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「後継者争いを防ぐために幼い王子が去勢されるお国事情」に関連して、人によっては地雷になる内容が記述されます。
お気をつけください。
クリストファーとジルベルトしか生きて入れない小部屋まで、今日も変わらず視姦のような視線を浴びながら、殺気を放出するクリストファーに先導されて到着し、新規入荷の毒入り銘酒を楽しみつつの情報共有中。
クリストファーが頭を抱えて叫ぶ。
「ちょ、待っ、ヒューズ公爵家執事長の『使用人ネットワーク』⁉ 何だソレ怖ぇ‼」
「コナー家は入っていないそうだ」
「当たり前だろ! 入ってたら面目丸つぶれだってーの!」
「確かに」
朱色の辛味の強い酒を舐めるように味わいながら、ジルベルトは同意する。『火蜥蜴の接吻』と名の付く猛毒が混入された酒は、本来ならば飲めば内臓から焼け爛れる代物だ。
元の世界とは些か違った生き物や植物も存在するこの世界だが、魔物や魔獣といった類のモノは存在しない。それらは元の世界と同じように、物語の中の存在だ。山や森の奥地に象レベルの大きさの狼が群れていても、角の生えた人食い熊が存在していても、それらは魔獣ではないのだ。
だが、この毒の名前に使われた「火蜥蜴」は実在する。別に燃えている訳ではないし、火を吐いたりもしない。赤い色をした蜥蜴の一種で、体表が毒液で覆われ、口腔内からも猛毒を分泌する。ただし、火蜥蜴の毒は神経毒なので火傷の効果は無い。『火蜥蜴の接吻』の原料は、この世界独自の植物と元の世界でも存在した鉱物だ。
クリストファーの講釈を聞いて、ジルベルトは「紛らわしい」と思った。固有名詞は語感や雰囲気で付けられているものも多いので、原料と実在する毒性生物が無関係のことはよくある。
主の毒殺阻止に必要な勉強だけでも結構時間を取られるので、何か良い方法が無いか、ジルベルトはニコルにも協力を要請していた。外に出せないモノを創り出すことも多いが、ニコルの開発者としての能力は全面的に認めている。
毒の講釈を間に挟みながら、互いの持つ情報を摺り合わせれば、クリストファーもモスアゲート国王とクリソプレーズ国王が密書にて交わした正式な契約を知っていた。
第二王子執務室が陛下より命じられた動きを伝え、モーリスの想定外な情報源に吃驚され、ジルベルトがコナー家の新情報を促せば、クリストファーは可愛らしい美少年顔を歪めた。
「フローライトからの留学生の続報は未だ無ぇ。けど、フローライト王国自体が腐敗が進んでキナ臭ぇぞ。フローライト国王を骨抜きにした寵姫はフローライト王国の将軍家の娘だ」
フローライト王国の国王は、大陸のこちら側とは文化や思想が異なるだけで、民に圧政を敷き私利私欲に耽る愚王というわけではなかった。
大陸反対側の文化圏の中では、国民の幸福度の高い豊かな国として知られていた筈だ。国王が御落胤を濫造して王族周辺で血で血を洗っていても、下々の生活まで影響することは然程無かったからだ。
だが、フローライト王国の『剣聖』に加護を与える妖精が、人間と意思疎通可能なレベルで言葉を交わせると知られてからは、国王は一人の寵姫の傀儡のような有様と聞く。公務は疎かになり、民に関心も無くなっているという声は年々高まっていた。
軍部による王位簒奪の可能性を孕む国への危機感を持った各国は、フローライト王国に間諜を放った。遠隔地ではあるが、クリソプレーズ王国も各国に倣っている。
間諜らの活躍により現段階で得ている情報を総合すれば、元々寵姫の一人であった将軍家の姫は、『剣聖』に加護を与える妖精が人間と意思疎通可能と知れた後、将軍である父親の命令で後宮内のライバルを次々と蹴落とし、瞬く間に唯一人の寵姫となっていた。
王の寵を争う戦いなど日常茶飯事で以前からあったことだが、女同士の戦いは結果が出るまでじわじわと待たねばならない遅効性の毒のようなもので、寵姫の間の戦力は拮抗していた。そこに国軍トップの将軍が本気で本腰を入れて娘をバックアップしたことで、人権の無い女性であるライバル達に抵抗の術は無く、瞬く間に決着がついたようだ。
また、どの国の間諜も証拠は掴めていないが、フローライト国王自身も麻薬に類する何かを使用された可能性が見られるらしい。
フローライト王国の『剣聖』は、国王の専属護衛でありながら王命で側を離れる任務を与えられ、近くに呼ばれるのは寵姫を隣に侍らせた状態での「妖精の話を聞くための」謁見のみだと言う。
現在のフローライト王国は、周辺の友好国以外からは敬遠されている。
妖精の話は、最初に発見されたフローライト王国の『剣聖』の妖精の要望により、『剣聖』とそれを目指す人物の存在する各国で共有することになっているが、ジルベルトに加護を与える妖精達の話では、人間達が、妖精が愛する『剣聖』を利用したり害することが難しくなるよう言葉や態度で誘導しているそうだ。
それは今も続いている。
クリソプレーズ王国では、国王や軍人や有識者がジルベルトを召喚して、「妖精の話を聞かせろ」などと要求することは無い。せいぜい妖精が姿を現して話しかけたら、内容の報告義務があるだけだ。それも厳しく取り調べられるわけでもないので、ニコルの屋敷やクリストファーの小部屋で呼び出した妖精との会話は報告していない。
人目のある場所では夜露死苦なコスプレで現れるジルベルトに加護を与えている妖精は、フローライト王国や他の国の『剣聖』の妖精が伝える以上の内容を言葉にしない。
フローライト国王が寵姫に強請られて聞きたい答えは、今も、どの国の『剣聖』に加護を与える妖精からも得られていないようだ。
妖精の力で多くの人間を一度に従えることが可能か、妖精の力で何も無いところから食糧や金属を生み出すことは可能か、加護を多く得る方法は何か、他人の加護を譲り受ける方法は無いのか、妖精が人間の世界の王を指名することはしないのか、妖精の妻に人間の女は選ばないのか、他にもあるが、この手の欲望まみれの質問が執拗に繰り返されて来た国もある。
ジルベルトは、自分が生まれた国が、合わない思考の王を戴いていなくて良かったと、妖精経由で他国の『剣聖』の現状を聞いて思った。
クリソプレーズ王国以外の『剣聖』全員が、妖精が答える気の無い質問に煩わされているわけではないが、フローライト王国に出し抜かれてはならぬと自国の『剣聖』の自由を不当に奪う国もあるようだ。
とは言っても、妖精に愛される『剣聖』に対して明らかな脅迫や危害を加えるなどは出来ず、丁重に軟禁されている状態らしい。
つくづく自分の置かれた環境に感謝だとジルベルトは思う。
「何年かけても思うような答えが得られないことに業を煮やしたのか、フローライトは自国の『剣聖』からだけ聞き取りをする穏便な現状を打破する動きに出た」
クリストファーが口にする「穏便な現状」は、勿論皮肉だ。『剣聖』を不当に扱っているフローライト王国の現状が、真実穏便である筈がない。
「フローライト国王自身の意思なのか寵姫の意思なのか、寵姫の父親の将軍の考えたことかは知らねぇが、今、フローライト王国の影が向かってるのは『剣聖』が居る国々だ」
フローライト王国で『影』と呼ばれる組織は、クリソプレーズ王国のコナー家と似た役割を持たされた組織だ。
「では、フローライト王国からくる御落胤の留学生は、あの国の『影』か?」
「王の血を引いた男を後継者候補でもないのに『影』の訓練をさせて力を付けさせるってのは、今イチ釈然としねぇな。それに気に入った女の子供だからと飼い殺すために残す王子は、幼い内に去勢される筈だ。うちの諜報員が一羽目の鳥で『留学してくる男』の瞳の情報を運ばせたってことは、見た目が男以外有り得ねぇか立ちションでも目視して確実に男だと認識してるかだ。奴がもっと王都に近づいて複数の目で確かめてからアンドレア殿下には報告するが、フローライトからの留学生は去勢されてねぇ確率が高い」
「私もそう思う。その『留学生』に向けて放ったコナー家の諜報員が生死不明と言うならば、かなりの手練だ。成長がその性として完全ではなくなる肉体の持ち主ではなかろう。幼少期の去勢は見た目が男性的でなくなるだけではない。この世界の医療知識に性ホルモンの概念は未だ無いからな。男児が幼い内に性器を失っても健康に成長出来るような、医術的配慮が為されることは無いだろう」
パーカー家が廃絶される原因となった当主のランディの不手際として、あのガタイと身体能力のハロルドを「加護を授かる以前の幼少期に、姉達の虐待で男性機能が正常に働かなくなる傷を負った」と公表しても誰も猜疑の目を向けなかったのは、クリソプレーズ王国には幼い子供を去勢するような習慣が無いからだ。
子種を撒き散らされてはマズイような立場の成人男性の罪人への刑罰の一種として、そのような措置はあるが、「後継者争いを未然に防ぐために罪無き幼子を去勢」などしたら、クリソプレーズ王国では犯罪だ。
クリストファーとジルベルトは前世の知識から、「幼い内に性器を失った男性が、男性として生きるための治療もせずに『何処からどう見ても絶対に男』という外見の青年には育たない」ことを知っているが、クリソプレーズ王国でそれを知る人間は、ほぼ居ないと思われる。
それに、『相手が男だと認識している諜報員』が、気取られ逃げ遅れ始末されるような身体能力を持つのも不自然なのだ。
コナー家の諜報員は訓練されている。訓練には、警戒の仕方を対象の性別や体格や推測される加護で変えることも含まれる。
「てことは、考えられるパターンは幾つかあるが。先に『影』が与えられてる任務の話な」
「ああ」
聞く態勢になったジルベルトから何故か視線を外し、空のグラスの中で氷を転がしながらクリストファーは言い切った。
「他国の『剣聖』の誘拐か暗殺だ」
「・・・・・・は?」
フローライト王国の『影』に任務を与えられるのは国王唯一人だった筈だが。
と、言うことは、それは『王命』である筈で。
「・・・は?」
ジルベルトは、自分が耳にした言葉の、あまりの信じ難さに反応が著しく鈍くなる。
「え? 馬鹿なの?」
衝撃で、前世の一般女性であった頃のような反応まで出て来てしまう。
クリストファーは、ただ得た情報を伝えているだけなのに居た堪れなくて顔を更に背けた。
「他国の『剣聖』にちょっかい掛けるのは宣戦布告と同等って、国政に少しでも関わる人間なら常識じゃなかったっけ?」
「・・・ジル、口調が崩れてる」
何ら非の無いクリストファーが、申し訳無さそうにジルベルトに申し出る。
ハッとした風に暫し硬直して、ジルベルトは艷やかな黒髪を掻き乱した。
「衝撃のあまり魂が本体から飛び出していたようだ」
「うん。気持ちは分かるが、俺達それシャレに聞こえねぇからな?」
「王命で他国の『剣聖』に手を出すのは、公の場で国王が他国の国王を明確に侮辱するのと同レベルの、謝罪の機会も与えられない宣戦布告だぞ」
「うん。俺もソレは知ってる。国政に関わるなら常識だ。てか、他国の要人と会う可能性がある家の人間なら平民の子供でも教えられる」
フローライト王国の『影』は王命で動く。それが他国の『剣聖』の誘拐もしくは暗殺を目的として出国した。
この大陸で、フローライト王国以外に存在が確認されている『剣聖』は、ジルベルトを含めて現在六人だ。それぞれ国が異なるから、フローライト王国は六カ国に宣戦布告することになる。それも、『剣聖』を抱える国に対してだ。
「勝てると思ってるのか? 勝算があると?」
「あるわけねぇだろ。何も考えてねぇから出た『王命』だ。そもそも一介の『影』に『剣聖』の誘拐や暗殺が出来て堪るか。束になっても無理だ」
クリストファーが口にした言葉は事実だ。クリソプレーズ王国に於いても、コナー家の精鋭が束になったとしても、本気を出したジルベルトには敵わない。同等の加護を持つクリストファーはジルベルトと敵対することは無いのだから、コナー家の側に勝機は無い。
フローライト王国の『影』が、クリストファーに鍛えられたコナー家の精鋭達より凄腕だとも思えない。『剣聖』と互角に戦うことさえ不可能だろう。
「うちの国にはフローライト王国の『影』は向かってねぇんだ。てことは、やっぱ留学生が『影』と同じ任務を負ってるんだろうけどさぁ。そいつ、すげぇハズレ籤引かされたよな。一人でうちの国に来てジルを狙わされるとか」
「同情の必要は無いが、まぁそうだな」
「ジルに手が届く前に変態犬の餌食だろうなぁ」
「そういえば、また物騒な魔法を編み出していたぞ。私を煩わせる者どもを溶岩の海に沈めるとか何とか」
「『剣聖』に次ぐ剣士で騎士なのに惨殺方法は魔法かよ」
顔を引き攣らせるクリストファー。フローライト国王の発した王命の衝撃で飛んでいた平常心が戻って来た。日常を思い出させる会話が功を奏した形だが、日常会話が変態犬考案の惨殺魔法と、えらく物騒だ。
「まぁ、そいつがどう殺されるかはどうでもいいとして、何者だと予想する?」
仲間が留学生を惨殺するのはどうでもいいと言い切るジルベルトが気にするのは、話を聞くほど高まる、その留学生の特殊性だ。
国王の署名や印璽の必要な本物の偽造書類を持たされた御落胤。後継者候補ではないにもかかわらず、他の飼い殺し用王子のように去勢されている様子ではないし、放逐もされていない。おそらくだが、『影』がチームで与えられる内容の任務を一人で背負わされ、コナー家の諜報員に気づいて始末するだけの腕を持っている。
「まず考えられる一つ目は、その御落胤は将軍家の関係者の可能性。将軍の娘が産んだ王子は正式に後継者候補に入ってるが、例えば将軍家の傍系の女が母親で将軍が手駒にするために後ろ盾になってるから、去勢されず訓練を受けて育てられた。で、将軍の命令でクリソプレーズの『剣聖』を狙いに来る」
クリストファーが、気を取り直すように新しいボトルを開けて可能性を挙げていく。深いエメラルド色の酒だ。水辺の花のような芳香と微かな苦味を感じる度数の高い酒。何の毒が入っているのか、ジルベルトにはさっぱり分からない。
「無い話ではないな。留学生の母親が判明すれば、その線が確定するか消えるかハッキリするだろう」
「ああ。調査には、もうちょい時間がかかりそうだ。あ、ソレ『深海の眠り』入りな」
「・・・そうか。美味だ」
告げられた毒の名前に平然とした表情を保ちながらも、少々反応が遅れた。『深海の眠り』は眠りながら苦しまずに死ねる毒ではあるが、原料が複数種類の毒虫なのだ。虫食など出来ないと繊細ぶる気は無いが、これに関しては原料をしっかりと見知っているため、その蠢く姿を脳内に再現してしまえば、あまり気持ちの良いものではない。
「二つ目は、その留学生が、実は隠されてる本命の後継者候補って線。後継者候補なら去勢はされねぇし教育も受けられる。で、『王命』で来る」
「そいつが与えられている『王命』が他の『影』とは違うものなら、その線もあるかもな」
「まぁ、後継者候補なら、あんなアホ過ぎる『王命』背負わせねぇよな。『影』に与えたのが本命から目を逸らすフェイクとして、フローライトの窮状を、国で実権握っちまってる奴らの影響の無さそうな遠くに知らせる『使者』の役なら、有り得ねぇ話じゃねぇし」
他の『剣聖』が居る国に放たれたのは『影』のチームだが、クリソプレーズ王国に来るのは留学生一人だけだ。腕が立つとはいえ、一人で『剣聖』を誘拐もしくは暗殺して来いと言うのは、いくら何でも現実が見えていなさすぎる。
フローライト国王が既に正気を失っているならば、『影』と同じ使命を受けているのかもしれないが。
「んで、三つ目。一番当たって欲しくねぇけど、一番可能性高いと俺は思ってる」
「・・・なんだ」
ジルベルトも想像しないではなかった可能性なので、溜め息を吐いてからクリストファーを促す。
「留学生は『ナニか』による転生者。見た目17歳前後なら、予想できる年齢的に、去勢される前の時期に前世の記憶を持つ幼児になってるだろう。上手いこと生き延びて力を付け、厄介な実力者に成長して御来訪」
「まぁ・・・転生者だと仮定すれば、手に入っている情報だけを見れば、頭も回り肝も据わった人間の記憶を持ち、現在は、この世界での実力まで身に付けてしまった奴だろうな」
厄介だ、と言外に滲ませ、ジルベルトは嘆息した。
その特殊性から思索して結論を出せば、自分達以外にも転生者がいるのだと知る彼らには、それが最も「有り得る」答えだと導き出される。
間諜から伝えられるフローライト王国の現状から考えて、寵姫の子でもなく将軍家の後ろ盾のある子でもなければ、17歳前後の後継者候補ではない王子が幼少期の去勢を免れ、コナー家の諜報員に気づいて始末するほどの実力を備えているという事実に、他に納得のいく理由が無いのだ。
一度目でエリカを唆していた『黒幕』に辿り着くには、エリカ以外の『ナニか』による転生者に当たらなければならないのだから、わざわざ近くまで来てくれるならラッキーだと思ってもいいのかもしれない。
だが、どうにもエリカと違って一筋縄では行かなそうな臭いがプンプンとする。エリカは前世のジルベルトの仕打ちによって前世の記憶を思い出せずに転生していたが、フローライト王国から来る留学生は、強かに生き抜く知恵を持った大人の記憶を使い熟せる転生者だと思われる。
自分達の戦力なら、殺すのは簡単だ。だが、転生者なら話は聞かなければならない。それも、主君である王族には知られぬように。
「まぁ、違う可能性もあるしな。取り敢えず確認するか」
「一応、他の線もあるし。違うなら諜報員の配分変わるし頼むわ、ジル」
「ああ」
ジルベルトはサイドテーブルにグラスを置いて呼びかけた。
「質問に答えてもらえますか。妖精よ」
『はい』
ジルベルトの膝の上でニコニコと膝を抱えて座る、青い髪と瞳の小型モーリス、に見える妖精。
((あ、またこっちのパターンか。))
難しい話は、しないつもりだな。
サラリーマン風が現れなかったことで悟った二人は、質問内容を頭の中で練り直した。