同じ
コナー家との連携で二重の意味で人払いのされた騎士団長の執務室には、騎士団長本人と、アンドレア、モーリス、ジルベルト、ハロルドの五人だけが在室している。
騎士団長に心酔する者も第一王子派を名乗る者も、中の様子を窺える位置には入り込むことは適わない。
モーリスが纏めた騎士団長用の報告書と国王陛下の勅命書を手に、ランディ・パーカーは青くなったり赤くなったりしながら震えていた。
正しくは、自分の特別な所有物を手放せという勅命に絶望で青くなり、報告書の内容に怒りで赤くなったのだが。一度に複数の感情を感じることを、ランディは出来ない。
読了に三十分ほどかかっているのは、内容を認めたくない悪足掻きではなく、オズワルドやジュリアンとは頭の出来が違うからだ。
「これにサインを」
モーリスが差し出した、ハロルドを養子に出す同意書に、ランディは勅命書をチラチラと見ながら震える手で署名する。
素早く署名済みの同意書を引き上げたモーリスは、アンドレアと頷き合って一度退室した。宰相の執務室へ行き、即時養子縁組の手続きを行う為だ。
呆然とそれを見送るランディに、アンドレアは冷ややかな声で問う。
「して、どう始末をつける?」
「娘達を、パーカー家から勘当いたします」
感情が怒りへ戻って来たランディが強張った声音で言えば、アンドレアは片眉を上げた。
「それだけか?」
最愛の妻に不自由をさせたくないランディが、忠誠心により地位と身分まで手放すには、記録に残る報告書の内容以上の忠臣としての瑕疵が必要だ。
アンドレアは、今回表向きは伏せられる内容を告げる。
「パーカー伯爵の長女が事実婚状態となっている婚約者のゴードン・ファーレルは、表に出せぬ大罪を犯し、コナー家による処刑が決定している。その大罪の一端の背中を押したのはナディア・パーカーだ」
「どういう、ことですか」
怒りを押し殺す声。獰猛な殺気が漏れ出るが、ここにそれで行動に支障の出る者はいない。戦場を駆けたことが無くとも、三人共命のやり取りにも慣れ、年齢にそぐわない荒事の場数を踏んでいる。
「ゴードン・ファーレルは自称帝国と密通し、第一級の禁制品である劇薬の密輸をしていた。例の『政治犯』用の劇薬だ。それを王命でコナー家次男と婚約を結び王家の庇護下にあるニコル・ミレット嬢に使おうとしていた。婚約者のナディア・パーカーに背中を押されてな。ナディア・パーカーの動機はハロルドを見下したいからだ。第二王子側近のハロルドを見下すために、婚約者の第一王子側近にニコル・ミレット嬢獲得という手柄を立てさせようとした」
今後は国政の中枢から遠退く男だ。ゴードンの犯した全ての罪を知る必要は無い。
長女の犯した罪の責任を取って、身分と地位を返上する気になれば十分だ。
アンドレアは、ランディが聞かされた内容を理解する時間を待って続きを告げる。
「ナディア・パーカーはコナー家が所有する治療院にて保護されている。自白剤を使用して吐かせたが命に別条は無い。この後、『婚約者の醜聞による自害と自身の勘当によるショックで衰弱死』となる予定だがな」
「うぅう」
ランディは頭を抱えて唸る。そこまでコナー家が関わっている事態となれば、自分が聞かされていない『本当に漏らせない罪状』が他にも有ることは、長年騎士団長を勤め上げたのだから察している。
自身の処遇も、既に決定済みで、ランディ本人の口から言わせるのは温情であることも。
脳筋で、執着心から人としてどうかという行いを繰り返して来たランディだが、頭が悪いわけではない。本当に頭が悪ければ、いくら剣の腕と忠誠心があろうとも国王陛下の側近や王国軍人のトップになど在れないのだ。
恐らく、『本当に漏らせない罪状』は、同盟維持に支障を来す内容のものだとランディは推察する。それを聞かされない自分が口にすることを望まれている自身の進退は、表舞台からの完全なる退場だ。
ランディは絞り出すように訊ねる。
「妻は、罪に問われるのでしょうか」
やはり最大の関心はそこか。アンドレアはクリソプレーズの瞳を冷やし、淡々と答える。
「いや。何もしていないからな」
リナリア・パーカーは、何もしていない。娘達が屋敷内で小動物の虐待を繰り返していても気にも留めず、留守がちな夫の代わりに対策も取らず、娘達の虐待の対象が小動物から生まれたばかりの息子に移っても、何もしなかった。
リナリアが、夫に一言でも息子の窮状を訴えていれば、ハロルドに消えない傷を残すことにはならなかっただろうに。
貴族の奥方が義務として望まれるのは跡継ぎを産むまでであり、その後の子育ては他人任せが一般的だ。だが、同じ屋敷内で起こる問題に、主の留守中は屋敷内の最高権力者となる女主人が何も知らなかった筈は無い。
リナリアは、娘達が息子に何をしているのか知りながら、母親の前に姿を見せることを禁じる命令を受けている息子に手を差し伸べることを一度もしなかった。
そのくせ、ハロルドが出世して評価が高まれば社交の場で母親面をして近寄ってくる、厚顔無恥な女だとアンドレアは思っている。口に出したことは無いが。
だが、ハロルドにとってリナリアは『居ないもの』だ。態々罪に問い、罰を与えて息子の記憶に残してやる気は無い。
「ハロルドは今後も国にとって必要だ。よって勅命によりパーカー家とは切り離した」
先程署名したハロルドを養子に出す同意書の理由を告げられ、ランディは大きな身体を縮めて項垂れる。
ハロルド以外のパーカー家の人間は、国にとって必要無いと言われたも同然だった。勅命により切り離されたと言うことは、忠誠を捧げたランディの主君がそう判断したのだ。
これからの国の為に必要なのは、ランディではなくハロルドなのだと。
「で? 騎士団長パーカー伯爵は、どう始末をつける?」
地位と身分を強調して問われたランディ・パーカーは、床に跪いて深々と頭を垂れた。
「娘達にはパーカー伯爵家からの除籍と追放を。その手続きが完了し次第、私はパーカー伯爵の爵位及び騎士団長の地位を返上させていただきます。後継者不在のパーカー家の全ては、王家にお返しいたします」
「いいだろう。公表するパーカー家断絶の理由はどうする?」
重ねて問われ、ランディは一つ一つ考えながら答えを口にする。
「貴族家の当主として不適格である己を恥じての身分返上といたします。不適格の理由としては、家宝の宝玉を享楽のために砕いて換金していた娘達の所業に気付かず、それに気付いた嫡男ハロルドを口封じのために三人で共謀して幾度も殺害しようとしたことも放置し、不在の多い私に幼いハロルドが事実を訴えたことに取り合わず、婚約者の自害により心身の衰弱した長女の告白から調査を進めることで漸く事実と認識したものの、時既に遅く、加護を授かる以前に何度も深手を負わされていた次期当主であるハロルドには成長後も男性機能に後遺症が残り子が成せない。私の監督不行き届きにより、嫡男が王国貴族の家を存続させる義務を果たせなくなった。という内容にしたいと考えます」
脳筋にしては良く出来たストーリーだ、と聞く三人は感想を抱いたが、ランディの中ではハロルドは自分と同じ人間ではなく、『嫡男』か『愛妻と自分の結晶』という『モノ』なので、「砕かれた家宝の宝玉」はハロルドと重ねられていた。
ランディに見せた報告書には、ハロルドが姉達の執拗な虐待により女性と子を成すことが出来ない身体になっていることも記載されている。
男性機能の欠陥を公表される形になれば、ハロルドを嘲り侮る者も現れるだろうが、『剣聖』を抜かせば最強の実力者であり、継がねばならない家も無く、本人は女が寄って来ることを回避できるなら却ってありがたいと言うくらいだから、そこは受けとめるだろう。
ランディが必要以上に保身に走った案を出した時のために、数パターンのストーリーはモーリスが作り上げて持って来ていたが、その出番は無さそうだ。
他人の作った台本をランディに覚えさせる手間と覚え切れなかった場合のリスクを考えれば、本人が考えたストーリーが余程マズくない限りは却下はしない方向で打ち合わせていた。
もっと厳しく処断したいところではあるが、ランディの責任追及は、ハロルドの将来に影を落とさない程度で済ませなければならない。
各国に名を轟かせた『王国最強の軍人』ランディ・パーカーの血を引いていることは、今後も一生ハロルドに付いて回るのだ。
その名声を、栄誉を、完全に地に落とすことは無く、されど家を断絶させハロルドの手にする筈だった未来の一部を奪った咎は背負わせ、国王陛下の側近として、騎士団長として、潔白であろうと己の罪を認めて自らを厳しく断罪した形を取らせる。
目的に対して、それほど悪くない台本だった。
「認めよう」
鷹揚に頷いたアンドレアに、更に深く頭を下げるランディ。
これで、パーカー家の始末の仕方は決まりだ。細かい調整をして動くのは、宰相との連携になる。
ノック音が響き、モーリスが戻って来た。
「ハロルドの養子縁組が完了しました。ハロルドはもう、ハロルド・パーカーではなく、ハロルド・ヒューズです。ヒューズ公爵家の次男ですね」
頭を下げたままのランディが、ピクリと肩を震わせる。
気付いても、それに触れることなく仲間達はハロルドに祝いの言葉をかけた。
「おめでとう、ハリー」
「ありがとうございます」
「モーリスやヒューズ公爵は頼りになる。良かったな」
「はい!」
「今日は我が家に帰って来なさい。父と僕だけですが歓迎会をしますよ」
「ありがとう。お兄様」
ランディの存在を無視しての和気藹々とした仲間内のじゃれ合いは、当然ハロルドの元父親であるランディ・パーカーへの皮肉である。
モーリスがハロルドに「帰って来い」と言った我が家はヒューズ公爵家の屋敷であり、ハロルドがアンドレアの側近に決定してからパーカー伯爵家には一度も帰らず寄り付きもしなかったことは、報告書に書かれていたからランディも知っている。
報告書を読むまで知らなかったような体たらくだから、早々に息子から見限られていたのだが。
自分より強い内は辛うじて残っていた尊敬の念も、今のハロルドがランディに向けることは無い。
ハロルドも、やはりパーカー家の男だ。
その能力と執着心は比例し、他人へ向ける想いは非常に偏っている。
全身全霊の執着心はジルベルトへ。忠誠心はジルベルトが忠誠を誓うアンドレアへ。父親と違うのは、友情や仲間意識を、ただの枠の中へ個体を放り込む感覚ではなく、対人の意識として持ち合わせていることだ。
ハロルドは、執着するジルベルトや忠誠を誓うアンドレアだけではなく、モーリスのことも、二人の付属品だからではなく彼自身が対等な仲間として大切に想い、好きだし嫌われたくないと思っている。
そうでなければ、ジルベルトを餌にされようが、モーリスの言うことを大人しく聞いたりはしない。根は手のつけられない狂犬なのだ。
どれほど騎士達に慕われていても、側近仲間以外に親しい人間がいないハロルドは、親しそうに見えて周囲の人間を妻と主君以外は無機物同様に捉えている父親と、見え方は違っても同じだ。
ハロルドも、ジルベルトとアンドレアとモーリスという『特別』な人間以外は無機物と一緒の扱いだ。それを口には出さないが、好青年風笑顔の下では大概温度の無いことを考えている。
だから、ハロルドはパーカー家がどうなろうと何も思わない。気にするのは、大切な人達にパーカー家の血を引く自分が汚点とならないか、だけだ。
親兄弟も親戚も、急に職を失うだろう使用人達も、ハロルドが気に掛けることは一切ない。領民が割を食うことは無いとアンドレアも言っていたのだから、気にする必要のあることなど何かあっただろうかと本気で思っている。
そこには、特段の恨みなども存在しない。敵である姉達ですら、社交の場で寄って来られると煩わしいから消えてくれればスッキリするな、程度の感覚だ。自ら手を下して消すほどの感情も動かない。
ハロルドの中で人間は、『特別』な三人と、『必要』、『不要』にしか分かれていない。『必要』の中には職務上関わる人間や生活上関わる人間が分類され、『不要』の中には敵やどうでも良い人間が分類される。たまに『不要』の中に排除が必要なモノが出てくれば対処するが、敵とどうでも良い人間はハロルドにとって同列だ。
例外は、ハロルド自身の敵ではなく、『特別』な三人に害を為す敵であり、最優先の排除対象となる。勿論、排除がバレると後から三人の立場を悪くするような相手であれば、ちゃんと相談して許可は取っている。モーリスの母親も排除しようとしたが、ちゃんとアンドレアの「待て」を聞いて手を出していない。
「では、騎士団長パーカー伯爵、最後の仕事を失敗するなよ」
どうでも良い実の父親を完全に意識から消して仲間達と喜び合っていたハロルドは、アンドレアの言葉で未だ跪いて頭を下げたままのランディを見下ろした。
視界に入れたところで、やはり何の感情も浮かんで来ない。
「はっ」
返事をしてから僅かに視線だけ上げて縋るように自分を見上げる男へ、ハロルドは好青年風の笑顔を浮かべ、無言で踵を返した。
背後で息を飲む音がする。同じ色を持つ息子の瞳に、一切の温度も感情も宿っていなかったことに気付いたのだろう。
彼は、同じなのだ。暑苦しい熱血脳筋騎士団長と言われながら、その熱は妻と主以外には微塵も渡さなかった父親と。
ハロルドは、どろどろに煮詰めた熱を込めた眼差しでジルベルトを見つめて隣に並び、軽やかな足取りで騎士団長の執務室を出て行った。
残されたランディは、手から零れ落ちた『宝物』を、初めて『同じ血を引く男』として認識し、それが二度と自分の手には戻らない事を理解した。
ランディも、同じだからだ。
パーカー家の男が、『特別』ではない相手のモノになることは決して無い。『特別』以外は全部、「どうでも良い」と同列なのだ。ハロルドがランディのモノだったことは、ハロルドの中では一度も無かったのだろう。
対等な人間だとは思っていなかったが、ランディにとってハロルドは『特別』だし『宝物』だった。
その想いが伝わっていなかったのだろうか、と悩むランディが、ハロルドの『特別』になれなかった理由を知る日は永遠に来ないだろう。