土産は続く
「あ。本気にした?」
「お前なら、やりかねん」
「まぁ、やったけど」
「・・・何を?」
向かい側の席から不穏な空気が流れ始め、クリストファーは冗談口調を改めた。
ジルベルトをからかいたいための口調ではなく、消化できない己の不始末を厭うが故の、告白前のワンクッションだった。
「パーカー家を、ずっと前に辞めた使用人八人くらいからネタを絞り取った。それで、ハロルドへの嫌がらせのためなら何でもやるだろうって確証を得てから、第一王子管轄の奴らにナディアを拉致らせたんだよ。それなりの手順は踏んでる」
ジルベルトがじっと見つめる先で、居心地悪そうにクリストファーは説明する。
「パーカー家にだって当然うちの監視は付いてたんだよ。けどさ、ランディ・パーカーが熱血熱烈忠誠フィーバー野郎だろ? 俺がうちを掌握するまで、かなり監視は緩かったらしい。報告もおざなりで記録も報告通り。俺が掌握した後も、パーカー家の洗い直しは後回しにした。当主以外はジルの犬と女だけだろ。舐めてたんだよな、正直」
「私がお前のような立場でも、騎士団長の調査は後回しにするだろうな」
悔しげに顔を歪めるクリストファーに、ジルベルトは相槌を打つ。
諜報のプロでも疑いようも無いほど、暑苦しく忠誠を捧げる男がランディ・パーカーだ。
忠誠心と軍人としての能力が最高でも、人として親として、どうかと思う脳筋だったようだが。
「俺がパーカー家を洗い直した時には、ハロルドは王宮の待機部屋暮らし、娘三人も結婚か婚約で家を出ていたんだ。当主のランディも仕事で家を空けることが多く、当主の妻のリナリアは病弱で動きが無い。使用人の数は生活する当主一家の人数と比例して減り続け、古くからの使用人は家令くらいのもんだ。実直を絵に描いたような家令も不正の気配は微塵も無かった。───過去の洗い出しをしなかったのは、俺の過信と怠慢だ」
「お前が悔やむほどのネタが出て来たと言うことか」
「ああ」
気持ちを切り替えるように一息ついて頭を振り、クリストファーは説明を続けた。
「コナー家の嫡男は次期国王に忠誠を誓う、てのは知ってるよな?」
「ああ。当主が国王に忠誠を誓う形になるようにだと聞いている」
「そうだ。だから、第一王子の管轄は兄さま♡がトップなわけ。他のことなら何でもゲロるんだが、腐ってもコナー家の人間だからな。忠誠を誓った主君のネタは売らねぇ。今回、第一王子側近のゴードン・ファーレルの婚約者であるナディア・パーカーを取っ掛かりにしなけりゃ、出て来なかったネタだった」
「よく側近の事実婚の婚約者を引っ張れたな」
感心するジルベルトに、クリストファーはニヤリと片頬を歪めた。
「確かな筋からのネタで絶対に何か出るから拉致って来いって兄さま♡に命令したんだよ。もし何も出なけりゃ、俺が掌握したコナー家の全権を譲ってもいいってな」
「・・・無茶をする。たかが勘だぞ」
「ジルがふと思いついたタイミングで『気がしなくもない』っつったら確実なんだよ。俺調べで的中率百%だ。勝ちが決まった賭けにビビっちゃ男が廃る」
珍しく困り顔のジルベルトだが、クリストファーは本気で勝てる賭けだと信じていた。そして実際、勝ったのだ。
「ナディアの自白だけでも、王命を蔑ろにする相談を第一王子の側近連中で誰も咎めず続けていたんだから、コナー家による処分案件だ。その上、処分案件の何かが出たんだから徹底的にゴードン・ファーレルを洗えって命令出したら、とんでもねぇネタが出た。いや、マジすげーわジルさん」
緊張を隠すためか、わざとらしい巫山戯た口調の後で、クリストファーは声を潜め、爆弾を落とした。
「ゴードン・ファーレルは九年前、自称帝国の工作員に便宜を図り密通。七年前には自称帝国から禁制品の劇薬を密輸していた」
ジルベルトも濃紫の双眸を思わず瞠る。そこまで大きなネタが出るなどとは、いくら何でも予想していなかった。
ただの禁制品の不法所持ではない。自称帝国の工作員に便宜を図った上に密通の事実があり、その後の密輸。それも、第一王子の側近が、だ。
九年前であれば、時期的にゴードン・ファーレルは既に側近に収まっていた。密輸に手を染めた七年前には夜会参加資格も得ている年齢であり、子供扱いはされない成人貴族。そして、ここ数代は目立つ功績は無くとも、王弟が臣籍降下して興した王国の由緒正しき公爵家の次期当主。
──表沙汰になれば、国が揺れる。
「ナディアに扇動されるまでもなく、ゴードンは、『年増で気が強く口煩い浪費家の婚約者』には辟易していた。野郎だけで集まれば悪口しか出て来てねぇ。ファーレル公爵家は遡れば武門の家で騎士団長を輩出したこともあったが、もう何代も、うだつが上がっていなかった。現騎士団長の長女を嫡男の嫁に迎えたのはファーレル公爵が孫に夢を託そうとした政略結婚で、ゴードンは同い年の女を妻に迎えることに最初から抵抗していたんだ。ゴードンは、ニコルが茶会デビューする前から狙っていた。そして、茶会デビューしたニコルを見初めた」
ゴードン・ファーレルはナディアと同い年と言うことは、ニコルより8歳上だ。茶会デビューは春だから、秋生まれのニコルは当時7歳。7歳の幼い少女を16歳の男が恋愛関係や性的接触を望んで狙う図は、前世の記憶があれば生理的嫌悪感がこみ上げる。
見初める前から狙っていたのがどういう意図だったのかは、考えたくもない。茶会デビュー前ならば、前世で言えば保育園児の年齢だ。
「王命によりニコルと俺の婚約が結ばれてからも、仲間達と酔って婚約者の悪口を垂れ流す時の定番ネタが、『僕の理想はニコルちゃんなんだよぉ。年増と美少女取り替えたいよぉ』だったらしい」
ニコルは、誕生日が来ていない今はまだ14歳だ。
ニコルとクリストファーの王命による婚約が結ばれたのは、ニコルがまだ7歳。茶会デビューは済ませていたから8歳扱いだとオマケして考えても、「年増の婚約者と取り替えたい美少女」と、飲んで酔う度に垂れ流していい年齢の相手だとは思えない。
言い出したのが昨日今日のことだとしても、大学卒業、新社会人くらいの男が、自分と同い年の婚約者と中学生の女の子を取り替えたいと言っている・・・通報案件にならない理由が見当たらない。
ジルベルトの目が半眼になる。
そして、そんな気持ち悪い男がニコルをそういう対象にしていることを許す気は無い。
「俺は聞いた瞬間ブチ切れちまってるから言えた立場じゃねぇんだけどさ、ジル」
「何だ?」
「ここ、馬車の中だから、この先を聞いても落ち着いててね?」
「・・・馬車を壊すような真似はしない」
「・・・ゴードン・ファーレルが現在所持している、九年前の第二王子による大粛清で引き上げようとした自称帝国の工作員に便宜を図り七年前に密輸した、見初めたニコルを手に入れるために使おうとした禁制品の劇薬は、自称帝国が『政治犯』に使用する、“性衝動で気が狂う性奴隷調教用の媚薬”だ。使われた人間は一年も生きられねぇし自我も無くなる、って頼むから落ち着いて無理なの分かるけど落ち着いて!」
瞳孔の開き切った両眼は澄んだ濃紫から赤黒く底光りする形容し難い色合いを発し、殺気だか闘気だか分からない浴びただけでショック死しそうな凄まじい怒りの波動がブワリと溢れ出す。
宣言通り馬車の車体に破損は無いが、牽いてる馬と御者台のプリシラは未曾有の恐怖を味わわされて完全フリーズのため、急停車した。
郊外に出ていて人家も無く、通行人もいなかったのは幸いだ。
この状態のジルベルトに触ったら、ジルベルト同様に加護で常時完全防御展開のクリストファーでも無事で済むのかは分からない。刹那の躊躇はあったが、クリストファーは波動ごと包み込むようにジルベルトに抱きついた。
悲しいかな、身長差と体格差のおかげで、「抱きしめる」ではなく「抱きつく」にしかならない。
「ジル! 制御してくれ! きっちり地獄は見せるから! ジルにも手伝ってもらうから!」
聞いた瞬間ブチ切れて、報告を持ってきたコナー家の配下達を、兄のウォルターも含めてズタズタになるだけの重傷を負わせたクリストファーだが、それは第一王子の管轄のくせに九年間も王子の側近に大罪人が居座り続けるのを見過ごした怠慢への仕置だと、本人達にも納得できる理由がある。
自称帝国との密通は大罪だ。自国が、同盟を結ぶ他の王国と共に自称帝国とは敵対関係にあることを知っていなければならない貴族であれば尚更。工作員に便宜を図るなど言語道断である。
その上、自称帝国が『政治犯』に使用する薬物は、拉致された王国の人間や潜入した王国の工作員─コナー家に属する者─が何人も使われ、壊され、死んでいった代物だ。
よりによって、自称帝国の工作員に便宜を図り密通を交わし、そんな薬物を自称帝国から密輸した大罪人を、コナー家の人間が見逃し、のうのうと九年間も王族の側近として生かしておいたことは許される状況ではない。
だが今、ジルベルトがブチ切れ状態で無関係の被害者を出せば、正気に戻った時に気に病むのは目に見えている。
ジルベルトは敵と目した相手には何処までも非情でいられるが、クリストファーとは違い、無関係の人間に出さずに済んだ被害を出せば、気には病む。ジルベルトが気に病むような展開は阻止したい。
クリストファーの善意は、この場ではジルベルトにしか向いていない。
意識を失っているプリシラや、泡を吹いて倒れたお馬さんを助けるために起こした行動ではなかった。
「ジル、───具体的な作戦を練ろうぜ」
己の中の激情を制御するためだろう、キツく握りしめた拳が嫌な音を立てていた。それに手を重ねて握り、溢れ出す波動が小さくなったのを見計らって、クリストファーは声のトーンを変えて実務を促した。
鍛錬を積んだ武人は、脳が実務モードになれば意思とは関係無く冷静に切り替わる。このくらいまで落ち着けば、無理矢理に脳のスイッチを切り替えても、ジルベルトなら身体症状も出ないだろう。
「悪い、クリス。手間をかけた」
澄んだ濃紫に戻った双眸を見て、クリストファーは苦笑いする。
「いや、俺はいーんだけどさ、馬が泡吹いてぶっ倒れてるぜ。御者も」
「・・・すまん」
気持ちは分かる。クリストファーとてブチ切れた。コナー家の支配者としてもブチ切れたが、ニコルへ向けられた許しようのない思惑にブチ切れた部分が非常に大きい。
ニコルは大人になった相思相愛な妖精の加護で、薬物など効かない。だが、そんなことは関係無いのだ。ニコルの自由と意思と尊厳と健康と命を奪うことを願った、実行せずとも準備をして機会を狙っていた、それでジルベルトとクリストファーにとっては十分な『理由』になる。
肩を落として反省するジルベルトの、自分より高い位置にある頭をポンと撫で、クリストファーは一応被害者達の手当をするために、馬車を降りた。
最近、下衆ばかり書いている気がします。