昔の犬。一匹目
前世の話の多い、伏線ブチ込み回となっています。
バレたものは仕方無い。
ジルベルトは早々に割り切って方針転換を決めた。
妖精が魂を選別した転生者が『ナニか』による転生者への対抗手段であることは、妖精により肯定されている。
対抗手段の意味は、「妖精による転生者が、この世界で幸せになる」ことだという話だったが、それが偽りではなくても、それだけでも無いだろうとジルベルトは考えていた。
妖精も神々も、選定した転生者を利用するつもりで転生させたのでは無いと、妖精は言っていたが、『ナニか』の思惑を阻止する方向へ誘導したいという意識は感じるのだ。
ジルベルト達、妖精による転生者の魂は、「転生させる器の元の魂と同質である異世界の魂」という条件を満たした上で、『ナニか』による転生者を押さえ込む力を持つことを期待して選ばれたのだろう。
この世界での地位や肉体に依存する部分が大きい能力は、「期待される力」としては、おそらく関係無い。
ならば、『ナニか』による転生者を押え込む力として期待されるのは、前世の生活環境と経験で醸成された性格や、『ナニか』による転生者との前世での力関係だ。
その考えに至った時から、ジルベルトは前世で「犬」を自称して勝手に従い崇拝して来ていた男達が、『ナニか』による転生者の中に含まれている可能性はゼロではないと思っていた。
妖精により、『ナニか』による転生者の全員がジルベルトの敵とは言えないという情報も得ていたし、カーネリアン王国からの転生者留学生の調査書が、前世の「犬」の一人を彷彿させる人物像だったことも、可能性を底上げさせた。
一匹でもこちらに来ているのなら、他も来ている可能性はぐんと上がる。
前世のジルベルトへの「犬達」の執着具合に差は無く、全員が激烈にヤバかったのだ。
ジルベルトは確信していた。
───犬は一匹現れたら、いずれ必ず全員集合する───
と。
前世でのやり取りを考えると、折角逃げ切れたのに異世界で再会することは望んでいなかったのだが、可能性がゼロではないと思った時から一応の覚悟は決めていた。
個人的には再会は物凄くしたくなかったが、もしも転生者が前世の犬であれば、確実に『協力者』には仕立てられるし、今生の身分等にもよるが、能力的には使える人間であることは間違い無い。
「白河」
ジルベルトは軽く溜め息を吐いてから、前世の「犬」の一人、不動産会社経営者だった男の名を呼んだ。
「何だ? 素良♡」
幻の尻尾がブンブン振られている機嫌の良さで、語尾にはハートマークが付いているだろう甘い声と口調で前世の名前を呼ばれる。
ジルベルトは、うんざりした表情を隠しもせず、近づいてきたバダックの顔をアイアンクローで遠ざけた。
「今後前世の名を口に出すな。私も『バダック』としか呼ばん」
「分かった。敬称はどうする? 『フローライト』を名乗れないとは言え、一応王族の俺が様付けで呼ぶと角が立つか?」
「好きにしろ。今後お前は、クリソプレーズ王国で保護される身となる。王族ではあっても継承権も無いだろ。私に敬称を付けたから角が立つということは無い。私は『剣聖』であり王族の側近でもあるからな」
「あ、じゃあジルベルト様で。長いな。ジル様でもいいか?」
「・・・ああ」
ウキウキと訊ねてくる前世の犬に、自分を「ジル様」と呼ぶ今生の犬を思い出して一瞬返答が遅れる。
前世では、自分より年上で社会的地位もある男から敬語や様付けで崇められるのは外聞が悪過ぎて拒否していたので、ごく普通に対等な友人のような口調で話し、呼び合っていたが、「犬」の方は「御主人様」を様付けで呼ぶチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。
前世のジルベルトの死後、不動産屋を訪れた「御主人様」の子供達には遠慮無く、その欲求を解放していたのでドン引きされていた。
転生して、ようやく叶った「本人への様付け呼び」に、バダックは溢れる想いをタッッッッッッップリ載せて、再会した「御主人様」に呼びかけた。
「ジル様♡」
「呼び方が気持ち悪い」
バッサリである。
「語尾にハートマークを付けるな。鬱陶しい。取り敢えず互いの立場を確認するぞ。バダック殿は私の『協力者』となるか?」
「当然。このバダック、ジル様のご命令であれば如何様なことも承ります。『協力者』などと事務的な立場に置かず、是非ともジル様の下僕、従順なる『犬』となさってください」
大っぴらにジルベルトに遜れる立場を手に入れて、バダックは己の欲求のままに跪いて頭を垂れる。
苦虫を噛み潰したようなジルベルトの表情に、クリストファーは「ご愁傷さま」と内心で呟いた。
ジルベルトは心を無にし、先ずはアンドレアからの命令を遂行する。
「では、クリソプレーズ王国貴族学院学院長、先代王弟でもあるエイダン・メイソン伯爵が、お前がフローライト国王より下された我が国の『剣聖』の誘拐、暗殺の命を知っていたと証言して欲しい」
「俺の証言がジル様の役に立つなら、いくらでも」
「一応形式上訊いておくが、祖国と祖国の王を裏切ることになる証言だと理解しているな?」
「勿論。俺の忠誠は前世から貴方にあります。他の何者にも忠誠を誓ったことはありません」
深く頭を垂れるバダックがジルベルトの足の爪先に口付けるのを、死んだ魚の目で取り敢えず好きにさせ、話を先に進める。
「我々の目的は学院長メイソン伯爵を、暗殺や謀殺を疑う余地を許さず、国外からの口出しをどのような身分の人間であっても排除出来るほどの大罪で『処刑』することだ」
「なるほど。『剣聖』を他国に奪わせる、もしくは暗殺を目論み国から失わせることは国防・軍事に関与する第一級の犯罪であり、国家威信の失墜を図った国と現王への反逆罪になり得る、というところですか? この国の法は未学習なので大まかな想像ですが」
「間違っていない。お前が背負った『王命』を知りながら留学の許可を出したならば、一族郎党処刑四回分に相当する大罪になる」
「それは、想像以上でした」
息を呑み、ポツリと感想を零した後で、バダックはヒリつくような覚悟を漲らせて顔を上げ、再会を切望していた主を見詰める。
「俺を処刑する時は、貴方の手に掛けてください」
「断る」
ジルベルトの返答は、にべもない。バダックのフローライトの両眼に染み広がり暗く塗り潰していく絶望を眺めながら、絶美の顔にうんざりとした表情を浮かべて溜め息を吐く。
「お前は我が国で保護されると言っただろうが。身柄は私の主である第二王子アンドレア殿下の預かりとなる。今回『協力者』となることで、学院長の一族郎党処刑四回分の大罪を未然に防いだ功績から、バダック殿は『亡命者』と認められ、監視付きではあるが罪人としては扱われない」
「監視はジル様が?」
絶望が喜色に染め替えられる様を鬱陶しげに見遣り、ジルベルトは半分否定する。
「私はアンドレア様の専属護衛だ。お前の監視に張り付く暇は無い。だが、お前を『協力者』として扱う責任者は私だ。学院長の始末が済んでも継続して様子は見に行くことになる」
「そうですか」
バダックは育ちの良い大型犬めいた整った顔立ちに満足そうな笑みを浮かべ、次いで凶獣のように口許を歪めて狂気の笑みを表した。
「もう、俺は貴方より後には死にませんよ。今生は約束を果たしてもらいます」
「私は約束していない」
心底嫌そうに答えてから、ジルベルトは「しまった」と思い、魂を遠くに飛ばしたくなる。前世で勝手に突きつけられた、守るつもりの無い「約束」など忘れたことにしておけば良かった。
バダックの前世、白河は、強面だが陽気で豪快で少しおバカという人物像で世間を渡っていたが、豊かな表情やおバカキャラっぽい言動に隠して、実際はかなり腹黒だ。
そうでなければ経営者など務まらないだろうが、その芸当を「御主人様」に要求を通したい時にも遠慮無く使ってくる。ジルベルトが前世から、嫌なことは嫌と断れる性格だから遠慮の必要が無い部分もあるが、嵌められた感は毎回多少は凹むので止めて欲しい。
「覚えてるんですね。約束♡」
嬉々として跪いたままジルベルトに躙り寄るバダックと、前世でも見たことが無いほど心の底から嫌そうな表情のジルベルトを見比べて、クリストファーは「約束?」と首を捻る。
クリストファーが思わず零した一言に、「今、存在を思い出した」という態度でバダックが胡乱げな視線を上げた。
「ジル様、転生の話にも俺の貴方への態度にも動じない、この貴方への距離感がまるで家族のような人間は、貴方の何ですか?」
「お前、どこで私の正体を見破ったんだ?」
クリストファーの正体には言及せず、足元のバダックを見下ろしながらジルベルトが問えば、バダックは誇らしげに小鼻を膨らませる。
「貴方が『幻の八番』を食す時は、味わうために必ず無言になるんですよ。それで味が脳に到達すると目尻がほんの僅か緩むんです。その角度と秒数が前世の俺の主と完全一致しました」
ジルベルトは虚無を感じさせる表情に、クリストファーは「ウワァ」という表情になる。
それらを見上げて見比べていたバダックは、「ふむ」と唇をへの字に曲げるとゆっくり立ち上がり、両手と片足を上げてポーズを取った。
「荒ぶる鷲のポーズ!」
「鷹だろ!」
「あ、海都の方か」
「どういう判別の仕方だよオッサン!」
「いや、ジル様が『家族の距離』を許すならどっちかだろ。そのドン引き顔にも見覚えはある」
前世で、母の「犬達」にかかればクリストファーは手のひらで転がされる「子供」だった。それは、成人しても社会人になっても社会的地位が上がっても変わらなかった。前世では、それだけの年齢差があり、母の犬達にとって母の子供達は、「主に託された守るべき対象」だったからだ。
だが、今もそのままでは無い。この世界では、年齢差も些少でクリストファーの立場と権力はバダックのそれを大きく上回る。妖精の加護の分、実力でもクリストファーをバダックが守る場面など想像出来ない。
だからクリストファーは、前世で訊けなかった疑問をぶつけた。
「アンタら、何やって殺されたんだ?」
ジルベルトの表情も虚無から現実に戻ってくる。
ニコルとクリストファーから聞いた、前世で自分が死んだ後の話から、疑いは持っていたものの、先程バダック本人の口から出た「殺された」という言葉で確定した。
ジルベルトの前世の「犬達」は、何かしら触ってはならない対象に敵意を向けて気取られ、目を付けられて殺されたのだ。
彼らが揃って己の命を顧みず無茶を通そうとしたならば、原因は自分であるという予想をジルベルトは否定しない。
「コナー公爵令息、でいいのか? 呼び方。敬語は必要か?」
「敬語はいい。愛称呼びは不自然だが名前呼びで。コナー公爵令息だと兄もいるからな」
「んじゃ、クリストファー。俺の後にどういう順番で死んだ?」
仲間達が、老衰まで待たずに死ぬことが、前もって分かっていたという口振り。
クリストファーは浮かんだ疑問を後回しに、バダックの質問に答える。
「アンタの次が御堂さん。次が木崎さん。俺も45歳で死んだから、その後は分からない」
「は? 何でお前がそんな若死にするんだ?」
御堂は弁護士、木崎はホストクラブやキャバクラ、風俗店などを複数店所有していたオーナー経営者だ。その二人に、冒険家で写真家の山川を加えたのが、前世のジルベルトを「御主人様」と崇めていた「犬達」のメンバーだ。
前世で主から託された守護対象を守りきれなかった仲間達への怒りから、剣呑な魔力を纏わせ始めたバダックを手で制してクリストファーは首を振る。
「俺が殺されたのは別件。女に結婚を迫られて断ったのがストーカー化して快速電車の前に落とされたんだよ」
「ああ・・・女か。災難だったな」
クリストファーが、前世で女性をそういう対象に出来ないことを知っていたバダックは、虚を突かれたように口籠った。
バダックも前世で気の無い女性から秋波を送られることの多い男だったから、その煩わしさは共感する。ましてや、前世でクリストファーは完全なる同性愛者だったのだ。災難としか言いようが無い。
だが、自分達のヘマに巻き込んで殺されたのではなくとも、主から守れと託された対象を殺されてしまったのは失態だ。再会したら物申さねばと心に決める。
バダックは、他の「犬達」と再会するだろう未来を疑ってもいない。
自分が御主人様と再会出来たのだから、ジルベルトの近くに居れば、必ず他の犬も引き寄せられる。その確信があった。
だから、暫し思考してバダックは答える。
「俺の持ってる情報じゃ少な過ぎる。俺より後に死んだ奴と再会して経過と結果を聞いてからじゃねぇと勝手に言える話じゃねぇ」
「私に関する話なんだな?」
ジルベルトからバダックにかけられたのは確認の問いだが、否の答えが返ることは無いと知っていた。
だが、その内容は予想を超えて不穏だった。
「俺達が命を張るんだから当然、貴方のことです。貴方の──死因を調べていました」
「は?」
沈黙して考え込むジルベルトに対し、クリストファーは瞠目して殺気を漏らす。バダックは、クリストファーに詳細を話せと迫られる前に宣言した。
「これ以上は、他の奴の情報が揃ってから話す。俺が話せるのは、俺が生きている間に確かな事実だと結論が出せたところまでだ」
「それは、私の死因はただの病死ではなかったということか?」
前世で最初に入院を余儀無くされた頃からの記憶を掘り起こし、死を迎えた日までを辿りながら、ジルベルトは静かな声音で訊ねる。
「そうです」
迷いの無い肯定の返事にジルベルトは嘆息した。
前世の夫とは、互いに好意どころか情も無かった「人として欠けた者同士」とも言える契約結婚だった。だが、殺されるとまでは考えていなかった。
入院したのは、夫の指定した夫の親友が後継者となっている病院だった。病名は度重なる検査を繰り返しても明確に判明せず、難病、奇病と言われて、数年に渡り対症療法ばかりが施され、完治することなく死に至った。
死因が不審であると聞いただけで、即座に夫に殺されたのだと疑うような、一抹の信頼すら無い関係だったから殺されたのだろうな、と感慨も無くジルベルトは遠い過去に思いを馳せる。
自分を殺したであろう前世の夫に対し、恨みも憎しみも湧かず心が動かない。気になるのは目的と方法くらいのものだ。
殺してまで奪いたいほどの財産など前世のジルベルトは築いていなかったし、契約結婚相手の妻に興味も関心も無かった夫が、妻への感情で殺害を決意したとは思えない。
一体どういう目的で、長々と何年も生かして入院させてまで、病名もはっきりしない奇病の扱いで殺したのか謎だ。
それに、前世の夫は単体では前世のジルベルトの「犬達」を相手取って勝てるような権力者ではなかったし、経済力も彼らより下だった筈だ。
親友だと言っていた大病院の後継ぎが背後に居るとしても、ただの資産家のボンボンが、あの四人の犬達を雑魚扱いで始末出来るだろうか。バダックとして転生した白河一人でも、たかが大病院の後継者が手を出して無事で済む相手ではない。
白河はジルベルトが生きている内に、不動産会社の「後継者」ではなく全権を握る「経営者」になっていた。
白河の会社で所有している土地や物件は、上流階級の人間も無視出来ないクラスの物もあった。当然、白河にもハイクラスな人脈があったし、白河個人の判断で動かせる資産は中小企業の経営者を軽く凌駕していた。
白河を「殺した」手段も、ニコルの話では「狙撃」ということだった。同じ銃撃による「殺し」でも、鉄砲玉に至近距離から数撃ちゃ当たる方式で特攻させるやり方ではなく、犯人の姿形も知られぬ遠方から一発で仕留める「狙撃」だ。
そんな方法で殺しておいて、「ライバル会社からの嫌がらせの一環」で警察の捜査も引き上げさせるような権力となれば、何処まで高い所を見上げて探ることになったのか。
少なくとも、前世のジルベルトの夫とその親友の大病院のボンボンよりも上の、ジルベルトの記憶には無い何者かが存在していたのだろう。
今更それを知っても、ジルベルトが感じるのは徒労感なのだが。
「クリス、別の世界の過去だ」
おそらく前世は夫によって殺されたジルベルトが、前世の自分を思って感じるのは徒労感だが、それを察してしまった前世の息子には、申し訳無さと心配、労りの気持ちが湧き上がる。
ドロドロとした今生の貴族社会ですら平然と受け入れるにはキツいものがあるだろう、「父親が母親を謀殺したかもしれない」という事態だ。前世の一般常識に照らし合わせれば、脳が理解を拒否したくなるような現実味の無さだろう。
入院するようになってからは、長男が母と妹を守ろうとしてくれていたことも、ジルベルトは気付いていたし覚えている。
だから今、前世で何も知らずに守られていた自身を、クリストファーが悔しがり、自責の念に駆られているだろうことも想像がつく。
「クリス、もう終わったことだ。今の世界の、これからのことを考えろ」
「・・・・・・イエス、マム」
絞り出されるように紡がれた言葉に脱力する。そう来たか。
「せめて『サー』と言え」
また妖精が真似をしそうだ。
水色のふわふわした髪をくしゃりと撫でて、ジルベルトはバダックに視線を流す。
「この話は保留とする」
「承知しました」
跪いて頭を下げるバダック。
クリストファーの心理状態を安定させるためにも、今は事務的な話を機械的に詰めていくのがいいだろう。
判断してジルベルトは、第二王子執務室としての『協力者』への細かな立ち居振る舞いの要求や、アンドレアに対して取るべき態度、『協力者』に用意される予定の報酬や待遇の話を淡々と進め、最後に『転生者』としてのバダックの状況の聞き取りと、転生に関して主人権限を使った絶対の口止めを行った。
バダックが転生に際して接触した『元の魂』は、無感情に「この先バダックの命を狙ってくる人間」の情報と「国を出る手段として存在するもの」。そして、「生きるために殺す方法」と、「とにかく国を出て生き延びることを目指せ」という要望を伝えて消えたらしい。
エリカの『元の魂』とは随分と熱量も毛色も違う。
一度目のバダックが「やり直したい」と望んだのは、フローライト王国から出て生き延びることだったのかもしれない。
再会したくはなかったが、『転生者バダック』がジルベルトの前世の「犬」だったことで、アンドレアから命じられた任務も転生に関する口止めも非常にスムーズに遂げられた。
あとは、また逃げ切るだけだ。
ジルベルトは膨大な熱量を持って絡みつくフローライトの視線を皮膚に感じながら、追い縋る猟犬にはバレているであろう決意を固めた。