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子供達と恥ずかしい大人

 登校前に第二王子執務室にてフローライト王国の『影』の動向の報告を受けたアンドレアは、「フローライト国王は破滅願望でもあるのか?」と首を捻り、宰相室からの「本日中にカーネリアンの報告書が上がりそうです」という伝言に了承を返し、王妃殿下から、今度の夜会の衣装の最終チェックをするようメッセージが運ばれて来たのでモーリスにスケジュール調整の指示を出し、今日も非常に多忙な一日のスタートを切っていた。


 そんなアンドレアが四学年Aクラスの教室で、休憩代わりの授業を受けている時、ニコルが在籍する二学年Bクラスの教室では、不快感を押し殺した音の無いざわめきが波紋を広げていた。


 今日、オスカー・ベケットが卒業生として母校を訪問することは、アンドレア達も知っていた。

 特に学院側から報告があったわけでも無いし、卒業生の母校訪問が一々公表されることも無いが、ベケット侯爵家は第一王子派を自称していた家であり、嫡男のオスカー・ベケットは第一王子エリオットの元側近ということで、行動は逐一密かに報告が上げられているのだ。

 エリオットの元側近達は、現在は殆どが無職の状態になっている。

 就職先の中々見つからない卒業生が、母校を訪ねることは珍しい事柄でもなく、事前に学院長の関係者らと接触があったとの報告も無かったので、強い警戒はしていなかったことを手抜かりと責められれば、言い訳は出来ない。

 だが、アンドレア達とて学院長が、これほどまでに常識を無視して学院の私物化を平然と行うことは想定外だった。


 オスカー・ベケットは、卒業生として母校を訪問し、学院長室へ挨拶に赴き、なんと、その場でそのまま本日からクリソプレーズ王国貴族学院の臨時講師として採用され、即時勤務が開始され、ニコルが在籍する二学年Bクラスの副担任に収まってしまったのだ。


 掲げられる理念が「学院内平等」であっても、ニコルは()()だ。

 特別扱いは王家が庇護を宣言しているから、としか見ない者は無知を自白しているようなもの。

 ニコルを失うことがあれば国力の低下に直結する、という現状があるのだ。

 ニコルの才能は、国や王が違えば自由など与えられず、存在すら秘匿されて、成果を死ぬまで搾取されたであろうほどに価値が高い。


 王家は公表はしていないが、第一王子失脚の顛末の後、ニコルを『剣聖』と同レベルで国の最重要人物として扱うことを決定した。

 それはつまり、国民がニコルを害すれば国家反逆罪となり、他国民がニコルを害すれば宣戦布告とイコールになるということだ。

 その決定を公表しないのは、公表することで今以上に狙われる可能性を避けているからなのだが、ニコルの功績を正しく理解している者は、学生であってもニコルの特別扱いを当然必要なものであると受け入れ、触らぬようにしている。触れば祟るホニャララ扱いだ。その反応は正しい。下手に触れば家を巻き込んで人生終了になる。


 二学年Bクラスの教室にて、()()()()()が出来ているニコルの同級生達は、ニコルの席の前後左右を固める護衛役の生徒達を筆頭に、声に出さないだけで、不快感と、何故こんな有り得ない状況になっているのかという気持ちの悪さと、この状況を許可した学院側への不信感を、貴族的なお行儀の良い仮面の目の部分にだけ、ありありと浮かべている。貴族として実に将来有望だ。


 対して()()()()()が出来ていない側だが、「担任が病でしばらく休むから私が副担任として君達の面倒を見る」とほざいて教壇に立つオスカー・ベケット侯爵令息である。

 ニヤニヤと品の無い得意げな表情を生徒達に向けるオスカーよりも、平民であるニコルの護衛達の方が、貴族的表情を上手く作れているのが情け無い。


 生徒達は知っていた。担任は今朝もピンピンしていたし、朝のホームルームで進路相談の予約を受け付け、明日の放課後も何人か面談を約束した生徒がいたことを。

 担任の教師は、かつて学院を優秀な成績で卒業した伯爵夫人だ。真面目で厳格な彼女は、何の連絡もせず約束を反故にする人物ではない。

 学院側は、日頃から「学院内平等」を盾に王族すら呼び付けるくせに、身分と権力で侯爵家の人間が伯爵夫人を押し退けた現状は、子供達の目にも明らかであり、それは軽蔑の対象となる恥ずべき行いだった。

 更に、オスカーの逸らさぬ視線から、ニコル目当てで無理を通したことまで誰もが簡単に想像出来て、「頭の悪い人なんだな」という感想を初対面の子供達に抱かせた。


 無理を通したということは、そうしなければニコルと接触させてもらえなかったということで、ニコルを庇護する王家やコナー公爵家から「信用に足りぬ」と烙印を押されているという答えに辿り着く。

 賢い子供は、そういう将来性の無い大人には近づかないようにしている。

 オスカーは、「信用に足りぬ」と烙印を押されているにもかかわらず、王家やコナー公爵家どころかミレット家にも伺いも立てず、奇襲のように無理矢理ニコルに接触して来た。

 これは、将来性が無いでは済まない。没落の可能性まである。

 賢い子供は、近づかないだけではなく、オスカーを拒絶することを心に決めた。


 Bクラスは、Aクラスに入れない成績の悪い高位貴族の子供と、成績の良い下位貴族の子供が在籍するクラスだが、ニコルが教室内で護衛達と話す内容のレベルの高さに触発された貴族の子供達が奮起したため、夏休みも明けた今では、このクラスに無知を「世間擦れしていなくて上品」と誤変換する愚か者はいない。

 ニコルの護衛達は平民だ。出身がスラムという者まで居る。

 最初は彼らの出自を馬鹿にしていた貴族の子供達も、明らかな格の違いを見せつけられて思い知らされれば、悔しいし恥ずかしい。

 一致団結して平民の護衛達を蔑むような集団であれば成長は見込めなかっただろうが、同じ貴族の中から「実力で負けたくないから自己研鑽する」と立ち上がる者がいれば、置いて行かれまいと後に続いた。

 現在の二学年は、AクラスよりもBクラスの方が総合成績が優秀である。

 担任の伯爵夫人は、そのクラスの様子をとても嬉しそうに見守っていた。


 このクラスの中にも学院長の息のかかった家の子供は数人在籍しているが、子供というのは一緒にいる時間の長い人物か、特別に印象の強い人物の影響を受けやすい。

 学院に通う年齢になっても親と一番長い時間一緒にいる、という貴族の子供は滅多にいない。

 共に行動する時間の長い同級生の影響を受ければ、たまに顔を合わせる親から命令される内容が、国益を損ねたり王命に逆らっていると解釈出来そうなものであれば、疑念や反発心も生まれる。

 貴族の子供にとって当主の命令は絶対だが、ニコルの同級生達は、年齢的にちょうど反抗期である。「当主の命令は絶対だけど、王命はその上だから」と心に言い訳を温存し、今は一丸となって「オスカー・ベケットは拒絶」の方針に賛同した。


 副担任の立場に捩じ込んで来たものの、担任の伯爵夫人と同じ教科を受け持てる能力などオスカーには無い。

 受け持てる教科の無いオスカーは、二学年の必修科目で教室移動の無い教科を、優秀な学者で子爵家出身の担当教師を追い返して勝手に自習とし、自習監督に名乗り出て、自己紹介の後はニコルの席の周りを徘徊している。

 その様子を、姿勢は動かさず観察する同級生達は、視界に入る者はオスカーの動きを詳細にメモに残し、視界の外にオスカーが居る者は耳を澄まして台詞を一言一句洩らさず書き留めた。

 誰に指示されたわけでもないのに、オスカーを破滅させるための有力な物的証拠に足りるメモが量産されていく。


「それ以上ニコル様にお近づきになりませんよう」


 ニコルの護衛は王妃の配慮で夏休み明けから倍の八人に増えている。その一人、女性の護衛エルシーが、貴族令嬢も感嘆の溜め息を吐く扇子捌きで、ニコルに躙り寄っていたオスカーを遠のけた。

 メモを執る手が捗る生徒達。


「っ、貴様っ! 私が誰か分かっているのか!」


 いや、お前さっき自己紹介してただろ。

 生徒達の心が一つになる。


「我らニコル様直属の護衛は、陛下と王妃殿下に許された者以外、如何なる人物であろうと、ニコル様に手の届く範囲に侵入した場合、排除して構わぬと()()を賜っております」


 ゴミ虫以下の汚物と認識している蔑む眼差しと、温度の消えた声が告げる事実。

 脊髄反射的に怒鳴り返そうと口を開いたオスカーだが、子供達に「頭悪い」と感想を持たれていても、貴族生まれの貴族育ちだ。『勅命』の言葉に、立ち止まって考える程度の刷り込みはされている。


 陛下が平民に勅命を与えるなど信じ難いが、偽りの勅命を口にするのは大罪だ。有り得ないと思うものの、多くの貴族が聞いている場で堂々と言っているのに、誰も「不敬だ」と騒いでいない。

 ニコルが王妃に()()()()されているのは有名だ。王妃が強請って陛下が勅命を出したのかもしれない。


 オスカーは立ち止まり、残念な頭の中で、とんだ不敬なことを考えていた。

 王妃がしているのは、高過ぎる価値を持つ人材の保護であって依怙贔屓ではないし、王妃が強請ったからと勅命を出すような王がいるとすれば、歴史に残る愚王の評価を後々の世まで維持できるだろう。

 頭の中は不敬な戯れ言の嵐だが、一応オスカーは近づくのを止めた。

 代わりに懐からベケット侯爵家の封蝋をした金縁の派手な封筒を取り出して、エルシーに差し出す。


「今すぐニコル嬢に渡せ」


 尊大な態度で命令だ。エルシーは受け取らない。


「危険物の可能性のあるものを主人に渡すことはありません」


 お断りだ。当たり前である。「渡すことは出来ません」ではなく「渡すことはありません」と答える辺り、エルシーの方もオスカーに礼儀を見せる必要は無いと判断しているのだろう。

 同級生達は、「いい教材だなぁ」と思いながら観察していた。


「無礼な! この私が危険物を仕込んでいるとでも言うのかっ!」


 激高するオスカーだが、生徒達の内心は「言われて当然」で意見が一致している。

 王家とコナー公爵家に「信用出来ないから近づくの禁止」と区別されている身で、常識を無視して権力と身分を笠に着る形で無理矢理接触して来た人物が、事前に渡す約束も無かったものを押し付けて来たのだ。

 それを不審物と扱わない護衛など、職務怠慢も甚だしい。

 エルシーは優秀な護衛である。当然、不審物など受け取らない。


「ニコル様に物品等を渡すことを許されているのは、陛下と王妃殿下にニコル様へ手の届く範囲まで近づくことを許された者だけです。よって受け取りを拒否いたします」


 眼差しも口調も表情も、エルシーは変わらない。

 オスカーだけが、顔を赤くしたり歪めたり青筋を立てたりと忙しない。今にも地団駄でも踏みそうだ。癇癪を起こした子供の如くである。

 事情を知らない人間が見れば、エルシーの方が高貴な血筋の生まれに見えるだろう。


「これはっ、『初風(はつかぜ)の夜会』のエスコートを申し込む手紙だ! 断じて不審物などでは無い!」


 一緒だよ、と生徒達の心の声が揃う。女生徒達の心の声には、追加で「気持ち悪い。最低。下種」も揃っていた。

 婚約者のいる令嬢に、本人に望まれてもいないのに、婚約者からの依頼でもなく、家族でもない男が夜会のエスコートを申し込むのは、相手の爵位が令嬢側より高ければ、「他の男の女だけど味見してやる」の意味に取れる、大変に下種な行為だ。

 どれくらい下種かと言えば、夜会で婚約者の令息に脅しをかけて、婚約者のいる令嬢を無理矢理ダンスに誘い、その流れで休憩室にシケ込んで性犯罪に及ぶ遣り口以上に嫌悪されているくらいである。


 夜会の会場で起こる事柄は、ある意味貴族としての試練である。自衛する力量を持たなければ、大人として社交に参加しても家のために利益を得ることは難しい。

 令息は、パートナーとしてエスコートしている婚約者の令嬢を守る力を付けなければならないし、令嬢も強かに切り抜ける術を身に付けなければならない。どちらも『社交術』だ。

 夜会会場で婚約者のいる令嬢を権力尽くで拉致する加害者は、「最低野郎」と白眼視されることにはなるが、被害者側も、事前準備もせずに弱肉強食の場に獲物として出て来たことを馬鹿にされる。


 だが、上の身分の男性が、婚約者のいる爵位が下の令嬢に、「家紋の封蝋付きで、正式な手紙にてエスコートを申し込んだ」となれば、世間の目は違う。


 ニコルの立場が特殊なだけで、一般的にソレをやったら、強要行為だ。

 手紙を受け取ってしまえば、エスコートを断ることは、身分差によって、もう不可能になるのだ。『家紋の封蝋付き』には、その力がある。

 夜会の会場でならば、婚約者と連携を図りながら、周囲の人とコミュニケーションを取って助力をしてもらえるような振る舞いをしたり、あるいは人目を利用したり、または流れる話題を利用したり、という、『社交技術』で乗り切る努力が意味を持つ。

 だが、それを意味無きものにするのが、『高位貴族男性による低位貴族女性へのエスコートの強要』だ。


 エスコートされることを了承してしまえば、共に会場に向かう馬車の中は移動する密室となる。

 脱がせやすいドレスや必要以上に露出の多いドレスを贈って、「私にエスコートされる夜会ではそれを着るように」と申し付けられれば、それも逆らえない。

 狭い馬車の中、走る馬車から飛び降りることも出来ず、逃げ場は無い。

 普通の令嬢の腕力で男を相手に貞操を守るのは、困難を極める。エスコートの申し出を断れない身分差なのだから、怪我を負わせるかもしれない魔法での抵抗など、最初から選択肢に入っていない。

 エスコートを受け入れた令嬢は、家のために泣き寝入りだ。


 婚約者のいない令嬢であれば、「お手付き」として、愛人手当を支給される関係になるよう、令嬢の家の当主が交渉することもある。

 爵位の低い家の令嬢は、貧乏貴族の妻になるよりも、裕福な高位貴族の愛人になることを希望している娘もそれなりに居るのだ。

 需要と供給が成り立っていることには、目くじらを立てず我関せずの貴族は多い。

 婚約者のいる令嬢にソレをやるのが、ものすごぉぉくマズイだけで。


 そして、ニコルの年齢とオスカーの年齢が、同級生の御令嬢達の嫌悪感を一層盛り上げている。

 ニコルも、同じ教室に着席している御令嬢達も、今年15歳になる年齢だ。

 対してオスカーは、23歳の第一王子エリオットの年上の元側近で、26歳だ。

 しかもオスカーには、第一王子の側近を外れて関係解消で揉めている、事実婚の25歳の婚約者がいると、情報通の御令嬢の中には噂を聞いている者も居た。


 爵位だけが高くて将来性は無く、調停中らしき事実婚の年嵩の婚約者の存在がチラつく、人格にも難があるのが見て取れる、十歳以上年上の、マトモな職に就いていない男性。

 未来ある教室内の美少女達の誰にとっても、近寄られたら全力で逃げたい事故物件だ。

 根底にあるのが出世欲のみだとしても、15歳になるかならないかの少女に、侯爵家の生まれであるだけの26歳の無職男が、身分を盾に無理強いし、「身分が上の俺様が馬車の密室でモノにしてやるぜ」宣言をかましている。そう見えるのだから、感じる気持ち悪さは半端無い。

 しかもニコルの婚約者は今年14歳の公爵家の令息で、ニコルへの溺愛を隠さない美少年なのだ。

 オスカーのお呼びで無さ加減が酷い。


「な、何だ、貴様ら、教師に向かって不躾な視線を寄越すなど、どういう教育をされているんだ!」


 対応していたエルシーすら無言で、ただニコルを背に庇い、教室内の誰一人言葉を発しないけれど異様な空気を今更感じ取ったオスカーが、周囲を見回し威圧するように吠えるが、十歳以上年下の子供達の誰とも視線が合わず、怯えの気配も伝わって来ない。

 自己研鑽に励んだ子供達は、「無礼だと突っ込まれない程度に、合わせたくない視線は合わせない」のが、とても上手だ。

 この場にマナーの教科担当の教師がいれば、きっと生徒達を褒めてくれただろう。

 生徒達は、お行儀良く自習をしている体で、オスカーの言動を余すところなく記録している。視線は合わせないが。


「ふざけるな‼」


「巫山戯ているのは、どちらでしょうねぇ。ベケット侯爵家のオスカー様?」


「は? な、何故貴様がっ⁉」


 とうとう地団駄を踏んで怒鳴り始めたオスカーに、気配なく背後からかけられた声。

 教室内はヒーローの登場に重苦しい空気が明るい興奮を孕み、振り返ったオスカーは、やられ役の雑魚に相応しい予想通りの台詞を吐いた。


「ニコルに危険が迫ったら、授業中でも報告に来るように護衛に言ってあるんですよ。これは陛下と我が家の当主であるコナー公爵の指示でもあります」


 ふわりと水色の髪を揺らして、垂れ目の美少年が優雅な足取りでニコルに歩み寄る。護衛はニコルの婚約者であるクリストファーに敬礼を取り、場所を譲る。

 それを当然と受け入れて、クリストファーは自席に座るニコルを立ったまま背中から抱き込んで、金茶の髪をゆったりと撫でた。

 似合いの二人が同じ視界に収まると、まるで一幅の絵画のよう。オスカーがニコルに迫ろうと同じ枠に侵入した時とは違い、何の違和感も存在しない。

 細身で成長途上の可愛らしい顔のクリストファーが、優雅な所作で、穏やかな口調で、無害そうな垂れ目で対しているのだが、オスカーは気圧されて言い訳一つ口から出て来なかった。

 それと分かる威圧などせずとも反論を封じたクリストファーは、ニコルの髪を緩く指に巻きつけながら言葉を続ける。


「僕、護衛が呼びに来てすぐに来たから、結構前から見ていたんだけれど」


 誰も、気づいていなかった。

 オスカーだけでなく、教室内の普通の生徒達も、ニコルの護衛達も、クリストファーを呼びに行って「すぐに向かうから先に戻れ」と言われた護衛も、オスカーに反応しないために無の境地を貫いているニコルでさえ、姿を隠さず教室の壁際に()()()()()()()佇み見物していたクリストファーの存在に、気づくことが出来なかった。


 コナー家の正体を、二学年のBクラスの普通の生徒は誰も知らない。それでも、「公爵家って何だかすごいんだな」と感じ、手練を自負するニコルの護衛達は訓練の強化を誓い、ニコルは「クリスがコナー家っぽいの初めて見た」と思い、コナー家の役割を知っている第一王子元側近のオスカーは、卒倒せんばかりに血の気が引いた。


「僕が夜会の参加資格を得る日までの、()()()()()のエスコートは、正式にジルベルト・ダーガ侯爵令息に依頼しているんだよねぇ。この依頼は、同じ内容を第二王子アンドレア殿下の命令としても、ジルベルトは受けている。これは、社交界でも結構有名な話だったと、僕は記憶しているけれど?」


 こてり、と可愛らしい顔でクリストファーが首を傾げると、水色の柔らかな前髪が泣きぼくろをスルリと掠める。

 その様子が何故か、オスカーには酷く、途轍もなく不吉な光景に感じられた。

 影を縫い留められたように、言い訳も逃亡も土下座も出来ないオスカーに、まだ細い少年貴族らしい指を可憐な唇に当てて、クリストファーは宣告する。


「ベケット侯爵令息は、『剣聖』が主君である第二王子殿下の命令と、()()()()()()()息子である僕の依頼で正式に受けた、()()()()()()()()()()僕の婚約者のニコルのエスコートを、()()()()()()()()()()()()割り込もうとしていたね?」


 クリストファーに並べ立てられ、告げられた事実は、死刑宣告に等しい。

 やらかした内容を考えれば、当然の帰結である。26歳の貴族の男が、家紋の封蝋を使って自筆の書面で物的証拠を制作しての、やらかしだ。「そんなつもりじゃなかった」が通じる筈がない。


「流石にこれは穏便に済ませられないよ。僕の一存では貴方の処分を決めることも出来ない。けれど、やったことの重さを鑑みれば、貴方をベケット家に帰すことは出来ない。拘束後はコナー公爵家の本邸にて、沙汰が出るまで謹慎してもらうよ。抵抗はしないで。いいね?」


 婚約者の髪をゆるゆると綺麗な指に巻きつけながら、最後まで声を荒らげることなく必要事項を伝えたクリストファーに、オスカーは、ただただ理解不能の恐怖を覚え、出来の悪い彫像のように生気を消して固まっている。

 誰が呼びに行ったのか、使用人待機室に居た筈のコナー家の護衛が現れ、手早くオスカーの身体と口を拘束して運び出した。


「大丈夫? ニコル。助けるのが遅くなってゴメンね?」


 仔猫のように首を曲げてニコルの顔を背中から覗き込むクリストファーの表情は、あどけない。

 ずっと只管、無の境地を己に課していたニコルは、心の底から叫びたかった。

 いや、心の中で叫んでいた。


(誰だよ、お前‼)


 と。

ニコルは、クリストファーが前世の兄と口調や態度の変わらない「素」の状態と、人前で演じる「可愛い僕キャラ」は見慣れてますが、きちんと「コナー公爵家の令息」という姿を見たのは初めてなので動揺しています。


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