バッドエンドへようこそ(ヒロイン?)
エリカの下衆加減は止まりません。
サマーパーティーでエリカが退出させられたところから始まります。
サマーパーティーを、ほぼ序盤と言える時間で退出させられたエリカだが、学院警備の騎士に医務室へ連れて行かれてからも気分の高揚は続いていた。
学院付きの医務官に横柄な態度でクーク男爵家の馬車を呼ぶよう命令し、栗色の髪に包まれた小さな頭の中では目的を達するために必要な手配を思考する。
操っている男爵に、養女になってすぐに一度目で魅了の呪いに使った『カギグルマ草』を買っておくよう命じたが、未だに手に入っていない。
産地が遠い国だとは聞いていたが、一度目では苦労しなかった買い物に苦労させられているのはニコル・ミレットが今回は協力的でないせいだとエリカは爪を噛む。
生意気な女。地味な引き立て役だったくせに、派手に着飾って綺麗な男達に傅かれて。絶対に許さない。ニコルを操って何もかもを奪ってやる。
ニコル・ミレットは大きな商会の娘の成り上がり貴族だった筈。元平民の成り上がりなニコルより、由緒正しい貴族の血筋なエリカの方が上だし大切にされるべきだ。
そう考えるエリカは、母親が何代遡っても平民でしかない下級メイドだったことを忘れている。ついでに、ニコルは成り上がった祖父から三代目なので、祖母と母は由緒正しい貴族の出身だし、生まれた時から貴族令嬢として育っているので、貴族の常識も所作も教養も自然に身に付いていることなど思考の外だ。
だからエリカは憤慨する。
血筋はエリカの方が上なのに、ニコルの方が金持ちだし、ミレット商会は一度目でもエリカが欲しいモノを何でも手に入れる力があった。今回だってニコルなんかは、敬うべきエリカのために、その力を使うべきだと言うのに役立たずだ。ものの道理を分かっていない。
欲望にぐるぐると酔ったように回る脳内に、エリカはニコルへの罵倒と自身への賛美を混ぜ込みながら、ようやく手配を具体的に列挙し始めた。
クーク男爵が今も手に入れられていない『カギグルマ草』は、一旦探すのを止める。
ニコルを操るために『シオミチ草』を男爵に買わせる。ニコルさえ操ってしまえば、他に必要なモノは何でも簡単に手に入る。
そのために、青か緑のアンティークの宝石も、男爵に手に入れさせる。
この前ようやく、借金のカタに男爵の知人から「祖母の形見」とか言うショボい大きさの赤いアンティークの宝石を手に入れたところだというのに。また青か緑を探さなければならないことに、エリカは苛ついた。
赤かピンクは魅了の呪いに必要なアンティークの宝石の色だ。精神操作に使うモノとは色が異なるので使い回すこともできない。
生贄は、また孤児院から入荷すればいい。旅の役者に騙くらかされて孕んだ貴族の娘が、産んで捨てた女の子供がいた筈。アレには妖精の群れが集っていたし、エリカが孤児院を出る頃は6歳だったから、そろそろ加護も定着しているだろう。
男爵に、エリカの侍女にするから引き取って来いと命令しよう。
儀式を行うのはクーク男爵家の自分の部屋でいい。エリカが命令すれば誰も近付けないし入って来られない。儀式をすれば、捧げたモノはどうせ全部消えるから証拠も残らない。
到着した馬車に乗り、未来への期待に胸を躍らせて帰路につくエリカ。
早速エリカに命じられたクーク男爵は、言われた通りに命令を遂行する。
操られているために、本来であれば思考すべき細部に気を回すことは無い。優先されるのは命令の遂行であり、細部に気を回して命令の遂行が遅れるような行動は取らないのだ。
だから、クーク男爵はエリカから命じられていない「隠蔽工作」などしない。エリカの命令で『カギグルマ草』を求めた時も同様だった。
クーク男爵は、馴染みの商人を屋敷に呼び付けて、「娘が欲しがっている」と、『カギグルマ草』を注文したし、今回は『シオミチ草』を注文した。今回も、「娘が欲しがっているからできるだけ早く」と言い添えて。
アンティークの宝石についても同様だった。
馴染みの商人に注文しつつ、あらゆる伝手からアンティークの宝石の持ち主を探し、親が世話になった古い知人の祖母の形見を、「世話になった恩返しだから証文は形だけ」と親が作っていた古い借用書を盾に、無理矢理奪い取った。
その際にも、「娘が欲しがっているから」と理由を口にしていた。
今回も、「娘が欲しがっているから」と、商人へ注文し、あらゆる知人へ青か緑のアンティークの宝石を求めた。
孤児院への申し入れも、既に裕福な平民の医者の家へ養女に迎え入れられることが決まっていた妖精の加護の多い少女を、「娘が侍女にすると言っているから」と、貴族の権力を以って約束を反故にさせた。
養女にしてから行儀見習いとしてクーク男爵家へ奉公に出すのでは駄目なのかと、医者の家の方から食い下がられたが、「娘からそういう希望は出ていない」と取り合わなかった。
クーク男爵は、エリカに命令を受ければ最速最短でそれを完遂するようにしか動かない。
悪事には頭を回すエリカが、通常は「クーク男爵として働いて来い」や「クーク男爵として生活しろ」と命じているために、クーク男爵の異常行動は気に掛けられてはいるものの大事には至っていなかった。
何もかも言いなりのクーク男爵を見てエリカは、ふと思った。
ニコルを操って必要なモノを揃えたら、一度目のように男達を堕としていこうと思っていたけれど、ニコルからカネやモノを奪い尽くし、生意気でムカつくニコルを這い蹲らせて踏み躙って追い落としたら、一度目で下僕にした王子達のことも、操ればいいんじゃないか。
何も、気を遣ってやって言葉をかけてやらなくても、呪いで操ってしまえば簡単だ。どうせ言いなりになるのだから、彼らが持つ権力と財力はエリカのモノになる。彼らはエリカが望むように全てを差し出して満足させてくれるだろう。
第二王子を操れば、王宮に出入りするのだって簡単だろう。そうすれば、第一王子とだって簡単に面識を持てる。操った第二王子にエリカを紹介させればいいのだから。
一度目では使わなかったけれど、精神操作の呪いは使い勝手が良い。こんな便利な方法を使わなかったなんて、一度目のエリカは馬鹿なんじゃないだろうか。あんなに時間も労力もかける必要なんて、全然無いじゃないか。
一度目は第一王子に魅了の呪いを使ったけれど、精神操作の方が好き勝手できそうで良い。
魅了は魅了で情熱的な目で見つめられるのが快感だった記憶があるけれど、独占欲や嫉妬も見せるから他の男と遊べなくなる。一度目のエリカはそれで良かったのかもしれないけれど、自分は違うとエリカは思った。
今のエリカは『全部』手に入れたいのだ。
第一王子も第二王子も、他の身分が高くて見た目も良い男達も、侍らせたら他の女達が羨むような男は全部、エリカのモノとして言いなりにしたいのだ。
王妃となったエリカが支配する王国で、第一王子も第二王子も他の上等な男達も、皆エリカの周りに侍らせて、誰からも羨望の眼差しで見上げられるようになるのだ。
そんなことが現実で可能な訳がないということは、小さな世界で生きるエリカには予想も理解もできない。
今現在、実際に、精神操作の呪いでエリカの言いなりになりながらも、何の問題も無く生活しているように見えるクーク男爵が存在しているから尚更。
これで、操られたのが高位貴族や国の要職に在る人物、況してや王族であれば、気掛かりだが大事に至らないなどという事は有り得ない。「何かおかしい」と感付かれた時点で隔離と調査が入る。
要職に就いているわけでもない男爵が異常行動を続けていても、どこかしらから申告が無ければ強制捜査という事態にはならないが、国の重要人物が異常行動を取れば即座に緊急事態の扱いだ。申告が無くとも強権発動で当人の保護と調査及び捜査が開始される。
国政や外交や軍事のトップ、そして王族が異常行動の中で、国を滅ぼしかねない発令でもしたら取り返しがつかなくなるのだから当然のことだ。
一度目でエリカの野望が途中まで上手く行っていたのは、重なった偶然の産物と、手段として用いた呪いが魅了だったからだ。
同盟国の王女との婚姻を控えているために、女遊びの許されない25歳と若く体力もある第一王子の、婚姻前の火遊びの度が少々過ぎているようだ。そう見過ごされていたから発覚に時間がかかっただけだ。
もしも一度目で精神操作の呪いを第一王子に行使して、冷静に「エリカを王妃とする」などと言わせたら、一発アウトだった。即刻、第一王子は頭がおかしくなったと隔離され、その上でエリカも拘束され尋問という流れで、大罪が明らかになるのも早かっただろう。
国家や政治というものに興味が無いどころか、常識にさえ興味の無いエリカでは思い至らないが、エリカが描く夢の世界は、夢でしかない。
エリカは精神操作の呪いというものは万能で、簡単に何でも思い通りになり、王国さえ手に入ると誤解している。
呪いが、それほど万能で完璧であれば、政治も外交も戦争すら必要なく、世界は最初に呪いを行った唯一人に統一支配されていただろう。
ジルベルトが指摘したように、呪いで労せず過分な成果を得た者は、次も楽をしようと流されるのだ。楽ができると、失敗などしないと、何の根拠も無いのに信じ込んで。
貴族令嬢になる前は、あんなに手に入れるのに苦労した『シオミチ草』は、カネと身分さえ使えば簡単に取り寄せられた。
アンティークの宝石だって、人形の目より随分小さいけれど、出入りの商人が持っていた「当主に代々伝わる懐中時計」とかいうのに緑色の宝石が付いていたから、クーク男爵に取り上げさせた。
泣きながら嫌がってたようだが、平民が貴族に逆らうなんて生意気だ。貴族のエリカが欲しいと言っているのだから、取り上げるのは当たり前だろう。エリカの役に立つのだから、喜ばない方が頭がオカシイのだ。
生贄も、養女になる約束を反故にさせた医者夫婦のことを、「お父さんお母さんに会いたい、帰して」などと泣いていたから、殴って蹴って縛って口に布を噛ませて掃除用具入れに突っ込んでおいた。
魔法を習得する前に入荷できて良かった。あれだけ集っていた妖精に加護を与えられていたら、願いが魔法になる方法を覚えてからでは生贄にするのが大変になる。
必要なモノは揃った。
エリカは、鍵をかけたクーク男爵家の自分の部屋で、記憶にある儀式を再び行うことにする。
以前はボロ小屋で行って大成功した精神操作の呪いの儀式。
一度目では、男爵を操っていなかったから、儀式を堂々と部屋で出来なかったし、やったのも不便そうな魅了の呪いだった。しかも、王族並みとか言われた加護があったからって、自分の妖精を生贄に使うとか、ホント馬鹿。
私は、一度目のエリカみたいに馬鹿じゃない。
使う呪いは、ちゃんと便利な精神操作を選ぶ。わざわざ街外れの森になんか行かなくていいし、自分の部屋で楽々二度目の儀式をやってニコルを操ったら、あとは一気にたくさんの『シオミチ草』と青や緑のアンティークの宝石を手に入れさせて、第二王子達を服従させて、それから王宮で第一王子に紹介させて、第一王子を操って───私は『全部』を手に入れる。
空中に描くのは、見慣れないけれど複雑ではない簡単な紋様。
捧げる言葉は、この世界の邪なる意識の全てを統一し支配する同一の存在への、共感と祈りと願い。
そして、トドメの一句。
「ニコル・ミレットをエリカ・クークが操る存在へと変改させ」
変改させよ、エリカは、その最後の一音が紡げなかった。
鍵がかかっていた筈の部屋の中に、疾風のように雪崩込んできた騎士達の一人から放たれた布が、エリカの頭部にきつく巻き付いたからだ。
これは本来、捕縛対象の魔法による抵抗を妨げるための捕縛術なのだが、呪いの成就を妨げることにも効果的だったようだ。
この方法は、ついでに呼吸も妨げるので、身体を鍛えた相手でなければ容易に無力化され、制圧までの時間も短縮できる。ただし、そのまま昏倒して意識が戻らなくなることもあるので、既に凶悪犯罪に手を染めていることが確定している犯人にしか使われることが無い方法でもある。
そして、下手なやり方をすれば簡単に首を絞め上げたり首の骨をポッキリ折って殺しかねないために、熟練の技術者にしか許可されない。騎士団では、コレの使用を許可する証明書代わりのバッジを制服に着けている者が尊敬の眼差しで見られたりもする。
絵面が相当間抜けになるが、高い技術が必要で殺傷力も高い捕縛術の一種だ。
だが、天井裏で事の成り行きを見守るクリストファーには、前世の記憶のせいか、ひどく間抜けに見えて仕方が無い。緊迫の場面なのに、ニコルを陥れようとしていたエリカへの怒りも一旦脇に置いて微妙な顔になってしまうくらい、絵面が酷い。
「エリカ・クーク。いや、不当に得た貴族籍は無効となる。娼婦エリカ。貴様を自称帝国と通じ国家転覆を謀った大罪にて捕縛する」
ジルベルト相手に変態犬として甘える男と同一人物とは思えない厳しさを声と口調に滲ませ、罪状を告げるハロルド。
この現場で布を投げて頭に巻き付ける捕縛術を使ったのはハロルドだ。身に纏う制服はアンドレアの専属護衛のものだが、例のバッジは襟に着けている。
ちなみに、コナー家の人間は配下も含め、バッジは身に着けずとも全員この捕縛術は会得している。
ハロルドはバッジ持ちだが、意外なことにジルベルトはこの捕縛術を会得していない。ジルベルトの場合、アンドレアの前で妙な魔法を使おうとした輩の頭部など、問答無用で切り離すか消し飛ばすからだ。ジルベルトがアンドレアと別行動で現場の指揮を取ることは無いので、これで特に不自由はない。尚、モーリスは実はバッジ持ちだ。
「ハロルド卿、クーク男爵の保護、完了いたしました」
「そうか。子供の養親予定だった医者は到着したか?」
「屋敷前の馬車内にて待機中であります」
「子供は彼らに任せろ。治療が済んで話が聞ける状態になったら報告しろ。それまで護衛を兼ねてお前と、もう一人、目を離さず付き添え」
「はっ」
ハロルドの騎士団人気は高い。騎士団長が実父であるから、というのもあるが、目の前に居ても御伽噺の存在のように遠く感じられる『剣聖』を抜かせば、身近にいる最強の男だからだ。
ジルベルトが『剣聖』になったことで出場することの無くなった毎年恒例の陛下御前の年末剣術大会で、ジルベルトが優勝した次の年はハロルドが騎士団長を下して優勝している。
ジルベルトが優勝した年も、準決勝でジルベルトと当たったハロルドが負けたことで決勝戦がジルベルト対騎士団長になっていた事実もあり、その年から実力はハロルドの方が騎士団長より上だったのでは、とも囁かれている。
騎士団長は、「そろそろ王国最強軍人の名を返上するべきか」と悩んでいるらしい。
年齢一桁で近衛の試験を満点クリアしたエリート騎士で、伯爵家の嫡男で美男子でありながら、女っ気ゼロで女嫌いなところも、男所帯の騎士団では非常に好意的に受け入れられている。
そんなこんなで、弱冠17歳のハロルドが現場のトップで指示を出していても、マッチョな騎士達は喜びに顔を輝かせてハロルドの指示通りにキビキビ働く。
生贄にされかかった幼い少女は養親予定の医者夫婦の待つ馬車へ丁寧に運ばれ、証拠品の数々は正確に押収され、呆気なく呼吸器官への圧迫で意識を失ったエリカは手際良く梱包されて担がれた。
「現場保持に五名残れ。第二隊は屋敷内の家人及び使用人への聞き取り。第一隊は俺と戻って召喚した外部の証人の聴取。第三隊は表への対応だ」
「はっ。『自称帝国と通じる娼婦エリカが自称帝国産の我が国禁制である薬物と洗脳、脅迫を用いクーク男爵を支配。不当に貴族籍を入手し貴族学院への編入を目論んだ』ですね」
「今はな」
最後までシナリオは決まっているが、取り調べをしたと思わせる時間を置いてから次のネタを露出する。
現状では、『娼婦エリカ』が犯した罪は、『自称帝国の人間』から手に入れた『禁制品の薬物』を使って『洗脳や脅迫』により『クーク男爵を支配』して『不当に貴族籍を入手』したことで、その目的は『貴族学院への編入』ということにしている。
表に出す話としては。
一般人が閲覧できない記録に残すのは、最初にエリカに告げた罪状の方だ。
大多数の国民は、『呪い』というもの、そのものを知らされていない。
国政や軍事に関わる人間でも、それが重要機密であり、国家転覆罪レベルの重大犯罪であることだけを認識として持たされていて、詳細はトップに近くないと知る機会も無い。
そして国政や軍事のトップに在る人間でも、それの「やり方」は知らない。禁書庫に入れる王族以外が不用意に知った場合、消される。
けれど、呪いに関わる犯罪は「公開しての極刑」と同盟国間での厳格な決まりがあるために、取り扱いは非常に複雑で面倒になるのだ。
大多数の国民に向けた『呪い』という文言を含まずに、如何にも大罪かつ自称帝国と通じていたニオイを醸し出す内容と、国内の機密事項として記録に残す「何をどうしていたか」は暈した内容と、同盟国の王族への報告用の「何の呪いを行った誰某の、動機は何で、協力者は誰で、罪人全てにどういった処罰を執行したのか」というものを用意しなくてなならない。
当然ながら、その何処にも、国家を崩壊させかねない事実など記せない。例えば、「王族の側近の高位貴族が主犯ですよ」とか。真実は、今回そんな主犯は存在せず、本当にエリカの単独犯なのだが、それを知るのはクリストファーとジルベルト、あとはエリカ本人だけだろう。
この件に関して一般貴族程度の情報しか与えられていないニコルにも、真相は想像するだけで闇の中だ。
ハロルドが無事に儀式を直前で阻止して捕縛も後始末も完璧に遂行したのを見届けて、クリストファーは、『大罪のでっち上げが行われないために必要な、所属の異なる二人以上の目撃者』の一人として待機していた現場の天井裏を後にした。
扉の外から、中の儀式で発せられる声まで聞こえる位置で現行犯の大罪をキッチリ聞き取った『もう一人の目撃者』であるハロルドも、知れば消される文言を聞かせないよう踏み込む前は扉から下がらせていた騎士達と共に、もうじき帰還するだろう。