バッドエンドへようこそ(モブ)
ファーレル公爵は、国王陛下の執務室へ呼び出されたことに何も疑問を持つことなく向かっていた。不安など無く、むしろ多少浮かれている。
何故なら、彼の息子である次期ファーレル公爵は、次期国王となる第一王子の側近だ。それも、主に秘書のような役割を担っていると聞いている。となれば、第一王子が国王として即位した暁には、自分の息子が宰相となるだろう。
ファーレル公爵家から宰相が出る。その想像は、ファーレル公爵の気分を大変に高揚させた。
実態は、能力の高い第一王子がほぼ一人で執務をこなし、秘書役がするのは、書類を運んだり宰相から第一王子のスケジュールを聞いて来るくらいなのだが。本当に秘書なら任される筈の、第一王子のスケジュール作成及び管理、調整をしているのは、第一王子の側近ではなく宰相とその部下達だ。
第一王子の側近は十人もいるが、そのほとんどは秘書役と従僕だ。従僕がするのは、着替えの手伝いや茶を淹れる、備品の補充など。秘書役と従僕で取り合いになる人気の高い仕事は、第一王子から各所への伝令役や書簡の授受である。彼らが激務となることは無く、概ね暇だ。定時に来て定時に帰れる。
よくもこれだけ揃えたものだと言うほどの無能な側近らに、年回りの不運さで囲まれる、凡庸だが優秀な努力家の第一王子。そんな彼を少年期から見てきたから、クリストファーは彼の未来を潰すことに多少の感傷が生まれたのだ。
ファーレル公爵は、案内役の近衛騎士の顔など一々見ていない。
国王の執務室との繋ぎは、近衛の試験を満点クリアした陛下の専属護衛であるトップの実力者が直々に選定した少数の精鋭のみが許された職務なので、普段は同じ顔ぶれだ。
今、ファーレル公爵を案内する近衛騎士は、いつもの面子ではない。近衛騎士としては偽物ではないが、この先の執務室に陛下はおられないのではないかと、常の顔ぶれを知る者ならば考えただろう。
更に、クリソプレーズ王国の貴族名鑑を細部まで理解して記憶している者なら気がついたかもしれない。その近衛騎士は、コナー公爵の妹が嫁いだ侯爵家の次男だと。
「ファーレル公爵をお連れしました」
ノックの後に近衛騎士が発した声に、室内から「入れ」と応えがあった。
ここに来て、ようやくファーレル公爵の中で何らかの引っ掛かりが生じた。
公爵ではあるが、要職に就いているわけでもないファーレル公爵は、陛下と言葉を交わす機会が然程無かった。だから、陛下の声を確信を持って覚えてはいない。それでも、その声には「何か違う」という引っ掛かるものがあったのだ。
その正体も分からぬまま扉を潜り、背後で近衛騎士が扉を閉める音がやけに鮮明に耳について───理解した。
応えの声は、若過ぎたのだと。
「ファーレル公爵、この場にいるのが私である現実を見て、何を想像する?」
お手本のように綺麗な笑顔のアンドレアがファーレル公爵に問う。
瞬間、事態が飲み込めず呆けていたファーレル公爵の頭を過ぎったのは『笑顔の最凶王子』という渾名。
王国内の不穏分子の調査と粛清を職務とする、別名『血塗れ王子』。特に、高位貴族が粛清対象となった時には、その処罰の残虐さは想像を絶する、と。
「コナー公爵、座らせてやれ」
存分に恐怖を思い出す時間を与え、血の気の引いた顔で震え出したファーレル公爵の直立が困難なほどになってから、アンドレアは部屋の隅に控えていた男に声をかけた。
ファーレル公爵の目が、アンドレア以外の室内の人物も映すことを思い出した。入室の瞬間から、強烈に視線を引き付けたアンドレア以外の何も、今まで見えていなかったのだ。
部屋の隅にはコナー公爵。気配など、まるで感じなかった。姿を目に映した今でさえ、そこに存在するのかどうか朧げなほど現実感が無い。祭儀大臣のコナー公爵とは何度も顔を合わせたこともあるが、今のコナー公爵がそちらの顔をしていないことは、要職に就く能力の無いファーレル公爵でも分かった。
要職に在らずとも公爵家の当主。コナー公爵家の役割は知っている。
だが、だからこそファーレル公爵は更に恐慌状態に陥った。コナー家に睨まれることなど、何もした覚えが無いのだ。
ファーレル公爵家は、ここ数代、功績を上げる人物を生み出せていないが、国王への忠誠を違えたことも無かった。嫡男は第一王子の側近であり、嫡男の婚約者は陛下の寵臣である騎士団長の長女だ。
そこで、アンドレアの斜め後ろに、至高の芸術家が描いたような静かな微笑を浮かべて佇む麗しの『剣聖』を見つけ、目を見開く。
まさか、『剣聖』の忠誠を第一王子に捧げさせるために働きかけた息子への、第二王子の私怨ではあるまいか。
第二王子アンドレアの容赦無い粛清に不満を持つ多くの貴族と同様に、ファーレル公爵もアンドレアの行いに懐疑的であった。
私欲のために王族を利用せんと暗躍した輩が粛清されることを、彼らは「忠義の心を邪推された被害者」だと履き違えている節があるのだ。
どれほど腹が立とうが許せなかろうが、アンドレアが「第一王子への忠誠心から『剣聖』を第二王子から奪おうとした」貴族を罰することなど無い。
己の職務を忠実に遂行するに当たって、その対象が偶々自分から大切な側近を奪おうとした輩だった場合、多少調べが厳しくなるだけだ。
「何を誤解しているか知らないが、貴様の息子の罪状は、自称帝国との密通だぞ」
見開いた目に自分への疑心と反抗心が浮かび上がるのを観察していたアンドレアが、お手本のような綺麗な笑顔を嘲笑にすり替え、言い放った。
「・・・・・・は?」
タイミング良く、本人にも気付かぬ間にコナー公爵に腕を取られてソファに誘導されていたファーレル公爵は、そのままストンと力が抜け、ソファに沈んだ。力と言うより腰が抜けていて、立ち上がることは出来ない。
聞かされた言葉への理解が追いつかないまま呆然とするファーレル公爵は、次いでアンドレアが発した言葉に心臓が止まりそうになった。
「他に、呪い教唆による国家転覆策謀もある」
詳細など知らずとも、『呪い』に関わる罪を犯した嫌疑がかけられることが、どれほど不味い事態かは知っていた。それは、裁かれるのが国法では済まない大罪で、どのような身分でも免れることが叶わない罪業だ。
どのように行うものかは知らされることは無いが、望んだ対象に死や病を齎すことを可能とする、自称帝国が生み出した大きな対価を消費する邪法であり、その存在すら無辜の民へ知らせては命で贖う罪となる。
国家転覆を策謀し、その手段として呪いを用いようとしたと言うならば、その対象は国王陛下か次期国王である第一王子に他ならない。
まさか、自分の息子が、そのような大それたことを考えつくとは信じ難かった。自分の息子は自分に似て、いや、自分以上に頭も回らず精神も脆弱だ。そんな大胆な犯罪を考えつく筈がない。
息子の不出来さを思い出して僅かに冷静な思考を取り戻したファーレル公爵は、再びアンドレアへの疑心を浮上させる。
これは、第一王子派の力を削ぐための、でっち上げではないか、と。
「ファーレル公爵。この件は、我々コナー家の調査に引っ掛かった人間を徹底して洗い直すことで出てきたのです。第二王子殿下には、当家から報告を上げてお出まし頂いた」
「なっ」
ファーレル公爵は、国王陛下に忠誠を誓っている筈のコナー公爵の言葉に我を忘れ、貴族として隠さなくては命と家を守れない本音を吐き出してしまった。
「国王陛下に忠誠を誓わねばならん家が何故次期国王の足を引っ張る報告を上げた⁉」
返されたのは、薄氷色の無機的な眼差しと温度の無い声音。
「私が忠誠を誓ったのは国王陛下です。『次期国王』とは、未だ複数いる王子殿下のお一人でしかない。我がコナー家が国王陛下に忠誠を誓うのは、『国王』という存在が『王国』そのものだからです。『王国』に仇為す慮外者を血筋に拘らず排除するために働く。それが、コナー家の役目であり存在意義なのですよ」
「ま、まさか、第一王子殿下を弑するつもりか」
コナー公爵が強調した『血筋』が王家のものさえ含むことに、頭の回らないファーレル公爵も気が付いた。
「全ては陛下の御心のままに。私共は『王国』を守る手足でしかありません」
コナー公爵は、国を守るために次期国王すら排除することを躊躇わないと言っている。ならば、しばらく功績も無い公爵家の息子など路傍の石も同然だ。蹴って目の前から退けようが砕いて存在を土に帰そうが、手間の差異以外に考えるものなど無いだろう。
その息子の連座となって、現当主の自分や由緒正しい公爵家の一つが消えることになっても、コナー公爵は今と同じように、顔色一つ変えずに無機的な目で事を運び、そして表の顔で『祭儀部』の部下に葬式の指示を出すのだろう。
他人事だと考えている間は感じなかった恐ろしさを、物静かな垂れ目の男から溺れそうなほど受け取らされて、ファーレル公爵は言葉を失った。
口を挟まず聞く態勢が仕上がったかと、アンドレアは必要な伝達事項を口にする。
「九年前、私の側近の披露目を兼ねた春の王宮茶会にて、騎士団長ランディ・パーカー伯爵を失脚させ、その処刑を第二王子である私の口から命じさせようと企んだ愚か者がいた。愚か者は、自称帝国の工作員から呪いを行使する際の対価となるモノを報酬に、我が国から『最強の軍人』を排除し、『第二王子』の権威を貶めるよう依頼され、受諾していた」
九年前の大粛清に繋がる事件はファーレル公爵も覚えていた。
親しくしていた家が幾つか王国から消え去り、野心を持つことさえ面倒臭がる自分の性格を内心誇ったものだ。
粛清された者達とて、面倒な努力をせずに成功を手にするために、自称帝国と繋がりを持って伸し上がろうという野心を持ったのだが、ファーレル公爵は、何もしなくても勝手に転がり込んで来る成功にしか手を伸ばそうとしない面倒臭がりだったことが、当時は幸いしたのだろう。
今回は、次期国王の側近となった息子の教育や監視や軌道修正を面倒臭がって怠ったことで身の破滅に向かったようだが。
「九年前、愚か者共は見せしめにしたが、自称帝国の工作員共の中には王国脱出を果たした者もいる。対価を払ってな。つまり、対価を受け取って自称帝国の工作員の逃亡を助けた逆賊が存在したというわけだ」
何も言えずに瞬きも忘れて見入るファーレル公爵に、アンドレアは意味ありげに片眼を眇める。
ファーレル公爵の胸中に、「まさか」という言葉が浮かび上がる。
「当時の取り締まりは相当に厳しかった筈だ。陥れられようとしたのは人気の高い騎士団長だ。憧れ慕う『王国軍人の誇り』とも言えるパーカー伯爵を卑怯な手段で亡き者にせんとした自称帝国の工作員を、軍人共は血眼になって狩った。それを掻い潜っての脱出は、生半可な地位の者に縋っても不可能だっただろう」
じっと、クリソプレーズの光を湛えた瞳がファーレル公爵の見開かれた両眼を覗き込む。心の深淵まで暴き出されそうな神秘の色に、操られたようにファーレル公爵の口が「まさか」の形を声無く綴った。
「ゴードン・ファーレルは、自称帝国の工作員から示された報酬に飛び付き、アイオライト王国の親戚宅に送る荷物の中に、小柄な人間を一人紛れ込ませた」
これ以上ないほど見開かれていたファーレル公爵の目が人体の限界を超えて、まだ開く。眼球が溢れて落下しそうな形相だ。
アンドレアは、耳に、脳に、染み込み刷り込まれて行くような厳かな声音で、ゆっくりと話し続ける。
「工作員が提示した報酬は、自称帝国が『政治犯』に使用する劇薬だ。これも、詳細は一般貴族には情報が統制されている。本来ならば、要職に無いファーレル公爵家の人間が知るべき内容ではない。自称帝国が勢力を拡大するために用いた武器の一つだからな。だが、この劇薬に関しては、家内でのみ詳細が伝えられることを容認されている家が幾つかあった。自称帝国の勢力拡大を真似た犯罪への処罰を重くするよう、同盟の条文に追加される原因となった悲劇の被害者の家だ」
ファーレル公爵の溢れて落下しそうな眼球が、絶望、失望、怒り、情け無さ、そのようなものが綯い交ぜになった色に染め上げられて行く。
「59年前、自称帝国は対自称帝国の同盟を結んだ各国から王家の姫君、貴族家の令嬢や夫人を拉致した。ファーレル公爵の大伯母に当たる女性も、避暑地の村で被害に遭ったな。自称帝国は拉致した『敵国』の女性達を『政治犯』として扱い、プロパガンタの為に『政治犯』用の劇薬を使用し、公衆の面前で凌辱し惨殺した。当時即刻開戦とならなかったのは、被害者達の遺体を祖国に戻すことを優先したからだ。祖国において被害女性達とその家の名誉を守る為にだ。劇薬と呼べる薬物が使用されたことを証明しなければ、自称帝国が主張する『政治犯の売女らが帝国皇族を誘惑した為に罰した』などという妄言を信じる馬鹿が出るからな」
一貴族家の女性だけではなく、三つの国から側室腹ではあるが王家の姫君が拉致されていた。
名誉を守るため、と言うのも実際理由には含まれていた。だが、一番の目的は、劇薬を使用された遺体の回収により、劇薬の成分を分析して解毒薬を作ることだった。
分析の結果、劇薬の原料となった薬草の特殊性から完全な解毒薬を作ることは不可能と結論が出て、症状の緩和を目的とした薬の研究が今も続けられている。
その間にも、当時の様に簡単に拉致される高貴な血筋の人間はいなくなっても、国境付近や他国でクリソプレーズ王国の平民が拉致され、自称帝国内で「間諜を捕まえた」と処刑され、本物の間諜であるコナー家の人間も下手を打って捕獲されれば劇薬の餌食となった。
劇薬の効果の詳細については、被害者の名誉を守るために報道管制を敷き、個人の記録に残すことは禁止し、時とともに風化させるよう誘導した。その例外は、被害者の家だ。
ファーレル公爵家には、どれほど落ちぶれても自称帝国に与してはならないという家法と共に、被害の実態を記録した軍医と王宮医による手記の写しが保管されている。
それは、精通により肉体が大人の仲間入りを果たした男子が当主より閲覧許可を出されるものなのだが、まさか、11歳で許可が出て以降、食い入る様に手記の写しを何度も繰り返し読んでいた息子の頭の中が、自称帝国への怒りなどではなく、「このクスリいいな」というエロ妄想だったとは、性癖は至って一般的であるファーレル公爵の思考が何処まで飛躍しても辿り着かない、別種の生き物の思想だった。
禁書庫に入った年頃の王子が禁書に指定されるレベルのエロ本の書架に通う、という事実を知っているアンドレアは、『被害者』が出たファーレル家の息子が劇薬を密輸したという情報を把握した時、「そういうことか」と即座に気付いた。原型も留めないほどミンチにしてやりたい胸糞の悪さと共にだが。
脳内の妄想は表に出さなければ自由だが、現物を準備することは実行の意思があるということだ。
現物を手元に置くことで妄想が捗るだけというのは言い訳に過ぎない。
しかも、エロ妄想から端を発して入手したのは、ただの媚薬ではない。王国が、同盟を結ぶ各国と共に『敵国』とする、自称帝国が歴史上から現代まで幾度も残虐で卑劣な行為のために使用してきた、クリソプレーズ王国並びに同盟国では第一級の禁制品。それを、公爵家の嫡男が自ら望んで手に入れた。それも、自称帝国の工作員の逃亡を助けた報酬として。
迂闊やら考え無しだからで済む訳がないことは、如何な愚か者でも分かっている筈だ。
「ゴードン・ファーレルは王国の法を犯したことを自覚している。当人に訊かずとも分かり切ったことだ。自称帝国の工作員の逃亡に助力し、その後も密通。二年後には報酬の禁制の劇薬を密輸。その際に呪いの手法も知らされたんだろう」
アンドレアが声を荒げずとも、その怒りの苛烈さは、今すぐにでも息の根が止まりそうな圧力の空気でファーレル公爵に伝わる。
「七年前ゴードン・ファーレルが自称帝国からの密輸で入手した劇薬は、ニコル・ミレット嬢に使用する目的で所持されていた。報酬は、ゴードン・ファーレルが『使いたい嫁を見つけたら貰う』と話を付けていた。貴様の息子が口にする『嫁』とは、貴様が選んだ婚約者ではなくニコル・ミレット嬢のことだ。王家が庇護し、王妃がお気に入りを公言し、王命によりコナー家に保護を依頼するためにコナー公爵の次男との婚約が結ばれた、今も国益を出し続け国力を増強させ続ける、王国にとって非常に重要な令嬢であるニコル・ミレット嬢だ。どういうことか分かるな?」
答えは求められていない問い。
王命への叛意。王家への侮辱。コナー家との敵対。
王家の意思も王命も蔑ろにして、国の重要人物を、他の公爵家の令息の正式な婚約者の令嬢を、個人の性欲のために、自我も崩壊し死に至る劇薬の餌食にしようとした。
言い訳のしようも無かった。
第二王子アンドレアの粛清のやり方に懐疑的であろうと、ファーレル公爵は知っていたから。自分の息子が、大人になっても考えが足りない「馬鹿」と呼んで差し支えない人間であり、その上、ロリコンであることを。
8歳下の美少女であるニコル・ミレットの姿を思い出せば、ファーレル公爵は息子の仕出かした事に虚しくも「やりそうだ」と納得してしまう。
茶会デビュー前からニコルを狙う家は多く、それ自体は野心の一種として目立つものではなかった。金を産む才能のあるニコルを手に入れたい家は当時から多かったのだから。
だが、ニコルの茶会デビュー後に婚約者の居る身でありながらニコルに使うために劇薬を用意したのは、野心などではなく、確実に本気で目的はニコルの蹂躙だっただろう。
あの華やかな美少女がロリコン息子の好みであろうことは、ファーレル公爵も一目で察していた。美しく、賢く、品があり、才能のある幼い少女が息子の理想だったのだから。
一定以上の年齢に達すれば、息子の興味は逸れる。だからいずれ熱病も冷めるだろうと放置していたファーレル公爵は、その判断が誤りであったことを痛感する。
一定以上の年齢に達すれば、息子にとってニコル・ミレットは用の無い普通の女と一緒になるのだ。だから安全、そんなことは無かった。
息子にとって「用の無い女になる」という意味は、それが『国家の財産』と王家が認識している令嬢であっても、「壊して死んでもいいただの女になる」ということだった。
夜会の参加資格が改定されたため、ニコルは既に夜会にも参加しているが、まだ15歳には達していない。
このタイミングで息子の罪が暴かれた意味を、息子の性癖を知るファーレル公爵は、誘導されずとも勝手に想像して理解した。興味を失う年齢になる前に実行しようとして発覚したのだろう、と。
そして、それがファーレル公爵の中での事実となる。
「ゴードン・ファーレルは二年以上前に当時12歳の街娼を買い始めた」
もう、何も思考する気力も無いファーレル公爵は、「ああ、あいつなら12歳の街娼がいたら買うだろうな」と、ぼんやり流すようにアンドレアの声を受け入れる。
「そして複数回、同じ街娼と接触し、資金と指示を与えた。その街娼は、ゴードン・ファーレルを通じて齎された自称帝国由来の手段を用い、クーク男爵を支配することによってクーク男爵家の養女となった。目的は貴族籍の詐取による貴族学院への編入だ。在籍する王族の私や『剣聖』、国の要職に就く親を持つ高位貴族の子息、更にニコル・ミレット嬢との接触を目論んだ。ニコル・ミレット嬢を呪いで病にでもして例の劇薬を特効薬だと偽り飲ませるつもりだったのかもしれないな。自分では呪いの儀式を行わないだけの頭はあったようだ。実行は全て街娼にやらせていた」
一般貴族では知ることのない呪いの少し詳しい内容に話が及んでいることも、もうファーレル公爵は気付ける思考や警戒心が無い。
要職にも就いていない、ただの公爵家の当主が知って良いのは、「死や病を齎す呪いというものが存在していて、それは自称帝国と関係する重要機密であり国法を犯すより重い罪である」程度だ。頭の出来がよろしくなくても、「詳しく知るだけで兎に角ヤバい、マズい、自称帝国に繋がる犯罪」というニュアンスで親から子へ厳しく伝えられる。
それを超えて呪いに関することを知ることは、王族が責任を持って「知っていることを許す者」と認めない限り、口封じの対象となる。
「ゴードン・ファーレルは、九年前、自称帝国の工作員の国外脱出を幇助し、その後少なくとも二年以上に渡り自称帝国と密通。逃亡幇助の見返りとして禁制品の劇薬を密輸。街娼を操り、王国に利益を齎し王家が庇護するコナー公爵家の子息の婚約者を略取し、密輸した自称帝国の劇薬を用い凌辱し殺害することを策謀。更に、街娼に私や私の側近らを籠絡させ次期国王への繋ぎとさせることを目論み、最終的に、己の手の着いたその街娼が次期国王を籠絡したところで国王陛下を呪いにより死を齎して弑し、街娼が籠絡した王子を国王に即位させ、側近の己が権勢を振るわんとした」
ファーレル公爵にとっては、どう聞いても実現不可能に聞こえる無茶苦茶な犯行手順と企みであることが、却って「息子がやりそう」という説得力を持っていた。
もう、全てが終わったという諦観だけが、微動だにできないファーレル公爵の両眼に広がって行く。
「一つだけ、ファーレル家にとっての朗報があるぞ」
だから、もうアンドレアが何を言っても、ファーレル公爵は反応しなかった。
「たった一人の愚か者が仕出かした事にしては、国家としての醜聞の度が過ぎて真実は公開できない。ゴードン・ファーレルは、公開可能な内容での醜聞発覚にて自害という形を取る。よって、ファーレル家は残る。ファーレル家はゴードン・ファーレルの醜聞により伯爵家まで降格だが取り潰しはしない。ゴードン・ファーレルの父親は、城に呼び出されて息子の醜聞を聞かされ、その場でショック死したことになるがな」
降りる沈黙。
アンドレアも、アンドレアの後ろに控えるジルベルトも、無機的な目で気配を消したままのコナー公爵も、黙してファーレル家の現当主を見つめたまま、何も語らない。
アンドレアの言葉を、内容まで理解して、微動だにしなかった彼は、身体機能まで停止して乾いた眼球を潤すことの無かった涙をようやく流し、唇を震わせた。
「慈悲を、感謝いたします。第二王子殿下」
五十年近く公爵家の男として生きてきて、生まれて初めて彼が貴族の誇りを持った瞬間は、その死の間際だった。