陰険美人の挫折
第6部より少し時間が戻っています。
舞台はダーガ侯爵家。ジルベルト4歳です。
ジルベルトがアンドレアの側近になることが正式に決定してから一年が経ったが、相変わらずジルベルトは屋敷内の定められた区域から出ることが叶わずにいた。
元から危険物レベルの美貌を持った幼児で、美しいもの好きの妖精が群がる数も多かったジルベルト。加護はまだ授かっていないので群がる妖精も姿は出しっ放しだ。
それが前世の記憶を取り戻して以降、誘拐や性犯罪の被害に怯えて心を閉ざしていた頃の硬い表情や無気力さがツルンと脱皮したかのように消え去り、身軽で元気な身体を楽しむ溌剌さと、くるくる動く表情が美しさに磨きをかけ、人間も妖精も更に魅了している。
既に、「将来が楽しみね」よりも、「将来、洒落にならないね・・・」と言われる量の妖精が集まっている。
その全てが加護を授けることになるならば、子供とはいえ自衛の方法さえ覚えれば無敵になりそうだ。だがそれまでは、と、ジルベルトは加護を授かり魔法を覚えるまで外出禁止続行となった。
それは主人となったアンドレアも望むことだった。
「危ないから俺が会いに来る!」
と、我儘な俺様だった息子が叫んだ時には、母親の王妃がそっと感動の涙を拭っていた。
通常、貴族の子供、特に嫡男ともなれば、3歳なら既に家庭教師も、場合によっては剣術や体術の教師も付いているものだ。だが、ジルベルトへの耐性を鑑みると人選が進まず、独学の形を取らざるを得ない状態になっていた。
屋敷内の図書室はジルベルトが自由に出入りできる区域なので、本人は特に困っていなかったが。
文字の習得は記憶が戻る前に済んでいた。
元々ジルベルト・ダーガの地頭は良いようだ。記憶が戻れば前世で生きた分、年齢なりの読解力も戻ってくる。文字さえ読めれば大抵の本を理解するのは難しくなかった。分からない物事が出てくれば他の本を参考に理解できるまで読み込めばいい。
それに剣術や体術の教師が決まらなくても、先に身体を鍛えておくことはできる。
ジルベルトは動ける区域を存分に使い、前世知識をもとに柔軟から走り込み、自重筋トレなどを嬉々としてやりまくった。
その結果、4歳になり、初対面以降ちょくちょくダーガ侯爵家にジルベルト目当てでやって来ていたアンドレアが、珍しい仏頂面で他の側近候補を連れて来る頃には、色々と強化されて育っていた。
いつもはニコニコご機嫌で会いに来るアンドレアの仏頂面を不思議そうに眺めたジルベルトは、伴われた華奢で小柄な銀髪の子供に視線を移す。
(あ、「陰険美人」のモーリスの幼少期だ。ホントに女の子みたいだな。美形と言うより美人という表現が合っている。)
内心感想を洩らすジルベルト。
この頃には男性に転生した現状にも馴染み、女性との婚姻や子作りは無理でも、ダーガ侯爵家の息子として家族に非難の目が向けられない人間になろうと、内心の言葉遣いにも女性的なものが出ないようにしていた。
悲壮な覚悟をしているわけではないが、記憶を取り戻した直後のような軽いノリで生きて良い立場ではないことは、もう自覚し納得した。
一人称は、長じれば正式な場では「私」一択になるから変えずにいるが、語尾や口調はふとした拍子に口から出ないとも限らないので、思考も男言葉に直している。
ただでさえ、自分の仕草に女性的なものが混じることに気が付いたからだ。
オネェキャラに差別意識も無いし否定する気もないが、侯爵家の息子で王子の側近がオネェキャラだとして、それが家にも主にも迷惑をかけないと言うのは物語の中だけの話に思えたのだ。少なくとも、この世界で、この国で、現在の常識では。
「ジル、したくないけど紹介する。こいつは俺の側近候補だ。ジルはもう候補じゃなくて決定だけどな」
アンドレアの面白くなさげな物言いに、女性的にならないよう気をつけながらクスリと笑って応じる。
「うん、私はアンディの側近だね。で、彼をきちんと紹介してくれる? 私より身分が上だろう? 勝手に自己紹介もできない」
ゲーム知識が無くても、アンドレア王子の側にいる同じ年頃の銀髪で蒼眼の子供が、王子の従兄弟で宰相のヒューズ公爵の嫡男であることは高位貴族の常識を持っていれば見当がつく。教師について学ぶまでもなく、親子の会話で出るレベルの話だ。
幼児とはいえ、侯爵家の子供が公爵家の子供に勝手に挨拶をすることは礼を失する行為で非常識にあたる。
アンドレアとジルベルトが互いに愛称呼びで気安い言葉遣いであることにピクリと眉を動かしていたモーリスは、ジルベルトのこの態度に驚きを隠せなかった。
モーリスは、はっきり言ってジルベルトを侮っていたのだ。
4歳になった今でも家庭教師すらついていない子供だと聞いていた。その上、第二王子の側近に候補ではなく決定しているというのに一度も城に上がろうとしない。
美しすぎる故に誘拐を恐れてと理由を付けているが、王族に足を運ばせる傲慢さと非常識さに、どうせ白痴美を甘やかされる愚か者だろうと見下すために、渋るアンドレアを説き伏せて無理矢理ついて来たのだ。
それが目の前の実際のジルベルトはどうだ。
確かに、「非常に美しい」という伝聞だけでは圧倒的に事実が不足している。
理解不能なまでの美しさだ。子供の持つ美しさではない。いや、これはもう人間の持つ美しさではないだろう。恐ろしい数の妖精が群がる様からもそう思える。
これは、生半可な人間の目に触れる場に連れ出していいモノではない。
才気あふれる己を特別視してきたモーリスでさえ、一目で否応無しに納得させられた。
これは、『特別』な存在だと。
それに、白痴美などとんでもない。
堂々とした振る舞いは、上辺だけではない自信に基づいていることが見て取れた。話す内容は常識を十分に理解していることを窺わせる。
アンドレアと気安いのも愛称呼びなのも、王子の側が望み許しているのだと少し考えれば分かった。
人間離れした美貌を備えていながら、その身は健やかであり、背丈もモーリスより随分と高い。それに、しなやかで姿勢も動作の全ても美しい。教師などいなくとも、己で研鑽しているのだろう。
生まれて初めて、モーリスは自ら敗北を悟った。
今まで、王族である従兄弟の王子達と対面しても感じなかった敗北感だ。
王子達の血筋は特別だが、自分だって現国王の妹の腹から生まれている。
王子達は美しいが、自分だって瞳がクリソプレーズではないだけで王族に多い銀髪だし、王子達と同じくらい妖精が周囲を飛んでいる。
第一王子のエリオットはかなり優秀だと言われているが、六つも年上なのだ。あのレベルに、自分は後三年で到達する自信がある。そしてアンドレアの頭の出来は、自分には遠く及ばない。
王族以上の血筋は無いし、集まる妖精の数も、知る限りでは王子達と自分が突出していた。
会ったことのある他の子供達など、自分と比べる対象に並べるのも馬鹿らしい。
一般的に、4歳児の「僕天才」が正解である場合は少ないのだが、ここで新生ジルベルトと出会わなければ、モーリスは「僕天才」のまま成長したことだろう。
出来が良くても、お坊ちゃまでも、所詮は4歳児。視覚から突入してきた暴力的なまでの説得力のある美しさに、完膚なきまでに叩きのめされた。何か問答したわけでも、難解な試験で勝負に負けたわけでもないのに。
圧倒的見た目の良さという絶対勝てないポイントとして認めてしまった部分を相殺できるほどの『何か』を見つけることができなかったのだ。
明らかな馬鹿でも非常識でもなければ、無表情でも無愛想でも不健康でもない。声も発音も美しく、濃紫に澄んだ双眸には知性が、所作には品があった。
完敗だ。
モーリスの内心は「orz」の姿勢である。
生まれが良く、見た目と頭脳と上質な教育の機会に恵まれ、4歳児にしては肥大化し過ぎた自尊心が、ポッキリメッキリ折れた。
見た目と通常運転な行動だけで大ダメージ攻撃をやらかすのだから、確かにジルベルトの外見は危険物だ。
モーリスは己の心を守るために、ジルベルトから一度視線を引き剥がした。従兄弟へと焦点を合わせる。
従兄弟の第二王子アンドレア。我儘で傲慢で、立場故にそれを許されているが、周囲も手を焼き疎む者も多い。最近は、聞き分けが良くなったとか礼儀を覚えたとか、評価は上がりつつあるようだが、今まで教師陣から逃げ回っていたツケが簡単に返せる筈がない。
自分より下だと思える存在を見ると、波立った心が落ち着いてくる。モーリスは性格の悪い4歳児だった。実は従兄弟以外に友人らしき人物がいないことに、本人は気づいていない。
「こいつはモーリス・ヒューズ。現宰相のヒューズ公爵の長男だ。何事も無ければ跡を継ぐだろうから嫡男だな。母親が王妹の一人だから俺にとっては従兄弟の一人だ」
今も、どうせ子供じみた適当な紹介しかできないだろうと高を括っていたモーリスだが、アンドレアの口から淡々と述べられた事実の羅列に、あんぐりと口を開きそうになった。
何も間違っていないし、冷静で客観的な事実のみだ。
この内容で伝えるということは、アンドレアがジルベルトを綺麗な人形代わりのお飾りとしてではなく、本気で側近と認識しているということだ。アンドレアと関わる際のモーリスの正確な情報を、ジルベルトには知らせる必要があると考えての内容だ。
モーリスは、当たり前のようにアンドレアを侮っていた。生まれた時からの付き合いだから、侮る心にも年季が入っている。たかだか四年だが、モーリスにとっては人生の百%だ。
モーリスは、アンドレアには先を考える頭も無ければ他人への配慮も無く、周囲の人間関係をろくに覚えてさえいないと思い込んでいた。
アンドレアが、馬鹿に見えない。
その事実に、高慢ちきな4歳児は再度打ちのめされた。
ジルベルトによってポッキリメッキリ折られた自尊心を、アンドレアに粉砕されたような感覚だ。育ちの良い幼子は打たれ弱い。
「お初にお目にかかります。ダーガ侯爵家が一子、ジルベルトにございます。一年前、アンドレア殿下側近の栄誉を賜りました。ヒューズ様が側近候補となれば私も大変心強く思います。これからも共に殿下をお支えいたしましょう」
凛々しい口調、爽やかな笑み、優雅で完璧な貴族男性の礼。ジルベルトにその気はないが、有り体に行って追い討ちである。
瀕死の自我を奮い立たせ、モーリスが皮肉げな笑みで引き攣りそうな表情を隠して答える。
「僕は君と違って候補でしかないのですよ。君に誘われたからと言って、許しなく殿下をお支えするなどと傲慢──」
モーリスの口から「傲慢」という言葉が出た途端、堪えきれずにアンドレアが吹き出した。
反射的にギロリと睨むモーリスに、アンドレアが遠慮なく腹を抱えて笑いながら指摘する。
「いや、お前の口から傲慢って。俺も相当だったが、お前は俺以上に酷い傲慢野郎だろうが。方向性は違うが、お前を見てるとジルに出会う前の自分を見てるようで恥ずかしかったぞ」
侮って下に見ていた相手から見破られていた上に、泳がされていた本性の指摘だ。追い討ち後のトドメと言えよう。
「アンディ、彼のことも候補ではなく側近に欲しいんだろう? あまり苛めるものではないよ。私に直接紹介するくらいだから、彼のことは人品も能力も評価して信頼しているんだろ?」
「ジルにはバレたか。こいつは兄上並みに優秀なんだ。勉強自体が好きで苦にならないのは才能だ。俺は目標やご褒美が無ければやる気が起きないからな。その点こいつはすごいぞ。お前に会うのを許したのは、側近に欲しいしバカな真似はしない信頼性はあったからだ。それと、世の中には上には上がいるってことを突き付けてやりたかったからだな」
コテリ、とジルベルトが首を傾げる。不意に披露された幼児らしい可愛らしい仕草に、アンドレアは魅入られモーリスは呼吸が止まった。
(陰険美人の上に私がいるとアンディは認識しているのか? 原作では傲慢慇懃な孤高の天才設定だったよな。この世界の貴族令息の普通が分からないから何とも言えないが、私の独学レベルより孤高の天才は下なんだろうか。)
軽い疑問で傾げた首だが、モーリスには教師として有能な教師が付いているが故に、逆に、自由に図書室を漁って知識を蓄えたジルベルトには遠く及ばないのだ。
ジルベルトは常識の範疇だと思って身につけた知識だが、王族教育ですら、4歳では国内外の歴史や人物史、経済学に外交論、政治学など、触り程度も到達できない者がほとんどだ。
ダーガ侯爵家の図書室には、ダーガ侯爵が仕事や研究のために集めた書籍が犇めいているが、実は子供向けの本は数冊しか所蔵されていない。
記憶を取り戻す前に数少ない子供向けの本で文字を覚え、記憶を取り戻してからは、大人でも専門知識が無いと理解が困難な本を『この世界の普通の本』だと思って4歳の息子が気軽に読み、まさか内容を理解して頭に入れているとは、家人の誰も思っていない。
アンドレアは会いに来る度に、ジルベルトが学者や文官が口にするような専門用語を使いこなし、役職付きの高位貴族が会議で発表するような見解を述べるのを、驚愕の表情を隠して聞いていた。
このまま教師から逃げていては、ジルベルトと日常会話すら交わせなくなる。その危機感は、アンドレアを勉強の鬼にした。格好つけたいお年頃なので、猛勉強は夜に自室でコッソリだが。
隠れた猛勉強のせいでモーリスには侮られたままだったが、その甲斐あって今日は面白い醜態が見られた。これは今までバカにされていた意趣返しだ、とアンドレアは考えている。従兄弟だけあって、アンドレアも性格は良くない方だ。
「ヒューズ様⁉ 何故呼吸を止めているんですか⁉」
隣でモーリスが息をするのを忘れっぱなしなのは感知しながら、放置でジルベルトの仕草に見惚れていたアンドレアは、黙って脚を上げ、モーリスの背中に膝蹴りをお見舞いした。
「ぐっ、げほっ、ごほっ」
「アンディ⁉」
責めるようなジルベルトの視線に、アンドレアはヒョイと肩を竦める。
「呆けて呼吸を忘れていたから叩き起こしただけだ。ジルが心配してやる必要はない」
無様に地面に両手と膝を着いて咳き込むモーリスの背中をジルベルトが優しく撫で擦る。
その優しさがオーバーキルとなり、とうとう『傲慢モーリス』は再起不能に御臨終した。
見下すために会いに来た相手には短時間で自ら敗北を認めることになり、下に見ていた従兄弟には本性を見破られたまま泳がされていて、その従兄弟はどうやら自分が思っていたより随分と賢く、しかも単純馬鹿だろうと侮っていたのに、狙って自分を陥れるくらい性格も悪かった。
けれど、その従兄弟が自分を認めて信頼して、側近に欲しいと言う。
馬鹿にしていた相手なのに選ばれて嬉しい自分が複雑で。自分は選ぶ立場で選ばれる側ではないと考えていたのに、これでしっくり来るような気がして。自分の心が分からなくて混乱する。
そして、どう見ても、「第二王子の一番側にいるのは僕だ」と思っていたのが間違いだったのもショックだった。
宰相の息子で公爵家嫡男で従兄弟という立場だから、ほぼ毎日アンドレアとは顔を合わせていたけれど、アンドレアが、先に側近に決定したジルベルトの方を信じて頼りにしているのは明白だ。
ジルベルトが動くほど話すほど、モーリスは自分が勘違いした小賢しい子供でしかないことを痛感させられた。
ジルベルトには子供を二人産み育てた前世の記憶があるので、実際ジルベルトにとってモーリスは、「こういう自尊心高い系の子は息子の幼稚園にもいたな」という扱いなのだが、モーリスが事実を知ることは無い。
別に狙ったわけではないのだが、この出会いによって、モーリスが「妖精さんにおねがい♡」という乙女ゲームのように、「陰険美人」と称される嫌味な傲慢野郎に成長する芽は摘み取られることになった。
いや、その芽は踏み潰されて根絶やしかもしれない。