待ち伏せ
王都の外れ、普段から人通りが疎らで、通行中に他人とすれ違わずとも違和感を抱かれない、うら寂しい林に挟まれた一本道。
視認出来る範囲に一般人が入り込むことが無いよう調整をして、ジルベルトとクリストファーは、待っていた。
ハロルドも来たがっていたが、余計な怪我人を出したくないし、協力者に仕立て上げるのだから万が一にも殺す訳にはいかないだろうと、アンドレア達と共に王城で待機させている。
主からフローライト王国の留学生を堕として協力者に仕立て上げる命を受けたジルベルトだが、妖精からの情報で、ソレが『ナニか』による転生者だと知っている。
ジルベルトは、王族であるアンドレアの前に留学生が連行される前に、下手なことを口走らせないよう自分かクリストファーが動くつもりだった。
アンドレアを信頼していないということでは、決して無い。
王族の自覚が強く、「自国の利益のために存在する」という王族の立場と義務を理解しているアンドレアは、『世界の時を戻すことが可能な力が存在し、代償を払えばやり直しが出来る』という事実を知れば、自国の王家に伝え残さず「聞かなかったこと」には出来ないからだ。
ジルベルトは、アンドレアにだけは、その事実を聞かせたくない。
他の王族が知ってしまったのならば、クリストファーと共謀して口を塞ぐことも出来るが、アンドレアを殺すことは、心が拒否するのだ。
妖精の話では、転生者達は儀式の正確なやり方を知らないし、エリカ以外は『一度目』の記憶も無い。
だが、『元の魂』との接触があれば「やり直し」の代償が魂であることは想像がつくだろうし、余程の能天気でもなければ、「魂を代償に世界の時を戻す」という行為で『代償』となる魂が、たかだか人間一人分で済むとは考えないと思われる。
転生者達が生きていた前世の世界には、『死に戻り』を題材にした小説が一ジャンルとして確立するほど存在していたが、魂を代償にするような邪法となればメジャーではない。
それに、この世界で過酷な環境下に置かれ、魔法を駆使して生き抜いたならば気づくだろう。この世界には、時を戻すような『魔法』は無い。
前世のファンタジー小説でよく『死に戻り』の鍵となる、空間魔法や時空魔法の存在は無く、この自然崇拝世界の神々には時を司る神も存在しない。この世界の『魔法』とは、風火水土の妖精の力を借りて組み合わせて引き起こす事象だ。
世界全ての時を戻すという超常的な事象を起こすエネルギーの『代償』が、たかが人間の魂一人分では釣り合わないことに、強かにこの世界を生き抜いたフローライト王国の転生者ならば思い至っている筈。
そんな転生者に、アンドレアとの対面時に「転生」や「やり直し」の事実を吐いて、「世界の時を戻してやり直す『代償』が人間の魂である予測」を当事者として口にされてはマズイ。
アンドレアがソレを耳に入れれば、自身の見解も添えて必ず記録を残すことになる。
聡明なアンドレアの見解でも、世界の時を戻すほどのエネルギーを、人間の魂一人分としては記さないだろう。
そして、たとえ記された『代償』が大勢の人間の魂であろうと、大きな権力を持つ、時の王族が「やり直し」を望めば『代償』集めは叶ってしまう。
儀式のやり方も必要な魂の数も明記されていないという、伝承が不確かな状況であっても、「やり直したい」という欲求が強ければ、藁にもすがる心境で行動を起こしかねない。
その「やり直したい」物事が、大義名分にしやすいような政治的な大失策であったり、尊い地位の御方の不運な死であるとは限らない。
身分制度のある世界では、自分より下位の人間の命が、自分と同等の価値があると考える者は異端だ。
後世のクリソプレーズ王国の王族が、全員アンドレアのように理性的である保証など何処にも無い。暗愚王レオナルドの話を聞いた今では、その思いは一層強まっている。
気に入らないことがあった、私的な場面でちょっとした失敗をして恥ずかしい思いをした、好んでいた人物が自分以外の人間を選んだ、痴話喧嘩をしてしまったがプライドが邪魔して謝れない、そんな、他人から見れば「その程度」と感じられるような些末な物事でも、当人の心が弱ければ当人にとっては大事件だ。
その心の弱い当人が、「数多の人間の魂を『ナニか』に捧げれば、時間を戻して『やり直す』ことが出来るかもしれない」と知っていて、数多の人間程度、命令一つで狩り殺すことが可能な権力を有していたら、弱い心のままに、誘惑に抗いはしないだろう。
世界の時を戻せば、自分が命じた大量虐殺も「無かったこと」になると思わせかねない伝承は、心の弱い人間の罪悪感も薄くするし、愚者や大義名分を掲げる者の言い訳にも使いやすい。
自分が欲求を持てば最優先で叶えられるよう周囲が勝手に動く、という環境で生きて来た人間ならば、「どうせ無かったことになる」ならと、気軽に大量虐殺を命じると思われる。
最初は平民から、中々時が戻らず焦れてくれば、下の身分の貴族から順に、願いが叶うまで「不足分」を「追加」し続けるだろう。
その果てに導かれるのは、クリソプレーズ王国の滅亡だ。
アンドレアとて、その可能性は当然考えるだろう。
だが、それでも「大義名分になりやすい方」の「やり直したい物事」のために、『世界の時を戻すことが可能な力と方法が存在する』ことを、アンドレアは立場上、知れば王家に伝承として残さない判断は出来ない。
後世のことは後世の王族と側近で頑張ってくれ、と託すしか無いのだ。
現王族のアンドレアが、この情報を知っても残さない判断をするということは、後世の王族を信用出来ないと判断したことになる。
それは、クリソプレーズ王家の血筋の否定に繋がる。
クリソプレーズ王国王族の自覚が強く、その柵に縛られるアンドレアには、血統を丸ごと否定することは出来ない。
それに、暗愚が悪用する危険性を考慮しても、『世界の時を戻す方法がある』というのは、為政者にとって計り知れない利益のある『情報』である。
自国への侵略や大災害、滅亡すら「無かったこと」に出来る可能性があるのだから。
ジルベルトはアンドレアに忠誠を誓っている。
忠誠を捧げたアンドレアに、国益に繋がると考えられる情報を秘匿することは、本来ならば有り得ない。
だが、可能性はあっても確実性は無い情報である内は、忠誠を捧げているからこそ、ジルベルトはアンドレアの耳にそれが入ることを手段を問わず阻止する。
どの時点で時が戻り始めるのか、どれくらい代償を捧げれば叶うのか、今、確実と言える情報は無い。
そもそも、今、この世界の時が戻っているのは、『ナニか』による力だけとも言えない。
ジルベルトとクリストファーとニコルは、妖精によって異世界の魂で「やり直し」をしている。そして妖精の話によればハロルドは、『剣聖』の能力を代償に、『一度目』で妖精に「やり直し」を願った。
他にも、魂以外を『代償』として妖精に「やり直し」を願った人物は存在すると思われる。
その上、同質のモノを異世界から引っ張って来るとはいえ、自身の魂で「やり直し」が出来る訳ではなく、前の記憶も正確に引き継げる訳でも無いのだから、望んだように「やり直せる」可能性もかなり低い。
ジルベルトが行ったエリカの尋問の結果からも、転生さえしてしまえば『本来の魂』の持ち主の意思を離れて好きに行動出来てしまうことが分かっている。元の魂は、「やり直し」の時点でとっくに消滅しているのだから軌道修正も出来ない。
つまり、この不確定な情報は不安要素が多すぎるのに、権力者にとって物凄く魅力的なのだ。危険性に思い至れない愚者や、王族の資質に欠ける弱い心の持ち主であれば尚更に。
この現状で、この情報を後世の人間に「縋れる藁」と認識させることは避けなければならないと、ジルベルトは考える。
この先、情報が確実性のあるものに辿り着いたとしても、それをアンドレアに開示するかは、またその時に悩むことになるだろう。
現王ジュリアンから「王家の恥」を聞かされて、王族が『負の遺産』を残す影響の大きさを実感すれば、現在その清算に奔走するアンドレアを、「『負の遺産』を残した王族だ」などと後世で認識されるような状況は作りたくない。
数多の人間の魂を代償に世界の時を戻す方法など、どのような高尚な理由があろうとも、人間として『負の遺産』に他ならない内容の情報だ。
「来たな」
思考の海に沈みながら気配を探っていたジルベルトは、クリストファーに合図を送る。
足音も気配も抑えているようだが、それなりの手練れが近付いてくることを察知した。
クリストファーも迎撃準備に入る。
尤も、クリストファーが動くのは、主に捕獲役としてなのだが。
協力者に仕立て上げるために堕とすと言っても、フローライト王国からの留学生は、ここまでの旅路で調査に放ったコナー家の配下を幾人も始末している上に、『剣聖』暗殺の王命を帯びて遂行しようとする可能性もある。
出会い頭に攻撃を受けるならば、殺さない程度に迎撃は必要だし、自害などさせないよう丁重に拘束して話し合いの場を設けなければならない。
強者は己より強い者に惹かれることが多い。実力さえあれば、美貌や色気で堕とすよりも、桁違いの強さで完全に屈服させることで魅了し、服従を促す方が簡単で確実な場合があるのだ。
ジルベルトは、それを経験上知っている。
───犬が増える予感がするが。
嫌な予感が背筋をざわつかせるが、気を取り直してジルベルトは前方の気配に集中した。
向こうも、こちらの気配に気付いたようだ。警戒レベルが上がり、気配と足音を完全に殺して接近速度を上げている。
先制攻撃を仕掛けるつもりのようだ。
「甘いな」
気配を読むのに遅れを取り、今も足音と気配だけを殺して移動による風の動きは掴まれている。速度も、ジルベルトやクリストファーの敵ではない。かすり傷も負わせることは叶わないだろう。
攻撃魔法による一撃目、クリストファーは躱し、『剣聖』であると公表しているジルベルトは敢えて受けた。
『剣聖』に魔法攻撃は効かない。分かりやすい身分証明だ。
目の前に現れた黒い軍服の男が『剣聖』であると知れば留学生がどう出るか、ジルベルトは静かな微笑を湛えてフローライトの瞳を持つ青年に対峙する。
フローライトの瞳が僅かに見開かれた。しっかりと現況を認識できたらしい。
なるほど、生存能力は低くなさそうだ。
目の前には『剣聖』と、攻撃魔法を余裕で躱せる正体不明の少年。自分は一人。戦うには分が悪い。
それをちゃんと認識して、警戒はそのまま、臨戦態勢は解いている。
「話し合いの場に貴殿を招待したい。受けてくれるだろうか? バダック殿」
静かな微笑で変わらぬ表情のジルベルトを探るように見つめた後、フローライト王国からの留学生バダックは、無言でコクリと頷いた。
祖国で暗殺者に囲まれた時でさえ感じたことの無い強烈な危機感と、本能で平伏したくなるほどの絶対的強者の威圧に、掠れた声一つ出すことは出来なかった。
バダックがクリソプレーズ王国に到着するまでの道中、調査や監視に向かわせたコナー家の配下を相当数消されているクリストファーですが、配下の同僚達の心情は別として、クリストファーがソレでバダックに負の感情を向けることはありません。
知らない人間に付け狙われていることを感知したら始末するのは常識、という思考の持ち主で、有能な人間を好ましく思うクリストファーにとっては、むしろ「そのくらい出来ないと『協力者』として不合格」という認識です。