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 ジルベルトが5歳になって数ヶ月経った頃、ダーガ侯爵家に第二子となる男児が誕生した。ジルベルトにとって、待望の弟である。


 ジルベルトは前世の記憶を取り戻して以来ずっと悩んでいた。

 男性に生まれ変わって僅か三年で、四十四年の女性としての人生を思い出してしまったのだ。しかも男性と結婚して子供を二人、母として産み育てた記憶まである。

 今生の同性を恋愛や性愛の対象にする予定は今のところ無いが、女性をそういう対象として見る自信が全く持てなかった。

 思春期になればもしかしたら、肉体の性に引きずられて女性に反応できるようになる可能性はゼロではない。

 けれど、その時期まで答えを先延ばしにして侯爵家嫡男として過ごすのは無責任ではないかと彼は考えていた。


 侯爵家の当主教育は厳しいものだと聞いている。

 ジルベルトは加護を授かるまでは下手な人間を近づけられなかったため、教師の手配ができず、その後は自衛のための教育を優先していたが、本来ならとっくに専門家による当主教育が開始されていなければならない年齢だ。

 もしジルベルトが、思春期になってもやっぱり女性と子を成すことは無理でした、家督を継ぐのは弟にしてほしいと言い出せば、その頃既に大きくなっているだろう弟に随分と無理をさせることになる。


 それに、ジルベルト自身も思春期を過ぎてから後継者から降りるのは、本人も家も外聞が悪く、主の顔に泥を塗ることになりかねない。

 成人間際の年齢になってから急に廃嫡扱いになれば、どう立派な理由を取り繕っても、「継がせられない問題があるから」と世間は受け止める。

 そんな瑕疵物件を側近として重用している王子は、ソレを庇っても切り捨てても、どちらにしろ世間から非難を受けることになるだろう。


 5歳の誕生日、ジルベルトは数え切れない妖精に次々と祝福を受け、加護を与えられた。

 家族とアンドレアとモーリスだけの小さな誕生会だったが、その場の誰もが呆然と我を忘れるほどの、有り得ない数の妖精が発光しながら踊り狂い、「こんなに派手な誕生会は見たことがない」とジルベルト以外の全員が遠い目をしていた。

 加護を授かる前のジルベルトの周囲に群がっていた妖精達でさえ畏怖するほどの数だったのに、発光して踊り狂う妖精に引き寄せられるように、さらにその数倍の妖精が加護を与えに訪れたのだ。

 加護を与えた後は、過去に他の人間に加護を与えた妖精達と同様に、ほとんどの妖精が人の目には映らない姿になったが、しばらく光だけは残り、ジルベルト自身が発光体みたいになっていた。


 外交官であり留守がちなダーガ侯爵は、次の出立までに詰め込めるだけ息子に魔法の使い方を伝授した。

 魔法の理論や歴史などは図書室の本で独学済のジルベルトは飲み込みが早く、自衛、防御、魔法攻撃まで、すんなりと身につけた。

 それを見届け、ダーガ侯爵は出立直前にジルベルトの力量に相応しい教師を手配した。


「教師がおかしな真似をしてきたら、遠慮なく妖精に頼りなさい。後始末は私が責任を持ってしよう」


 と、多分に物騒な「行ってきます」の挨拶をして仕事に向かう父を、ジルベルトは感謝の念で見送った。

 前世の記憶を取り戻したと言っても、それまで生きた自分(ジルベルト)の三年の記憶が消えたわけではない。

 欲望を滾らせ幾度となく伸ばされた大人達の手を、ジルベルトは覚えている。母として乳幼児を育てた記憶も持つようになったからこそ、どれだけ自分が気持ちが悪く理不尽で恐ろしい目に遭っていたのか知っている。

 乳幼児を「美しいから」と愛玩や性欲の対象として誘拐、いや、彼らの意識的には「盗み出す」感覚だった。同じ人間だとも人格や感情があるとも考慮していないからこその行動だった。

 それでも前世の世界なら被害者は泣き寝入りを余儀なくされるのが「常識」だった。

 ジルベルトは、今生の自分の立場と、この世界の常識でなら、大抵の相手を反撃の末に御陀仏させてしまっても、親さえ許可しているなら問題にならないことを理解して受け入れている。

 身を護るための殺人に忌避感を持っていないのだ。


(他に同じ世界からの転生者がいたら責められそうだな。)


 そんなことを思うジルベルトだが、よもや同じ世界からの転生者が嬉々として暗殺者生活に馴染んでいるとは考えていない。

 おそらく現在この世界に同じ世界から転生している他の人物は、ジルベルトが身を護るためなら殺人も躊躇わずの姿勢を持っていることを大歓迎するだろう。


 幸いにして、魔法学や魔法実技の教師も、剣術や体術の教師も、事前にダーガ侯爵と教師を雇うと嗅ぎつけたアンドレアから存分に釘を刺され脅されていたこともあり、妙な真似もせず非常に実直に教師としての役割を果たしてくれた。

 弟が生まれる頃には、独学や自主トレの下地も功を奏し、武人としての類稀なる素質も認められている。

 弟の自由な将来を奪い家督を押し付ける形になるのかもしれないが、今のジルベルトは父の後を継ぐ道も武を極め主を護る道も選べるのだ。弟のお陰で。


(弟はできる限り可愛がろう。)


 ジルベルトは弟に悪いことをしているような気がしているが、外野から見れば、しばらく傾きそうにない裕福で由緒ある侯爵家の家督が次男なのに転がり込んで来るので、弟は寧ろラッキーだと言える。

 普通の貴族家の次男以降の子供は、長男に問題が起こらない限りは家を出て自活の道を探さなくてはならないし、良い条件の相手と結婚するには自分自身に付加価値を盛り込む努力も相当必要になる。

 レスターと名付けられたジルベルトの弟は、おかしなレベルで強くて麗しい兄に可愛がられるオマケ付きで侯爵家当主の未来が確約された。素晴らしいラッキーボーイだ。


 ジルベルトは家督を継ぐ権利を弟に譲る方向に意志を固め、武を極める道を選べばその力を捧げることになる主に思いを馳せる。


(アンディは、もう原作の俺様王子(アンドレア)ではない。第一王子のスペアであり王族の義務を背負っていることを自覚し、それを全うすべく努力を怠らない姿勢は尊敬できる。彼を護り支えることに今生を尽くし切る、それは中々魅力的な人生に思える。)


 アンドレアも、この二年で目覚ましい成長を遂げている。

 モーリスも謙虚な姿勢で学ぶようになり学習進度は更に加速したと言うのに、アンドレアはそれを猛スピードで追い抜いてしまった。

 勉学、知識、作法、教養など、「俺様王子」だった頃にはアンドレアの身につく日など来ないと囁かれていた諸々が、彼を称賛する人々の口に上る語彙に頻出するようになった。

 アンドレアも、ジルベルトほどではないにしろ、妖精の加護を歴代王族の中でもトップクラスに多く授かり、魔法の習得や戦闘術の鍛錬にも熱心だ。


 もっとも、アンドレアの原動力の根底にあるのは王族としての自覚と言うより、「ジルベルトに相応しい主になりたい」という欲求なのだが。

 現状、ジルベルトから見て「人生を尽くしてもいい」と思える主になっているようなので努力は報われているだろう。

 アンドレアも本気になれば基本スペックからして呆れるほど馬鹿高いのだ。


 ジルベルトは父であるダーガ侯爵家当主に直談判に赴くことにした。

 アンドレアの側近として人生を捧げたいから、そのために武の道を極めたいから、だけでは嫡男の5歳児が家を継がず生涯独身を貫く決意をする理由として弱い。そのうち気が変わる子供の戯言と受け取られかねない。この二つだけでは現当主の父親が、次男に長男のスペアとしてではなく本物の当主教育を最初から行う気になるほどの強制力が足りない。

 どちらも、家庭を持ち侯爵家を継いだからと言って()()()()()()()()()ではないのだから。


 ジルベルトの胸中には、前世の記憶を取り戻す前、大切に、縋るように読んでいた絵本の物語が御守のように宿っている。

 理不尽に追われ襲われる日常、自分の家なのに逃げ隠れて息を潜める日々。一冊の絵本を胸に抱いて大人は入れない本棚の影に身を隠し、物語の中に逃避していた。

 物語の中には戦う力を持つ主人公がいた。どんな強敵も斬り伏せ鉄壁の護りを誇る剣士。

 人々は彼を呼び讃える。『剣聖』と。


 記憶を取り戻し、読み耽った多くの書籍にも『剣聖』は登場した。

 物語の登場人物ではなく、歴史上何度も登場する実在の人物の称号として。

 称号を与える立場や条件は国や時代によって多少の差異はあれど、彼らは押し並べて剣の道を極め、その高潔な魂に惹かれた妖精達の加護により一切の魔法攻撃が効かず、敵の魔法を剣で斬り裂くことすら可能な究極の剣士だ。

 どの国どの時代の剣聖にも共通するのは、凄腕の剣士であること、高潔な騎士であること、全種の妖精の加護が多くあること、そして、()()()()()であること───。


 近年判明した事実によれば、全ての魔法攻撃を無効にするほどの妖精の加護を得るには妖精に愛される必要があり、妖精は純潔を好むから、ということらしい。

 女性が剣聖となった記録が残っていないのは、同じように才能があり同じように鍛えても、女性が男性を凌駕するのは難しく、全種類の大量の妖精が加護を与えたくなるほどの美幼女や美少女が純潔を守り切ることは不可能だったからだ。

 侯爵家の嫡男として生まれたジルベルトでさえ、常にあわやというギリギリの危険に曝されていた。

 親にはちゃんとジルベルトを守る意思もあったし、手を出せばただでは済まない相手だという抑止力だって働いていたはずだ。

 それでも、絶望の淵を日常的に覗くほど追い詰められていた。図太い大人の記憶を取り戻していなければ、諦めから抵抗も逃亡もやめて穢され、剣聖となる可能性を失っていたかもしれない。

 ともあれ、歴史上、全ての剣聖は男性かつ独身で、その身は無垢なまま生涯を己の剣を捧げた主のために尽くしている。


(剣聖となり主を護る道を目指す。この理由ならば幼い内から生き方を定める必然性があり、健康な長男が家を継がないことを公表しても家や仕える主の醜聞にはならない。ただし、自分(ジルベルト)がこの道を選ぶならば誓いを立てることは必須。立てた誓いを違えることは許されない。)


 剣が好きで夢中で鍛えていたら、「無垢なまま」という条件込みの剣聖の資格を満たした、というケースも無くはない。

 だが、大抵の貴族の子供は幼い頃から婚約者となる異性を紹介され、交流することが義務となる場合が多い。それに、美しい容姿と高い身分に寵愛を欲してすり寄り誘惑する人間も多いものだ。中には婚約を確実なものにするためや利益を得るために、強引な手段を使う()()()な相手だっているだろう。

 それらの障害を、剣聖を目指すことを天地に誓う儀式を執り行い、ダーガ侯爵家から正式にそれを公表することで排除できる可能性が高まるのだ。まず、婚約を勧められる未来は潰せるし、その手の誘惑をかけてくる人間を告発することもできるようになる。

 この世界の多くの国では恐ろしいことに、国の重要人物となる『剣聖』や、十分な素質を持ち誓いを立てた『剣聖候補』への性的誘惑は、国家に対する犯罪行為と見做されるのだ。

 神である天地への正式な誓いを違えれば社会的に抹殺されるが、違える気のないジルベルトにとっては誓いは強力な盾となるだろう。

 それに、女性と子を成すことができないかもしれないから仕方なく剣聖を目指すのではなく、3歳までのジルベルトの絶望で砕け散りそうな魂を守っていた心の拠り所に、ジルベルトとして生きる自分自身が成りたいとも思っている。


 思えば記憶を取り戻した直後、『剣聖』の何たるかも知らない内から、男として生きて鍛えるならば剣聖を目指そうと、ごく自然に考えていたのだ。

 それは、胸に宿る御守がジルベルトにとってどれほど大きな存在だったのかを想起させる。

 もし、どう頑張っても幼児期に素質が開花しなければ別の道も考えた。期限は弟が生まれるまでと決めていた。

 やってみたら、期限内に目指せる道が見えてきた。

 ならば全力を賭したい。目指す道を極め達成したい。

 誰にも傷つけられない強さに焦がれた『綺麗でか弱いジルベルト』を、歴代最強の『剣聖』に。

 侮られ卑屈さを傲慢さに換えて愚かに振る舞っていた王子は、誇り高き次代の王弟殿下として臣下の貴族達に一目置かれるようになった。その、御身を、誇りを、傷つけられぬよう生涯側で護り続ける力になるのだ。


 決意と拳を固めたジルベルトが執務室に現れると、何かを察した父は人払いをして真剣に息子の話に耳を傾け、そして、息子の目指す道を祝福した。

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