騎士団長という男
モーリスが宰相の執務室に顔を出すと、専属護衛を連れた国王陛下がソファで茶を飲んでいた。室内には、その二人と執務机に向かって座る宰相しかいない。人払い中のようだ。
どうやらアンドレアが、まだ国王の執務室を使用中らしい。表情を変えず納得し、陛下へ最敬礼を取ってから執務机まで歩み寄り、父親に報告書を手渡した。
パーカー家に関する報告書と、パーカー家が今後辿るであろう展開予想を纏めたもの、それとハロルドの救済措置としてヒューズ公爵家へ養子に迎える提案と、そのメリット及びデメリットへの対策だ。
それなりの厚さの書類をものの数分で理解しつつ読了し、宰相オズワルド・ヒューズは嘆息して、主君へそのまま報告書を流す。
クリソプレーズ王国国王ジュリアンは、オズワルドと同じく数分で読み終えると、「ブフッ」と公式の場では出せない笑いを漏らした。
「はぁ。モーリス、お前の怒りは大層伝わった。いや、私や陛下でなければ気づかないように織り交ぜられているが、お前達がどれほどハロルド君を大事に想っていて、ランディやその娘達に腹を立てているのか、背筋が寒くなるほど伝わって来る。あの脳筋も悪い奴ではないのだが、これはもう庇いようが無いな。ハロルド君をうちの養子に迎えるのに私に異論は無い。陛下が王命を出してくれれば、あの馬鹿も嫌とは言えないだろう」
蟀谷をグリグリと揉み込みながら愚痴の口調で話すオズワルドは、他者の目のある所では『王国の頭脳』らしく冷徹な切れ者の顔で過ごしているが、息子を一人前と認めてからは、度々くたびれた中年のような態度を取る。
王命で娶った妻には同情はあれど愛は無く、歩み寄りの努力を二十年以上に渡る拒絶と侮蔑で返されているので癒やしにもならない。されど妻は元王族。愛人を囲うどころか娼館に行くことすら許されないのだ。
宰相という過酷な職務を担い発生するストレスは、息子に素を見せることで緩和されている。
「いやぁ、実に面白いな。オズワルドにこんな顔をさせる報告書など、そうそう無いぞ。ランディには私から勅命を出そう。ハロルド・パーカーは、女性嫌いの気はあったが王宮で陰の無い表情をして暮らしていたのでな。過去に何かがあったとしても、とうに乗り越えたものと考えていた。だが、これでは当人が乗り越えていたとしても放置は出来んな。まったく、ランディも極端で仕方の無い男だ」
ジュリアンは、アンドレアとよく似た明るいクリソプレーズの瞳を細め笑った。目尻に薄い皺はあるが、王族らしい極上の美男である。
笑ってはいるが、揶揄しているわけではない。心を痛めてもいるし、己の側近に自由を許し過ぎた後悔もある。だが、それを表に出してはならないのが国王というものだ。
ジュリアンもオズワルドも、騎士団長であるランディも、同い年で学院でも同学年に在籍し、長年を共に過ごしてきた友人同士だ。主従関係ではあるが、互いに友情を感じている。
しかし、ランディとジュリアンの関係は、オズワルドとジュリアンのような関係ではない。そしてオズワルドとランディの間には相互の友情は無い。
それはパーカー家の特質が作用しているからだ。
パーカー家の男子は能力と執着心が比例する特性がある。彼らは、その執着したもの以外に愛情を向けることが出来ないのだ。
更に、武門の血筋らしく脳筋であれば、複雑な心情というものを持つことが出来ない。シンプルに、喜怒哀楽ならば一度に一つずつだけ感じる脳の造りになっている。この辺りは頭の出来次第なので、ハロルドは父親よりも複雑な感情を持っている。
だが、典型的な脳筋のランディは、愛情の全てを執着する愛妻に注ぎ、忠誠心は主君であるジュリアンだけにそっくり丸ごと欠けずに渡している。オズワルドのことは「友人」と「仲間」の枠には入れているが、「ジュリアンの付属品だから大事」程度の認識だ。オズワルドとしてはランディを「困った友人枠」に入れているので、少しだけ寂しい。
ランディにとって、愛妻が産んだ自分の血を分けた子供だとしても、愛妻とは別の個体に心を寄せることは無い。
ただ、親や貴族の義務は理解しているから、不自由の無いように養育はしたし、家庭教師の手配もした。それで確かに義務は果たせている。その義務すら果たさない貴族の親もいるのだから、ランディがそこを責められる謂れはない。
けれど、四人いる子供達の中で、ハロルドだけはランディの『特別枠』に入っていた。
ハロルドだけは、四人の子供達の中で母親似の顔立ちだったからだ。
娘達は三人ともパーカー家の遺伝を色濃く受け継ぐ、整ってはいるが気の強そうな相貌だが、ハロルドは母親のリナリアをそのまま男性に変化させたような、凛々しくも綺麗系の顔面を持っている。
最愛の妻を彷彿とさせる面差しに、髪と瞳の色はランディと同じものを受け継いだハロルドは、ランディにとって『妻と自分を混ぜて出来た結晶』と認められる唯一の存在だった。
それを何度も熱く語られていたジュリアンとオズワルドは、モーリスが持って来た報告書を読んで心底呆れたのだ。
だったら、もっと、ちゃんと大事にしておけよ。と。
他の娘達だって両親の遺伝子を『混ぜて出来た結晶』なのだが、ランディが実感できないものはどうしようもない。
せめて、特別枠に入れた唯一の『最愛の妻との結晶』と認められる息子だけでも、しっかり目を掛けておけよ、と。
報告書を見る限り、ハロルドは父親にも特別な情を持っていない。ほぼ会うことの無い母親はハロルドの中では居ないものとなっているし、姉達は完全に敵だろう。父親は、せいぜい職場の上司程度の認識だ。自分が生まれた家の当主であり、仕事で行き来もあるから関係を保っているだけだろう。
父を恨んでいる様子も無いが、どうでも良いと思っているだろうことが、普段の言動の端々に見えている。
ハロルド自身が望み、オズワルドが「ハロルドを養子に寄越せ」と言っても、ランディは手放したくなくて抵抗するだろう。ランディにとってオズワルドはジュリアンの付属品でしかなく、ハロルドは『愛妻と自分を混ぜた結晶』という自分の所有物だ。
ランディにとって『特別枠』に入っているハロルドだが、それは生身の人間としてと言うより、『自分のモノ』という特別感だ。物にも執着は無い男だから、それでもやはりハロルドは『特別』ではあるのだが。
その『特別なモノ』を素早く穏便に手放させるには、ランディのもう一つの『唯一』の相手、『唯一の忠誠』を捧げた国王ジュリアンによる王命しか無い。
それも最愛の執着先である妻が反対したら話が面倒になるから、ランディが自宅に帰る隙を与えずヒューズ公爵との養子縁組を成立させなくてはならない。
一度成立させてしまえば、法がハロルドを守ってくれるだろう。
ランディが身分と地位を返上して平民になれば、ヒューズ公爵家の子息となったハロルドを勝手に取り返すことは出来ない。
まぁ、ハロルドが本気で抵抗すれば、父親を返り討ちに出来るので、ハロルドの身分をランディより上にしてしまえば安全だろうと、ジュリアンとオズワルドは考えている。
「で、ランディに見せる報告書もあるのだろう? 見せてみろ」
父親に手を差し出され、肩を竦めて手渡すモーリス。ソファから立ち上がったジュリアンも、執務机の後ろに回り込んで興味深げに覗き込む。
一分後、「ブフォッ」と吹き出して肩を震わせて笑う国王と、眉間にシワを刻みながら微妙な表情になる宰相という、世にも珍しい光景が出来上がった。
「いや、最高だな。あいつにも理解できる平易な文章でありながら、随所にチクチクと馬鹿でも『もしかして皮肉かな』と察せられる表現を散りばめ、騎士団が担当した過去の非道な犯罪の犯人の供述を引用して娘達の所業を短文でまとめてある。これは、騎士団長が読んだらドン底まで自己嫌悪で沈み込むだろう」
「何という才能の無駄遣い・・・。我が息子ながら最高にエゲツなく追い落とす報告書だ。お前、どれだけランディが嫌いなんだよ」
片側で緩く結んだ長い銀髪を軽く払い、「さあ?」と嘯くモーリスだが、ハロルドの過去を知る前から、騎士団長には腹の底では蟠りがあったのだ。
多忙を超越した忙しさの中で、軍人として忠臣としては立派でも、人としては困った処の多いランディの尻拭いを、父親が心を砕いてやっているのをモーリスは知っていた。それをしてもらうランディの側は、オズワルドとまともに向き合うことが無かったことも。
いい大人が何をしているのだと、不愉快に思っていた。適材適所や効率化を持ち出しても、収まりがつかない程に、ランディはオズワルドの手を煩わせては平然とそれを享受していたのだ。
ハロルドの過去を知れば、「やっぱり、そういう男だったのか」と尚更に軽蔑と嫌悪の念が湧いてくる。表情には出さないが。
この報告書で追い落とされて身分を返上すれば、ランディは陛下の表向きの側近ではなくなる。貴族でなければ国王の側近にはなれない。
オズワルドがランディの尻拭いをするのは、ランディの貴族としての体面を守るためというのが殆どだった。ランディの貴族としての不始末は、側近として抱えている陛下の傷になる。
貴族の体面を守るため以外の不始末も、ランディが平民になり、陛下のために働くことを許されても影の側近となるならば、貴族のオズワルドが尻拭いに奔走することは無くなる。
平民の尻拭いを公爵である宰相がする不自然は、旧知だ旧友だと言っても悪目立ちしかしない。平民になっても自分の不始末を自分で片付けられないならば、忠誠を捧げた陛下の足を引っ張る存在でしかないのだ。
今まで甘えと我儘が許されていたのは、『王国最強の軍人』である騎士団長という地位故のこと。そのくらいは、脳筋でも自覚している。
『王国最強』の名は、既にジルベルトとハロルドに二年連続で敗北しているのだから過去の栄光だ。今もランディを『最強軍人の騎士団長』と慕う騎士が多いのは、ランディを下したのが、「何人たりとも敵わなくて当然」とされる『剣聖』と、ランディの息子であるからだ。
ハロルドの人気と広められる強さが、そのまま「最強軍人の血を引いているから」というランディの手柄のようになっている。
その現状に何時までも甘えて周りを振り回すなと、モーリスは思っていた。
「引導は、アンドレアと共に渡すのだろう? これを持って行け」
笑いの余韻を残しながら、ジュリアンは懐から出した紙にサラサラと一筆書き付けて、反対側の懐から取り出した玉璽を押した。
「パーカー家嫡男ハロルドをヒューズ公爵オズワルドの養子にせよとの勅命書だ」
「拝受いたします」
恭しく受け取ったモーリスは、薄っすら笑みを浮べる。その笑顔は冷たい美貌と相まって、正に引導を渡しに行く死の使いのようだ。
実際に命を取るつもりは無いが、これでランディ・パーカーから横暴を許される権力を取り上げられる。
必要なモノは揃ったし根回しも済んだ。第二王子の執務室へ戻って主と仲間の帰りを待とう。
仲間が揃ったら、己の執着心を満たさんと好き勝手に生きてきた男へ引導を渡しに行こう。
最敬礼を取って退室したモーリスが消えた扉を見遣り、息子を持つ父親二人は何とも言えない顔になる。
「怖いぞ、お前の息子」
「大丈夫です。私も同意見なので」
「実に将来が楽しみだな」
「お褒めにあずかり光栄です」
ジュリアンを含めた王家は、シャーロットへの負い目から、彼女が息子に施す洗脳めいた褒め殺しを好きにさせていた。
オズワルドは、「シャーロットの好きにさせてやってほしい」と主君に望まれ、このままでは良くないと思いつつも妻と息子を引き離さなかった。
モーリスが、母親の呪縛から解き放たれるには、自分の意思で母親と決別する他に無かったのだ。
親世代の理不尽から犠牲を強いられて、よくぞここまで大成したものだと、この二人にとってモーリスの成長は非常に感慨深い。
モーリスの変化は、ジルベルトとの出会いが齎した。
出来は悪くないのに世を拗ねて、学習嫌いで手を焼いていたアンドレアもジルベルトとの出会いで激変した。
ハロルドを救い出したのもジルベルトだ。
少年でありながらコナー家を掌握してしまったクリストファーも、ジルベルトを友人と公言して懐いている。
何とも不思議な存在であると、名実共にクリソプレーズ王国トップである二人の権力者は思いを馳せる。
人を狂わせる人外の美貌を有する清廉な『剣聖』。
第一王子の器を試す、最後のチャンスとして、彼の忠誠を捧げる時期をエリオットが動くまで国王の権限で留めさせた。
結果、エリオットに本当の意味での次期国王としての器は認められぬと、ジュリアンは国王として第一王子を見限る覚悟を決めることとなった。
アンドレアの学院卒業を待って話を進めるつもりだったが、その前に第一王子側近の大罪が発覚してしまった。
運命が味方をしたのは、エリオットではない。
ジルベルトという存在は、もしかすれば、この王国にとって『運命』そのものなのかもしれない。
『運命』に愛されるのか外方を向かれるのかで、辿る道は真逆のものとなるだろう。
願わくは、この王国から『運命』が逃げ出さずにいられるように。
「我々は我々で、小蝿を駆除しておくぞ」
「御意に」
年若く人外の美貌を有する『剣聖』は、狙われる理由も枚挙に暇がない。
国内は抑えも完了しているが、特に同盟国以外の他国から放たれる害虫は、虞を知らぬ分、小賢しく始末が悪い。
「ランディが騎士団長を辞したら放浪の旅にでも出すか」
「ああ、いいんじゃないですか。世直し害虫駆除の旅」
クリソプレーズ王国2トップの権力者が笑み交わして出した決定を、騎士団長が覆せることは無い。
クリソプレーズ王国騎士団長ランディ・パーカーの未来は、こうして割と軽い調子で決められた。
国王が懐から玉璽を取り出したのは、国王の執務室を第二王子に貸出中だからです。通常は厳重に保管しています。