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「言えない」は、肯定

「」を数箇所『』に変更しました。


 ジルベルトとクリストファーは、久し振りにニコルの屋敷を訪問していた。

 訪問は、見舞いの体を取っている。

 ニコルは現在、「娼婦時代に自称帝国の工作員と面識を持ったエリカが、ニコルに自称帝国の毒を盛って王族に対する人質にしようとした」被害者と公表されている。

 避暑のために王都を離れる貴族も多い季節だが、王族の姫君以上に誘拐や暗殺の対象にされることの多いニコルは、王都を出ることが出来ない。

 王都を離れるに連れ、「王家の庇護下にある」という効力は弱くなるし、治安を維持する騎士の数も減り質も下がる。王都から国外へ貴族令嬢を拉致をすることは困難でも、人も疎らな地方からならば難易度も低くなるだろう。

 今の処、特に窮屈を感じていないニコルは、王家の意向を無視してまで危ない橋を渡る気は無い。

 だから、元から夏でも王都の屋敷で気ままに過ごしていたのだが、今は『犯罪の被害者』として屋敷に引き籠もる話になっているため、門を固く閉じて庭にすら出ず、仕事相手や家族とさえ顔を合わせない日々を送っていた。

 それでも、クリストファーだけはフリーパスでニコルの屋敷に迎え入れられ、仕事の合間を縫って日に一度は訪れる姿が目撃されているため、王命による政略であっても二人の仲はとても良好なのだと、屋敷を監視する種々の思惑を持つ者達に印象付けている。


 今日、婚約者のクリストファーだけではなくジルベルトも見舞いとして訪問しているのは、個人的な意思と『王家の使者』の役目の両方の目的がある。

 涼し気な氷菓とフルーツティーを前に、ジルベルトは先に仕事を済ませることにした。


「第二王子アンドレア殿下は、此度のニコル・ミレット嬢の()()に大変感謝している。また、王妃殿下は王家の為にニコル嬢の身を危険に曝したことに心を痛め、見舞いの品として王族専用の茶畑の一つから収穫される今秋最上の紅茶を贈りたいと仰られた」


「身に余る光栄に御座います」


 咎める他者の耳目があるではないが、形式に則り互いに礼を尽くす。

 のは、最初だけだった。


「今後のニコルの身の振り方はクリスから聞いてくれ。王家の使者(こちら)としては、コナー家の真の支配者であるクリスが婚約者、妻として生涯責任を持って直接監視下に置くならば、ある程度の内情は知られても構わないという方針だ。ただ、知れば身の危険が増すような情報は推察もされるな、と言われている。拉致されて自白剤を使われる可能性を見ているからな」


 ニコルに自白剤は効かないことを知らないのだから、当然、最悪の事態は想定されている。

 最初から機密を扱う立場に在る者であれば、情報(ネタ)を吐かされる前に自害しろと命じて手段も叩き込まれるが、現在のクリソプレーズ王国の実権を握る人々は、国家の都合で囲い込んだ令嬢にまでそれを求める方向で非情な人間ではない。

 知ってしまえば、関係性など想像もつかない何気ない日常会話からも機密の匂いを嗅ぎ取ってしまう手練の諜報員が、どこに紛れているか分からないのだ。


「まぁ、今回の件も、上の方だけで取り交わされる書面にあるような内容は、お前には言えねぇし、誰が何処で何の役割をしたなんて詳細も、今後の任務に支障が出るから言わねぇ」


「いや、聞きたくないし」


 傍若無人な処はあれど、ニコルは好奇心で突っ走るタイプではない。潰せる相手の弱みや利用できそうなネタは無理矢理に抉り取ることはあっても、知れば自分に火の粉が降りかかりそうなネタはキッチリ選別して手を伸ばさない。

 今も半眼でクリストファーを見ながら、両手で両耳を塞いでいる。


「じゃ、上位貴族の当主なら、これから通達が行く程度の話な」


 ニコルの反応を見て、クリストファーは聞かせる内容を幾つか選んだ。


「んー、まず。ファーレル公爵家はファーレル伯爵家になる。領地も縮小。一番収入源になってるコルク樫の林とオリーブ畑の辺りを没収されるから、財政的にも小さくなるだろうな。当主は城に呼び出されて嫡男の恥ずかしい醜聞を知らされショック死したから、領地に引っ込んでた嫡男の二歳下の弟がファーレル伯爵として継ぐ」


「うん。一旦ストップ。何そのデカいネタ。いつ公表されるの?」


 まだ一般貴族には、ファーレル公爵が死亡したことすら発表されていない段階だ。

 ショック死だの恥ずかしい醜聞だのもツッコみたいが、王族が興した公爵家を伯爵家まで下げるなど前代未聞じゃないか。

 指先を、触れたティーカップの取手から眉間に寄せて人差し指の第二関節でグリグリと揉み、ニコルは訊ねる。


「大罪人の公開処刑よりは前になるだろうな」


「公開処刑・・・バッドエンドかぁ」


「だな。まだ尋問段階だからエンディングはもう少し先だぞ」


 桃とアプリコットの中間のような香りのフルーツティーを飲みながら、さらりと相槌を打つクリストファーだが、「まだ尋問段階」というのが既に一般貴族向けな情報だ。

 大罪人の娼婦エリカは、尋問の中でニコルへの害意は王家に近付く踏み台にする為だったと吐いたことになっているが、エリカの公開処刑に至る実際の罪状はハロルド達に捕縛された時から決定している。(まじな)いを実行したのだから。

 連行されたエリカが受けたのは、初っ端から「取り調べ」ではない。アンドレア達が用意した台本通りの動機と罪を、繰り返し()()して、エリカ自身もそれが事実だと覚え込むまで、拷問が今も続けられている。

 どの国も、敵国の工作員や敵国と通じた政治犯の扱いは血も涙も無いものだ。それが、王族を狙ったものであれば尚更。


「ふーん。けどさぁ、公爵家が伯爵家に落ちる醜聞て何? 想像つかないんだけど」


「あー。人身売買組織と繋がった幼い少年少女に接待させる、いかがわしい店の常連だったんだよ。今回、エリカの共犯探すんで、自称帝国の工作員の潜伏先になりそうな王都内の裏稼業の店を幾つか一斉にガサ入れしたら、バッチリ証拠が出ちまってなぁ」


「え・・・」


 ドン引いた表情のニコルに、ジルベルトが説明を引き継いだ。


「ガサ入れしたのはコナー家ではなく正規の騎士達だったから、秘密裏に処理することが出来なかったんだ。払う金額次第では()()に性的なものも含まれていた。耐え切れずに自ら命を絶った子供もいるそうだ。その際に店主に賠償金を請求されて、ゴードン・ファーレルは証文にサインをして家紋の入ったタイリングを渡していた。タイリングはオーダーメイドの品で、内側にゴードンの名前も刻まれていた」


「馬鹿なの?」


 ドン引いた表情は変わらないが、引く方向が変わったようだ。

 ちなみに、捜査に当たった騎士達がゴードンのサイン入りの証文とタイリングを発見したのは事実だが、偽造したそれらを用意して、ゴードンが通っていた店の隠し金庫に置いて来たのはコナー家の配下だ。ゴードンから渡されたと()()した店主も、本物とすり替わったコナー家所属の諜報員の一人だった。

 フルーツティーのお代わりを注ぎながらクリストファーは続ける。


「人身売買は、貴族でも主犯格なら家が消されるレベルの重罪だ。人身売買組織が裏にいるのを知っていて通報もせず、年端も行かない少女らに金と権力で無理矢理いかがわしい接待をさせ、王家の血を引く公爵家の名と家紋を軽んじて貶めた。しかも、第一王子の側近だったろ? 第一王子の恥にもなるのに派手にガサ入れしたから完全な箝口令も敷けねぇし。扱いに困って、取り敢えず当主を呼んで息子のヤラカシ聞かせたらショック死したらしい」


「うわぁ・・・。え、本人は?」


「不埒な行いが騎士団の面々の知るところとなり、隠蔽は不可能で今後は社交界にも話は知れ渡ること、期待をかけた第一王子側近の嫡男が起こした醜聞の、あまりにも酷い内容に、報告を受けた父親がその場でショック死してしまったことを聞いて、『一人で考えさせてくれ』と部屋に籠もった後で自害したそうだ」


 ハーブと糖蜜で調味された滑らかな舌触りの氷菓を喉に感じながらジルベルトが補足するのも、クリストファーが話すのと同様に、『何れ公開される内容』だ。()()とは異なる。


「へー。第一王子もこれから大変そうだねぇ」


「ああ。側近はほぼ入れ替わることが決定している。少なくとも、『次期国王』の威を借りて愚かな真似をする輩は弾かれるだろう。公務は却って進めやすくなるかもしれない」


 真面目が取り柄の質より量な側近達が、第二王子の評価が高まるのに比例して無能者の集団に成り下がっていたのだ。どうせ執務はエリオットがほとんど一人でこなしていた。秘書と従僕が一人ずつも居れば十分だろうと選定に携わる宰相らも考えていた。


「大変なのは第一王子の尻拭いをする第二王子サイドもだぞ。側近がアホやらかしたから、第一王子の評価や求心力がガタ落ちてんだよ。そんで、内乱防止と王女が嫁いで来る同盟国の顔を立てる為に、評価が高いままの第二王子は一生結婚しないことを陛下に誓って書類にも残しちまった」


「何そのトバッチリ」


「第一王子を唯一の正統な血を残せる継承者とでもしなければ、同盟国の王女を娶るだけの価値を保てないのだ。アンディ本人は、恨みを買う仕事を今後も続けるのだから身軽で良いと悲観もしていない」


「本人が良いならいいのかな?」


「良いんじゃねぇの。他に第二王子サイドの何れ公表されるビックリネタってぇと、パーカー伯爵家が無くなる」


「──はぁっ⁉」


 優雅に氷菓を食べ終え口を拭っていたジルベルトの向かい側で、辛うじてフルーツティーを吹き出さずに飲み込んでから声を上げたニコルに、クリストファーはメレンゲ多めのクッキーを咀嚼してから続きを聞かせる。


「ゴードン・ファーレルの婚約者はパーカー伯爵の長女だったろ? 第一王子の婚姻までは側近らも婚約者がいても結婚はしないことにしていたが、側近らもその婚約者らも年齢が年齢だから、同居で事実婚状態だったんだ。その相手が人身売買を見逃し続けたロリコン犯罪者で、貴族としても相当な恥を晒して自害した。で、ゴードンの婚約者のナディア・パーカーは心身衰弱で医療施設に保護されたんだが、そこで面会に来た父親に過去の罪を懺悔したんだよ」


「それだとナディア・パーカーは、物凄く被害者っぽく聞こえるけど、騎士団長が当主のパーカー伯爵家が無くなるような罪を過去に犯していたの?」


 クリストファーに釣られるようにサクリと軽いクッキーを口に運んで、ニコルは首を傾げる。


「おぅ。妹らと三人でパーカー家の家宝の宝玉を親に内緒の小遣い欲しさに砕いて少しずつ換金してたらしい。んで、それを知ったハロルドを口封じの為に何度も殺そうとしてたんだ。当主のランディ・パーカーは仕事でほとんど帰らねぇ。滅多に会えない父親にハロルドが姉達の所業を報告するも、ランディ・パーカーは取り合わず放置。ハロルドは加護を授かる以前に負わされた瀕死の重傷により、男性機能が成長後も正常に機能せず後継者を残せなくなった」


 ポップコーンのように、ひょいひょいパクパクと一口サイズのクッキーを口に放り込み、余計な感情は乗せない言い方で話すクリストファーが、視界の外で意識しているのはジルベルトだ。

 実情を知らなかったとは言え、自分の命令には絶対服従なハロルドに、女性嫌いを克服しろと命じたことは、ジルベルトの中に苦い後悔として残っている。

 第二王子番の監視役からの報告で、そういう会話があったことを知っているクリストファーは、ジルベルトがハロルドの実情を知れば自身の言動を悔いるだろうことを予想していた。

 だから、できれば、この辺りの話は掘り下げずサラッと流したいとクリストファーは思っている。


「騎士団長パーカー伯爵は、貴族としても人としてもアウトな娘達三人を勘当。残ったハロルドには後継者は作れない。だからパーカー家は断絶。ハロルドが得る筈だった人生を奪った責任と、その為に王国貴族の家を断絶させた責任を取ってランディ・パーカーは爵位と騎士団長の地位を返上。平民になる。ハロルドは完全な被害者で咎は無いし有能で国に必要だから、パーカー家が無くなる前にヒューズ公爵家に養子に入ったぞ」


「そっか」


 ホッとした様子で、ニコルは指で摘んだままだったクッキーを口まで運んだ。

 ニコルも、黙ってティーカップに口を付けるジルベルトが、「変態犬」と言いながらもハロルドを『大事な人間』として心に入れるようになっていることを感じていた。

 そのハロルドが、傷つけられたまま身分や立場も失うとなれば、ジルベルトが悲しむだろう。ニコルはジルベルトが心を痛める事態が招かれるのは嫌だ。

 平民になってしまえば高位貴族である公爵家の養子になるのは手続きが煩雑になるが、伯爵家から公爵家に養子に入るならば、それぞれの家の当主が必要な書類にサインを入れるだけで契約が完了する。

 ずっと上の方で、どんな取引があったのかニコルには窺い知れぬことだが、速やかな問題解決が成ったのならば、それでいい。

 ジルベルトとクリストファーさえ身体も心も無事であるなら、ニコルはそれ以上は望まない。他人の安寧や幸福に関しては。


「ハロルドの話が出たところで、妖精に訊きたいことがあるので姿を現してもらいたい」


 音を立てず完璧な所作でカップをソーサーに戻したジルベルトが呼びかけると、テーブルの上に赤い髪と瞳の妖精が現れた。

 初対面の時のようなスーツに似た格好で、やはりモーリスそっくりの顔をしている。

 人前で『剣聖』らしさのアピールのために妖精が姿を現す時は、ジルベルトの目が死んだ魚のようになる例のサングラス装着な昭和ヤンキースタイルだが、ニコルの屋敷で呼び出す時は、格好も口調も最初と同じだ。出てくる度に違う個体らしいのだが、色が違う以外には見分けは難しい。

 ニコルとクリストファーの妖精は、大人の姿を現すことはもう無いが、二人が「妖精が気に入っている加護の多い人間」に見えるように、人目につきやすい場所で度々大人の妖精が誘導して、二人の周囲をこれみよがしに子供の妖精に飛び回らせている。


『呼んでいただけるのは久し振りですね』


 色からして火の妖精だろう彼は、虹色の羽を揺らして30度のお辞儀で挨拶をした。相変わらずサラリーマンぽい印象だ。スーツを着たサラリーマンに虹色の羽が付いていると考えると、中々シュールだが。


「基本的に、人として生きるならば、人の力で知り得る以上の事柄は知りたくありませんから」


 妖精は記憶を共有する。意思疎通も会話も出来るのだから、ジルベルトは、しようと思えばいくらでも()()ができる。

 情報収集や捜査など自室の椅子から動かずとも可能だし、遠方や通常入り込めない場所で起きたことも、隠蔽された過去も、今現在のジルベルト・ダーガという人間では知り得ない知識も情報も、望めば手に入るのかもしれない。

 だが、ジルベルトはそれを望まない。今の彼は、人間として生きることを望んでいるからだ。

 人外の美貌だろうが、『剣聖』だろうが、物理でも魔法でも毒でも病気でも傷つかず殺されない、人類から遠ざかった気がする存在になっていたとしても、ジルベルトは人の世界で人として生きることを選んでいる。

 だから、安易に妖精の知識を引き出すことは避けている。


 ただ、転生のように最初から人智を超えた事象に関する話は別だ。想像や推測を確信に変えるために呼び出すこともある。

 この世界と酷似したフィクションを前世の記憶で知る彼らは、ここに馴染んで生きている今も、自分がカチリとこの世界の構成要素の一部として隙間無く嵌っている感覚が持てないでいる。

 この世界が一つの大きなジグゾーパズルなら、自分達が()()()()()()正しいピースなのか確信が持てない。三人には、()()()()()のピースとして存在した記憶があるからだ。

 今、嵌っている位置は正しいのか、無理矢理嵌め込んで一見正しく見えているだけなのか、答えを知らないままであることは、どうにも気持ちが悪い。


『知りたい答えの疑問まで、辿り着いたのですね』


 赤い妖精は、生徒を褒める教師のような笑顔をジルベルトに向ける。

 以前、転生や前世の記憶があることについてザックリ訊ねた時には、「答えられない話が含まれています」と言われていた。どれが「答えられない話」なのかも答えられないらしい。

 だから、具体的に訊けるところまで疑問を育てた。


「この世界の今の時間──正確には、私とクリスとニコルが前世の記憶を持った瞬間からの時間には、『一度目』がありますね?」


『言えません』


 肯定だ。

 ニコルとクリストファーも、妖精を食い入るように見つめている。考察を重ね、多分正解である道筋を推測していても、それを確実にこの世界のモノである妖精に肯定されなければ、何処まで行っても完成していない下書きのようなものだ。

 彼らは、違うことは違うと言う。彼らの「言えません」は、肯定と同義だった。


「初めて対面した時に、貴方達は、愛した者が恋愛や性愛を望んだことは()()()()()と言った。その中には、()()()の『剣聖』であるハロルドも含まれていたんですね」


『──言えません』


 僅かに苦みと悲しみを滲ませて答える妖精。肯定だ。ハロルドが、()()()は『剣聖』だったことも。

 滲む苦みと悲しみは、ゲームのバッドエンドでそうであったように、「私はもう『剣聖』ではない」とエリオットに告げて戦場へ行き、多分『剣鬼』として散った()()()の相思相愛の人間であるハロルドの記憶を、妖精達が共有しているからだろう。

 今生のハロルドと同じ家庭環境で育ち、今生のような救いは無く、『剣聖』になったばかりに忠誠を捧げたアンドレアから引き離され、守ることも叶わず、『剣鬼』となり散った。()()()のハロルドに与えられた人生の悲惨さに、想像だけで怒りにジルベルトの拳が軋む。

 ()()()に関することが「答えられない」話だとしても、具体的な疑問まで辿り着けば否定か肯定はしてくれるだろうと考えたのは、ハロルドの過去を知り、初対面の時に妖精が話した歴代『剣聖』の中に、ハロルドが含まれているのではと思ったからだ。


「エリカには、()()()の記憶が有りますね?」


『言えません』


 やはり肯定だ。エリカ()()、その記憶が有る。

 エリカが(まじな)いを、儀式の正確なやり方まで知っていたことで、不審な動きの原因が、この世界と酷似した世界観の乙女ゲームの知識ではないだろうと予測はしていた。

 恐らく、今のこの世界で、エリカだけが実際の()()()の記憶を持っている。

 ジルベルトがそれを問うと、やはり妖精は「言えません」と肯定した。

 ニコルの前では(まじな)いに触れる内容は口にできない。

 エリカだけが()()()の記憶を持っているならば、立てられる仮説があるのだが、それはここで口に出せる内容ではなかった。

 ジルベルトは、細く息を吐き出すと、妖精に向かって頭を下げた。


「今は、ここまでです。ありがとうございました」


『はい。では、また』


 優しい笑みをジルベルトに向けた後、30度のお辞儀をして赤い妖精は姿を消した。

 ニコルが(まじな)いに関する深い知識を得てしまえば、口封じの対象になってしまうことを妖精も知っている。

 素の状態の妖精が姿を現して話せるのは今の処ニコルの屋敷だけなのだが、彼らはニコルに聞かせても大丈夫な内容を、きちんと選別して話してくれていた。それも、過去に人間達の犠牲になった、彼らの愛する者達の記憶を共有しているからだろう。


()()()の記憶持ちってことは、エリカは私達の知らないことも知っているってこと?」


「かもな」


 ニコルが口にした疑問に、行儀悪くテーブルに頬杖をついたクリストファーが一口サイズのシュークリームを摘みながら答え、二個目のシュークリームは「ほれ」と言いながらニコルに放り投げた。


「うわ、ちょっ」


 前世で兄妹は、よくマシュマロや一口サイズのシュークリームを、兄が放り投げて妹が口でキャッチするという曲芸じみたじゃれ合いをしていた。

 ニコルの身体も反射で動く。

 シュークリームを口に迎えるために上を向いて口を開けたニコルの視線がずれた隙に、クリストファーはジルベルトに向けた側の唇の端だけを、ギュッと引いた。ジルベルトは、自然にカップに視線を落とすように、長い睫毛を伏せる。


「お前、貴族の令嬢が何してんだよ」


「自分がやらせたんでしょうが!」


 しっかり銜えたシュークリームを咀嚼して飲み込んでから抗議するニコルに、残念そうな視線を送って呆れた声を出すクリストファー。

 この二人の関係では、ジルベルトにとって前世から見慣れた光景だ。


(まーた私を守ろうとして二人で秘密を作ってるんだなぁ。本っ当、()()()そうなんだから。私が余計なことをすれば二人が危険になるから、知らないまま守ってもらうけどさ。女優業やっといて良かったかも。わざとらしくなく「知らない子」でいられる。)


 だからジルベルトは、ニコルが、自分が何も知らされずにコトを終わらせられていると知っていることにも、前世から気がついている。息子(クリストファー)は、どうやらまだ気づいていないようだが。

 それは、早くに死んだ母の代わりに、妹を守ることに盲目的なまでに熱意と力を注いだ前世があるからだろう。人間の観察や分析が、この中で一番得意な彼が、ニコルに対してだけ少しばかり眼鏡が曇るのだ。

 そんなクリストファーだからこそ、ニコルの一番側にいる人間として彼女を任せたいと思った。

 次のシュークリームを挑発するように人差し指をチョイチョイと曲げて要求するニコルが、「私は女優だから騙されてあげるわ」的なことを考えているのだろうな、と微笑ましげに眺めて、ジルベルトはカップに口を付ける。


(必要な()()を引き出したら、そろそろ脳は使い物にならなくしてもいいな。人払いをさせて()()()を脳味噌から残らず引きずり出そう。)


 母の眼差しで微笑みながら、考えていることは血も涙も無い為政者側のそれだが。

 クリストファーに、ここ以外に完全に秘密を保持できる場所を用意できないか相談しようと、三人分のフルーツティーを注ぎながらジルベルトは頭の片隅にメモを残した。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 妖精って敵なの? ヒロインは退場することが決まってるし、こいつらにも釘を刺した方がいいと思う。
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