次から次へと
放課後の生徒会室で、アンドレアは死んだ魚のような目を机の木目に合わせながら、指を組んだ手の影でブツブツと呟いていた。
「あー、どいつもこいつも破滅願望あるのかよ。最後は全部破滅させてやるから順番に並べよ。一気に全員で踊り出すんじゃねぇよ。雑魚まで一緒に浮かれやがって。クソ面倒くせぇ」
クリストファーが生徒会役員になってから、アンドレアは生徒会室の中ではクリストファーの前でも表情を取り繕うのを止めた。「コナー家の支配者の前で顔だけ取り繕っても意味無いだろ?」という理由からだ。
今は互いに互いの素を自然に受け留めているが、アンドレアがここまで荒むのは最近では珍しく、生徒会役員達も気遣わしげだ。
いつもは乱暴な言葉遣いに小言を言うモーリスも、この部屋の中ではと好きに吐き出させている。
「学院長は引いたんでしょう?」
苦いほど濃く淹れた紅茶に苦味が消えるまで蜂蜜を大量投入した小ぶりのカップを、アンドレアの前にだけ置いてモーリスが問う。
この、素材の味を殺し切った飲み物はアンドレア専用で、他のメンバーは飲まない。毒見をするモーリスが毎回こっそり溜め息をついているが、主人が煮詰まった時には仕方なく用意している。それでも身体に悪そうなので、カップは小さめにしていた。
「ああ、オスカー・ベケットに関しては」
死んだ魚の目のまま、ドロっとしたテクスチャーの「元紅茶?」を一口飲み込んで、眉を顰めながらアンドレアは答える。
オスカー・ベケットをコナー家の護衛が拘束して連行する際、クリストファーは、わざと学院長に許可を取り付けに行った。
いくら学院内の最高権力者と言っても、コナー家の直系の人間相手に、王命に逆らってコナー家に喧嘩を売ろうとした人間を「連れて行くな」とは言えなかったようだ。自己保身のためだろう、オスカーの助命嘆願さえしなかった。
「オスカーが勝手にやったことで自分は関係無い。まさか、そんな愚かなことを仕出かすとは。今、ヤツを尋問しても出てくる台詞は、そんなところだろうな」
眉を顰めたまま、カップの中身を一口ずつ確かめるように飲むアンドレアが、不味いモノを吐き出すように言う。
モーリスは「ソレ、不味いですもんね」と内心で吐露した。アンドレアは、一応好んでソレを飲んでいるので、不味いと感じているのは飲み物の味ではない。
「これだけ大っぴらに馬鹿をやられると、ベケット侯爵家を放置は、もう出来ない」
「ですね。でも狸はトカゲの尻尾を切るでしょうね」
ハロルドがつまらなそうに言う。
次期国王である第一王子の側近から嫡男のオスカーを外されたベケット侯爵家は、学院長にとって、繋がっていて旨味のある家ではなくなっていた。
最初から捨て駒にするつもりで、当主の弟のタイタスをジルベルトに紹介したり、オスカーをニコルのクラスの副担任に着かせたりしたのだろう。
こちら側の手を煩わせておけば、多少なりとも時間稼ぎや目くらましになる。
ベケット侯爵家は、学院長という狸が飼っているトカゲの尻尾に過ぎない。トカゲの本体ですらないのだ。
「狸はトカゲの本体に、尻尾を有効活用するように言ってるでしょうしね」
ジルベルトも、先が予測出来過ぎて声に徒労感が滲む。
放置するわけにはいかないベケット侯爵家だが、第一王子の側近をほぼ全員解任して日の浅い今、元側近の実家であるファーレル公爵家が醜聞により降格された記憶も色褪せない内に、次はベケット侯爵家を潰すとなれば、誰かにとっては利用できる良いネタになる。
アンドレアは、探られて痛い腹のある貴族達にとって目の上のたん瘤であり、退場させたい邪魔者だ。
今でも、「第二王子は次期国王である第一王子の力を削ぐために、後ろ盾になる有力貴族家出身の側近達を奪った」と、実しやかに触れ回る輩達がいるのだ。
今、ベケット侯爵家を潰せば、物証の公開出来る明白な罪であっても、捏造や陰謀扱いをしたい奴らが騒ぐだろう。
ゴードン・ファーレルの破滅まで、「第二王子に嵌められた、陰謀だ」と言い出しかねない。いや、確実に言うだろう。
「ベケット家を主犯では潰さない」
カップの中身を飲み干したアンドレアのクリソプレーズの双眸に、苛烈な光が戻った。
「ですね。尻尾ですし」
ハロルドも、つまらなそうに壁に預けていた背中を離し、オレンジの両眼を愉しげに細める。
「主犯は本体にしますか? それとも飼い主?」
モーリスが、口直しとばかりに、毒見を済ませた清涼な味と香りのハーブティーをアンドレアの前に置いて訊ねる。
「飼い主諸共、駆除だ」
ハーブティーのカップを持ち上げてアンドレアが答えると、側近達の口許が、薄っすらと笑みを表して動いた。
アンドレアはクリストファーに視線を合わせる。
「クリストファー、コナー家の協力は得られるか」
生徒会長ではない、第二王子でもない、『次期国王』という人形の持ち主となる傀儡師の顔で声をかけられて、クリストファーの口許にも薄っすらと笑みが浮かんだ。
「勿論。次代でコナー家を使うのは貴方です。慣れることは必要でしょう」
口調も、纏う空気も変わる。取り繕わない素でもなく、学院で普段見せている作ったキャラでもなく、この国の暗部を司るコナー公爵家の支配者のものへ。
「随分と愉しそうな顔で俺を試してくれるものだ。期待に応えよう」
その様を、「ようやく見せたか」と満足そうに見遣り、アンドレアは指示を出す。
「ロペス公爵家を文句無く潰すだけのネタが欲しい。お前がソレを持って来るまでに、俺はロペス家が消えても不要な混乱は起きないよう根回しを済ませる。ネタは俺の私室に直接持って来い」
ロペス公爵家は、狸が飼うトカゲの本体だ。
「無用心ですね。そこまで俺が信用出来ますか」
「ジルかハリーが必ず即座に踏み込める場所にいるからな」
「ああ、信用しているのは専属護衛ですね。了解です」
ニコリとクリストファーが口にした「了解」は、この部屋にいる他のメンバーには「合格」に聞こえた。
「ジル、ハリー、問題は無いな?」
アンドレアの問いかけに、ハロルドは、じっとオレンジ色のガラス玉のような無機質な目をクリストファーに向ける。人としてはどうでもいい存在だと認識していることを、隠そうともしていない。
「ん。クリストファーは臭くないから、アンディ様の部屋に急に現れても殺しませんよ」
見える部分は何一つ揺らがせないクリストファーは、内心で冷や汗をかく。
どういう嗅覚か理解不能だが、変態犬に敵と認識されるリスクは冒さない方が懸命だと、実力でコナー家を支配していて尚、感じさせられる。
「私の忠誠が揺らがぬ限り、クリスが私の主を害することは無いと思っています。クリスが私を裏切ることはありませんから」
二人の専属護衛の意見に鷹揚に頷き、アンドレアはクリストファーに向き直った。
「トカゲを丸ごと取り上げて踏み潰す時、狸の足元を掬い、罠に逃げ込ませる。罠の用意はこちらでしておくが、仕掛けるのはお前達に頼むことになる」
「お任せを」
実に貴公子的にゆるりと微笑むクリストファーだが、その微笑みは見る者の背筋を寒くする得体の知れないモノだった。
その微笑みのまま、まるで空気に溶け込むように、クリストファーの実体が朧気に消えて行く。
「アレが敵なら、俺でも嫌だと感じます」
ハロルドの嗅覚を以ってしても存在が確認出来なくなってから、オレンジ色の瞳に熱を戻して吊り上げて、ハロルドが唸るように言った。
アンドレアは愉しそうに笑う。
「コナー家は我が国の劇薬なんだ。使う者次第で効果は毒にも薬にも変化するが、本気で使えば効果が激烈過ぎて、制御は生半可な覚悟と能力では出来ない。クリストファーはコナー家の当主ではなく支配者だ。クリストファーに使用者として認められなければ、玉座など人形の飾り台でしかない」
それは、クリストファーに「己を使うに足る者」と認められれば、玉座に在らずともクリソプレーズ王国を動かす者でいられるということだ。
アンドレアは第二王子であり、次期国王ではない。
だから、アンドレアが大きな事を成し遂げる際には、その準備段階から万事に体裁を整える必要が生じる。
コナー家のクリストファーとの接触も、その一つだ。
コナー公爵家の役割を知らずとも、クリストファーが真の支配者であると知らずとも、コナー公爵家が代々「クリソプレーズ王国の国王に寄り添っている」という事実は、広く知られている。
次期国王になり得ないアンドレアが、コナー家の人間と頻繁に接触している様子を目撃されるのは、「体裁が良くない」のだ。
だから、学院の生徒会室以外では、アンドレアとクリストファーは直接の接触を避けている。連絡役として、クリストファーとは子供の頃からの個人的な友人である、側近のジルベルトを使うようにしていた。
クリストファーの『使用者』となるために、アンドレアは掴んだネタを私室に直接持って来るように指示を出したが、それも「体裁を整える」ためだ。
アンドレアの私室は、王宮の第二王子プライベートエリアにある。
コナー公爵家の令息は、王宮に出入りする資格を持っているので、クリストファーが王宮を歩いている姿を目撃されることは問題が無い。そこから人目につくこと無く、アンドレアの私室に侵入出来れば「体裁の悪い」ことは無いのだ。
これが、王城の第二王子執務室付近で見かけられると「体裁が悪い」ことになる。
城に出仕していないクリストファーが、執務室がある棟に出入りしているだけでも、聡い者には勘繰りの対象だ。
手間がかかり面倒ではあるが、クリストファーが学院を卒業して、適当にどこかの部署の文官にでもなれば、執務室に侵入して来るよう指示を出せるようになるので手間は減るだろう。
成果を上げるほど、名声が高まるほど、食べ過ぎて肥えた贅肉のように無駄な作業段階を挟む必要が生じて、適正な仕事だけでは物事が進められなくなる。
それは、アンドレアだけではなく、『剣聖』となったジルベルトも同様だった。
広大な大陸中を探しても、両手の指の数に足りないほどしか存在しない『剣聖』に、誓いを立てて目指したからとて成れる者は、そうそういない。
その人外と呼ばれるほどの美貌に目を奪われる人間が如何に多かろうと、『剣聖』への注目度とは別のものだ。
憧れの目が少ないとは言わないが、『剣聖』への注目は、観賞ではなく観察や監視の意味合いが大きくなる。
政治的に、軍事的に、何かしら得られる利益が無いものかと、『剣聖』に注視しては探る目が大半だ。
ただの「剣聖を目指す第二王子側近の絶世の美少年」だった頃には、ダーガ家の屋敷の自室でクリストファーとこっそり会って、声を潜めて中々際どい話をすることもあったが、『剣聖』となった現在、それは不可能である。
ヒューズ公爵家の執事長の使用人ネットワークの存在を聞いた後では、尚更、ニコルの屋敷かクリストファーの小部屋の他では、隠しておきたい話は出来ない。
このまま人の視線で身動きが妨げられる日々がエスカレートしていけば、近い将来、人の世に厭いてしまいそうだと思う時もあるが、前世から人と関わるのが好きな方ではないジルベルトを、注目の真ん中に引き留めるのは、今生の仲間達と自ら護り支えたいと選んだ主だ。
この顔と侯爵家の息子という身分に転生して、自己防衛のためにも、目立つことは覚悟した筈なのだが、たまに人の目の鬱陶しさに耐え難くなる往生際の悪さを、ジルベルトは自嘲した。
自分で選んで好きに生きているくせに、と。
「ジル様」
「なんだ」
壁際に立っていたハロルドが、いつの間にか足元に跪いて、小箱のチョコレートトリュフを差し出している。
「気が塞いでいる匂いがします。カルヴァドスのジャム入りです。どうぞ」
顔にも態度にも出していない自嘲を嗅ぎ取るハロルドは、魔法を使っているわけではない。あくまでも、ハロルド本体の能力の一つなのだ。
「この変態犬め」
「はい! ジル様の変態犬です!」
ジルベルトが半眼で差し出されたトリュフを摘めば、ハロルドが見えない尻尾をブンブンと振って満面の笑みになる。
「せめて『変態』は取れよ・・・」
「まぁ、事実ですから」
力無く呆れた声のアンドレアのツッコミに、フォローになっていないモーリスの一応慰め。
人と関わることが今よりもっと好きではなかった前世でも、ハロルドのような存在達が、前世のジルベルトを人間社会に繋ぎ留めていたことを、彼は転生してから初めて強烈に思い出した。
あれほど強烈な人物達だったのに、転生後は、たまに記憶を過ぎってもアッサリとしたものだったのだ。
七味唐辛子のお披露目でニコルの屋敷を訪れた時に、犬達のその後を聞き齧ったせいだろうか。
「ジル様?」
「なんだ」
でかい図体で見上げてくるハロルドが、急に牙を剥いて唸るような不機嫌な顔つきになる。
「俺以外の犬のこと考えてませんでした?」
「・・・匂いなのか?」
否定も肯定もせず疑問を口にしたジルベルトに、オレンジの双眸がドロドロの溶岩のような不穏な熱を孕んで光を強めた。
「犬のカンですよ」
「・・・」
黙って目を逸らしてハロルドの頭を撫でるジルベルト。不満げに唇を尖らせながらも、撫でられている間は大人しくするハロルド。
「ジル、噛まれないように気をつけろよ」
「ジル、噛まれたら殺すつもりで抵抗するんですよ」
アンドレアとモーリスの忠告に微妙な表情を繕えず、片手ではハロルドを撫でたまま、ジルベルトは大きな手のひらのもう片方で美麗な顔を覆う。
結局、煩わしくとも鬱陶しくとも、彼らと共に在れるこの場所を、自分が捨てたいと思う日など来ないのだ。
珍しくも弱気になったのは何が原因なのか分からないが、今現在やるべきことは山積みだ。
やるべきことを片付けながら先へ進む内に、分からないことの答えが出てくるか、気にならなくなり忘れてしまうかだろう。
多忙なアンドレア達が、まだ生徒会室で束の間の休息めいた雑談を交わしているのは、「体裁を整える」ためだ。
婚約者のニコル絡みで問題を起こしたオスカーをコナー公爵家に連行したのだから、クリストファーが早めに生徒会の執務から引き上げるのは当然であり目に留まらない。
だが他のメンバーは、「第二王子と側近達は通常運転です」の体裁を繕うために、普段通りの時間まで生徒会室に滞在する姿を見せるのだ。
時間の無駄にも見えるし、馬鹿らしくも感じることはあるが、今は全部、必要な事である。
「中のジャムが甘みも固さも好みだ。どの店だ?」
開き直って口内のトリュフをじっくり味わい、感想と質問を述べると、ハロルドは蕩けそうな歓喜の声で御主人様に答えた。
「ジャムから俺の手作りです!」
「・・・」
沈黙して動作が停止するジルベルト。
「ああ、この前、父から欲しいものは無いか聞かれてカルヴァドスを強請っていたのは、このためでしたか」
「いつかこんな日が来るだろうと、俺は思っていたぞ」
平然と状況を受け入れているモーリスと、「うんうん」と、したり顔で何度も頷いているアンドレア。
「・・・二人もどうだ?」
立ち直って再起動したジルベルトに勧められて、モーリスとアンドレアは揃って首を横に振った。
「ジルのために、深い怨ね・・・執ね・・・、コホン、愛情が込められているでしょうから、遠慮します」
「ジル以外が食ったら腹壊しそうだから、いらん」
本当に、いい仲間達だよな。
先程のアンドレアのような死んだ魚の目になりながら、ジルベルトはハロルドが捧げ持つトリュフを口に運ぶ。
トリュフに罪は無く、最後の一個まで大変に美味だった。
多分、今夜からしばらく徹夜が続く。他の三人には、ニコット商会に注文しておいたドライフルーツとナッツのチョコレートバーでも差し入れるか。
体裁を整えるのに必要な時間いっぱい、仲間達と17歳男子らしい「女子には聞かせられない会話」を交わしながら生徒会室で過ごして、ジルベルト達は『いつも通りの顔』で王城へ向かった。
ある日のクリストファーとジルベルトの雑談。
「なぁジル。アンドレア殿下専用のスペシャルドリンクってさ」
「アンディ専用? ああ、あのドロッとしたテクスチャーのヤツか」
「テクスチャーって・・・飲み物に使う言い方か?」
「私はアレを飲み物と認識していない(キッパリ)」
「いや、ドリンクだから飲み物なんだろ」
「お前はカキ氷のシロップを飲み物と認識しているのか?」
「・・・アレ、そんな感じなんだ? モーリスが気の毒だな(毒見役だから)」
「そうなんだ。茶葉も蜂蜜もヒューズ公爵領の最高級品なんだぞ。丹精込めて育てた子供が凌辱されるようなものだぞ」
「えぇ・・・そこまでかよ。モーリス、すげぇ忠臣だな。よく耐えてるよ」
本人の知らぬ間に、クリストファーのモーリスに対する株が上がっていた。