女を憎んだ色悪貴公子
ジルベルトは、旅路の果てで、血に塗れ、冷たくなって行く自分を他人事のように感じていた。
しばらく前に、「もう自由になっていい」と、泣きながら両親に告げられて、廃嫡の身となったジルベルトは身軽に家を出た。
ジルベルトの人生は、女によって夢を奪われ、女に復讐したつもりになって、今、女によって命を奪われて終了するらしかった。
ジルベルトは美しく生まれた。それはもう、『奇跡』と称されるほどに。
ジルベルトの美しさは、人を狂わせるようだった。
ジルベルトが望まない形で彼に触れてくる人間は、口を揃えて彼を責めたものだ。
貴方が、お前が、狂わせたのだ、と。
だから、ジルベルトは身体も心も蹂躙されても仕方のない人間だったらしい。
仕方がないのなら、抵抗は辞めてしまおう。
ジルベルトは、声をかけただけで、視線を合わせただけで、機械的な作業のように、想いなど何一つ込めずとも、勝手に惚れて纏わりつく女達を弄んでは捨てて行った。
それは、『仕方がない』ことだったと思っている。ジルベルトは美しく、ジルベルトに弄ばれたい女は後から幾らでも湧いて来たのだから。
行く当てのない放浪の旅で、唯一屋敷から持ち出した『剣聖』の絵本。
この絵本が心を守ってくれていたあの頃は、まだ夢を見ることが出来ていた。
自分を嫌い、いつも忌々しげに睨んで来た『剣聖』の彼は、元気にしているだろうか。
折角、お先真っ暗な第二王子の側近から、将来が約束された次期国王の専属護衛になれたのだから、きっと元気にしているだろう。
元気にしていてくれなければ困る。
彼に纏わりつく薄汚い女共を、穢れ切ったこの身で誘惑して、彼から引き剥がしていたのだから。
自分が馬鹿なことをしているのは分かっていた。
第二王子が自分を側近にしたのは、綺麗な顔を側に置きたかったからというだけ。別に、良く出来た美麗な人形があれば、自分の代わりなど、それで足りるのだと分かっていた。
それでも、『王子の側近』という地位をくれたのは嬉しかった。
ジルベルトの美しさに狂った大人達は、彼を性玩具のように扱った。
アンドレアは、ジルベルトを飾り人形としてしか見ていなくても、まるで立派な人間みたいな地位をくれたのだ。
アンドレアの側近にならなければ、『剣聖』になる彼とだって近づけなかった。
誰よりも強く、清い肉体を守り通さなければならない『剣聖』。
その存在への憧れは、ジルベルトの生きる意味でさえあったのだ。
彼が穢されないように、穢れた自分が守れるのだと、暗い喜びがジルベルトを満たしていた。
憧れの『剣聖』の視線を辿れば、向けられた先は常に主人のアンドレアだった。
「守りたい」と、強い意志を込めて彼に見つめられるアンドレアに、声すらかけてもらえない名ばかりの側近の自分だけど、案外と役に立っていた自負はある。
何故なら、身分の高い男達へ、仕掛けられるハニートラップは、年齢も国籍も問わず列を成してたのだから。
アンドレアとハロルドに仕掛けられるハニートラップも、穢してはならない『剣聖』に勝手な想いを寄せる女共も、ジルベルトは誘惑して排除して行った。
キレイな捨て方など考慮してはいなかった。
女が傷つこうが自分が恨まれようが、どうでも良かった。
最後の最後で、とんでもなく最悪な女から主人を守り切れずに離れることになってしまった。
寂しがり屋の主人を誑し込んだだけでなく、『剣聖』にまで好かれていると勘違いしていたクソアマを、堕として傷つけて手酷く捨ててやろうと思っていた。
けれど女は頭のおかしいナルシストで、ジルベルトよりも自分が美しいと思い込んでいた。鏡を見たことが無いのかと驚愕した覚えがある。
頭のおかしいナルシストでは、ジルベルトも美しさだけで堕とすことは出来ない。
仕方なく、侯爵夫人の地位をチラつかせて求婚してみたら、満更でもない顔をしながら、まだ王子様から貢がせ足りないようで、学院卒業まで返事を先送りされた。
意外なことに、主人を嫌っているように見えたモーリスが、主人とクソアマを引き離す為に好きでもないだろうにクソアマに求婚していた。
いっそ、自分の求婚を断った時に、嫉妬に狂った振りでもして、あのクソアマを殺してしまえば良かった。
そうすれば、アンドレアもモーリスも破滅なんかしなかったかもしれない。
唯一の救いは、『剣聖』が、自分達と一緒に破滅の仲間にならずに済んだこと。
良かった、と笑おうとして、ジルベルトは自分の唇がもう動かせないことに気がついた。
そして、思い出してしまった。
泣きそうで我慢して、辛そうで、苦しそうで、悲しそうなハロルドの顔。
アンドレアに主従関係を解消されて、「兄上のものになれ」と命令されて、捨てられた仔犬よりも途方に暮れた、寂しくて悲しい目で縋っていたことを。
ジルベルトは、思い出してしまった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
彼が、ハロルドが、『剣聖』が、悲しまなければならない世界なんて!
穢れた役立たずの自分は、「自由になれ」と甘い両親から逃されたのに。
主人も同僚も、王都で破滅を待つことしか許されていないのだ。
一人逃される苦しさは、自分と違って忠誠心があった彼にとっては如何ほどに辛かっただろう。
彼は、陥れられ破滅に導かれた主人から逃されて、手が届くほど近くにいながら、本当に仕えたかった主人の破滅を、偽りの忠誠しか誓えなかった新しい主人の下で、指をくわえて見ているしかないのだ。
誇り高き『剣聖』が。無敵の強さの『剣聖』が。護りたいものを護る力を持つ『剣聖』が。
己の無力さを呪いながら、主人の破滅を見せつけられる?
そんなこと、許せるわけが無いじゃないか!
逃されて、無力さを嘆いて、惨めに絶望するのは、私みたいな人間にこそ相応しい。
まだ、この身が穢れる前に、願いを叶える妖精のお伽噺を読んだ。
その人にとって一番価値のあるものを差し出して、お願いごとを妖精に届けるのだ。
人々が『奇跡』と呼び群がるこの肉体は、私にとって価値あるものと感じることは出来ない。
私の持つもので、唯一つ、未だ穢れてないものは、『剣聖』に憧れる、この魂だけだ。
私の魂を差し出そう。
だから、どうか願いを叶えて欲しい。
ハロルドの、望みが叶うように。
きっと、後悔しているハロルドに、悔いのない生き様を、今度こそ貫かせて欲しい。
・・・そうだ。
もしも、ちょっとだけオマケで私の願いも叶うなら、今度は、今より少しでいいから、ハロルドに好かれたら嬉しい。
今は、憎々しげに睨まれた記憶しか無いくらい嫌われているから。
私は大好きだったのだけれど。
私ではない魂でハロルドと再会するジルベルトが、彼と仲良くしてくれるといいなぁ。
そして、今度はちゃんと護れたらいいなぁ。護りたい誰もを、『剣聖』みたいに。
あぁ、やっと終わる。
これでもう、大嫌いな女共に追い回される人生からオサラバだ。
元気で。ハロルド。
幸せになってくれ。
王都から遠く離れた街道で、旅に出たジルベルトを尾行いた、諦め切れない女の一人からナイフで刺され、失血死した彼の遺体がダーガ侯爵邸に帰ったのは、それから五日後のことだった。