七つの味
夏休み明け前日、追加する護衛を確認するという名目で、ジルベルトはニコルの屋敷を訪れていた。
いつものように、表向きは婚約者だから、王命ではニコルの護衛のために、実態は護衛兼ただ会いたいからで、ニコルの隣ではクリストファーが既に寛いだ様子で茶を飲み菓子を摘んでいる。
王妃たっての願いで軟禁生活を送っていたニコルは、持て余した暇な時間を商品の開発に費やしていたが、三人揃ったお茶会で満を持して満面の笑みで流通前の新商品らを披露した。
ジルベルトとクリストファーの目が、若干遠くを見るように虚脱する。
「やーっと完成したの! これが、前世のジルベルト様が京都から取り寄せていた七味唐辛子を再現したもので、こっちが前世のジルベルト様が合わせ味噌として普段使っていた味噌を再現したもので、これは、ようやく開発に成功した蒟蒻!」
ニコルの意図は分かる。
ニコルは前世で栄養失調で死ぬ間際、「もう一度お母さんのご飯が食べたい」と願いながら死んだのだ。
しかし、その執念に、前世の母と兄は「うん、こういう子だったな」と少しばかり遠い目になる。
この世界では、前世で暮らした世界とほぼ同じ植物が手に入る。だが、それらが前世と同じ用途で利用されていたり、人々の生活に浸透しているとは限らず、入手のしやすさも前世と同じではない。
七味唐辛子の材料になる植物の中には、薬の原料と認識されているものや、植物専門の研究者でもなければ知らないものも含まれ、国内で栽培していないものを入手するには相当の時間と労力と費用がかかった筈だ。
味噌など、製法からして一般に知られている限りではこの世界には無い。
蒟蒻に至っては、この世界では、まるっきり未知の物体だろう。
「七味があれば、前世のジルベルト様の得意料理、『ディアボロ的チキン』が出来るでしょ? ちゃんと辛味大根と茎山葵も探し出して敷地内の研究菜園で栽培してるし、旨味の強い地鶏も交配して良い感じに仕上がってるから!」
夢見る瞳で捲し立てるニコルが言った「ディアボロ的チキン」は前世のジルベルトが、よく作っていた鶏肉料理だ。
ファミレスのディアボロ風チキンを真似て、スパイスは七味唐辛子で、野菜のソースは辛味大根をメインに摩り下ろし玉葱を水分補給程度に混ぜて、刻んだ茎山葵を彩りに作っている。チキンも胸肉を使用して、ファミレスのものとカロリーが大して違わないにも関わらず、何となくヘルシーだから沢山食べても良いような気がしてしまう、まさに悪魔的なチキンソテーだと娘は思っていた。
大好物だったので、母と再会したからには、是非とも作っていただきたい一品だ。
「それに、七味と味噌と蒟蒻があれば、『熱々辛辛豚汁』も出来ると思って頑張ったんだ! 豚はストレスフリーの放牧タイプで美味しく育ててみたの! 当然、根菜類も厳選して研究菜園で改良を重ねて栽培したよ!」
豚の脂がキラリと光る濃厚なピリ辛の豚汁は、真夏に汗だくになりながらでも、絶対におかわりをする大好きな一品なのだ。作り手が存在するのに諦められるものではない。材料が無ければ造ればいいのだ。
「味噌が再現できたから、海から鯖を鮮度を保って運んで来れば鯖の味噌煮も出来るでしょ? 牛も赤身の味が濃い短角牛を安定して生産できるようにしたから、『牛肉と牛蒡の土手鍋』も食べたいなぁ。あ、土鍋も職人達に焼かせておいたから!」
鯖の味噌煮は特にアレンジを加えたものではないが、「牛肉と牛蒡の土手鍋」は、土鍋に味噌を塗って牛脂で炒めた笹がき牛蒡と牛肉の切り落としを投入し、市販の顆粒スープの汁を注いで煮た、前世のジルベルト的には手抜き且つ給料日前でも牛だから豪華っぽい適当料理だが、ニコルの思い出の中では随分なご馳走になっているようだ。
ジルベルトの目が、更に遠くを見るように現実逃避を図り始める。
「米も前世最高級レベルの食味に品種改良済みです! 米糠があるから、」
「糠漬は時間が無いから作ってやれないぞ」
現実逃避から戻ったジルベルトが先制すると、目に見えてニコルがシュンとしたので、クリストファーの「どうすんだよ」の視線を受けて代替案を出した。
「・・・ピクルスと燻製なら作って置いていってやる」
「ありがとうございます! ジルベルト様!」
物凄く立ち直りが早い。頬杖をついて遣り取りを眺めていたクリストファーが、呆れた声を出す。
「お前、そんだけ食い意地張ってんのに、よく栄養失調で死ねたな。生活に困窮だってしてなかっただろうに」
「まぁ、ね。色々思うところもあったし」
ニコルの逡巡するような物言いに、「しまった」という顔のクリストファー。
ジルベルトは二人をじっと見つめた。隠し事をされていることに気づいたのだ。
そして、その隠し事は、絶対に隠蔽したい類のものではなく、隠しているけど言おうかどうか迷っている内容だと見当をつけた。絶対に隠蔽したいものならば、この二人は無意識下でも気取らせずに隠し通せることを、ジルベルトは知っている。
「私が死んだ後のことは今まで詳細は聞いていなかったな。何があった?」
ニコルとクリストファーは目を見合わせ、頷き合った。先にニコルが話し出す。
「前世のジルベルト様が死んでから7年後、貰っていた『リスト』の一人で不動産会社経営をしている人が亡くなったの。セキュリティのしっかりした物件を紹介してもらったり、急な引っ越しが必要になった時にも、私も前世のクリスも凄くお世話になったんだけど。お葬式でも、ニュースでも、商売敵が雇った殺し屋に狙撃されて死亡って言われてたんだ」
「商売敵が殺し屋を雇って狙撃? 私が死んで7年で、日本はそんなに物騒な国になったのか?」
ジルベルトの知るその男は、不動産を扱う羽振りの良い社長ではあったが、地上げ屋でもなければ一代で急激に資産を増やした成り上がりでもなく、彼を殺して有利になる後継者候補もいなかった。
腹が黒い分、立ち回りは上手かったから、不要な恨みを買う商売はしていなかったように思う。
大体、商売敵が殺し屋を雇って狙撃など、ジルベルトの知る日本での殺され方ではないように感じる。もし殺し屋に殺されるのだとしても、狙撃などではなく、所謂「鉄砲玉」に至近距離で銃弾を撃ち込まれるか、刃物か撲殺かだろう。狙撃という手段が取れるような殺しの専門家なら、もっと事故に見せかけたような目立たない殺し方だって出来た筈だ。
「いや。流石にそれは無ぇ。ジルが今、不審に思ったように、俺も何か変だと思ってた。後から考えれば、最初のアレは、『警告』だったんだろうな」
「あいつら、何をしてたんだ?」
クリストファーの口にした「最初の」という文言で、不審な死には続きがあることを予測して、ジルベルトは問う。
問いにはニコルが答えた。
「その8年後、やっぱり『リスト』の一人で凄くお世話になった弁護士先生が刺殺体で発見されたの。その少し前に先生が勝った裁判の敗訴した原告側の関係者が自首したらしいんだけど。逆恨みで滅多刺しにしたんだって。けど、先生は当時ボディガードを雇ってたんだよね。交代制で24時間ガードされてた筈で。だけど、その時当番だったボディガードが、ずっと離れた郊外の、監視カメラも無いような寂れた道路で、ひき逃げされた死体で発見された」
「警告を無視したから消されたということか」
「多分な。俺もあの人達が何に手を出してヤバいことになってたのか知らねぇんだ。聞いたら巻き込まれると思って訊かなかったしな」
「いい判断だ」
不動産会社社長と弁護士、前世のジルベルトが大切な子供達を自分の死後に託してもいいと思えるくらい、信頼に値し、様々な力を十分に持っていた男達だ。端金で雇える程度の殺し屋に簡単に殺される雑魚ではないし、不審死を遂げて適当に捜査を切り上げられる階層の人間でもなかった。
平等を掲げる民主主義の国だって、公的機関でさえ実態は平等など夢物語だ。地位や名誉や権力を持つ人間と、そうではない人間が、同じく扱われるのは余程余裕がある場合だけだ。
彼らには、それなりの地位も名誉も権力も財力も人脈もあったのだ。だから、ごく普通の民間人から向けられる害意からなら十分護れるだろうと、子供達を託した。
そんな彼らの死の真相を隠蔽し続けることが可能なほどの、更に上を行く地位や名誉や権力、財力に人脈を持った相手を敵に回して消されたのだとすれば、関わるのは得策ではない。
下手に関われば彼らでは護りきれないし、彼らに対する人質にもなっただろう。既になっていた可能性は高いし、彼らの行動の枷には確実になっていたと思われる。
だが、一体彼らが何に首を突っ込んでいたのかは、ジルベルトには皆目見当がつかなかった。
「私が渡した『リスト』には四人いただろう。全員消されたのか?」
「どうだろう。私が知ってるのは、その二人だけ」
ニコルが首を振ってクリストファーに視線を流せば、クリストファーは苦虫を噛み潰したような顔で、ニコルにも黙っていた前世の事実を口にした。
「お前が死んだ2年後、新興宗教団体のテロ行為として、繁華街の複数箇所に爆弾が仕掛けられ、犯行声明と同時に爆破された。ちょうど賑わう時間帯で死傷者も多数出たが、木っ端微塵に吹っ飛んだのは、『リスト』のクラブオーナーのホストクラブだった。店ごとあの人も爆破されて粉々だ」
「あいつの店は都内でも一等地にあっただろう。それで多数の死傷者まで出しても捜査がおざなりだったのか?」
「ああ。報道も、テレビや新聞じゃすぐに収束して、芸能人の不倫や離婚のニュースが席巻した。ネットでも日本語のニュースは一週間もすりゃ出回らなくなったぜ。清純派で売ってたまだ十代の女優に隠し子騒動とかで持ち切りになってた。ホント、あの人ら、何を敵に回してたんだろうな」
ジルベルトは唇を引き結んで黙り込み、ニコルも初めて聞いた前世の自分の死後の惨状に顔を強張らせる。
ニコルにとって、世話になった『リスト』のおじさん達は、絶対の信頼を持って全てを預けられる母や兄ほどではなくても、「母が信頼して自分達を託した」という点で、数少ない「味方」と思える人達だったのだ。その人達が、謎の強大な力で次々と消され、真相を明らかにすることは、もう出来ない。言い表せない気持ちの悪さが胸底に蟠る。
「もう一人はどうした」
ジルベルトが訊くと、クリストファーは首を横に振った。
「その3年後に俺がストーカー女から通勤快速の前に突き落とされた時には、生きてたと思う。有名人だし死んだらニュースになっただろうから。てか、あの人ほとんど日本にいなかったし、他の三人ほど接点無かったからな」
『リスト』の四人目は、写真家で冒険家の男だ。根無し草のようなもので、前世のジルベルトが死んでからは、ほとんど日本に帰国も滞在もしていなかった。
写真家として名が知れていて、写真集も何冊か出していたが、彼が唯一執着する対象が死んでからは、日本では個展も開かず、メディアに出ることも無くなった。世界各地を放浪しては、日本以外の国で個展を開き、そちらのメディアで堂々と現地の言葉で流暢にインタビューを受け、旅費が出来たら旅立つような暮らしぶりだと、他の三人から、前世のニコルとクリストファーは聞いていた。
年齢は、母より四歳下だと聞いていたから、前世のクリストファーが死んだ時点で66歳だ。文明の発達したあの世界で、いくら未開の地も込みで放浪していたとしても、まだ寿命で死ぬ年齢ではない。
「クリスより後に死んだ日本人が転生してれば、何か聞けるんだろうけど」
ニコルがポツリと零した言葉に、クリストファーとジルベルトは反応しないように堪えた。
『ナニか』に魂を捧げた、敵か味方か分からない人物の中に転生した異世界人が居ることは判明しているが、それは呪いにも関わってくる話なのので、ニコルには聞かせられない。
「あ、でも、七味とか味噌とか蒟蒻を世に出せば、もし居るなら釣れそうだよね」
「やめろ」
前世でも聞いたことのない、否、自分には向けられたことのない兄の強い口調に、ニコルはビクリと肩を揺らして目を見開く。
宥めるようにニコルの肩に手を置いて、ジルベルトも静かに諭した。
「私も反対だ。もし同じ世界の同じ国の同じ時代からの転生者が居たとして、それが味方とは限らない。もしも害意を向けて来る相手だったとして、その転生者の今の身分が我々では太刀打ちの出来ない権力者だったらどうする? 日本食を開発することが出来る転生者のお前を得るために、国を挙げて戦争を仕掛けてくるような相手だったら?」
「・・・ごめんなさい。軽率な発言でした」
元の世界の記憶を持ったまま異世界に転生して、舌に馴染んだ元の世界の食事を渇望する内容の物語は多くあった。ニコル自身が、前世の好物をもう一度食べたい執念で、手間も時間も費用も惜しまず開発に励んだ自覚がある。
独裁的な支配者タイプの人間が、もし強国の最高権力者に転生していたら、欲しいモノを得るために戦争を仕掛けるくらいするかもしれない。
たとえ一国に戦争を仕掛けられても、今のジルベルトやクリストファーが簡単に負けるとは思えないし、ニコルも本気を出して全力で抵抗や攻撃をすれば、相手も妖精と相思相愛でもない限り、負ける気はしない。
だが、その時は今の生活は全て捨てることになるし、ジルベルトとクリストファーにも捨てさせることになる。
ニコルのためなら、二人は国の一つや二つ滅ぼして、一緒に人目の届かない人間が入り込めないような場所まで逃げて、三人で隠れて暮らしてくれるだろう。けれどそれは、ニコルの望むことではない。
クリストファーは、何だかんだ今の生活を楽しんでいる。国の暗部を司る家を掌握して、危険な任務も血腥い仕事もイキイキと遂行している。
ジルベルトは、今生、この世界に大切にしたい人達が新しく出来ている。
二人の『今』を、自分の思いつきのせいで失わせるなんて、絶対に嫌だ。
「分かりゃいい。少なくとも味噌と蒟蒻は外部に漏らすな。あの二つは偶々なんて言い訳は効かねぇ」
嘆息してクリストファーも、ニコルの頭に手を置いて諭すように言う。
「七味唐辛子はいいの?」
「名前を変えりゃ、既存のスパイスや薬草の実をブレンドしたモンだからな。瓶の形状もクソお洒落な洋風にしとけ。んで、原価に見合った超高級品にしろ」
ニコルの肩に手を置いたまま二人の会話を見ていたジルベルトは、ふと思いついたように口を開いた。
「『虹の橋』はどうだ?」
「ジルベルト様、七味だから七色に掛けたの? 悪くないと思うけど、あんまりジルベルト様らしくないネーミングだし、それってレインボーブリ」
最後まで言う前に、ニコルはハッとしてクリストファーと顔を見合わせる。
「何となく思いついただけなんだが、それで良いような気がしなくもない」
ゴクリとクリストファーの喉が鳴った。予言者めいた、前世から外れたことの無いジルベルトのカンだ。
その、前世の某所の地名と同じ商品名で世に出される、京都の有名店と同じ味を再現した七味唐辛子に、釣られる者が出たとしても、それは良い結果になる。
クリストファーの中で、それは確定事項となった。
「よっし、お姫様の香水瓶よりお洒落で高級感のある瓶をデザインして、瓶の値段込で貴族令嬢の婚礼衣装より高価な商品にするよ」
早速デザイン画に取り掛かるニコルに、彼女が熱望していた料理を作るため、ジルベルトは「厨房を借りるぞ」と声をかけて立ち上がる。
「あ、じゃあ俺、研究菜園の収穫手伝うわ」
自然な流れで立ち上がるクリストファー。
ニコルには聞かせられない内容で、話し合わなければならないことが増えそうだ。
言葉は交わさず視線も意味は含ませず、ニコルの屋敷の使用人達にとっては優雅で自然な所作にしか見えないハンドサインを送り合い、ジルベルトとクリストファーは魔法の空調が完備された研究菜園へ向かった。
年度末繁忙があまりに酷いので、一週間ちょっと次の本編投稿まで空きます。
その間、この章から名前付きの登場人物が急増する予定なので、二回に分けて現在までのメインストーリーに関わる登場人物の人物紹介を予約投稿しておきます。