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笑顔を失くした国王

 『苦難の王』。そう呼ばれたクリソプレーズ王国国王エリオット・キラン・クリソプレーズは、臨終の時を迎えて苦い人生を思い返していた。

 エリオットを見守るのは家族達の目。

 同盟国から嫁いで来た正妃と、国内有力貴族と縁を結ぶ為に娶った二人の側妃、妃達の産んだ王子に王女、王太子である第一王子には、同盟国から嫁いだ正妃と国内貴族の家から娶った側妃があり、エリオットにとって孫となる王子や王女もいた。

 だが、その誰にも、エリオットは視線を向けることは無い。

 家族と心を通わせる、そんな資格など、己には無いのだと知っていたからだ。


 五年前、忠臣であるコナー公爵家当主のウォルターが死んだ。

 彼は今際の際で、エリオットに罪を告白した。


 ウォルターは、8歳下に生まれた弟が怖かったのだと言った。

 コナー家には数世代に一人、稀代の殺戮者の才能を持つ『申し子』と呼ばれる天才が生まれるそうだ。

 その『申し子』は、不思議なことに皆同じ身体的特徴を持って産まれると言う。

 水色の髪に泣きぼくろ。

 それが、コナー家の『申し子』の例外無き特徴だ。

 ウォルターの弟のクリストファーは、水色の髪に泣きぼくろを持って産まれた。産まれたばかりの赤子の肌に、見間違いようの無いハッキリとした泣きぼくろがあった。


 ──排除しなければ。


 嫡男として、自分の地位を守る為に、ウォルターは弟クリストファーの排除を決めた。

 クリストファーが『申し子』であることは、両親しか知らない。当主とその妻だけが受け継ぐ秘密だから。ウォルターが子供の内からそれを知っていたのは、偶然に盗み聞いたから。

 子供の盗み聞きなど、両親に気づかれない筈は無い。

 ウォルターは、クリストファーを殺すなと父である当主から命じられた。


 だから、ウォルターは、クリストファーが『申し子』に相応しい能力を身につけないよう画策した。

 まだ勝てる内に、肉体は徹底的に壊しておいた。

 何も知らない妹を唆して協力させて、食事も教育も与えないように手引した。

 心を折り、誇りを踏み躙り、誰にも心を預けられないよう周囲の人間の配置に目を配り、忠誠心すら持てないように、『申し子』を『恵まれない子供』であるように育てた。

 『申し子』を気に掛ける両親からは、二人の多忙さを引き合いに出して、接触を限りなくゼロにしてやった。


 国に、主に忠誠心を持てない能力も低い見た目だけの『申し子』ならば、きっと当主の命令で排除される。

 ウォルターが当主の命令を守ってクリストファーを殺さず待っていても、いずれ勝手に自滅するだろう。

 誰にも助けを求められず、相談も出来ず、本当は両親が気に掛けていることも知らないまま、世を厭い人を憎み自分自身も大切に出来ないクリストファーを、ウォルターはほくそ笑みながら追い詰めて行った。

 そして、ウォルターの望み通り、クリストファーは退屈しのぎに大罪の幇助をして当主から処分命令が下った。


 ウォルターは、クリストファーが処分されても怯え続けた。

 父の目が「知っているぞ」と責めていた。

 感情の死滅した暗殺メイドの目が、ウォルターを軽蔑しているように見えた。

 天才として産まれたクリストファーを排除しても、自分が天才になれるわけではないのだと、ずっと誰かに耳元で囁かれている気がした。

 それに、クリストファーが誘導してしまった大罪が王国に与えた影響を思えば、クリストファーがそうなるべく育てた自分の罪の重さに押し潰されそうだった。

 忠誠を捧げた国を、主君を、乱し、疲弊させ、苦難の道程へ押しやったのは、結局は自分なのではないか。

 そう思っても、立場も命も失うのが怖くて嫌で、口を噤んだまま『国王の忠臣』の顔をして最期まで生きて来た。


 ウォルターは罪を告白したが、謝罪の言葉は口にしなかった。

 許されるつもりは無いからだった。

 息を引き取ったウォルターを眺め、エリオットは「何故もっと早く言ってくれなかった」と呟いた。

 エリオットの側近達は、「今更の懺悔に意味は無い」とエリオットの言葉を受け取ったが、エリオットが望んだ「早く」とは、もっとずっと以前の、幼い頃まで遡った時期のことだった。


 エリオットはウォルターと分かり合えた筈なのだ。

 何故ならば、エリオットも血の繋がった実の弟が怖かったから。


 エリオットの弟、アンドレアは天才だった。

 6歳下の弟は、一歳になる前から言葉を話し、あっという間に周囲の大人達の会話の内容まで理解するようになった。

 健康な身体ですくすくと育ち、王弟である叔父に可愛がられて、一歳になった頃には走り回ってオモチャの剣を振り回し、叔父に「才能がある」と稽古をつけてもらっていた。

 天真爛漫で、第二王子だから王妃である母と過ごすことも多く、甘えん坊で人を疑うことを知らない弟を、エリオットは密かに厭わしく感じていた。


 エリオットが厭わしく感じていても、アンドレアは曇りの無い自分と同じ色の瞳を向けて、「兄上、兄上」と慕って来た。

 ある日、家庭教師に出された課題が解けず、休憩時間も自室で頭を抱えて唸っていると、遊びに来たアンドレアがチラリと見ただけで課題を簡単に解いてしまった。

 室内には、エリオットとアンドレアの他には、エリオットを盲愛する乳母のみ。

 乳母への口止めと、アンドレア排除への協力を取り付けることは簡単だった。


 その頃ちょうど、叔父が辺境の砦へ出向することが決まった。

 アンドレアと仲が良く、その才能を伸ばさんと尽力していた叔父が居なくなる。

 それはエリオットに好機と映った。


 エリオットはアンドレアに、「叔父上はお前に失望し、見限ったから側を離れたのだ」と言い含めた。

 大きなクリソプレーズの瞳に涙を溜めて「どうして」と呟く小さな弟にも、罪悪感は持たなかった。

 エリオットは思わせぶりにこう言った。


『僕の口からは言えないが、お前には理解出来ないだろうな』


 そうして、憂いを込めた溜め息をつき、苦笑して見せて意味ありげに乳母と視線を交わせば、聡いアンドレアは、聡いくせに純粋でエリオットを慕っているから、罠にかかった。

 エリオットが席を外すと、アンドレアはエリオットの乳母に事情を聞きたがり、「貴方様は、賢しげな振りをして第二王子でありながら兄を押しのけ王位の簒奪を狙う恐ろしい子供だと噂に上っているのです」と聞かされた。

 エリオットの指示だった。

 当然否定するだろうアンドレアに、エリオットは更に乳母の台詞を用意していた。


『王弟殿下も、貴方様のその性根に失望されて見限られたのです。しっかりと身の程を弁えるまで、姿も見たくないし手紙ですら関わりたくないと仰られました』


 その夜、アンドレアは高熱を出した。

 叔父がアンドレアを嫌うことなど無い。

 砦からアンドレアに宛てられた手紙は、エリオットが握り潰した。

 熱が下がった頃、アンドレアは直前のエリオットや乳母との会話をすっかり忘れ、そして、まるで別人のような『愚か者』に変貌を遂げていた。


 エリオットは、恐ろしかった。

 いつ自分の罪が露見するのか。


 天才であるアンドレアが、本当に愚か者になる筈が無い。

 いつ弟が愚か者の振りを辞めて、「兄上には王の器が無い」と断罪して来るのか。

 疑心暗鬼で弟の動向が常に気に掛かった。

 だがそれを見て、世間は「愚かな問題児の弟王子を心配して気に掛ける完璧な兄王子」と称賛した。

 皮肉なものだと思った。


 愚かな振りを辞めぬまま、弟は良くない女に引っかかった。

 天才でも、恋は盲目という状態になれば、本当に愚かになるかもしれない。

 ようやく、少しばかり安堵して、エリオットは『愚かな弟』の報告書を楽しみにしていた。

 それなのに、弟の専属護衛だった騎士団長の息子が『剣聖』になった。


 何故、(アンドレア)ばかりが恵まれる!

 生まれながらの才能も、取り繕わずとも愛される魅力も、能力のある側近も!

 まるで、天が、祖先が、自分ではなくアンドレアを次期国王と望んでいるかのようではないか!


 『剣聖』は、次期国王の側近にしなければならない。

 『剣聖』を手に入れれば、(アンドレア)に王位を奪われる不安から解放される。


 エリオットは、弟の側近である『剣聖』に、密かに声をかけて誘ったが、次期国王の側近という栄誉を、()()『剣聖』は頑なに拒んだ。

 ならば、(アンドレア)本人から『剣聖』を手放すように仕向ければいい。

 エリオットは、アンドレアが溺れている女を利用することにした。

 その女が、アンドレアのことなど恋慕していないことは見抜いていた。

 カネか、権力か、どちらにしても、次期国王で第一王子のエリオットは(アンドレア)よりも持っている。

 偶然を装って女に近づけば、事は思った以上に容易に進んだ。

 エリオットは『剣聖』を手に入れた。


 何もかも上手くいくような気がしていた。

 油断から女に魅了の(まじな)いを受けてしまったが、それさえ手引した弟が責任を問われるのだから悪いことでは無いと思えた。

 弟が毒杯を与えられることが前提の生涯幽閉となった時には、これで全ての憂いが消えたと思った。

 だが、そうはならなかった。


 最初に、手に入れた筈の『剣聖』が離れて行った。

 自分はもう『剣聖』ではないと言い残して、エリオットの命令で引き止める騎士らを目もくれずに跳ね飛ばし、姿を消した。

 戦争が始まったという報せも無いのに「戦場へ行く」と『剣聖』が言った通り、二日後には国境にて開戦の報せが届き、不気味な空白の七日を置いて、「敵も味方も壊滅にて終戦」の報せが届いた。

 原型を留めない遺骸ばかりの戦場跡を、どれだけ捜索しても『剣聖』の遺体は一部すら見つからなかった。


 父である国王は、終戦の報せを受け、エリオットに譲位して、慰霊の旅に出た。

 国王となったエリオットは、後処理に奔走しながら国王としてコナー家の報告を聞くことになった。


 大罪人として公開処刑されたアンドレアが溺れていた女、それと懇意にしていたアンドレアの側近達は、口封じの意味もあってコナー家の処分対象だった。

 弟の側近の中で、アンドレアに忠誠を誓い『価値ある人間』であるのは『剣聖』だけであるというエリオットの認識は、齎された真実で打ち崩された。


 ヒューズ公爵の息子のモーリスはコナー家の刺客に処分される前に、アンドレアを「自慢の従兄弟だ」と宣言して自害したと言う。

 モーリスが大罪人となった女に懸想しているように見せて求婚したのも、アンドレアを守る為だった。

 ダーガ侯爵の息子のジルベルトが大罪人の女に求婚したのも同じ理由だった。

 ジルベルトが常に女性を誘惑していたのも、アンドレアや『剣聖』をハニートラップや醜聞から守る為だった。

 どちらも『取るに足らない人間』と見做し、アンドレアへの忠誠心など無いものと見ていた自分の目を、エリオットは節穴だったのだと認めなければならなくなった。

 ジルベルトは旅路の果て、尾行していたコナー家の刺客の目の前で、「王子様の愛妾になる」妄想をしていた王城の洗濯メイドに刺し殺された。

 そのメイドとアンドレアに面識は無く、遠目で一方的に想いを募らせ周辺を徘徊していたらしい。

 見つけたジルベルトが自分に惚れさせ、手酷く捨てることで、妄執と恨みの矛先をアンドレアから逸らした。


 エリオットに、そこまで自分を想ってくれる側近などいない。

 忠誠心はあるだろう。尊敬は受けているように感じる。

 だが、それは一種の『義務』であり、その領域を超えてエリオットを想い行動する臣下など、記憶を手繰れど思い浮かべることは出来なかった。

 第一王子故に王妃である母から引き離されたエリオットに付けられた、エリオットを盲愛していた乳母とも、他国に嫁ぐ娘について行くと王宮を下がってから関わることは無くなっていた。


 エリオットの人生は『張りぼて』だ。

 エリオットが『完璧王子』と呼ばれるようになったのは、アンドレアが愚か者になってからだった。

 本当は天才のアンドレアを、愚か者になるよう仕向けたのはエリオットだ。

 愚かな弟王子と比較しての『完璧王子』という張りぼて。

 アンドレアがあるがままの彼で生きていた頃、エリオットが受けていた評価は、「真面目だけど覇気がない」だった。

 父王の側近である有能な忠臣の息子も同年代に生まれず、エリオットは「次期国王という感じがしない」と侮られていた。

 エリオットの人生は、(アンドレア)を踏み台にすることで、どうにか成り立っているものだった。


 王子が二人産まれ、エリオットは国王として(アンドレア)に毒杯を与える命令を下した。

 ()()した王弟の国葬を終えても、エリオットは腕の喪章を外すことは無かった。

 国王のマントの下、エリオットは生涯喪章を付け続けた。

 国王として即位したその日から、エリオットが笑顔を浮かべたことは無い。


 真面目な側近達と懸命に後処理に力を尽くしたが、外聞の悪い大罪と、味方まで殲滅された戦の爪痕は深く、国力を盛り返すことは終ぞ叶わなかった。

 エリオットは『苦難の王』と呼ばれ、悪い時代に王になったものだと民衆からも同情されたが、その苦難を引き寄せたのは己だったのだと、生涯を振り返れば惨めになった。


 本当の愚か者は、自分だったのだ。

 その卑小さを隠し通す為に、多くの将来有望な若者を犠牲にした。

 人生の終焉を迎える今でさえ、それを隠して抱えたまま『国王』として逝く。


 エリオットは願った。


 どうか彼らに救いを。

 私にはもう、愛も尊敬も輝かしい未来もいらない。

 もう二度と、心から笑う日など来なくていい。

 どうか、私の愚かで卑小な欲の犠牲となった若者達の命に救いを。

 彼らには、幸せな未来が在った筈なのだ。


「どうか、どうか、彼らを救い給え」


 見守る家族の誰にも視線も言葉も向けることはなく、腕の喪章に触れながらそう零したエリオットは、その苦難と後悔に満ちた生涯を閉じた。

 国王最期の言葉の意味を理解することは耳にした誰にも出来ず、この後、王位を継いだ王太子の時代で、クリソプレーズ王国は歴史から消えることとなる。

 やがて大陸は戦乱の渦に巻かれ、世界から多くの人間と妖精が消えた。

 そして、時は巻き戻る─────

エリオットが物凄く嫌われそうな『一度目』のエリオットの人生でした。


『一度目』でエリカに実際に籠絡されていたのはアンドレアとニコルだけでした。


次の投稿から本編、〜不穏な学院生活編〜になります。

次回投稿は3月9日朝6時。投稿の間隔は二日おきを予定しています。


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