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三日後

 約束の三日後、ジルベルトはニコルの屋敷を訪れていた。

 クリストファーは不在だ。忙しいから、しばらく顔を出せないかもしれないと今朝方に一言だけ言い残し、すぐに出て行ったそうだ。

 それはそうだろうな、とジルベルトも思う。クリストファーもアンドレアの依頼で多方面に動いている。今回の件で動いている面々は、ブラック企業の修羅場も真っ青な無茶振りに答え続けているのだ。

 通常ならば理性を飛ばすことなど有り得ないモーリスでさえ、第二王子執務室に顔を出した王弟レアンドロ殿下に「お久しぶりでございます。本体様」と口走ったほどだ。しかも、誰一人おかしなことを口走ったと気付かず咎めなかった。

 皆、相当にキている。


 婚約者不在の場で長居は出来ぬと、執事も目を光らせる前で報告書の中身だけ速読で確認し、ジルベルトは再度修羅場に舞い戻った。

 軽食や新商品の携帯食、疲労回復効果のあるブレンドハーブティーとスパイスティーの詰められた大きなバスケットを持ち帰れば、荒んだ顔の男達がギラリと視線を向けて来る。そこに夢の王子様や理想の貴公子の姿など微塵も無い。


「推測は当たっていました」


 読み終えている報告書とバスケットをモーリスに渡し、ジルベルトは自分の執務机の前に座る。

 モーリスが報告書をアンドレアに渡し、バスケットの中身を検分してスパイスティーを淹れに行くのを目の端に捉えながら、ジルベルトは淡々と報告を進める。

 先般城下で男性を中心に流れていた、第二王子執務室のメンバーの同性愛関係を下品で赤裸々に語った噂についてだ。

 城下の平民()()が、()()()王族と高位貴族の恋愛関係を、王城に届くほどに広がるくらい熱心に語って盛り上がるというのは、どうにも違和感を拭えないとアンドレア達も思っていた。しかも『剣聖』に下世話な肉体関係の噂を流すなど、平民でもマズイと理解できる筈なのだ。

 犯人の動機や手管の解明のために、ニコルに噂の発生源を探ってほしいと依頼を出しに行った時、ジルベルトはニコルの何気ない一言で一つの可能性に気がついた。

 だから、依頼の内容を変更し、()()()噂話の内容を集めて貰うことにしたのだ。


「睨んだ通り、城下の()()()は、()()()()の正しい性別を知りませんでした。正確には、そうなるようにミスリードされています」


 城下の平民が、第二王子執務室のメンバーと実際に会うことなど無い。「第二王子」と言うからには、中心は王子様なんだろうな、程度の認識だ。

 『乱れた第二王子執務室』だの『爛れた王子執務室の関係』だの、ヒネリのないポルノの題名か、と言うような出だしで始まる噂話の数々は、モーリスとジルベルトの性別が、如何にも女性であるように()()()()()()形容詞を盛り込んだ内容になっている。


 モーリスは「長い銀の髪の、ほっそりとした玲瓏たる蒼い瞳の美人」が、「王子様」に執務机の上に押し倒されたり、「赤髪の逞しい騎士」にソファの上に組み敷かれたりして、あれやこれや表記するのに憚られる淫虐の限りを尽くされて、「常ならばツンと澄ました高貴な顔を悦楽に歪め頬を染める」などと言われている。

 当人を知らなければ、新人騎士を片手で制圧する冷酷な腹黒男だとは思わないだろう。


 ジルベルトの場合は「漆黒の艶髪に濃紫の瞳の絶世の美貌で王子に侍る、溜め息の出るような肢体の持ち主」が、「赤髪の逞しい騎士」と「王子様」の二人に前後から挟まれて同時に挑まれて、卑語淫語満載の行為を強要されながら「身も世もなく淫らに悶え喘ぐ」などだ。

 そこに『剣聖』の文言は出されていない。ジルベルト本人を知らなければ、妖艶な身体つきの女性と男達の放埒な情交シーンを思い描くだろう。


 悪質なのは、モーリスに対してもジルベルトに対しても、前半部分に嘘偽りが見当たらないというところだ。

 彼らを知らない城下の一般人は、「王子様と逞しい騎士と、タイプの違った二人の美女の爛れたエロい関係」くらいの認識で、不敬に当たると分かっていても、男同士で盛り上がるくらいなら目溢しされるだろうと、罪の意識も無く噂を広めたと思われる。

 男同士で猥談で盛り上がる時、極上の美女と絡み合うことが可能な男というのは英雄扱いだ。むしろ、「噂の第二王子」を褒め称えるつもりで語った者さえ居ただろう。


 だが、実際に第二王子執務室メンバーを知る人間が聞けば、それは「『剣聖』まで交えた同性同士の過激で淫らな関係」の噂話と受け取れる。

 この前の夜会でアンドレアの衣装を担当した針子やデザイナー、第二王子執務室で抱えている城下の密偵は、彼らを実際に見たことがある。

 だから、本人の耳に届くような近い場所で噂をした針子達も、本人の耳に報告を入れた密偵達も、「モーリスとジルベルトを女()にした、第二王子執務室メンバーによる乱交が噂になっている」と認識した。

 噂を流している城下の町人達が脳内に描いている艶画とは、随分と趣が異なる地獄絵図だ。


「モーリスとジルの的確な形容と言い、こなれた言い回しと言い、流したのは俺達と対面したことのある貴族だな」


 不快を隠さず報告書を机の天板に叩きつけ、モーリスが毒見を済ませたスパイスティーを呷るように飲んでアンドレアは吐き捨てる。


「今回は()()()()()集めてもらったので、発生源までは探っていません。ですが、今朝方、クリストファーがニコル嬢の許を訪れた時に、『発生源だけは掴んだから、モーリスに父親と会えと伝えろ』と伝言を頼まれたそうです」


「コナー公爵から宰相へ伝わっている情報を聞けということですね」


「それと、ミレット嬢の前では出せない身分の奴の名前ってことか」


 ジルベルトの伝えた言葉に、モーリスとアンドレアが、それぞれ反応を返した。

 アンドレアに頷いて、モーリスが執務室を出て行く。宰相室に行くのだろう。

 第二王子執務室と宰相室で書類等の遣り取りは、以前から頻繁にあり目立つことは無い。モーリスが宰相の嫡男であり、後継者と目されていることからも、モーリスが宰相を訪ねるのであれば、一々穿った目で見られはしないのだ。

 クリストファーが王城に出仕する年齢になるまでは、こうした伝言ゲーム的な手間が煩わしくはあるが、モーリスは毎回ついでとばかりに宰相室から何かしらネタを引っ張ってくるので、これでも良いような気がしているアンドレア達だ。


「クリスから報告はありましたか?」


 直接私室に持って来いと、アンドレアはクリストファーに告げていた。

 ジルベルトも三日前からクリストファーと顔を合わせる暇など無かった。あちらも飛び回っているようだが、進捗は気になる。


「今朝、着替えに行った一瞬で少し。まだ暫定情報だから詰めるが、事実だけ先に耳に入れると」


 今日は六日に一度の学院の休みの日だ。この世界の一ヶ月は三十日で、一週間と呼べる区切りは六日間だ。一ヶ月は五週であり、働く者も学生も一週間に一日休みを取るのが一般的である。

 世間が休日だからと、今の彼らに休む暇など無い。学院が休みだからこそ、仕事は幾らでも湧いてくるし、これでもかと詰め込んでいる。

 ほぼ執務室に泊まり込みのメンバーだが、アンドレアだけは王宮の私室に日に何度か戻る。休むためではない。クリストファーの報告を受けるためだ。周囲の目を欺くために、私室を出る時には着替えて小ざっぱりとした姿を、わざと見せている。執務室の中では輝く銀髪もボサボサなのだが。


「噂の発生源を探っていたら()()()が気になったらしい」


 アンドレアがクリストファーから聞いた「気になった別の噂」は、探るつもりで噂を収集していなければ聞き流すような内容だった。

 それは、「スラムや下町の親のいない子供が姿を消す」や「スラムや下町の定職に就いていない人間がいつの間にか居なくなっていた」のような、日常風景に溶け込んでしまうような話だ。

 スラムも下町も治安状況は良くない。王都だから地方都市よりはマシだが、自活する力の無い人間が、野垂れ死んだり何かしらの犯罪に巻き込まれて姿を消すなど日常茶飯事なのだ。

 騎士や兵士が見回り、取り締まりを強化したところでイタチごっこなのが実情で、多くの人間が暮らして出入りする王都の全域が健全でクリーンな環境とはならないし、出来ないだろう。


 クリストファーも、調査の初期段階では「よくある話だ」とスルーしていた。

 だが、「噂」というモノにフォーカスして探る内に、その「よくある話」が、「よくあり過ぎないか?」と疑念を抱くようになったと言う。

 親がいない、職が無い。そういう人間は、食うために流れ者になって居所を転々と変えたり、夜逃げで蒸発も珍しくない。拠点から離れた先で野垂れ死にしていたり、犯罪の頻発する辺り住んでいるならば目撃者になって消されたりもする。

 だが、王都の治安状況から推算して、()()()()で、()()()()が死体も残さず消えているのは異常だと、クリストファーは感じた。


「追加情報待ちだが、加護が多い子供とか若く美しい男女という訳でもなく、むしろ()()()()()ばかり消えているらしい」


「奇妙ですね」


 険しい顔でアンドレアの話に相槌を打って考え込むハロルドと、前世の知識から胸糞悪い使()()()を想起して無言で眉を顰めるジルベルト。


「どうした、ジル。何か気づいたのか」


「いえ、気づいたという訳では・・・」


 前世で聞いた話から、「わざわざ平凡な一般市民を拉致する目的」を想起して気分が悪くなっただけなので、目敏い主に問われたジルベルトは言い淀む。

 その珍しい姿は却って興味を引き、アンドレアもハロルドもジルベルトに注目してしまった。二人とも眼力が凄まじいので穴が開きそうな視線が突き刺さる。

 観念して溜め息を吐きつつ、ジルベルトは「胸糞悪い話になりますよ」と前置きして白状した。


「平凡な一般人というのは、注目をされず何処にでも紛れ込むことが可能です」


「ああ。間諜を()()()()()()()()()()のは定番だな」


「はい。間諜ならば訓練をした者を擬態させることになりますね。紛れ込んだ後に情報を持って()()()()()()()()()()ですから」


「決死の暗殺者ですか? でも、それでも訓練して擬態ですよね?」


 アンドレアもハロルドも、『平凡な平民』の使()()()としてジルベルトが言わんとしていることを推察しながら口を挟む。

 一般人を脅迫などで暗殺者に仕立て上げる手法も、古来から使われて来たものだ。だが、それも凶器の使い方や人体の急所などは教え込む必要があるので、そのままは使えない。

 そして、そういうものを教え込んでしまえば、付け焼き刃の素人だからこそ殺気を隠せないし、挙動も不審になってしまい、折角の「平凡で何処にでも紛れ込める」特性が活かせなくなる。

 平凡な一般人の外見ならば、暗殺に凶器は必須だ。

 体内に入れることさえ出来れば目的が達せられる致死性の高い毒を用いるならば、挙動不審になるほどの訓練で『暗殺者』の自覚を持たせずに使えるかもしれないが、外見が平凡ならば、毒も凶器に塗る方向で使うことになる。

 対象者に直接毒を飲ませるような暗殺方法ならば、平凡ではなく、容姿の美しい者を使った方が成功率が上がるからだ。

 答えの出ない二人に、ジルベルトは見解の続きを口にする。


「妖精の加護を多く授かっていて魔法を使える人間には縁の無いものですが、魔法を使える人間のいない場合、岩盤などを除去するのに用いる手段を知っていますか?」


「ああ・・・。ああ、クソッ。確かに胸糞悪い話だな」


 思い至ったアンドレアが憤怒の形相で膝を叩く。

 ハロルドも一拍遅れて記憶の引き出しから知識を取り出して、凶悪な顔相になった。

 王侯貴族は、当たり前のように魔法が使える。

 火や風の妖精の力を借りた攻撃魔法は、前世の爆弾以上の威力で放たれることもあり、戦争でも広範囲に大きな被害を出すのは攻撃魔法だ。

 だが、この世界にも火薬は存在する。

 この世界では、幸いと言って良いのかどうか分からないが、戦争を企む人間や武力を高めるのに金を注ぎ込める人間の層は、強い攻撃魔法も操れるだけの加護を持つ場合がほとんどだ。それ故か銃火器は開発に至らないらしく、未だジルベルトは実戦に於いてそれらを見たことが無い。

 しかし、火薬を使用した爆薬はあり、平民の人足による岩盤除去作業は発破だ。


「挙動の不審を招くほどの訓練もいらない、帰還の必要も無い。自覚も持たせず爆薬抱かせて突っ込ませて、自分は巻き込まれない距離から魔法で着火すれば、大惨事が引き起こせる」


 テレビもネットも無い世界だから、前世のニュースで聞いたような自爆テロのやり方を、ジルベルトはこの世界では聞いたことが無い。

 だが、()()()()()()条件は、この世界にも揃っている。


「今後、式典や視察の警備を見直す必要が出るな。今まで考えつきもしなかった手法だが、最悪に()()()()でハイリターンな遣り口だ」


 アンドレアでも考えつかなかった手法と聞いて、ジルベルトは複雑な気持ちになる。

 ジルベルトが言い出さずとも、その内どこかの国の誰かが考えついて言い出した凶行の遣り口だろうが、この世界に持ち込む必要の無かった前世知識を持ち込んだような気持ちになった。


「戻りました。何です? 殺伐とした墓地みたいな変な空気ですね」


 多忙が過ぎてノックを省略するようになったモーリスが戻って来て眉根を寄せる。仲間同士は互いの気配を知っている。仲間が執務室に近寄り扉から入って来くることに警戒は必要無いことから、現在ノックと応えの手間を省いている。

 それだけ今は秒単位で時間が惜しいのだ。


「墓場が殺伐って何だよ。で、クリストファーからの伝言はどうなった」


「コナー公爵から宰相に伝えられた内容は、『噂の出処はシモンズ侯爵家嫡男。()()()()()()にトカゲが関わってる可能性が出た。仕込んで追って報告する』だそうです。あと、補佐官の顔ぶれが一部新しくなっていました。一人は要注意な家の関係者ですね」


 モーリスの言葉に、執務室内にヒヤリとした沈黙が降りた。

 平凡な一般人ばかりが姿を消す噂とジルベルトの想起した自爆テロの遣り口、その話題の後で、()()()にトカゲ─ロペス公爵─が関わっていると聞けば、胸糞悪い話が現実感を伴って脳内に蘇るものだ。

 だが、沈黙は一瞬で破られた。クリソプレーズの両眼を苛烈に鋭く光らせたアンドレアが、凶悪に唇の両端を吊り上げたのだ。


「思いついた。一纏めに破滅させてやる」


 造作だけは理想の王子様の容貌で、表情は悪鬼、声色は終末の預言者のよう。

 その表情と声色のまま、アンドレアは腹心の部下達に指示を出す。


「ジルの話が参考になった。モーリス、トカゲの交友関係と商取引の資料を纏めたヤツをもう一度持って来い。ハロルドは資料室から毒物・薬物の製法が記載されたものを。軍事実験のヤツもだ。ジルは護衛だ。俺と来い」


「「「御意」」」


 主が指針を決めて動く。受けた指示に疑問など持つことは無い。

 三人は頭を垂れ受け取ると、各人に与えられた行動に移った。

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