フローライト王国の転生者
フローライト王国の後宮の描写に、女性や子供が悲惨な目に遭う状況を示唆する内容があります。
地雷となる方はご注意ください。
また、登場する店名や商品名などは想像上の架空のものです。
ジルベルトとクリストファーは、バダックを連れて王都のコナー公爵家本邸に向かった。
馬車の中で互いに自己紹介は済ませてある。
バダックは身分証明の書類に記載された通りの名前と身分を名乗ったが、ジルベルトとクリストファーは、取り敢えず黙って受け入れた。
無口な人物を装うクリストファーは、ただの温度を感じさせない冷たい表情の若い貴公子くらいにバダックには見えていることだろう。
クリストファーがコナー公爵の次男であると名乗っても、バダックが驚くことも、更に警戒を強めることも無かった。
バダックは、クリソプレーズ王国におけるコナー公爵家が、どういうモノかを知る立場には居なかったということだ。
国の宝と言っても過言ではない『剣聖』の侍従に、『剣聖』の生家よりも家格の高い家の子息が付くことは珍しくない。
むしろ、権力を笠に着る者どもから守るために、高い身分であり、足手まといにならない程度に腕も立つ者を付けるのは常識でもある。
自己紹介以外は口を開かず控えるクリストファーを見せていれば、バダックは「コナー公爵令息」がジルベルトの侍従なのだという推測を、勝手に確信に変えていく。
──コナー公爵家の正体を知らないから。
しかし、バダックはコナー公爵家本邸に到着し、邸内に案内されると緊張感を高めた。
屋敷の中に、普通の人間が見当たらないのだ。
姿を見せない気配だけの屋敷内の生き物も、全てがバダックの警戒心を煽る危険人物しか感知されない。
──何だ、この恐怖の館は⁉
バダックの心臓は、表面上の平静を保とうとしても、嫌な動悸が煩わしいほど激しくなっていく。
「どうしました? 話し合いの場は此方です」
とうとう足の止まったバダックを振り返り、冷たい紺の瞳の、顔立ちだけは可愛らしい少年が促してくるが、バダックは、もう動悸だけでなく冷や汗も誤魔化すことは出来なくなっていた。
「いや、その、その先は、どう見ても・・・」
言葉を濁すバダックの視線の先には、『制裁の間』へ続く、クリストファーが入念に設置した一方通行の魔法のゲート群。
「ああ、コレを読み解ける能力はあるんですね。ご安心を。僕の一存で解除出来ますから」
この言葉だけで、バダックのクリストファーを見る目が変わった。それによって、クリストファーとジルベルトのバダックへの評価も上方修正される。
バダックはクリストファーを、コナー公爵家が何者であるか知らずとも、この『恐怖の館』の真の主であると見抜き、クリストファーとジルベルトは、このやり取りだけでソレを察知したバダックのカンと頭の回転の良さに好感を持った。
両名とも、「デキる人物」は嫌いじゃない。
確実に抹殺されるような魔法の中に連行しようとしても、恐慌状態に陥って無謀な逃亡や抵抗を図って無様を晒さない豪胆さや冷静さも好ましい。
「話し合いは、誰にも聞かれる不安の無い場所で行いたかったのだ。徒にバダック殿を不安にさせて申し訳無い」
全く悪いと思っていないことがよく伝わる、常の静かな微笑のままでジルベルトに説明と謝罪を口にされて、バダックは頬が引き攣るのを隠せなかった。
自国のお人好しが過ぎる『剣聖』とは異なり、クリソプレーズ王国の『剣聖』の性格は随分と「良さそう」だ。
しかし、余計な耳目の無い場での会談はバダックにとっても望むところだった。
覚悟を決めて了承の意を示すと、迷い無く足を物騒な殺戮ゲートに向かって踏み出す。
ゲート以上に殺意が凝り固まった扉を潜り、壁、床、天井の全てが死だけを予感させる究極に居心地の悪いホールに入ると、絡みつくようだった雑多な危険人物の気配が一斉に消滅した。
バダックが驚いていると、不自然にポツンと用意された応接セットに座るよう手で示し、ジルベルトが濃紫の双眸を細める。
「言っただろう? 誰にも聞かせたくないと」
ヒヤリと、離れているのに、首筋の一掻きで命を奪える急所を、冷たい手で撫でられたような心持ちにバダックはなった。
そして、一番危険な人間は同じ部屋に居るのだから、雑魚が幾つ消えても関係ないのだと本能で覚る。
バダックが向かい合ったソファの示された方に大人しく座ると、ジルベルトが向かい側に優雅な所作で腰を下ろして足を組み、クリストファーはバダックの背後に気配を消さずに立った。
「さて、まずは貴殿の本当の名から聞こうか。侯爵子息に過ぎない私がその瞳の持ち主に対し、この態度なのだ。言葉や態度を取り繕う必要は無い。腹を割って会談に臨んで欲しい」
ジルベルトの言に、バダックは俯いて大きく息を吐き、艷やかなチョコレートブラウンの髪を掻き乱して「想定外だぜ」とボソリと呟いた。
乱れた髪を掻き上げてフローライトの眼光鋭く顔を上げたバダックの表情は、ふてぶてしいものに一変していた。
その表情は、ジルベルトとクリストファーの既視感を誘い、古い記憶を呼び覚ますものだったが、二人ともそれを表に出すことは無い。
「調べは付いてるだろうが、俺はフローライト国王の息子の一人だ。だがフローライトを名乗ることは許されてない。書類上の『ベルモント』も、実態の無い、今回のために養子縁組で得た家名だから俺には家名が無い。バダックというのは母親が付けた名だから本名だ。身分以外はわざわざ作ってない。年齢もそのままだ」
ここまでは大方予想通りだった。調査結果とも一致している。
年齢は、ジルベルトと同じく今年17歳で書類上のものと相違は無いようだ。
「母君は?」
「母は、前ベルモント伯爵の弟でフローライト王国の男爵位を持つ男が、一時パトロンになってた旅の女優に産ませた庶子だった。女優だった親譲りの美貌に目を付けられて愛妾として後宮に召し上げられ俺を産んだが、平民の血が混じってることで後宮内で虐げられ、俺を産んで間もなく殺された」
「殺された? 当時、生後間もなかったバダック殿がそう確信する理由を聞いても?」
「ご丁寧に聞かせてくれる暇人が多かったのと、生き延びる決意をしてから自分でも調べた」
「なるほど」
フローライト王国の国王の後宮は、抱える女性の数と質が財力や権威を示す一面となる国柄から、非常に大きく広いと聞いている。一説には、一つの街くらいの広大さであるとか。
その後宮で、一度は王の手付きとなっても、しっかり王の記憶に残り続ける女性は多くはないだろう。
暇を持て余した女性達が、最も手軽に行う暇潰しが「お喋り」である。
産み落とされた、後ろ盾の無い平民の血混じりの幼子は、気まぐれに、庇護欲も嗜虐心も母性も八つ当たりも向けられる格好の標的だ。
後宮の広大さとフローライト王国の人材の乏しさを考慮すれば、後宮の管理は『後宮の支配者』の目さえ掻い潜れば杜撰だった可能性が高い。
バダックが転生者の記憶をジルベルト達と同時期に自覚したならば、「生き延びる決意」とやらをしたのは3歳の頃だろう。
注目も警戒も無く捨て置いていた低い身分の愛妾から生まれた子供で、まだ見た目で性別の区別もつき難い幼い年齢ならば、情報収集もしやすかったと思われる。
「それで? 母を殺されても去勢もされず生き延びたバダック殿は、祖国ではどういう立場なんだ?」
「腹を割るとはいえ、すごい聞き方をするな。こちらの方が立場が弱いから構わんが。フローライト王国の後宮事情など筒抜けという訳か」
嫌そうな顔を隠しもせず半眼でジルベルトに対するバダックに、ニコリと無言で笑みを返す人外の美貌の騎士。
バダックは深々と溜め息を吐いて答えた。
「あの国の後宮には上がしっかり把握してないほど多くの子供が存在している。俺は意図的に去勢の管理官の目に触れないよう、やり過ごしていたが、存在感の薄さで本気で大人になるまで見つからない王子もいたくらいだ。そういうのは見つかると大抵殺されるけどな」
「冒険者として出奔せずに国内で生き延びようとした理由は?」
「コネもカネも無かったからだ。男のままで冒険者として国から出られるのは、上に取りなせるコネを持った奴に、纏まったカネを握らせることが出来た奴だけなんだよ。要求されるのは、金額的にパトロン掴むか母親の実家が資金源にならなきゃ無茶な大金だ。その上、連帯で責任を負うことを保証する者として、国外に逃したガキが万が一戻って来やがった時には首を差し出す旨を契約をした純血の貴族が二人以上必要になる」
フローライト王国から冒険者として出奔した御落胤は、そこそこ数がいると報告が上がっているが、実態を聞けば、条件は随分と厳しそうだ。
「現フローライト国王の子供の総数は? 既に死亡した者も数に入れてくれ」
その厳しい条件をクリアして出奔した御落胤の数を思えば、どうにも母集団の数が現実味の持てる範囲を超えて、理解不能になってしまう。
ジルベルトは整った眉を僅かに寄せてバダックに訊ねるが、訊かれたバダックの方は眉間にクッキリ縦皺を刻んで答えた。
「俺が生まれた時で三桁行ってたぞ。記録上の話だがな。生まれる前に母体諸共殺されたのもいるし、後宮には次々新しい女が入って来る。顧みられない妃や妾は出産に誰も立ち会わないこともある。それで死後に発見されたのも記録の数には入るからな。生まれたのが娘なら母親は安心して報告するが、息子は野心を持った母親でもなけりゃ隠したり、報告前に女の子にしちまおうとして、失敗して死なせちまったりもある。諸々の事情で正確な数が把握されてたとは思えねぇな。現在の総数は俺には想像もつかん」
クリソプレーズ王国に暮らすジルベルトとクリストファーにとっては、想像以上にフローライト王国の後宮は魔境だった。
しかし、理解不能なのは悲惨な後宮の実情ではなく、やはりその『国王の子供』の人数だ。
「そちらの国王は、余程命中率が高い特殊な体質なのか?」
「綺麗な顔で直球だな。俺も記録を盗み見てフザケンナと思ったよ。元々いわゆる絶倫ではあるらしいが、薬もかなり使ってるぞ。一晩に一人一発ずつ十人相手して全員一発で孕ませたこともあるんだよ。記録上は。まぁ、王太子候補も後宮に住んでるからな。この目ン玉を持って生まれたガキが全員『現王』の種とは限んねぇかもなぁ」
「精通を迎えた王子が後宮で暮らしているのか?」
「ああ。俺も出国するまで後宮で寝起きしてたぜ」
いくら『国の色』は国王か次期国王が父親でなければ生まれないからと言っても、風紀も何もあったものではないフローライト王国の後宮の内情に、ジルベルト達は内心で呆気にとられる。
「それで? バダック殿が去勢を免れた理由と国での立場は?」
「チッ。いや、言うから睨まんでくれ。小柄な内は去勢済みの他の王子の振りをして検査をやり過ごしてた。生き延びるために鍛えてたから早々にその手は使えなくなったけどな。デカくなったら、後宮を牛耳ってる寵姫のとこに、ソイツが始末したがってた奴らを殺して死体の一部を手土産に売り込んだんだ。汚れ仕事でも何でもやるから死にたくねぇってな」
「将軍の娘か」
「あの国、こんな離れた国にまで内情ダダ漏れじゃねぇか。てか、暗殺や死体損壊の話をすんなり受け入れたな」
「貴殿が嘘を言っていないことは見れば分かるからな」
事も無げに答えるジルベルトに一瞬固まったバダックは、「はあぁーっ」と大きく息を吐いた。
「何だよアンタ。『剣聖』って一口に言っても全然違うな。気にすんのソコだけかよ」
「愚問だな。国王が使用していた薬の種類は?」
諦めたように頭を掻いて、バダックは記憶を探りながら答える。
「後宮が馬鹿でかい国の王族御用達な強壮剤で『淫夢の雫』ってのがメインだ。あとは薬名も無い精力剤が都度、調合されてたな。何でも出すモンを濃くする効能があるとか? ヤバそうな原料が後宮内に運び込まれた痕跡は無かったし、実際に王は命中率が異常に高いから、あながち効能が嘘ってことでも無いんだろうよ」
副作用は知らないが。そう、バダックが口に出さずに付け足した見解を、ジルベルトとクリストファーは汲み取った。
記録上の、17年前時点で既に三桁に到達していた現王の子供の数を聞けば、フローライト国王はかなり長い期間、相当に強い薬を常用していることになる。
各国の諜報員が長期に渡り調査しても、現フローライト国王の麻薬使用の証拠は掴めずにいるが、国王の見た目や言動には中毒者を疑わせるものがあると報告が届いている。
薬には副作用が付き物だ。この世界の医学や薬学の知識には、薬の飲み合わせの危険を扱うものは、未だ無い。
もしかすると、フローライト国王の麻薬常用者に似た様子とは、効能の強すぎる薬の連用と重複使用が原因となっているのかもしれない。
ジルベルトはアンドレアへの報告が必要と判断し、クリストファーは真っ当な強壮剤や精力剤の原料の組み合わせによる身体機能や脳への影響を調べる段取りを頭の中で組み立てた。その間、バダックの話を聞いてから一秒もかけていない。
「では、バダック殿は将軍の娘である寵姫の手先としてクリソプレーズ王国に偽名で入国されたということでよろしいか?」
「待ってくれ! 違うって察してるだろう!」
わざと腕を組み首を傾げてジルベルトが訊けば、バダックは盛大に顔を引き攣らせて否定した。
その際も、攻撃の意思を疑われるような急な動作は行わない冷静さに、また二人のバダックに対する評価は上がる。
自分の口から言うように促せば、順序立てて説明を開始した。
「まず、俺が国王の寵姫である将軍の娘に取り入ったのは、国外に出るチャンスを掴むまで男のまま生き残るためだ。汚れ仕事は数え切れないだけやった。その過去だけを理由に俺を切る判断は、アンタはしないだろう?」
「そうだな」
簡潔に肯定したジルベルトに、バダックは話を続ける。
「ここ数年の俺の国での立場は、寵姫の玩具で奴隷だった。だが、おかげで後宮から王城の敷地の一部までは行動範囲を広げることが出来た。俺はこの世に生まれてから、あの国の後宮以外の世界を知らなかったから、アレがこの世界の普通なのかと思ってたんだが、後宮の外は意外とマトモに見えたんだよな」
同じ世界からの転生者が語っている内容だと思えば、フローライト王国後宮の地獄っぷりを「この世界のスタンダード」だと思って生き抜かなければならなかった年月の重さに、比較的前世と常識や良識の似たクリソプレーズ王国で生まれ育った二人は口を噤んだ。
「取り敢えず、国法ってものはあったし、相手が権力者じゃなければ、俺の認識で犯罪行為だと感じるようなものは法で裁かれていた。あ、国法や外の一般常識は、図書室の一つが王城の行動範囲内にあったから、そこにあった本で独学だ。だからアンタらから見れば俺の知識や常識は足りないだろう。けど、浅い知識でも、あの国は、つーか、城は、おかしいと思った」
後宮しか知らずに生きたバダックが、「犯罪行為だと感じる」ような行為は、バダックが転生者で前世の記憶が無ければ、何処まで非人道的な行為だっただろうか。
おそらく、本来のバダックであれば、後宮を出ても「犯罪行為を取り締まって裁く後宮の外の世界」に、感動することなど無かっただろう。
無自覚なのか自覚があって違和感を抱かせようとしているのか読めないが、バダックの中の転生者は、少なくとも前世で無法者の悪人だったわけではなさそうだ。
ジルベルトは淡々と続きを促した。
「バダック殿が『おかしい』と感じたのは、どういう点だ?」
「俺は王城の使用人エリアの裏庭で、城に召喚された『剣聖』を何度か見かけたことがある。俺でさえ『剣聖』が国の英雄ってことは知ってるし、『剣聖』は国王の専属護衛だとも聞いていた。だが、俺が見かける時は、『剣聖』は、いつも将軍の親衛隊に囲まれて犯罪者のように護送されながら、使用人用の裏口から出入りさせられていた」
ジルベルトとクリストファーは、自分に加護を与えている妖精達が、荒ぶりそうな感情を堪えて空気を震わせたのを感じた。
共有した記憶で、彼らは既に知っている事実だろうに、改めて聞くと怒りは再燃するようだ。
「それから気にかかって、動ける範囲で『剣聖』が城に来た時は観察することにしてたんだが、召喚目的の『剣聖』の妖精に対する国王の質問てのが、胸糞悪ぃモンばっかでなぁ。妖精の力で他人を隷属させたいとかな。自分の王国だけじゃなく、世界を支配したいって感じだな、アレは」
国王自身と言うよりは、国王を傀儡にしている人物の野望だろうが、「夢は世界征服」といったところだろうか。
動き方を見れば、謀は稚拙で『王命』として出した命令も突っ込みどころ山盛りなのだが、本人は本気なのだろう。
妖精の反応を見ても野望が叶うとは思えないが、頭の痛い話だと、クリソプレーズ王国の二人は他人事に思う。
しかし、フローライト王国から来たバダックも、「あの国はおかしい」と言いながらも他人事と受け止めているように見えた。今までのフローライト王国での彼に対する扱いと、前世の記憶で、祖国に愛国心や愛着は持てないのかもしれない。
ジルベルトとクリストファーの、バダックに対する感想は当たっていた。
「有効な答えを『剣聖』の妖精から貰えない『剣聖』の城への召喚が続く内に、上の方で他国の『剣聖』の妖精なら良い答えを持ってるんじゃないかって話が出たんだ。他国の『剣聖』に簡単に接触出来る訳ねぇだろって俺でも思うんだが、狂った『王命』が出たんでチャンスだと思い、志願して出国した。あの国と心中する気は無いからな」
「狂った王命とは?」
既に内容は把握しているが、ジルベルトはバダックの口から言わせる。
「暗部に他国の『剣聖』の誘拐を指示しやがった。失敗したなら露見する前に殺せってよ。戦闘力が桁違いなんだから勝てるわけねぇのにな。それに、俺の知識じゃ想像の域を出ねぇが、国の宝に例えられる『剣聖』の誘拐や暗殺の指示が『王命』って宣戦布告みたいなもんじゃねぇのか? 勝算があると思えねぇのに狂ってるとしか言えねぇよ」
やはり、地頭が良い。
この世界で生き始めてから、ろくな教育も施されていなくても、「狂った王命」を出したフローライト王国上層部よりも余程、この世界の常識に則ったマトモな見識を持っている。
ジルベルトの笑みが深くなった。
「おや、バダック殿は私の誘拐に志願したのか」
「出国のための方便だ。分かってるくせにイケズな野郎だな。暗部の奴らだって誰も成功するとは思ってねぇよ。王に忠誠を誓ってて『王命』だから仕方なく無駄死にしに行ったんだ。『剣聖』の戦闘力を考えりゃ人数不足も甚だしいからと、子飼いの汚れ仕事をやらせてた奴らにも声がかかったが、そういう奴らは忠誠心なんか無いからトンズラした。で、俺が志願したら、人手不足だからと一人で行くのを条件にスンナリ出国に成功したってわけだ」
バダックがフローライト王国の暗部と同じ『王命』を受けて入国したことを自分の口から話したことで、ジルベルトがアンドレアから受けた命令の、半分は達成した。
あとは、公式の場で、その内容を学院長も知っていたと証言する『協力者』になってもらう必要があるが、自分が生き延びるために出国する目的で『王命』を利用するくらい、祖国への忠誠も愛着も無いのなら、条件次第で交渉は難航せずに済みそうな気もする。
まぁ、ジルベルトは「転生者」の口止めのために、『制裁の間』という必殺の物騒空間をクリストファーに用意してもらったのだから、「条件の交渉」だけでは済まないだろうと、直ぐに頭を切り替えた。
「そうか。一人でという条件は、むしろ願ったり叶ったりだったんじゃないか? さて、そろそろ一度、休憩を入れよう」
ジルベルトの目配せで、クリストファーが『制裁の間』の奥の小部屋から、シェリー酒とクラッカーを載せた皿を運んできた。クラッカーにはレバーペーストを塗り、『虹の橋』をトッピングしてある。
クリストファーの小部屋から運んできたが、勿論シェリー酒にもクラッカーにも毒物は仕込んでいない。
ニコルが「前世のジルベルトが一番好きな食べ物だったから」と再現してくれた『虹の橋』は、京都に一店舗だけ店を構える、七味マニアなら絶対に外せない七味唐辛子の名店『京吉良吉良』の中でも、常連さんの紹介が無いと買えない、店頭販売無しの「幻の八番七味」と呼ばれる七味唐辛子だ。
店頭では様々な配合の七味唐辛子が番号を振られて並んでいるが、八番だけ欠番なのだ。
「毒を疑い恐れるならば、手を付けずとも気を悪くしたりはしない」
テーブルにボトルと皿、グラスを並べて給仕を済ませると、クリストファーはジルベルトの隣に無言で腰を下ろした。
ジルベルトがバダックの返答を待たずにグラスを取って口をつけ、クリストファーもそれに倣う。クラッカーも遠慮無く口に運んだ。
やはり八番は美味だと黙して味わうジルベルトを、探るようにジッと見詰めていたバダックは、ふと皿の上のクラッカーに視線を落とし、瞠目する。
この世界に七味唐辛子は無い。ニコルが『虹の橋』の商品名で、つい最近、クリソプレーズ王国内でのみ売り出した超高級品は、他国から入国したばかりの転生者にとっては、よく知っているのにこの世界に生まれて初めて見るモノだろう。
好奇心に負けて口に運んだバダックは、恐る恐るソレを舌に乗せ、咀嚼して味わい、そのフローライトの両眼を血走らせてカッ開いた。
「これっ、『京吉良吉良』の幻の八番じゃねぇかっ‼」
うわ、店名と商品名まで正確に当てやがった。
ジルベルトとクリストファーは思った。
この転生者、前世のジルベルトと同類の七味唐辛子マニアか、───そうでなければ、無類の七味唐辛子好きが極身近に存在したか・・・。
「お前・・・・・・?」
黙々と『虹の橋』がトッピングされたクラッカーを咀嚼する絶世の美貌を凝視して、バダックは大型犬めいた人好きのする美青年顔を凶悪な猛獣が獲物に飛び掛かる直前のように歪めて、唇の両端を急角度に吊り上げた。
「お前っ、素良だな‼ 俺以外にも転生者は居るんじゃねぇかと考えていたが、お前に再会出来るなんて! 俺、殺されて良かったって初めて思えたぜ‼」
バダックが素の表情を見せた時に感じた、既視感やら刺激された古い記憶やらは気のせいでは無かったようだ。
バダックはジルベルトにとって前世でよく知る人物だった。
そこまでは、複雑な感情を諸々飲み込んで、今は良しとする。
だが、スルー出来ない単語が入っていたよな?
ジルベルトは思考が一瞬、宇宙の彼方に旅に出た感覚に陥り、考える前に無意識に立ち上がってバダックの顔面を鷲掴んでいた。
「ちょっと待て。『殺された』ってどういうことだ。白河」
「素良〜♡」
顔面に『剣聖』の握力でアイアンクローを食らいながら、デロッデロに蕩けた幸せそうな声と表情で懐くガタイの良い男。
ジルベルトが思考を宇宙の彼方から取り戻し、「はっ」と我に返った時には、クリストファーから、「昔から犬には脇が甘いよね」と呆れた視線を送られていた。
身分の高い権力者対策で『剣聖』より高位の身分の令息を、国が主導して『剣聖』の従者(監視役も兼ねていることが多い)に付けることは、一応『剣聖』を出したことのある国々では常識とされていますが、ジルベルトの場合、側近となっているアンドレアが、国内外から『最凶』と恐れられながらもジルベルトをガッツリ保護し、側近仲間の親友達も宰相公爵の子息だったりと、生半可な権力では太刀打ち出来ない上に、父親が周辺諸国から「敵に回したら国が大ダメージを被る」と言われる『毒針』外務大臣なので、他国のように『剣聖』自身が権力者対策の従者を付ける必要がありません。
お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、ジルベルトの前世の娘の名前「京」は、一番好きな食べ物である七味唐辛子屋の店名から取っています。
ここには出て来ていませんが、実は息子の名前「海都」も、七味唐辛子屋の看板キャラクターである「七味職人の海都くん」から取っています。