地雷ですよ
クリストファーが同性愛を論じていますが、全てクリストファー個人の見解です。
ジルベルトは表向き、「今後の対応について相談するため」に、ニコルの屋敷を訪れた。
昨日の『初風の夜会』で王妃殿下の攻撃を食らった学院長だが、その場で最もダメージを小さくする正解の対応でやり過ごしてしまったのだ。
ある程度は予想していたものの、やはり古狸である。
学院長は、胸の内で呪詛と血反吐を吐いていようとも、表面上は恭順と反省を示して早急な解決を約束した。
あの場で早急な解決を約束されては、「娘を正当な理由で休学させる」と国へ申請する貴族は居なくなる。
大舞踏会で分かりやすく現王族の不興を買っていることが知れ渡っても、学院長も『元王族』なのだ。一般貴族にとっては目立つような敵対をしたい相手ではない。
すぐに対策が取られるならば、周囲に合わせて様子見するのが、目を付けられずに安全だ。
一矢報いたい貴族としても、実行するのは、せいぜい申請は出さずに娘をしばらく病欠させるくらいのものだろう。
これで、学院長は「多くの令嬢に『学院は危険だから』と休学された」という記録が残る不名誉を免れる。
しばらくは現王族に不興を買っている現状や、性犯罪者の協力者扱いされた醜聞が社交界の噂として流れるだろうが、長らく他者を噂で蹴落として来た年寄りには、この噂が短命であることも分かっている。
王妃殿下の攻撃は、学院長の表面には、かすり傷程度しか付けられなかった。
だが、それで構わない。あの程度で潰せるなら、陛下や宰相の学生時代にとっくに潰せているだろう。
夜会での王妃殿下からの攻撃は、図々しい古狸の精神に揺さぶりをかけることが目的だった。
古狸の精神に揺さぶりをかけるのは、アンドレアがクリストファーに約束した、根回しと罠の用意の一環だ。
怒りや悔しさで狡猾に回る頭をオーバーヒートさせ、経験で培われた悪辣な勘を多少なりとも鈍らせることが出来れば、それで良い。
学院長は、王族相手に喧嘩を売っているのだ。僅かな判断ミスが命取りになる。その判断ミスを誘発させてやる。
一応、国法では留学生の受け入れは可否が決まるまで報告義務は無しとなっているが、不審な留学希望があれば報告義務はあるのだ。
判断は学院長に委ねられるので、「不審では無いと思った」と言い張れば、その点では罪に問われないが、受け入れてから「工作員や犯罪者で被害が出た」となれば、当然のことながら判断を下した学院長の責任問題となる。
未だ目的不明ではあるが、もしもフローライト王国からの留学生が、同国の『影』と同じ王命を背負って来ていて目的を果たそうとし、生きて捕らえられ、それを証言すれば、どれほど大きな罪になるものか。
モスアゲート王国からの留学生も、学院長が報告義務を怠り違法に受け入れ約束をしたせいで、国王同士で密約を交わし、他国の国家存亡に関わる騒動に巻き込まれることになった。
アンドレア達は、上手く処理をして国益に繋げるつもりで動いてはいるが、下手を打てば同盟解消や開戦も有り得るし、クリソプレーズ王国が諸外国から信頼を失いかねない難しい問題だ。
そして、問題解決に労力を大きく割かねばならないために、他の仕事に手が回らないのだ。
アンドレア達が本来の仕事から離れることは、国益を損なっていると断言できる。
だからこの機会に、国賊の古狸を、飼っているトカゲ共々一掃しなければならない。
学院長が夜会で正解を引いてしまったため、ニコルの休学は近い内に終わりとなる。
留学生らが到着する頃には、同じ学舎に通学することになるだろう。
今日は、その時の注意事項を、ジルベルトが伝えに来ていた。
と言っても、工作員だの国王同士の密約だの隣国王家の醜聞だのは、当然言えない。
偽名で留学するフローライトとモスアゲートからの二名については、「訳ありだから近寄るな。近寄って来たら全力で抵抗防衛して良い。近寄られたら報告しろ」で、言えることは終わりだ。
アイオライトの王女様は、同盟国の王族だけに近寄って来られたら避けようが無いが、何か要求されても「王妃殿下の命令で、自分だけで判断して回答が出来ない」で通すように、王家の判断として伝えた。
転生者云々は抜かして、カーネリアン王国からの留学生に関してだけは、ある程度の情報はニコルにも開示する。
留学の目的が目的なので、おそらくネイサンは学内でも聞き込みをするだろうからだ。
ニコルには、下手に気を回さず自然に対応してもらいたいというのが、第二王子執務室メンバーとクリストファーの総意である。
「えぇ・・・フォルズ氏、年頃の男子としては複雑だろうねぇ」
カーネリアン王国からの留学生が、父親の男の愛人の願いを叶えるために、調査目的でクリソプレーズ王国に留学すると聞いて、ニコルは何とも言えない顔をする。
ジルベルトは、顔に出さないが、内心で「お?」と思った。
身内以外への共感能力が極端に低いニコルが、会ったことも無いネイサン・フォルズの気持ちを考える素振りを見せたのだ。以前のニコルならば、「父親に男の愛人? ウケる!」で終わりだったと、前世の母は確信している。
自業自得とはいえ引きこもり生活を余儀なくされて、他の貴族令嬢達よりも、ずっと他人との関わりを制限されているニコルだが、今生の生活を通して人として成長している姿を垣間見て、ジルベルトは濃紫の瞳を優しく緩めた。
「俺的にはアレはゲイじゃねぇけどな」
頭の後ろで手を組んで、行儀悪く椅子を揺らしながらクリストファーが反応する。
「女性と子供を作ることが出来たからか?」
「いや、そこじゃねぇ。勿論、判断基準がソコって奴もいるだろうが、俺はその辺は『必要に迫られて、死ぬ気になれば出来るけど、自分はゲイ』って主張する男を否定したくない。俺もそうだし。今も任務なら薬使ってでもヤるぜ。けど、そういうんじゃねぇんだよなぁ。あの子爵様は」
「どういうこと?」
眉根を寄せるクリストファーに、ニコルも首を傾げる。
「うちの国で娘が行方不明になった時、騒いでる他国人が居るっつー報告受けて、影から観察しに行ったんだ。アレは俺にはゲイに見えなかった。見りゃ分かるもんなんだ、そういうの。俺のカンが元々良いってのもあるけど、前世で若い頃から長いこと素性隠して相手探す場所に出入りしてたし」
溜め息を吐いて、不愉快そうに紅茶をグビリと飲んでから、クリストファーは話を続けた。
「ただの嫌な感じの甘えたボンボンて印象だったんだよなぁ。報告書見て納得したわ。アレは自称ゲイの似非ネコだ。この世界では、権力も財力も地位も、女より男が持ってるのが普通だろ?」
「ああ」
「金持ち女のヒモになるより、権力者の男に可愛がられてる方が外聞も良い世界でもあるよな?」
吐き捨てるように言うクリストファーに、ジルベルトとニコルも話が見えて来た。
この世界は、前世の日本よりも女性の地位がナチュラルに低い。騎士道精神で女性を尊ぶように振る舞いはしても、実際は女性を下に見ているから守ろうとしている男が大半だ。紳士として女性を大切にするのも、心持ちは同様である。
だから、女性のヒモになる男は、前世の日本以上に同性から馬鹿にされる。
だが、地位と権力のある男性の愛人は、「あの方に愛人として選ばれるほど認められたなんて、きっと君は素晴らしい人物なんだろう」と見られることもあり、名誉だと受け取られることもある世界だ。
異性をパートナーに選ばなければ子供が産まれないために、大多数は伴侶を異性とするが、国法で同性をパートナーとすることを禁止する国は、この大陸には無い。
考え方は文化圏で差異はあれど、法で禁じる国も無ければ信仰を理由に反対されることも無いのは、どの国でも同じだ。
例えば、男女観がクリソプレーズ王国と同じような文化圏の国々では、貴族や王族は後継者問題や貴族の義務的な話で同性婚は否定されるが、愛人が同性であることは自由だ。
後継者を残す義務を果たし、妻子を虐待せず生活も不自由させていなければ、愛人を持つことも咎められない。愛人の性別など関係無い。
男の愛人にショックを受ける妻は多いかもしれないが、義務を果たしている貴族男性の愛人にまで口を出せば、淑女として品が無いと謗られることになる。
フォルズ公爵夫人の場合も、ショックで寝込みはしたが、夫が愛人を持つことに文句は言っていない。
貴族ならば後継者を残す必要の無い立場でも、婚姻で貴族女性の生活の面倒を見ることは、貴族男性にとって一種の暗黙の了解的な義務とされている。
しかしこれも義務さえ果たせば、同性の恋人が家の外に居ても文句を言わせない権利が持てる。
平民なら、パートナーの性別は全くの個人問題だ。義務や常識を説かれることは無い。
ちなみに、フローライト王国のような「女性は財産」という男女観の国々では、貴族や大商人のような、地位や財産のある男性が妻を一人も迎えず、女性を囲うことも無く、同性だけを伴侶としていれば、「ドケチ、非常識、恥知らず」と白い目で見られ、社交界での信用も落として取引や交流を絶たれてしまう。
ただし、高品質の財産達を立派に管理運用している男性が同性の恋人を持つことは、「デキる男にだけ許された崇高な嗜み」と羨まれることもある。
尤も、そういう男性は女性蔑視の思想が強い嫌いがあるので、文化圏の違う国と交流を持つ際には本音を隠しているようだ。
意外なことに、女性に人権の無い文化圏では、女性に人権を認めている国々よりも同性愛者は少ない。
それでも、同性をパートナーに選ぶだけで非難されることは無い。
そんな世界だから、余裕のある素晴らしい男性から愛人として選ばれることは、能力や人格も認められて愛人に選ばれていると、周りからは思われがちだ。
実際は、若さや外見だけで選ばれる場合も多いのだが、同性愛に忌避感が無くとも対象が異性オンリーの人々は、「あの素晴らしい人が同性を選んでまで愛人にするなら凄い人なんだ」と、勝手に思い込む傾向が強い。
まさか尊敬する『素晴らしい人』が、その辺のエロオヤジと同じで、「若くて可愛けりゃ中身はどうでもいい」という観点で愛人を選んでいるとは、異性愛者だからこそ考えてもいない。
あの愛人子爵は、そんな世間の目を分かっているから、上等な男性の愛人になることを望んで紳士倶楽部に男漁りに出向いたのだと、クリストファーは睨んでいる。
「あの子爵は別に男が好きな訳じゃねぇ。自分が一番楽してハイリターンな人生を送れる手段として、金と権力のある男の愛人でいることを選んでるだけだ。女と付き合ったり結婚すんのを嫌悪するのは、女が嫌いだからじゃねぇ。相手が女だと自分が苦労しなゃなんねぇから嫌なんだ」
「じゃあソイツって、年上の男なら、甘えて面倒見てもらって楽してても男としての名誉欲やプライドも満たされるから、同性愛者気取ってるだけなの?」
「そういう手合いだろうな。ベッドでもマグロでいりゃ甘やかしてもらえて楽だとか考えてんじゃねぇ? 相手が女なら自分で腰振んねーとなんねぇからな。面倒なんだろ、いてっ」
ニコルの前で直接表現に至ったクリストファーの頭をジルベルトが小突く。
バツの悪そうな顔で冷めた紅茶を飲み干すクリストファーの頭を、今度は撫でてジルベルトが訊く。
「子爵は、楽をするためなら同性に抱かれることに抵抗が無い異性愛者だったということか?」
「それもちょっと違うかも。もしここが女性上位な世界観の所だったら、アレは女のヒモになってたタイプだと思う」
「なるほど。自分以外愛せないタイプか」
「そーゆーこと」
ジルベルトが納得すると、ニコルにお代わりを要求しながらクリストファーが肩を竦めた。
「自己愛が激しくて、他人がどうなろうと『見えない』し『考えられない』タイプだ。自分のためなら何をしても正しいと思っている。だから、放置すりゃ問題が起こると思うぜ。相手はカーネリアン王国の宰相で公爵だろ。影響デカいぞ」
「子爵の愛人に国政への影響力があるか?」
「あの手の人間は、理想の宿主を絶対に手放さない。別れるのは無理だぞ。関係を解消したけりゃ殺すしか無ぇ」
「・・・フォルズ公爵も、とんでもない地雷に手を出したな」
「だよなー。地雷が巻き込み範囲を広げる前に始末しねぇと、カーネリアン王国は少々荒れることになるかもしんねぇぜ。うちとは同盟国でも友好国でもねぇけど、娘が行方不明になった国ってことで無関係じゃねぇし。巻き込み範囲に含まれない対策は必要かもな」
第二王子執務室では、ネイサン・フォルズとは協力体制が取れるなら取る方向で方針が決定している。
機会を作って忠告はしておく必要がありそうだ。
ジルベルトは、嫌な予感がする転生者と、思った以上に深く関わる必要が出そうで、そっと溜め息を吐いた。
クリストファーは、前世で地位と財産を築いてから、愛人子爵みたいなタイプの青年に粘着されて付き合わずに躱し続け、代わりにターゲットになったゲイの知人がウッカリ手を出して破滅の後に人生終了したのを遠くから見ていたので、地雷はさっさと始末派です。