気付かなかった再会
ジルベルトは、手の中の薄青色の液体が入った小瓶を、人形のような無の眼差しで眺めていた。
クリソプレーズ王国で最も強力な自白剤であるそれは、現在は国王と第二王子のみが管理し使用許可を出せる。少し前までは第一王子も管理者に名を連ねていたが、今は外されていた。
アンドレアから使用許可と共に託された自白剤と任務。
用意した台本と違う文言は口にさせない拷問中と異なり、呪い実行者の脳の中身を何もかも抜き取るとなれば、下手な人間を同席させる訳にはいかない。
アンドレアに騎士としても『剣聖』としても忠誠を捧げたジルベルトは、自白剤の管理者の一人であるアンドレアが最も信頼できる人間であり、且つ、どんな事態に陥ろうと対処が可能な強さも有している。
この自白剤を使う時には対象者を自由に喋らせるために、魔法による抵抗を受けることもあるのだ。エリカに魔法が使えるような加護は無いとしても、脳の中身を全て喋らせる過程で、本人が覚えていると自覚していない内容が魔法を暴走させた過去の罪人の記録もある。
この任務の適任者はジルベルトであると、国王陛下も認めていた。
「さて」
ポトリと声を落とすジルベルト。
声の漏れない石造りの小さな部屋は、拷問に使用していた地下牢ではない。
万が一、魔法が暴走した時に自白剤の使用を任せられた者が生き埋めにならないよう、地上に造られた専用の聴取室だ。
窓は無く、明かりは小さな灯火の魔道具が一つ。数歩も離れれば、魔道具に照らされた罪人からは質問者の姿は見えなくなる。
ジルベルトは、床と一体化した椅子に拘束され意識の無いエリカを見下ろした。
小瓶の中身を注射器に移す。この世界では初めて見た器具だ。前世で見た物と違い、医療用には使われていない。針が太すぎて、罪の無い患者に使用するのは人道に悖るからだ。
この国で注射器が使われるのは、死罪が決定し、近い内に刑が執行される罪人のみ。針を刺した部分から肉体も麻痺して行き、個体差はあるが数日後から壊死が始まる場合もある。それで構わない者にしか、この注射器が使われることはない。
薬で脳は使い物にならなくなり、肉体は医療目的ではない注射器で壊れる。壊れた部分は『祭儀部』の連中が元通りの見た目に修復し、民衆の前で五体満足で処刑されるのが、エリカの身体の最後の仕事となる。
躊躇い無くエリカの太腿に注射針を打ち込んで、ジルベルトは明かりの届かない位置まで離れ、魔法で水球を出してエリカに浴びせた。
「起きろ」
温度の無い声。大声ではないものの、肝の冷える迫力がある。
激痛で意識を取り戻しかけていたエリカは、浴びせられた水で目を覚まし、冷たい声に身震いした。
「覚えている最も古い記憶から話せ。名は?」
「お・・・がわ、・・ひば・・・り」
「───は?」
思いもよらぬ名を耳にして、ジルベルトの口から呼気を吐き出す音に似た声が洩れた。
それは、この国の、この世界の人名ではない。少なくとも、ジルベルトの知る言語地域であるこの大陸の人名ではない。
日本人の人名だ。
それも、ジルベルトにとって、不快な記憶の中で覚えている、聞き覚えのある人名だった。
「生年月日は?」
敢えて、この世界では一般的ではない「生年月日」を問う。年号が国によって異なり、西暦のような複数の国に跨って共通の認識を持てる年暦の無いこの世界では、誕生日と年齢を訊ねるのが一般的だ。
「しょ・・・うわ───」
転生者確定だ。そして、多分、ジルベルト達が知る人物だ。
出身地、家族構成、学歴、職歴、結婚した年齢、産んだ子供の数、子供の名前、子供の結婚相手、孫の人数、孫の名前、次々と質問を重ね、ジルベルトは、その凄みのある人外の麗容を歪めて掌で両眼を覆い、天井を仰いだ。
エリカの中身に転生した日本人は、クリストファーやニコルの祖母であり、ジルベルトの姑だった。
前世、姑が自分に幼稚な嫌がらせをしている間は適当に従って捨て置いていた。
だが、息子に手を出していたことを知った時、犬達に徹底的に調べてもらった。その時に、自分が姑から直接聞かされていた学歴や職歴が虚偽のものであることを知った。
今、エリカの口から出たのは、本当の学歴と職歴だ。
前世で入院中に、娘の勧めたゲームをやっている時から、ヒロインの振る舞いが男の前で猫を被っている時の姑と似ているとは思っていた。
盆と彼岸には、夫の実家の墓だけではなく姑の実家の墓まで掃除をさせられていたから、姑の旧姓も覚えていた。
まさか、死んだ後に異世界で再会するとは思わなかった。
ジルベルトの顔に静かな微笑が浮かび、濃紫の双眸が妖しい光を帯びる。
順番に人生を抜き取り、犬の紹介で入れた施設で随分長いこと死ねずに生かされていたことを知って、濃紫は嬉しげに細められる。
自身の復讐心が満たされたからではなく、息子が無意識に最も残酷な罰の与え方をしたことに喜びを覚え、満足したのだ。
こんな時、ジルベルトは自分がまともではないことを思い知る。けれど、それに対する感傷は無い。
寧ろ、転生したこの世界では、前世のように自分の本質を殺さずとも生きやすいのだ。
ジルベルトは休憩も入れず質問を重ね、エリカの喉が声を発せなくなれば、魔法で作り出した水を無理矢理飲ませ、疲労に意識が途切れがちになれば水を浴びせ、風圧で殴打して、脳の中身を抜き出し続けた。
肉体が壊れて物を言えない塊になるタイムリミットがあるため、この自白剤を使った罪人を休ませることは無い。だから、質問者も体力と耐久力のある人間が選ばれる。
今、エリカの中に転生している前世の姑は、前世で死んだ後に一度目のエリカ本人から「魂が同期できるくらい似てる」からとスカウトされたらしい。
一度目のエリカは自らの魂を対価に、やり直しを願った。願った相手は、呪いでエリカの願いを叶えてくれた実績のある『ナニか』だろう。
一度目のエリカによって、やり直しのエリカの身体に転生して与えられた記憶を抜き取れば、大罪を大罪とも知らぬままに手を染めた動機も目的も、確かに前世の姑とそっくりな幼稚さだった。
お花畑な夢物語が現実にできると、本気で信じていたらしい。
その根拠は、「自分は『特別』可愛い」から。
エリカの見た目は上等だ。それを否定する必要は無い。だが、この世界の貴族の血筋の人間の容姿は基本的に上等の部類に入る。エリカ程度の顔面偏差値の女など、掃いて捨てるほどいるのだ。
平民の中に生まれ育てばエリカの見た目は極上だろう。
だが、貴族社会に目を向ければ、王族の血筋で生まれる人間の容姿こそが極上であり、王族と並べてさえ「奇跡」と讃えられるジルベルトとは比較するのも烏滸がましい「その他大勢」レベルだ。
呪いの知識は、一度目の記憶から得ている。
一度目のエリカが望んだやり直しよりも醜悪な形で『ハッピーエンド』を目指していたようだが、そのせいで一度目の『エンディング』を待たずにバッドエンドに突入している。
「馬鹿は死んでも治らないって本当だな」
エリカには聞こえない声で呟くジルベルト。
この愚かさと常軌を逸する承認欲求、特に、異性を侍らせることで同性から羨まれたいという欲求は、前世で胸焼けするほど向けられた敵意で知っていたが、前世と違って容姿だけは恵まれたことで暴走も悪化したのだろう。
このエリカが呪いを実行できたのは、一度目のアンドレアとクリストファーのお陰だが、それをそのまま報告することはできない。
罪人が魂を捧げることで『やり直し』が出来るなど、記録に残して良いことではないからだ。
たかが罪人一人の魂で、世界の時を戻すことが可能とは思わないが、他の要因も重ならねば成就しないとしても、可能性がゼロでなければ、ソレを知った罪人は縋るだろう。罪人に限らず人生をやり直したいと望む人間は少なくない。
妙な儀式を自分達が暮らすこの世界に、これ以上増やされてたまるか。
非常に個人的な感情も作用して、ジルベルトは報告内容を練り上げる。
完全な嘘を主に告げることはしたくない。だが、ありのままを告げはしない。
エリカを休ませないよう、水を浴びせ風で殴りながら、ジルベルトは呪いのやり方をエリカに教えたのは、やはり自称帝国と密通していたゴードン・ファーレルだったと報告することに決めた。
目の前のエリカには、一度目のことは、一度目のエリカが与えた記憶しか無い。
騎士達に拘束され地下牢に連行され、エリオットと会えなくなった辺りで与えられた記憶は終了している。実際は受けたであろう拷問や処刑の記憶は与えられていない。
それもあって、このエリカには罪には罰を与えられるという危機感も警戒心も無かったのだろう。
いいように一度目のエリカに転がされたわけだ。
それに、この自白剤で抜き取れるのは、薬を使った身体が持つ記憶だけだから、一度目のことは、一度目のエリカが選んで与えた記憶からしか知ることができない。もし、一度目も使われたであろうこの自白剤を警戒して、与える記憶を選んでいたとしたら、同じお花畑な思考回路を持っていても、姑よりは大分上手じゃないか。
抜き取れた一度目の記憶は、如何にエリカが幼少期からモテモテだったのかというものと、学院編入後に出会った男達を容易に籠絡した手管、王宮に出入りするようになってからの綺羅びやかな特別待遇と、エリオットの気を引く為にハロルドをエリオットに差し出す命令をアンドレアにさせたこと、アンドレアと入った禁書庫で盗み出した本をクリストファーと解読してニコルに必要なモノを用意させ、エリオットに魅了の呪いを行ったこと。
そして、次期王妃を狙った動機が「『特別』可愛い自分に相応しい地位だから」ということくらいだ。
一度目は、人目を避けて郊外の林に立ち入って呪いを行使したようだが、言動の記憶からは、一度目でも、自分の考えだけでそこまでの警戒心を持つ人物であったとは考え難い。
それに、第二王子や側近の高位貴族の嫡男らに加え、コナー家の息子も籠絡していた女には、泳がせつつも厳重な監視が複数は付いていた筈だ。郊外の林に入った程度で目を振り切れるような素人ではない精鋭達が、だ。
監視達の目の前で、第一王子を対象にした呪いを成就したというのは有り得ない。成就の直前で防がれ拘束されなかったのはおかしい。
となれば、一度目のエリカの背後には、それこそ自称帝国の工作員か何かが存在していた可能性がある。
このエリカの記憶を全て抜き取り奪っても、本当に警戒すべき一度目の背後関係の全てを知ることは出来ない。
(本質は同じでも、能力が同じである必要は無いらしいな。)
魂の同期とやらに必要な条件を推測し、ジルベルトは転生後の記憶を抜き取る作業を再開した。
警戒心も危機感も無く、下劣な思考で犯罪を重ねるエリカは、あのゲームの存在すら知らないというのに、まるで自分がこの世界のヒロインであるかのように自己を特別視している。
一種の万能感に酔った人間が陥る状態を、転生してから十四年もの間ずっと持続していられるのは、ある意味才能かもしれない。
ジルベルトは、無事に見つかるとも思えないが、取り敢えずカーネリアン王国の子爵令嬢の捜索の指示を出すことなど、エリカの聴取を終えた後の仕事の優先順位を頭の中で整理して行く。
同性が自分より優遇されることを何より憎み嫌悪する性根が、前世でどれほど痛い目を見ても露程も変わっていないことに辟易しながらも、ジルベルトは先入観を持って罪人の聴取を行わないよう、冷静に質問を重ねる。
エリカからハロルド達に捕縛されるまでの全人生の記憶を抜き取ったジルベルトは、「ふっ」と息を吐いて艷やかな黒髪を掻き上げると、灯火の魔道具の弱々しい明かりが届く範囲まで足を運んだ。
「もう抜け殻だから言っても理解できないでしょうが、お久しぶりです。お義母様」
虚ろな桃色の目は何も映していない。
「そして、今度こそ永遠にさようなら」
人外と称される奇跡の美貌に浮かぶのは、いつものジルベルトの静かな微笑ではなく、凛々しい男性騎士には不釣り合いな儚げな微笑。だが、それは見る者をゾッとさせる不穏な狂喜を孕んでいた。
「この薬は、抜き取った記憶と正気は失わせるけど痛覚は残すんです。処刑され、死を許されるその瞬間まで、たっぷりと続く苦痛を味わってくださいね」
にこり。今度は、今生のジルベルトらしい綺麗な綺麗な笑み。
正気も無い筈のエリカが、歯の根をガチガチと言わせて震え出す。
その様子を、濃紫を細めて暫し見つめていたジルベルトは、満足したのか、ついと制服の上着の裾を翻し明かりの中から出て行った。
「あ・・・あ・・・う・・・」
取り残されたエリカが口から意味の無い声を涎と共に漏らしていても、もう誰も彼女を見はしない。
光を遮るように作られた扉から小部屋を出て、ジルベルトは静かな微笑を浮かべながら第二王子の執務室へ向かっていた。