願いの行方
「私とクリスとニコルは、一度目と異なる魂で生きていますね」
『言えません』
答え合わせに出て来たのだろうに、どことなく嬉しそうな声音ながらも『言えません』と肯定する妖精。
現れたのがジルベルトの膝の上だからか、今回はサラリーマンぽい姿勢やお辞儀は無しだ。
クリストファーの視線を受けて、ジルベルトは妖精へ質問の体を取った答え合わせを続ける。
「一度目のエリカが魂を捧げた相手と、一度目のジルベルト、クリストファー、ニコルが魂と引き換えに願った相手は異なりますね」
『言えません』
クリストファーが、詰めた息を僅かに緩めた。「ないだろう」と思っていても、自分が何によって転生されられたのかは、やはり気にはなっていたようだ。
「・・・一度目のエリカが魂を捧げたのは『世の邪な意思を統べるナニか』ですね」
『・・・言えません』
「一度目のエリカの願いを叶えたのは、『世の邪な意思を統べるナニか』ですね」
『言えません』
核心の一つを慎重に問えば、躊躇いがちではあるが肯定が返る。
一度目のエリカの魂を対価に願いを叶えたのは、呪いの儀式で人間の欲望を叶えて来た存在と同じモノらしい。
「一度目のエリカの願いは、『時を戻してのやり直し』ですね」
『言えません』
「一度目のエリカの魂一つで『世の邪な意思を統べるナニか』は一度目のエリカの願いを叶えたんですね」
『・・・いいえ』
「では、・・・一度目で、エリカ以外にも、魂を『世の邪な意思を統べるナニか』に捧げて願いを叶えた人間がいるのですね」
『・・・言えません』
予想していた答えだが、ジルベルトもクリストファーも、息を飲んだ。当たっていて欲しくなかった最悪の事態の想定に、どうしても顔つきは厳しくなる。
一度目のエリカの願いを叶えたのは『ナニか』だ。
だが、『ナニか』が願いを叶えたのは一度目のエリカの魂一つが対価ではなかった。
ならば、他にも、おそらく一度目のエリカにその方法を教えた誰か、またはそれと繋がる何者かが、同様の方法で転生している可能性がある。そして、その可能性は肯定された。
前回の質問で、今のこの世界で一度目の記憶を持っているのはエリカだけだと肯定されたから、一度目の記憶は無いかもしれないが、実際はさして役に立たない一度目の記憶などよりも、例えば専門知識や機密に関する記憶を与えられている方が、敵として厄介だろう。
エリカの他にも存在するかもしれない『ナニか』による転生者らが、自分達に友好的な意識を向けているとは思えない。
「今のこの世界に、『世の邪な意思を統べるナニか』に魂を捧げることで『時を戻してやり直す』願いを叶える方法を知っている人間が存在するんですね」
『言えません』
いるのか。
可能性に気づいて覚悟はしても、肯定されれば心臓がヒヤリと撫でられるような感覚を覚える。
暫し絶句したジルベルトとクリストファーだが、すぐに立ち直って質問を練る。
「『世の邪な意思を統べるナニか』によって転生している人間が、エリカの他にもいるんですね」
『言えません』
ハッキリと肯定だ。何処に、何人、誰だ、聞き出したいが、妖精は答えに辿り着いていない質問には答えない。
「『世の邪な意思を統べるナニか』によって転生している人物は、私の敵ですね」
『・・・答えられない内容が含まれています』
意外な回答に、ジルベルトは目を瞬いた。
取り敢えず、その転生者は一人ではないようだ。一人しかいないのならば、その人物が敵かそうでないかは答えられる。
『ナニか』による転生者が複数いるとして、その全員が敵という訳ではないということか。
予想外の状況に、ジルベルトは其処に関する質問は一旦脇に寄せることにした。
「『世の邪な意思を統べるナニか』が『時を戻してのやり直し』の対価に求めるのは魂ですね」
『言えません』
どういう人間の、どういう状態の、どれくらいの数のものが必要なのかは分からないが、『ナニか』が時を戻す対価として求めるのは人間の魂だけのようだ。
呪いのように、特別な薬草や材料的なモノや妖精の命などは不要らしい。
そして、そのやり方を知っている人間が、この世界には存在している。
ジルベルトは、自分の中に生まれた仮説を確かめるために、クリストファーとの会話で輪郭が掴めた部分から質問を再開した。
「一度目のジルベルトとクリストファーとニコルの魂と引き換えに、この三人の願いを叶えたのは妖精ですね」
『言えません』
「今のジルベルトとクリストファーとニコルの魂を選定したのは妖精ですね」
『言えません』
「転生する魂は、入れる器の元の魂と同質のモノであることを条件としていますね」
『言えません』
「転生させる力の行使者が妖精でも『世の邪な意思を統べるナニか』でも、転生させる魂と元の器の魂が同質であるという条件は変わりませんね」
『言えません』
ここまでは、訊く前から正解だろうと、ある程度の確信は持っていた内容だ。妖精の返答も淀みない。
「今の私とクリスとニコルの魂を選んだ理由は、同質であるという条件を満たしながら、一度目のジルベルトとクリストファーとニコルの願いを叶えるのに必要な要素も持っていたからですね」
『言えません』
これが肯定されるのも、自信はあった。
ジルベルトは、赤い舌でチロリと艶やかな唇を舐め、浮かんだ仮説を問う。
「私とクリスとニコルの魂が選ばれたのは、『世の邪な意思を統べるナニか』による転生者への対抗手段としての意味もありますね」
人間の要求により世界の時を巻き戻し、異世界から運んだ魂を空の器に転生させて『やり直し』を叶える。
そんなやり方が罷り通るならば、世界の理も秩序も、有って無いようなものだ。この世界そのものが、黙認して好きにさせる筈もない。
偶像崇拝も信仰対象の擬人化も溢れて蔓延した世界から来たジルベルトには、『ナニか』と呼ばれる存在が他の世界だったら『邪神』と呼ばれるようなものであるのなら、『神々』とされる世界そのものの対抗勢力的な位置付けだと感じられた。
もし『邪神』の『使徒』が好き勝手に世界を歪めようとしたら、『神々』はどうするか。
神話でもよくある話じゃないか。『神々』も『使徒』を送って『邪神』の暴走を止めるのだ。
『・・・言えません』
母子三人が身近に転生しただけでも出来過ぎだったのに、エリカの中身は三人が前世で『敵』と認識して表舞台からの排除に成功していた人間だった。これに、世界の時を戻すような力を持つ存在の介入を疑うなと言う方が無理だ。
『ナニか』による転生者に対抗し、やり合えば勝ち得る者だから選ばれたのではと、疑念を持って考えてしまう。
だが、険しくなったジルベルトとクリストファーの表情に眉を下げた妖精は、緩く首を振った。
『信じてもらえないかもしれませんが、我々は、貴方達に役割を与えた訳ではありません。加護も、役割を果たすことを前提に授けたのではないのです』
ゆらりと、戸惑う様に虹色の羽が揺れる。
『記憶の共有をしていても、幼い妖精は本能のままにしか行動出来ません。貴方達が多くの幼い妖精から加護を与えられ、加護を与えた妖精が貴方達を愛して想いを通じ合わせたのは、見返りを求めてのことではないのです』
「今のエリカに妖精の加護が無かったのは、『ナニか』による転生者だったからではないと?」
妖精は『神々』の眷属のようなものだろう。
だから、『神々の使徒』として動かすつもりだった三人を『ナニかの使徒』の対抗手段へと誘導する為に、『妖精と相思相愛の存在』にしたのではないのか。
妖精の加護が無かった『ナニか』による転生者だったエリカと比べれば、大人になった妖精と意思疎通の図れる自分達は、『神々』の意を汲んだ妖精から指令でも受ける為に作られた手駒のように感じられる。
だが、ジルベルトの質問は、あっさりと否定された。
『違います。──アレは、記憶を共有する妖精にとって忌避する存在です。自白剤を使った貴方なら、答えに辿り着くでしょう』
妖精に言われ、エリカが与えられていた一度目の記憶の供述内容を思い起こす。
答えは、すぐに見つかった。
「一度目のエリカは自分に加護を与えていた妖精を生贄に呪いを行った。だから記憶を共有する妖精達から忌避されていた」
『言えません』
クスリと笑って妖精が答える。
「と言うことは、『世の邪な意思を統べるナニか』による転生者の中には、十分に魔法を使える者もいるんですね」
『言えません』
表情を引き締めて答える妖精。『言えません』と言いながら、首は頷いてしまっている。建前は必要らしいから、この問答スタイルは変えられないのだろうが、それでいいのか。
胡乱な目になりかけたが、ジルベルトは細かな疑問を解消して行くことにした。
「妖精には、人間から対価を受け取って世界の時を戻す力がありますね」
『言えません』
これは、先の質問で既に肯定が得られているものだ。妖精の返答にも躊躇いは無い。
「対価と引き換えに願いを叶える世界の時の巻き戻り時点は、『対価を払った者達の願いを叶えられる過去』ですね」
一度目のクリストファーが『なりたかった自分』になる為には、兄のウォルターとのファーストコンタクトで『勝つ』ことが必要だった。
一度目のジルベルト、クリストファー、ニコルの三人の願いが、『なりたかった自分で人生をやり直す』ことだとすれば、そこまで戻る必要があったのでは、とジルベルトは考えた。
ジルベルト自身も、あと数日も転生が遅れれば、逃げ切れずに性犯罪者の餌食になっていたようなギリギリの状況だった。
『言えません』
「一度目のジルベルト、クリストファー、ニコルの願いは『なりたかった自分で人生をやり直す』こと。対価は彼らの魂ですね」
『言えません』
ここまでは、妖精も質問内容を予測した上での肯定だろう。
「一度目のジルベルト、クリストファー、ニコル以外にも、妖精が対価を受け取り『やり直す』願いを叶えた人間がいますね」
クリストファーの視線を感じるが、ジルベルトは妖精から目を逸らさない。
妖精も時を戻してやり直すという願いを叶えることが出来る。それならば、と思い至ったことがある。
『ナニか』が時を戻す対価が魂だとしても、妖精が時を戻す対価が『ナニか』と同様に人間の魂だけとは限らない。
『言えません』
やはり、肯定だ。
「妖精が『やり直す』願いを叶える対価は、魂だけではありませんね」
『・・・言えません』
一度目の末路を考えれば、『やり直し』を望んだのがジルベルトとクリストファーとニコルだけとは思えない。その三人も、それぞれロクでもない終わり方をしてしまっただろう。
だが、想像すれば、一度目にエリカの周辺で、最も運命に翻弄されて納得いかないであろう人生を送り、失意と絶望の中で酷い最期を迎えたのは、一度目で妖精に愛され『剣聖』だったハロルドだ。
妖精にそのような力があるならば、ハロルドの願いを叶えなかった筈がない。
今のハロルドが一度目より剣技や能力で劣ることは無いだろう。
アンドレアの揶揄で「一人で常人以上に盛ってるから」妖精に認められないかのようなことを言っていたが、思春期の少年の自慰など生理現象の一種だ。回数が多いから穢らわしいと妖精が判断するのなら、そもそも男性が妖精と相思相愛になることは無理だろう。
アンドレアやモーリスと違って閨教育も受けていないハロルドは、正真正銘女性経験が無い。肉体の穢れを理由に妖精から愛されない理屈など無いのだ。
その称号を得るには、クリソプレーズ王国では『国一番の剣士』である必要があるが、クリストファーやニコルだって『剣聖』ではないが『剣聖』と同等の加護を得ている。
ハロルドも実は密かに同様の加護を授かっているのではないかと観察していたが、彼には物理攻撃も魔法攻撃も、当たればちゃんと効く。
「一度目の『剣聖』であるハロルドも、『やり直し』を願いましたね」
『・・・言えません』
泣きそうに眉を下げる妖精を、虐めているような気がして来るが、ジルベルトは質問を止めない。
「一度目のハロルドの対価は、やり直しても『剣聖』の能力を得ないこと」
『・・・言えません』
今でも、妖精達はハロルドを愛しているのだろう。記憶を共有しているのだから、悲痛と絶望に沈むハロルドから心を喪わせて『剣鬼』とし、共に散った一度目のハロルドに加護を与えていた妖精達の想いも、彼らは受け継いでいる。
けれど、『対価』を受けて願いを叶えたのだから、『やり直した』ハロルドと相思相愛になることは出来ない。
「アンドレアやモーリスも『やり直し』を願ったのではないかと思いますが、確信を持てないので今は訊ねません」
『・・・はい』
落ち込む妖精。何となく居心地が悪い。
「あー、ジルが妖精いじめてるー」
「やめてくれ」
棒読みでクリストファーに責められて、ジルベルトは空いた手で膝の上の妖精の頭を撫でる。
虹色の羽がふるふると震え、泣きそうだった妖精の顔がパアァッと明るくなった。モーリスそっくりの顔でモーリスが絶対にしない表情をされ、珍しくジルベルトが怯む。
幸せそうに頭を撫でられながら、緑の髪の妖精は両手の指を組み合わせてジルベルトを見上げる。
『私達は本当に貴方達が好きなのです。私達の願いは、貴方達が幸せであることです。貴方達が幸せに生きられるならば、きっと世界も守られると、私達は思います』
「・・・対抗手段とは、そういう意味ですか」
『言えません!』
力一杯嬉しそうに『言えません』て言われてもなぁ。今回出て来た妖精は、今まで出て来たサラリーマンぽい彼らより、少し幼い感じがする。
ジルベルトはクリストファーと視線を合わせ、やれやれという顔になる。
まぁ、具体的に敵地へ乗り込んで殲滅しろだの、『ナニか』による転生者を探し出して排除しろだのと無茶振りされる危惧は杞憂だったようだ。
持てる力で幸せな生を掴み取れと言うのが『対抗手段』として求められる在り方ならば、求められずともそう生きるつもりだった。
「これからもよろしく」
あまりに気持ち良さそうに撫でられるものだから、つい猫にするように顎の下を指で優しく擦りながら言えば、うっとりと蕩けるような声と表情で妖精は返事をした。
『はい。愛しています。ジルベルト』
「「うっ」」
顔がモーリスなのだ。
人間のモーリス・ヒューズをよく知っているジルベルトとクリストファーは、思わず息を詰めた。
『?』
「無邪気の攻撃力って高ぇな」
良くないモノを見たかのように、胸を押さえて新しい酒を呷るクリストファー。
「夢に出そうだな」
苦笑しながら指の背で妖精の頬を撫でるジルベルト。
モーリスそっくりの顔でキョトンとしてジルベルトを膝の上から見上げる妖精は、抜け目の無いサラリーマン風の妖精達から「必要以上に突っ込まれないように」と選んで送り込まれたような気もするが、一気に新しい情報を仕入れたところで、すぐに対応出来るわけでもない。
今日のところは、これでいいか。
猛毒入りの銘酒を注がれるままに飲み干して、ジルベルトは質問もせず膝の上の妖精を仔猫のように撫で続けた。
そして、ふと思い出してクリストファーに告げる。
「あ、エリカの中身の転生者な。クソ姑だったぞ」
「ぶげほっ⁉」
噴出した酒を口の端からダラダラと流しながら目を剥くクリストファーは、穏やかな顔つきで妖精を撫で続けるジルベルトを見遣り、「やっぱりこの人だけは敵に回しちゃならねぇ」と震え上がった。