て来るんだが」
普段は豪胆なクリストファーの予想以上にダメージを受けた反応に、何とも言えない表情でジルベルトが自分を見ているのを、クリストファーは青褪めながら、ただ見返すしかなかった。
今のクリストファー・コナーとしての人生では、非道な事など麻痺するほど見て聞いて自分でも手を下して来たが、それでも前世の母と妹が害される話は理性がグラつくし、二人がスプラッタな目に遭う想像は、自分の身に降りかかる想像よりも恐怖を感じる。
「前世の犬達は、死後、私に遺体を食われることで私と一体化することを望んでいたが、ハロルドは逆だ。私に取り込まれたいか、私を取り込みたいか、な」
辛うじて、今生ではコナー家の支配者として君臨する者の矜持で、悲鳴も上げず表情も変えなかったクリストファーだが、油断をすれば呻き声を洩らしそうだ。クリストファーにとって、ジルベルトとニコルは完全に弱点だった。
必死で己を抑えるクリストファーの耳に流れ込むジルベルトの声音は、労りに満ちて優しげに響く。
「もしも前世の犬達の『約束』などハロルドの耳に入ったら、逆上したあいつは、私を殺して食おうとするかもな」
約束は一方的で了承などしていない。遂行もされていなければ、この先も守る気も無い。
だが、そんな「約束」が存在するというだけで、了承しなくとも、持ち掛けることを許した事実が過去にあるだけで、もう、狂犬は許せないだろう。
「・・・・・・ジル」
前世の母のように「犬」など従えたことも無く、前世の妹のように「信者」を濫造したことも無いクリストファーは、狂信者はともかく「犬」がそこまで危険な存在だという認識は持っていなかった。
だが、現実問題、守りたい二人の周りには信者も犬も集まって来ている。逃げる気は無いし負ける訳にもいかない。弱点を、弱みにするつもりは無いのだ。
気持ちを立て直し、クリストファーは普段と同じ、余裕のある皮肉げな口調に戻した。
「つまりハロルドは正統派のヤンデレで、オッサン達は恋愛濃度0%のヤンデレなんだな。恋愛濃度0のヤンデレって誰得な属性だよ」
「まったくだ」
かなり衝撃的な話を聞かせてしまった自覚のあるジルベルトは、持ち直した様子のクリストファーに、緩く濃紫を細めて、こっそり安堵の息をついた。
ハロルドが正統派ヤンデレと言えるのかは分かりません。
この場では、クリストファーが深刻な話を冗談にまとめるために「ヤンデレ」という言葉を使っています。