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悪夢

 第一王子執務室。音も無く現れたウォルター・コナーに、第一王子エリオットは虚ろな目を向けた。

 室内に、かつて居た多くの側近の姿は一人分の影すら無い。唯一人残された側近である専属護衛も扉の外だ。

 公式な側近ではないが、誰よりも固く忠誠を誓ってくれた目の前の男を見上げ、エリオットは目と同じ虚ろな声で言った。


「お前は残ったのだな、ウォルター。───ああ、主を替えたのか」


 エリオットは気がついた。

 ウォルターが第一王子の近くに残されたのは、彼を支える為ではない。監視する為だ。

 ウォルターに黙礼だけで肯定を示され、もう言葉すら交わす気が無いのだと、エリオットは忠臣だった男を苦く見つめた。

 分かってはいたが、もう自分は終わりなのだ。命を取られないだけで、死にながら生きなければならない敗者なのだと実感し、エリオットは重い溜め息と共に言葉を吐き出す。


「お前がコナー家の監視であるならば、私は見えないものと認識して振る舞おう。私一人しか居らぬ部屋の中だ。独り言くらいは自分に許したい」


 感情の覗えない空色の瞳をぼんやりと視界に収め、エリオットの独白が始まった。


「十四年前より、私は夜毎悪夢に苛まれるようになった」


 目も声も、虚ろに佇むかつての主君の口から出た「十四年前」という時期に、ウォルターは眉を顰めそうになるが、表には何も出さないよう耐えた。

 ウォルターは覚えていたし、ずっと気に掛かっていたのだ。十四年前は、主君であったエリオットが一切心からの笑顔を出すことが無くなった時期と一致する。その憂いの源を話してもらえる程の信頼を得られなかった自身を、ウォルターは恥じた。


「夢の中で弟は、3歳の傲慢な愚か者と呼ばれていた頃のまま、()()()()()()()()()()()成長していた」


 元の天才に戻る?

 ウォルターは疑問を持ったが、口を挟むことはしない。言葉を交わす指示は()から受けていない。エリオットも、ウォルターをいないものと認識して言葉を紡いでいる。


「夢の中、弟の側近の顔ぶれは現実と変わらぬが、モーリス・ヒューズは学院の成績が学年一というだけで自分を天才だと勘違いして他者を見下す小さな男で、弟への忠誠心も無く、ジルベルト・ダーガは顔だけで側近に選ばれた飾り人形と自覚し、弟と距離を取る怠惰な女好きの優男だった。愚か者に囲まれる愚かな弟というのは、私の願望を表した夢だったのかもしれん」


 自嘲の形に歪められる端正な口許を、確認するように見つめるウォルターの前で、独白は続けられる。


「夢の中で唯一人、弟に心からの忠誠を誓っていた側近は、専属護衛のハロルド・パーカーのみ。そして、夢の中ではハロルド・パーカーが『剣聖』であった。現実で『剣聖』であるジルベルト・ダーガと異なり、夢の中のハロルド・パーカーは天地への誓いを立てないまま『剣聖』となった」


 天地への誓いを立てていない『剣聖』は、『剣聖』となった時点で誰を主とするか公言していない存在だ。その存在は、必ず欲を原因とした混乱を周囲に生み出す。


「夢の私は現実と同じ側近を抱えていた。夢の中での彼らは、突出した才能も特技も無かったが、真面目で誠実な努力家であり、現実のような()()を起こすことも無かった。そんな恵まれた状況でありながら、夢の中の私も現実と同じように欲をかいた。弟の持つ『剣聖』を欲したのだ」


 天地への誓いを立てて、『剣聖』となった後の主を公言していたジルベルトを権力で無理矢理奪おうとした現実のエリオットよりも、幾分マシではあるものの、他の王族の専属護衛を『剣聖』になったからと奪うのは、当然褒められた行為ではない。

 エリオットのクリソプレーズの瞳は、虚ろを宿したまま自嘲にくすんでいく。


「現実でジルベルト・ダーガにしたように、夢の中の私は水面下で再三に渡り『剣聖』ハロルド・パーカーに私の側近となるよう誘いをかけた。だが、夢の中の『剣聖』も現実の『剣聖』と同じく弟に心からの忠誠を誓い、その首を縦に振ることは無かった」


 エリオットのくすんだクリソプレーズが、一段と暗くなる。


「夢の中の私は現実と違い、諦めることをしなかった。夢の中の弟は、愚か故に一人の少女に盲目的に溺れていたのだ」


 あの凶悪な天才王子が女に盲目的に溺れる様を、夢とはいえ想像がつかないウォルターだが、「夢だし何でもアリか」と聞き流した。


「夢の中、私はその少女を誘惑し、私の意を汲ませ、弟が私に『剣聖』を譲るよう少女に願わせた。夢の中では上手く事が運び、私は『剣聖』ハロルド・パーカーを手に入れることに成功した。───だが、私が利用したつもりでいた少女は、災厄を齎す怪物だった」


 災厄を齎す怪物とは、いよいよ夢らしく荒唐無稽な話になって来た。聞き流しの態勢でいたウォルターは、続く言葉に凍りつきそうになる。


「少女は専属護衛を失った弟を誘惑して禁書庫に入った」


 王族しか立ち入りを許されない禁書庫は、国を破滅に導きかねない危険な書物も保管されている場所だ。

 にわかに『災厄を齎す怪物』が、荒唐無稽な夢の産物ではなく現実的な危険人物の色を帯びてきた。


「禁書庫に入った少女は(まじな)いの禁書を盗み出し、弟と同じく少女に籠絡されていたクリストファー・コナーに禁書を解読させ、私に(まじな)いをかけたのだ」


 少女に籠絡されていたクリストファー・コナーという現実味が皆無な現象と、現実で実際に起きてしまった少女娼婦による(まじな)いの大罪が、ウォルターの脳内で混沌を生む。


「夢の中の弟は責任を問われ、毒杯を与えられることを前提とした幽閉に。クリストファー・コナーはコナー家の判断で処分され、弟の側近らは各家の当主により廃嫡。モーリス・ヒューズは謹慎中の自室で自害をし、ジルベルト・ダーガは家を出され放浪の果てに路上で女に刺され死んだ」


 そのどれもが、現実では考えられない末路だが、奇妙な現実感にウォルターの背筋に寒気が走った。

 エリオットの唇が、自嘲を超えて大きく歪む。


「少女は定めにより公開しての極刑となったが、大罪と醜聞により国力の弱まった我が国は、自称帝国に煽られた国々から戦を仕掛けられ、同盟国からの助力は無かった。そんな中、私の専属護衛となっていた『剣聖』ハロルド・パーカーは、戦場に行くと言って私の前から姿を消し、戦が終結しても遺体すら私に残すことは無かった。夢は、そこで終わりだ」


 エリオットは、一度深い溜め息で息継ぎをした。そして重ねる言葉を吐き出す。


「夜毎、私は悔恨と絶望を味わっていたのだ。あれは、私が犯した罪の先、もう一つの未来ではなかったのかと。私の望んだ欲の果てには、私が国を滅びに導く未来が今でもあるのではないかと恐怖に囚われた。だが、だと言うのに、私は夢から覚めて現実でもジルベルト・ダーガという『剣聖』を欲し、権力を以って『剣聖』の意志を捻じ曲げ手に入れようとした」


 いないものと認識する、その言葉の通りになるよう存在感を消していたウォルターに対し、エリオットは闇を孕んだクリソプレーズを、ひたりと合わせた。


「夢の中でも現実でも、私に国を導く器が無いことに変わりはない」


 肯定も否定も反応を返さないウォルターに、エリオットは肯定を読み取る。だが、それで良かった。

 エリオットには、まだ隠している罪がある。今現在、王家の血を繋ぐ為の種馬として、殺処分は出来ない価値が出来てしまうより以前であれば、王位継承権を剥奪され毒杯を与えられて然るべき罪が。

 その罪の告白はせず、クリソプレーズから闇を消し、また虚ろな瞳をウォルターから逸らしてエリオットは悪夢の現在を伝えた。


「十四年も毎夜見て来た夢だと言うのに、何故か起きると少女の顔と名前だけは忘れてしまっていたのだ。だが、此度の大罪人の処刑が成った瞬間、私は()()()()()。少女は夢の中で私に名乗っていた。『エリカ・クーク』と。不思議なことに、以来その悪夢を見ることが無い」


 現実もまた、悪夢のようであり続いているが、と口の中で呟いて、エリオットはウォルターに背を向ける。

 執務机が背にする大きな窓の外は、晩夏の王都を見渡すことが出来る方向だ。王城の中庭の一つに面している第二王子執務室より優遇された配置に、くだらない優越感を満たされていたものだ。

 エリオットは自嘲する。王である父に見限られ、誰も残らなかった執務室に一人で佇む自分は、なんと滑稽なことか。


 弟王子と張り合い、排除しようとするのではなく、手を取り自分を支えてくれと頼む道もあったのだ。

 素直で自分に懐いていた幼い弟を壊して潰してやろうなどと考えなければ、考えるだけで実行を留まっていれば、己の中で反省を済ませて弟を認めることが出来ただろう。

 アンドレアに王位を望む意思は無かった。

 アンドレアに対する周囲の評価が上がり続けても、ずっと、エリオットが次期国王に相応しいと、誰よりもエリオットの立場を守ろうとしてくれたのは、エリオットが疑心に駆られて憎悪し、排除を目論んで来たアンドレアだった。

 それに、とっくに気づいていたと言うのに。

 エリオットは、この国の誰よりも強力な味方になってくれたであろうアンドレアを、自ら切り離したのだ。

 国の為でもなく、大義があるわけでもなく、プライドですらない、ただ個人のちっぽけな優越感を守ろうと。おおよそ、次期国王の、王族の選択する行動ではない。


 黙ってしまったエリオットに、ウォルターは唐突に呼びかけた。


「ときに第一王子殿下」


 呼びかけられた名称に、虚ろな瞳が僅かに苦みを沈ませる。忠誠を誓い、親しく接していた臣下から、分かりやすく線を引かれたのだ。

 まだ、感じられる失意があったのかと、想像以上に甘い己に苦々しい思いが過ぎった。

 何も読み取らせない空色の垂れ目で、ウォルターはかつての主君に問いかける。


「握り潰した王弟殿下から第二王子殿下宛の手紙はどうされました?」


 苦みを沈ませたまま、虚ろなクリソプレーズが、ふっと歪んだ。


「なんだ、隠さずとも露見していたか。証拠を残さぬよう魔法で燃やしたに決まっているであろう」


 空色が、わざとらしく見開かれる。


「おや、やはり握り潰されていましたか。実は王弟殿下と第二王子殿下にすれ違いが生じている原因を調べろと命じられまして。それは大罪であると御存知でしょうに」


 クリソプレーズ王国では、立太子前の王子と、既に公務を担い功績を重ねている王弟では、王弟の方が序列が上だ。母親が正妃であることと王弟が王族籍のままであることが条件だが、今回はそれを満たしている。

 王弟の手紙を宛先に届かぬよう手を回し、証拠隠滅として焼いた。王族でなければ問答無用で物理的に首が飛ぶだろう。王族であっても、状況如何で毒杯だ。毒杯を与えられずとも、廃嫡と幽閉は避けられない案件である。()()()()()


「おやおや、鎌を掛けられて乗ってしまったな。これは大変だ。隠していた大罪を自供してしまった」


 わざとらしいほど大袈裟に、クリソプレーズの瞳を閉じて、銀の髪に彩られた頭を抱えて身を捩る第一王子。

 まるで、笑処の無い喜劇の舞台である。

 ウォルターは、冷静に事実を指摘した。


「今となっては、誰も法を盾に貴方を処罰できる国民は居ない。陛下であっても。貴方は現在、この国にとって代わりの居ない唯一無二の存在であり、我々は貴方を国の為に護らねばならない。それをご理解されているからこそ、わざと鎌掛に乗られたのでしょう」


 ふふ、と頭から手を離したエリオットが、自嘲ですらない声だけの笑いを洩らす。


「そうだ。今更この罪が暴かれたとて、お前達は次代で私を玉座に()()選択肢しか持てない。第二王子アンドレアの()()は諸国に轟き過ぎた。()()が国王になれば我が国は国際的に警戒と監視の対象になる。年齢的に、世継ぎの王子と同盟維持に必要な王女をスペアまで作れる正妃を母に持つ王族の男は、()()の他には私しかいない。残念だったな」


 空色の垂れ目が、スッと細められた。薄い唇が、かつてと同じ呼び名を綴る。


「エリオット様」


 人形のように、生身と感じさせない動きでウォルターを振り返る、綴られた名の持ち主。


「悪役、似合いませんね」


「悪役には美学がある。私にはそれが無いからな」


 昔のように揶揄されて、ぽつりと、子供の頃のような素の口調で零した。


「私は運が良かったんです」


「主替えが上手く運んだからか?」


「いいえ」


 ウォルターは、弟クリストファーが生まれた時のことを思い出していた。

 エリオットの失脚は、己が辿ろうとしていた未来と重なる気がしていた。


「私は、8歳下の弟が生まれた時に、弟に()()()()である特徴があると知り、私の立場を脅かす存在にならないよう、壊すつもりで弟の部屋に忍び込みました」


 幼少期、ウォルターは両親の会話を盗み聞いてコナー家の秘密の一つを知った。

 生まれた順番に関わらず、当主を凌駕する能力を秘めた特別な天才、コナー家の『申し子』の存在。数代おいて生まれる『申し子』は、必ず同じ身体的特徴を持っている。そして、8歳下の弟には、その特徴が生まれ落ちた時からあったのだ。


「骨や内臓あたりに障害が残るように傷をつけ、心も癒える暇を与えず磨り潰してやるつもりだったんです。でも、出来ませんでした」


「お前に限って、可哀想だの可愛いだのの感性が芽生えた筈は無いな」


「勿論です。私は、目を開けたばかりの赤子の弟と視線を合わせた瞬間に、負けを悟らされたんですよ」


 今思い返しても背筋を悪寒が駆け上がる。

 ブルッと身震いして、ウォルターは唇を歪めて自分を嗤う。


「生まれたばかりの赤ん坊がですよ、完全に知性を宿した目で私を値踏みして来たんです。それも、絶対強者の目でです。私に負ける気なんて可能性すら考えていない視線で私の奥底まで覗き込み、弟はそれは愉快そうに笑いました。台詞を充てるなら、『いい玩具を手に入れた』辺りでしょうか」


「それは現実───なのだろうな」


 コナー家の秘密など知らず、クリストファーがコナー家の真の支配者である事実も知らされていないエリオットには、俄には信じ難い話だが、驚異的な天才が赤ん坊の時分から()()()()()()ことは、身を以て知っている。

 そして、気がついた。ウォルターは、()()()()()()()()()()未来にいて、自分は逆なのだと。

 ファーストコンタクトで完膚なきまでに叩きのめしてくれたウォルターの弟は、ウォルターにとって実は『救い』だったのだ。

 『救い』があったウォルターは、確かに「運が良かった」と言えるだろう。

 だが、何故かエリオットは、自分はこれで良かったのだと感じていた。

 自分には、『救い』があってはいけないのだと、漠然と身の内に重く何かが宿っているのだ。


「私に関する報告は好きにせよ。監視者」


 ウォルターに背を向けて今の口調で告げれば、存在はそのままに背後の音と気配は消えた。振り返れば、まだそこに居ることは分かっているが、もう必要以外の言葉を交わすことは無いだろう。

 十四年ぶりに取り戻した安眠だが、失ったものは数えることも出来ない多さと重さと大きさで、エリオットはあまりの身軽さに、未だに何処かの夢の中を泳いでいるかのような心地だった。

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