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城下の噂

「ところで、ニコルに配下の人間に指示を出して調べてもらいたいことがあるのだが」


 新しく注いでもらった紅茶に一口だけ口をつけてから、音もなくソーサーにカップを戻してジルベルトが切り出した。


「珍しいね、ジルベルト様。平民の一般人やスラムに目立たず出入りできる人間が適している調べ物?」


 やはり勘が良いな。ニコルの切り返しにジルベルトは黙って頷く。


「いいよ。ジルベルト様が頼ってくれるなんて珍しいし。()()()()達は秘密厳守は出来るよ。捕まって口を割らされそうになったら無意識でも自害するらしいし」


 ニコルに忠誠を誓う、彼女が無自覚に人生を救った崇拝者達は、他人から見れば狂信者だ。

 忠誠を誓う彼らが強力な自己暗示をかけてニコルを守るために自害しようとも、ニコルに特段の感慨など無い。慈悲の心を持たない残酷な女王であっても、彼らはニコルのために生きて死ぬことに幸福を見出す。

 この狂信者の群れを、作ろうとした訳でもなく無自覚に従えているのだから、ニコルが半強制で引きこもり生活をさせられている現状は、国と本人の平和のためにも良かったのかもしれないな。とジルベルトは考える。


 ハロルドも首輪を外して野に放ってはならない狂犬だが、アレは自分がやることを結果まで予測して自覚している。

 ニコルは厄介なことに()()()()()なのだ。無自覚だから、生き方を変えることも出来ない。

 行動の制限を無くして自由にさせてしまえば、本人の知らない内に「ニコル様のために国を一つ滅ぼして来ました」という狂信者集団が仕上がっている未来が、シャレにならない現実味を伴って予想できてしまう。


「自害が必要になるほど危険な調査ではない」


 視界の端でクリストファーがドン引きの表情でニコルを見ているのを確認し、ジルベルトは依頼内容を説明した。


「先日、『初風の夜会』で着る衣装の最終確認を、アンディが王城内にデザイナーや針子らを呼んで行ったんだが、部屋に入る前に、中で針子らが第二王子執務室メンバーの噂話をしているのを聞いたそうだ」


「そりゃ、有名人だし、貴族や王族を顧客に持つ服飾店のスタッフなら噂くらいするんじゃない? 王城で王子殿下を待ちながらするのはアホに過ぎるけど」


 辛辣な感想まで含めて、ニコルの意見は尤もだ。王侯貴族と関わりのある業者なら、有名な王族や貴族の姿を実際に見る機会のある者もいる。存在を実感できる立場での噂話は、熱が入ってもおかしくない。

 口を開く時と場所を選ばない無能さに、「二度とあの店は使わないと母上も言っていた」とアンドレアは言っていたが。


「我々は目立つ。噂されること自体は珍しくはない。ただ、内容が引っかかる。第二王子執務室メンバーが互いに同性愛の関係だという話が、()()()飛び交っているらしいんだ」


「それは色々おかしいな」


 クリストファーも腕を組み思案顔になる。


「確かに女っ気無しで全員独身かつ婚約者もいねぇが、まだ全員学生だろ? 学生が独身なのは王族の婚姻を待つ現代なら当たり前だ。婚約者がいねぇのも、まだ第一王子の婚姻前なんだから普通だよな」


「そうだ」


 王太子になる予定の第一王子の婚姻が無事に済むまでは、第二王子は婚約者を決めることも許されていない。

 王族の婚約者が定まらなければ、高位貴族の令嬢達は王子妃となる可能性を消せずに婚約者を決められない。

 年頃の令嬢達の婚約者が決められなければ、釣り合う家柄と年齢の貴族男性の婚約者だって決められない。


 公にされない第一王子の失脚の余波で、アンドレアが妃を持つことは無くなった。

 しかし、代わりに第一王子の側妃の選定をやり直さなければならなくなった。かつての側近達のように、愚か過ぎて国に害を与えるような令嬢や家と縁を結ぶわけにはいかないからだ。

 城下の人間が、その辺りの事情を知る筈も無いので、誰も婚約者を決めていないことの正当性を主張する気は無いが、正当性を主張するまでもなく、17歳の学生が独身で婚約者もいないことは不自然ではない。


「今までも、私やモーリスに粉をかけて袖にされた男どもが妙な噂をバラ撒くことはあったが、『剣聖』をネタにその手の()()()()()は、下手をすれば取り締まり案件だ。それに『剣聖』が男女問わず肉体関係を結ばないことは庶民にも周知されている。()()()()()()話を作っているのは妙だ」


「ジルも入れてんのかよ。勇者だな。ソレ、俺も別口で調べる。出仕する貴族には問題あるようなのは出回ってねぇのに城下でってのは気になる」


 王都には、仕事や観光で他国の人間も多く出入りしている。

 そういう人々の耳に入って事実無根の噂が流出し、国まで持ち帰られては、クリソプレーズ王国の恥になってしまう。

 王都の民の教養や常識のレベルを疑われ、「王都の民でこのレベルなら、クリソプレーズ王国は大したこと無いな」と思われるのだ。

 現在城下で流されている『剣聖』までもが槍玉に上げられた「めくるめく同性愛の赤裸々な話」は、いっそ他国の工作員がクリソプレーズ王国の権威を貶めるために流していると報告が上がって来る方が、納得できるような酷い内容だ。

 それに、ジルベルトが奇妙だと感じる点は他にもある。


「前世の腐女子などを思えば、見目麗しい青年達の同性愛話など、中心になって囀るのが女性であれば、まだ()()を楽しんでいるのだと納得できる。だが、この話を口にするのは大半が男性らしい」


「「は?」」


 クリストファーとニコルの声が重なった。

 今生、この世界でも腐女子的な楽しみを持つご婦人方は存在する。女性は美しいモノを愛でるのが大好きだ。

 だが、ごく少数の猛者以外のお嬢様方が囀るのは、非現実的にキラキラしい「お嬢様の想像力の限界」までであり、影が重なってキスをしているように見えた程度で真っ赤になって気絶するほど興奮してもらえるので、騒がれるのに慣れている男性達は放置の構えだ。


 今回流されている生々しく下世話な噂話の内容は、下町で密かに売られる平民のイケメン役者達をモデルにした艶本並みだと言うのに、王族と高位貴族で構成された第二王子執務室メンバーに役割を当てはめて言い広めているのだ。しかもメンバーには『剣聖』が入っている。

 下町の女性達は、貴族のお嬢様方よりは過激な艶話を好んで口にするが、だとしても躊躇うような下品さなのだ。

 具体的な内容を、ジルベルトはニコルの前では口に出来ない。

 内容の過激さや下品さで、女性があまり噂に参加しないのかと最初は考えたが、どうにも腑に落ちないのだ。


 若くして実力を認められ高い地位に居る同性を妬む気持ちで、下卑た噂を流す男は少なくない。

 だが、内容とメンバーを思えばリスクが大き過ぎる。ただの妬みや嫌がらせで実行に踏み切ったとは思えない。

 それに、発端となった人間が躍起になって広めようとしても、口にしただけで罪に問われかねないリスクの高い話を、何故に城下の平民男性達が、何の見返りも無く、友人知人に職場の同僚達に、無警戒に伝えているのだろうか。

 事実無根の醜聞を広めるのが貴族であれば、思惑があるのだろうと想像できる。

 だが、城下の平民と第二王子執務室メンバーの間に、醜聞を介する利害関係が見当たらないのだ。


 現在、事実としてはっきりしているのは、男性を中心に第二王子執務室メンバーをネタにした噂を流した()()が居るということだけだ。

 その人物と目的が知りたい。その手がかりとして、ジルベルトは噂の発生源を調べてもらいたいと思っている。


「噂ってのは大抵が女で広がるもんだが、男中心なら作為を感じるな」


「ああ。内容が下品過ぎて女性が口に出せないだけかとも思ったが、どうにも違う気がする。衣装の最終確認の後に、時間が無くてサラッとだが、城下の密偵から話を回収したんだ。噂を口にしてるのは、ほぼ男だった。針子とデザイナーも男だったしな」


「あ、そうなんだ。勝手にイメージで女性だと思ってた」


 ニコルが「テヘ」と舌を出す。


「ん?」


 何かが、ジルベルトの感覚に引っ掛かった。


「勝手なイメージ・・・か」


 呟くジルベルトに、ニコルが首を傾げる。


「ニコル。城下の噂話を、()()()()()()()収集させてくれ。()()()()()()()()()()()頼む。内容は、出来れば調査に向かった当人に記述させて、お前は読まずに、こちらへ渡して欲しい」


「え、そんなにヤバい内容なの?」


「目が汚れるから見ないで欲しい」


「ジルー。そいつは既に汚れきってるから平気だぞー、おっと」


 ニコルに投げつけられたクッションをひょいと避けて、クリストファーがヘラリと笑う。


「ニコル、いいな?」


「はーい。ジルベルト様は私に過保護だよねぇ」


「お前だからだ」


「超絶美形騎士に少女漫画的台詞を頂いてるのにトキメキの無い不思議」


 胸を押さえて釈然としない顔のニコルに、ジルベルトは苦笑した。

 多分、ジルベルトの中身が前世の母親ではなくとも、ニコルはトキメキなど感じないだろうことを理解しているからだ。

 ニコルは、()()()()()()()人に好意を持てない。それは前世から、ジルベルトも同じだった。

 演じることや場の流れに乗ることは出来ても、心が動いたことが無いのだ。

 一応「好みのタイプ」というものがあり、素性を隠して付き合っていたが、好んで自ら選んだ恋人がいたクリストファーは、そういう点では母や妹よりも「人として欠けている」と責められる要素が少ないかもしれない。


 前世では散々罵られた「人として欠けている」の台詞が、今生は出番が無いようで、気が楽だとジルベルトは感じている。

 国政の中枢で王族の側近の重責を担っていても、『剣聖』などという御大層な代物に祭り上げられていても、前の人生よりも息苦しくなく、望むように生きられている。

 注目度の高さに、たまに鬱陶しくはなるが、それでも、煩わしさが付随しても、得難い仲間との時間を捨てようとは思わない。

 前世から何より大事な存在である二人の子供達にも、どうか、それぞれ望む人生を謳歌してほしいと、ジルベルトは心から願っていた。


「日数はどれくらいかかる?」


「んー、噂話の収集だけでしょ? 噂の上書きとか改変とか人間の尾行や潜入調査も不要だよね?」


「ああ。そっち系は必要になればクリスに頼むことになるから動かないでくれた方がいい」


「了解。三日で全種類イケると思う」


「頼んだ。三日後に受け取りに来る」


 依頼を済ませると、ジルベルトは立ち上がった。


「ジルベルト様、忙しそうだね」


 屋敷の中では「様」付けなだけで、すっかり普通の口調で話すようになったニコルが、心配そうに眉を下げる。

 不穏な影が迫り、ニコルの軟禁体制が更に強化されている中で、ジルベルトはそれを咎めない。

 クリソプレーズ王国の一子爵令嬢という『普通の人間』の範疇で人生を送ろうとするならば、ニコルはこの先の長い人生を『籠の中の鳥』として過ごすことになる。

 豪華な籠の中で自由に研究や開発をして、気に入った人間だけを要塞のような護られた屋敷に招いて関わる人生だ。

 人によっては理想的で羨ましいかもしれないが、好奇心が強く活動的な人間には、贅沢ではあるが拷問のような生活だ。

 ジルベルトの記憶の中では、ニコルは好奇心が強く活動的な女の子であった。転生して再会してからも、その性質が変わったという印象も無い。

 どうしてやることも出来ないが、屋敷の中の『自由』までも阻む必要は無いと考えている。


「ああ。菓子を貰っていってもいいか。執務室に差し入れにしたい。全員、忙し過ぎて荒んでるからな」


「じゃあ片手で摘める軽食も一緒に包むね」


 わざと冗談めかして言えば、ニコルが嬉しそうにベルを鳴らして使用人を呼び、指示を出した。

 クリストファーが呆れた目線を送ってくる。「ホント、いつまでも娘に甘いな」と、紺色の垂れ目が言っているが黙殺だ。

 ニコルが弱いと思っている訳ではないが、クリストファーを対等に頼れる相手と認識する今でも、ニコルだけは、いつまでも『守りたいお姫様』なのだ。クリストファーとて似たような思いだろうに。


「はい、ジルベルト様。あんまり無理しないでね?」


「ああ、ありがとう。またな、ニコル」


 サラリと金茶の髪を撫でて、大きな包みを片手に、ジルベルトはニコルの屋敷から執務室(修羅場)へと戻るのだった。

次回投稿は5月13日午前6時、また週一投稿になります。


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