護れなかった騎士
女性蔑視発言が出て来ますが、ハロルドの個人的意見です。
護りたかった。
あの人を、彼を。
けれど、それは叶わなかった。
最強と謳われる、この『剣聖』の力があったって。
ハロルドの生まれた家は、異常と言って差し支えない最低の家だった。
人の皮を被っただけの、醜悪な外道である三人の姉と、自分自身だけが可愛くて他には無関心な母。当主の父親は、そんな母だけを盲目的に溺愛していた。
死にそうになったことは、数え切れない。
虚しいから途中で数えるのを止めた。
憤死しそうな辱めも数え切れないほど繰り返され、幾度も幾度も受けていた。
いつか、この家から脱出を果たした時に、何処でも生き延びられるように、ただ只管に自分を鍛えた。
救い出してくれたのは、第二王子のアンドレア殿下だった。
専属護衛になれば、王宮に部屋をくれると約束してくれた。
専属護衛になるには、騎士としての忠誠を誓わなければならないが、躊躇いなど無かった。
自分を、この家から連れ出してくれるのなら、何を捧げても構わないと思った。
アンドレア殿下の側近には、やたらと綺麗な顔の男がいた。
モーリスも美人顔の男だが、ジルベルトは目が離せないほど類を見ない麗容を持っていた。
側近の同僚として何度も顔を合わせていれば、すぐに気がついた。
ジルベルトは、女を敵と認識している。
砂糖に群がる蟻よりもジルベルトに群がる女は多いんじゃないかと、ハロルドはいつも思っていた。
憎いくせに、敵だと思ってるくせに、どうして女に笑いかけ、意味ありげな視線をくれてやるのだろう。
最初は不思議に思うだけだったが、段々とその光景が苛つくようになって行った。
その苛つきは、アンドレア殿下と二人になった時に聞いた話で、叫び出したいくらいの憤りに進化した。
ジルベルトは、幼い頃から繰り返される性的虐待で、貞操観念が壊れてしまったそうだ。
ジルベルトを巡って女達の刃傷沙汰も「またか」という頻度で起こり、ジルベルトはお偉方に呼び出されて面談を受けることになったのだ。
怒り心頭だったお偉方が、神妙な顔でアンドレア殿下に告げた内容がソレだと言う。
多分、表向きはそういうことにする、というヤツだとハロルドは思った。そういう過去が実際にあるから、そういう話にしておこうというヤツだ。
本当に心の病で貞操観念が壊れた男を、王族の側近として王宮に出入りさせるなど有り得ないからだ。
ジルベルトが女を憎みながらも誘惑して群がらせるのは、お偉方が納得するような他の理由があるということだ。
それはきっと、自分を犠牲にして誰かを守るような話だろう。お偉方は、そういう話が大好きだ。
ハロルドは自分の経験から、あそこまで憎むからには、ジルベルトが女達に付けられた傷が浅くも少なくも無いことが見て取れた。
繰り返し、執拗に、尊厳を踏み躙り、獣以下の扱いをして、玩具以下の扱いをして、女達は、その罪の責任を男に押し付ける。
女というのがそういう生き物だと、ハロルドは骨身に染みて知っているのだ。
本当は、触るのなんか汚泥に飛び込むよりも嫌だろう。
一挙一動一言一句に踊らされる愚かで滑稽な女達を嘲笑ったとしても、その臭気、醜悪な表情、不快な肉塊、何もかもが気持ちが悪い。
何故、お前がそれを耐える。
何故、女達への復讐の手段として、一時の夢を見せてやることを選んだ。
何故、自分を傷つけて誰かを守る。
湧き上がる不満は、ハロルドの眼光を鋭くさせてジルベルトに突き刺さる。
お陰で周囲にも本人からすら、ハロルドはジルベルトを嫌っていると思われている。
違うと言うのに。
ただ、苦痛を感じるその行為を、辞めさせてしまいたいだけだと言うのに。
それでも、アンドレア殿下の専属護衛として、側近のジルベルトを近くで監視できている内は焦燥を感じるまでのことは無かった。
あの、クソ売女がアンドレア殿下を籠絡して王宮を我が物顔で闊歩するようになり、第一王子殿下に媚びを売る為に『剣聖』のハロルドを売るまでは。
ハロルドが仕えたかったのは、あの家から連れ出してくれたアンドレア殿下だった。
ハロルドが心の底から恩義を感じているのはアンドレア殿下だけだ。
だから、アンドレア殿下に命令されれば従う選択肢しか存在しない。
離れたくない。側で護りたい。
忠誠を誓った唯一の主であるアンドレア殿下を。
自分を犠牲にして、アンドレア殿下を女達から守っているジルベルトを。
あのクソ売女は、アンドレア殿下を守る為に耐えて求婚したジルベルトを袖にした。
モーリスも、どうやらアンドレア殿下をクソ売女の毒牙から守る為に求婚したようだが、それも袖にした。
あのクソ売女の狙いは、第一王子殿下だったのだ。
まんまとクソ売女の排除に失敗させられたアンドレア殿下の側近達は、手土産として進呈された『剣聖』のハロルドを含めて、クソ売女にしてやられた。
アンドレア殿下から引き離され、結果としてジルベルトとも引き離されて、ハロルドは今更気がついた。
ジルベルトが守っていたのは、主であるアンドレア殿下だけではない。
ハロルドは、『剣聖』である自分も、女達の魔の手からジルベルトによって守られていたことを痛感する日々を重ねた。
まさか自分は、護りたい彼から護られていたことにも気付かずに、不満をぶつけて睨みつけていたのか。
後悔が押し寄せる。
それと、単純に、とても寂しかった。
アンドレア殿下と離れたことも、ジルベルトが視界の中にいないことも、モーリスの見下した嫌味すら懐かしく感じる。
そして事件は起こった。
クソ売女がアンドレア殿下に強請って侵入した禁書庫から禁書を盗み出し、その知識を使って大罪を犯した。
責任を問われてアンドレア殿下は生涯幽閉の沙汰が出た。それも、第一王子の後継者が足りたら毒杯で病死扱いという、実質は執行が遅れるだけの死刑と変わらない幽閉だ。
モーリスとジルベルトは、それぞれの家から廃嫡を公表された。
モーリスは自室で謹慎中、ジルベルトは家を出されたらしい。
何処へ行くつもりだ、ジルベルト。遠くに行っては護れないじゃないか。
視界の中にいて欲しい。手の届く場所にいて欲しい。
怒りと戸惑いと焦燥感の中、齎された悲報はハロルドの表情をゴッソリと抜け落ちさせた。
モーリスは、自室で謹慎中に毒剣で自害。
ジルベルトは、放浪先で女に刺され死亡。
許せない。信じられない。信じたくない。
何故だ。ふざけるな。駄目だ。嫌だ。
窓から見えない離宮の方向に視線だけ向けて、ハロルドは第一王子に暇を願い出た。
慰留されても命じられても、ハロルドの心に響くものは無い。
もう、ハロルドの心は妖精が守ろうと、喪う準備を始めていた。
『剣聖』は次期国王の側で護るものだ。
そう言われてハロルドは、何も含まない声を吐いた。
「私はもう、『剣聖』ではありません。『剣鬼』となった私の散る場所は戦場です」
第一王子の喚く声が耳を汚す。
今は戦場など無いだろうと暢気なことをほざくから、ハロルドは一度だけ振り返ってやった。
「戦場なら、私が到着した頃には出来上がっていますよ。この国は、目を付けられ、仕掛けられたのです」
本気で障害物を跳ね飛ばすハロルドに敵う者は誰もいない。
ハロルドは元『剣聖』だ。
国境近く、果たして戦場はそこに在った。
戦鬼、闘鬼、赤い悪鬼、血塗れの鬼。
怨嗟と恐怖で呼ばれるハロルドの通った後ろには、赤く無惨な屍が累々と積み上げられて行く。
その直中で、赤い髪を振り乱し、絶望の咆哮を上げる『剣鬼』ハロルド。
彼の胸にあるのは、護れなかった後悔。
何故、どうして、護れない遠くへ行ってしまった。
離れるな、俺から。
嫌だ、失いたくない。
もう二度と。
───奪われてなるものか。
戦場に、『剣鬼』の雄叫びが響き渡る。
恐慌状態に陥った敵は敗走するも逃してはもらえず、一人とて洩らさず惨殺の憂き目を見た。
その戦場に、立っているのは『剣鬼』のみ。
もう、目撃者すら残っていない。
「俺の願いは届くのか」
戦場にて、初めて意味のある言葉を発したハロルドは、自分に加護を与える妖精が頷くのを見た。
モーリスと同じ顔で泣かないで欲しい。救けられなかった罪悪感が増すじゃないか。
妖精と同じ顔だから、見下されても嫌味を言われても、嫌いになれなかった同僚を思い出し、ハロルドは願いと対価を口にする。
「俺は、護りたい。失いたくない。また、あの最悪な家で苦しみを味わう人生でいい。もう『剣聖』の能力もいらない。だから、もう一度会わせてくれ。俺に、あの人を、彼を、あいつを、護らせてくれ」
はらはらと涙を零す、かつての同僚そっくりの顔の妖精達の姿が空に溶け込むように消えて行く。
自分の身体も同じように空気に溶け込んで行くのを感じ、ハロルドは願いの成就を祈った。
今度こそ、離れない。
放さない。
───ジルベルト。
パーカー家男子の執着というやつです。
サラッと「監視」とか言ってる時点で、相当ヤバい人間だと思います。
BL臭が漂ってますが、多分違います。
一度目のジルベルトの「お願い」で、この執着が今生では更に酷いことに。