仕掛けは連鎖する
その日、クリソプレーズ王国に激震が走った。
古くからの名家であるロペス公爵家の当主が、王命を記した書状を掲げた騎士団に拘束され、屋敷や所有する建造物全てに強制捜査の手が入ったのだ。
罪名は、人身売買を組織的に主導して行った咎であり、それは公爵家という王族の流れを汲む高位の貴族家であろうとも、お家取り潰しとなる重罪である。
同時刻、貴族学院内にて、派遣された騎士により、同じく書状を掲げられロペス公爵の孫、アデルバード・ロペスが拘束、連行された。
書状を掲げ取り囲む騎士らを大声で恫喝した祖父と違い、アデルバードは粛々と王命に従った。何処か諦観の漂うその表情は、15歳という年齢には不釣り合いな世捨て人の風情であったと後に伝わることとなる。
学院は騒動を鑑みて、次の休日明けまでを休校の措置とした。
ロペス公爵がお家取り潰しとなる重罪で拘束されただけでも、貴族界を揺るがす大騒動だが、罪状となった人身売買の中身の悪辣さに万人が眉を顰め、あまりの悍ましさに御婦人達は卒倒し、御令嬢の耳を塞ぐ親が続出する事態となった。
人身売買とは、ただでさえ悪質かつ悪辣な犯罪である。
しかし、ロペス公爵の『商品』の使用目的は、凶悪犯罪史を暗記させられる軍人達の度肝さえ抜いたのだ。
何と、ロペス公爵は、わざと魔法を使えない一般の平民達を『商品』とすべく言葉巧みに拐かし、その無力で無害であると思わせる特性を利用して、『商品』達を使い捨ての毒物発生装置とし、要人の暗殺や、無差別な殺傷行為による国民を人質とした国家への脅迫に用いんとしていたと言う。
その上、ロペス公爵の顧客の大半は他国人であり、最大の取引相手は同盟国の一つ、モスアゲート王国のアルロ公爵であると証拠が出たのだから、関係各位は大恐慌である。
すわ、我が国の貴族が同盟国の国家叛逆に加担したのかと心臓が凍った後で、『商品』の要求はモスアゲート王国のアルロ公爵側からであったと続報が流れ、気を抜けない貴族達は戦々恐々の有様だ。
「動き出したな」
休校となり、王城の第二王子執務室に戻ったアンドレアは、逐一齎される情報に落ち着いた様子で目を通していた。
アンドレア達が『最重要極秘』の扱いで宰相に提出した資料には、人身売買の『商品』を毒物発生装置として使う証拠など記されていない。
用意したのは、ロペス公爵とアルロ公爵の交友及び取引の記録を纏めたもの。
ロペス公爵がアルロ公爵に「人材派遣」と称して送った人足の詳細なデータと、「派遣後」の足取り。それに付随する出入国の記録と矛盾点の指摘。
コナー家の配下の潜入捜査によって得られた、「人材派遣」の実態が人身売買である証言。
また、この配下達はクリソプレーズ兵団にも所属し、国家へ忠誠を誓っている者である証明。
彼らの証言が偽証ではない旨の、コナー公爵と騎士団長不在時の代理権限を持つ騎士団副団長による保証。
ロペス公爵とアルロ公爵の間で取引された数種類の原料により、半径数十メートル内の人間が僅かでも呼気と共に吸引するだけで死に至る劇毒の製造が可能であるという、過去の軍事実験データを根拠とした資料。
同様の軍事実験データは、その実験が自称帝国との戦時中に、後に同盟国となる隣国のモスアゲート王国とも協力して行ったものであり、両国とも公爵位の者であれば入室及び閲覧が可能な資料保管室にて、それぞれ保管されていた事実。
何一つ、嘘偽りの無い事実だけを纏め上げ、アンドレア達は資料を作った。
そして、そこに、「ロペス公爵とアルロ公爵は人間を商品とした取引を行っていた」という覆せない事実が存在しただけだ。
彼らが売買した人間を毒物発生装置として使用した証拠が無くとも、それが可能であった現実は存在する。
片や国の最大派閥の首領である公爵、片や先代が法務大臣を務めた公爵家の当主。
互いの高過ぎる地位や、持って使える強大過ぎる権力が、より衆目の疑惑を呼ぶ。
証拠が出ないのは、その地位と権力で揉み消しただけだろうと、人々は抱くのだ。
やった証拠は無くとも、やっていない証拠も出せない。
悪魔の証明というやつだ。
ネタの流出と調整は、コナー家に任せてある。
別に、『商品』の使用目的をテロ行為だと断定した罪状で裁かれる必要は無い。
組織的人身売買の主導だけでも、クリソプレーズ王国の法では公爵家でも潰せる。
テロ行為の内容を自爆ではなく毒物発生装置としたのは、簡単に模倣出来てしまう凶行を記録に残さないためと、取引された品の中に爆薬の材料が無かったからだ。
この資料を作ったのは、狸がトカゲを助ける気が起きないよう、より過激でショッキングな醜聞で彩るのが、目的の一つ。
そして、隣国の古狸と仲良く恥辱に塗れさせてやろうという思惑もあった。
アンドレアは王族の自覚が強い故に、私的な感情の抑制や制御に長けている。
それでも、ここ最近で積み重なった、次世代に己の不始末を押し付ける上層部の大人達の体たらくには、かなり思うところがあったのだ。
モスアゲート王国の国王が、己の若い時分の無力を15歳の息子達の命で贖い、己は王として立ち続けようとしているのは、国王の判断として「無し」ではないとは考えた。
カーネリアン王国の宰相が、己が引っ掛かった質の悪い愛人への慰謝料代わりに息子を差し出そうとした話を聞いた時は、呆れただけだった。
自国の隠して語り継がねばならない暗愚王の残した負の遺産の清算も、王族である自分が担うのは当たり前だと考えている。
それでも、思う。
お前ら、次世代にツケを回し過ぎだ!
と。
せめて、まだ生きてるなら、今現在、最高権力を握っているのなら、楽な方に逃げてんじゃねぇよ!
と。
アンドレアが、ロペス公爵を片付ける件でモスアゲート王国のアルロ公爵を攻撃的に巻き込んだのは、その思いの発散でもある。
国王ジュリアンがモスアゲートの王と密約を交わし、アンドレアに命じたのは、留学して来る『隠された第三王子』の観察と報告だ。
積極的にモスアゲート王国の問題に関わることも、況してや引っ掻き回すことも命じられていない。
だが、「やるな」とも命じられていないから、やってやった。
ロペス公爵とアルロ公爵は年齢が近く、思想も似ていることで、長く交流があった。
どちらも高貴な血を尊び、高貴な血を身の内に持たぬ者は自分と同じ人間だとは考えない類の人間である。
この二人の間で、平民を人身売買していたと聞けば、至極納得されるような差別的発言を常々両者とも公の場ですら口にしていた。
だから、ロペス公爵が人身売買で摘発されればアルロ公爵も『取引相手』として名が挙がることは想定内だった。
しかし、今のモスアゲート王国内にて、アルロ公爵が「平民を人身売買していた」という事実が発覚しても、アルロ公爵の体面には傷一つ付くこともなく、モスアゲートの国王も静観して動かないだろう。
アルロ公爵が最大派閥の首領であるモスアゲート王国の貴族社会は、「王家の血が一滴も入っていない者は人型をしていても獣同然」の思想が蔓延しているのだ。
そういう思想であれば、人身売買の『商品』が王家の血など一滴も入っていない平民であれば、「何も問題は無い」と考える者も多そうだ。
国内の貴族社会がその状態で、最大派閥の首領であるアルロ公爵を罪に問えば、罪に問うた側が突き上げを食らう。
モスアゲート王国の国法とて、人身売買は固く禁じているのだが、平民を『人間』として捉えていない者達には、その法が通じない。
国王なら貴族達に国法くらい理解させろと、アンドレアが隣の国でいくら思ったところで、何の影響も与えられはしない。
だから、平民は人に非ずの思想が蔓延するモスアゲート王国の貴族社会でさえ無視できない疑惑を、ロペス公爵と長年の交流と取引のあるアルロ公爵に、ベットリと塗してやった。
アルロ公爵は、ロペス公爵と交流も取引もしたことが無いと立証出来なければ、この疑惑を払拭出来ない。
両国において、アルロ公爵とロペス公爵の蜜月ぶりは有名だ。両者が懇意にしている場を目撃した証言者など、苦労して探さずとも湧き出るほど存在する。
アンドレアは、モスアゲート国王へ無言の挑戦状を叩きつけたのだ。
貴方が手も足も出ないと、のさばらせていた害獣の毛皮に傷をつけ泥を塗してあげましたが、それでも自分は汚れない高みから降りずに次世代に不始末のツケを送るのか、と。
15歳の王子達の命の使いようで、邪魔なアルロ公爵を排除して、王妃の出身国との関係悪化を防ぐ材料も手に入れることは可能だろう。
だが、それで即、国政が安定することなど有り得ない。
15歳の王子らが二人とも命を失えば、現王太子である次期国王が、次世代で『王弟』という支えを失ったまま、乱れの収まりきっていない国政の舵を取ることになるのは明白。
まさか、自分が隣国の国王と親友同士だからと、次世代も親友(笑)にでもなって、モスアゲートに『王弟』が失われていてもクリソプレーズの『王弟』を貸してもらえるとでも夢想しているのだろうか。
モスアゲート国王があまりにも躊躇無く『正妃が産んだ王子』の命を消費しようとしている現状を見れば、邪推もしようというものだ。
アンドレアは自分の能力が高く評価されていることを知っているし、謙遜をする気も無い。アンドレアが有能な実力者であることは、ただの事実である。その力を欲する者が数多く存在することも、明快な事実だ。
隠された歴史に於いて、クリソプレーズ王国側がモスアゲート王国の王族に対して極めて重大な不敬の罪を犯したにも関わらず、それを記録に残さず隠蔽し、その罪人を国王の側妃として後宮に庇護し、子まで産ませて罪人の血を残した事実を、モスアゲート国王が掴んでいるなら、王が15歳の王子達の命を軽く扱う違和感に答えが出る。
思想の偏る国内貴族を従えて国を平定するのは長期戦が予測されるのだから、少なくとも本命の教育を施された第三王子の方は、国王同士の密約の中で命乞いをされないのは、余程の勝算がある秘策でも隠し持っているのでなければ、おかしかった。
だと言うのに、モスアゲート国王は、第二王子の命令で留学してくる第三王子が、もしもこちらの要人に危害を加えようとしたり不敬を働けば、その場の判断で殺して構わないと言ってきた。
だから、そうなっても後から困らない何があるのかと、探りを入れる必要を感じていたのだ。
探っても何も出ないまま、先日、父王からのヒントを解明したジルベルトの話を聞かされて、「そういうことか」と腑に落ちた。
モスアゲート国王は、クリソプレーズ王家の先祖の罪を、子孫の現クリソプレーズ王族が償って、モスアゲート王家のために力を差し出して当然だと考えているのではないか。
自国のために、利用できるものならば何でも利用する方針は、王族として正しい姿ではある。
だが、「お前の先祖が暗愚で、うちの王族に不敬やらかした罪人の始末をミスったんだから、子孫のお前らが償えよ」という理論を持ち出すのは、自国内で汎ゆる手法と力を尽くした上で解決に至らず、国難極まれりの状況となり、背に腹は代えられず、他の選択肢は何一つ残っていないところまで行ってからの、苦渋の選択ではなかろうか。とアンドレアは思う。
確かに、隣国に「自分達が利用しても良いモノだ」と考えている有能な王族がいるなら、利用すれば楽だろう。
何も知らされずに苦境を強いていた第三王子に、今さら種明かしをしたところで、快く父である国王に忠誠を誓う保証など無いのだ。もっと楽に、有能な代替品が手に入りそうなら、欲は出るかもしれない。
だが、それを実行してしまえば、他国の王族の力が無ければ、自力で国難を乗り切れないことの証明となってしまう。
アンドレアならば、恥ずかしくて絶対に避けたい最終手段だ。
手段を取った者が恥ずかしいだけではなく、国そのものが侮られる原因となるのだから、本当に絶対に避けたい最終手段である。
諸外国からの信用も失い、国の代表が敬意を払われることも無くなり、国内の貴族とて自国の王家へ情けない思いを抱けば、纏まるものも纏まらなくなる。
それでも、誰もが「それで仕方なかった」と納得出来るような状態であれば、国難を打破する一撃にだけ、その力を使うと言うのであれば、謗りを受けることも無かろうが、そうは見えないのだ。
大体、他所の国のお家事情だから「そういう判断もあるか」と理解を努め飲み込んだが、初っ端の双子の王子が産まれた時点のモスアゲート国王の判断からして、当時のモスアゲート国王にとっては最善手だったのかもしれないが、アンドレアが想像するに、ジュリアンならば、おそらく実行しなかった悪手だ。
ジュリアンなら多分、双子を産んだ王妃に対して、「国を乱さぬために堪えてくれ」などと説得する前に、王妃の出身国である同盟国に、誠実に国情の事実を明かして相談しただろうと、アンドレアは考える。
王妃の出身国も多胎児差別があるならば別だが、そうでなければ、多胎児であったことを表沙汰に出来ない事情がある期間は、王子の片方なり両方なりを預かって、双方に相応しい教育を施すことも出来たのではないだろうか。
モスアゲート国王の判断は、「同盟国かつ王妃の出身国といえど、他国に頼らず己の力だけで国の問題を解決しようとした責任感の強い王」、と言えなくもないが、無力さや不甲斐無さを外に知られたくなかっただけではないのかという疑惑も出て来る。
今のモスアゲート国王が、自国の次世代だけではなく、クリソプレーズ王国の次世代にまで己の不始末のツケを回そうとしているように見える姿は、恒常的に他国の王族の力を使い続けようと目論んでいるようにも見えるのだ。
15歳の王子達を失えば、次期国王に王弟はいなくなる。国王の側妃は王子を一人も産んでいない。王太子に有能な高位貴族の側近が在ったとしても、余程国が安定しているのでもなければ、『王弟』でなければ使えない場面もある。
それでも気軽に『次期王弟』となる筈の命を消費するならば、消費しようとする『次期王弟』達を上回る能力を持った同等の身分の人物を代替として使える秘策が無ければならない。
秘策=隣国の次期王弟。
そんな勝手な計画が、モスアゲート国王の中には存在するように思えてならない。
無言の挑戦状を叩きつけ、アンドレアはモスアゲート国王の腹の中を探っている。
あちらがアンドレアを勝手に『秘策』として計画に組み込んでいるのであれば、アンドレアが叩きつけた挑戦状はモスアゲート国王への罠となる。
これで動かなければ、アンドレアの邪推は正解だ。
モスアゲート国王は、アンドレアを先々まで勝手に利用するつもりで事態を楽観視していると、アンドレアは判断して動く。
そうなればアンドレアは、現モスアゲート国王と親友である父王ジュリアンが退位して、傀儡の兄が王位を継ぎ、自分が国の実権を握る『次代』では、同盟国として最低限の交流以外はモスアゲート王国との国交を断つつもりだ。
実姉が王妃だとしても関係無い。恒常的にクリソプレーズ王国の王族の力を当てにして搾取を目論む国との国交など、密にしていては国益を損ねる。
食糧も資源も、モスアゲート王国に頼らねば国難に陥るようなものは何も無い。他から入手出来ないものなど、贅沢品の一種である天然物の香草くらいだ。困るのは一部の好事家くらいのものだろう。
モスアゲート国王が、アンドレアからの挑戦状という仕掛けを、自分が残す負の遺産を縮小する一助とするのか、アンドレアの意思を汲み取れず、所詮貸しのある隣国の第二王子に過ぎないと侮り、次世代で国を衰退させる罠にハマるのか、アンドレアは親達の世代をじっくりと観察している。
これで、モスアゲート国王に「親友だから何とかしてくれ」と泣きつかれて、父王ジュリアンがクリソプレーズ王国の未来に負の遺産を増やそうとするならば、アンドレアは実の親で国王であっても手に掛ける覚悟だ。
これ以上負債を増やされては、国が傾く未来しか見えない。
「ロペス公爵は、学院長メイソン伯爵との面会を何度も希望していますが、メイソン伯爵側が全て拒絶していますね」
報告書を手渡され、アンドレアはうっそりと笑った。
踊ればいい。罠の中で。
どう足掻こうと、待っているのは破滅だけだ。
このトカゲと狸の破滅は、もう決まっている。
さあ、森の国で狸に負け越している人間様は、狩人になれるのか、暗愚として負の遺産の仲間入りを果たすのか。
報告書を片手に未来を想うアンドレアの姿は、国のために浴びる血を誇りと覚え、凄絶な覇気を纏う。
この稀なる資質と才能を、己の無力の補填に勝手に使う気でいる存在など、彼に忠誠を固く誓った側近達とて許しはしない。
仕掛けは動き出した。
あとは、獲物の数が変わるだけだ。
この部屋に、覚悟の出来ていない者はいない。
「血の粛清が、我が身にだけは及ばないなどと考えていなければ良いが」
呟くアンドレアの口許は、いっそ穏やかに見える微笑み。
つられて側近達も、ニコリと微笑んだ。