クリストファーの土産
子供が様々な胸クソ悪い虐待を受ける描写があります。苦手な方はご注意ください。
王都城下町、貴族向けの服飾店の一つで、一人で来店していたジルベルトと姉と来店していたクリストファーは偶然出会い、挨拶を交わした。
「あ! ジル! 今日はお仕事お休み?」
「いや。夕方まで身体が空いたから、学院のサマーパーティー用に既製品を一つ購入しようと思ってな」
「そうなんだー。姉さまもなんだよ。僕も来年は招待客役だから買わないとだね」
学院のサマーパーティーは、夜会を模しているが、あくまでも模倣だ。本物の夜会に出るような「貴族の本気」を纏う装いは相応しくない。
給仕役の生徒達は制服での参加となるが、招待客役の生徒達は一度しか着ないという体で既製品を買う。
この「一度しか着ない」の建前のために、毎年チャレンジ精神溢れる奇抜な装いの生徒が出ては生徒会に怒られるのが、お約束だ。
「ねぇねぇジル、折角会ったんだしさ、買い物はさっさと済ませて僕に付き合ってよ。ちょっと郊外まで出るけど、すごく美味しい木の実入りのスコーンを出す店を見つけたんだ! 夕方までには絶対に送り届けるから、お願い、ジル」
両手を合わせ、お願いポーズのクリストファーに、ジルベルトは親しい者だけに向ける柔らかな視線を下げて苦笑した。
「クリスがそこまで言うなら相当美味しいのだろうな。いいだろう。付き合おう」
「やったー! 姉さま、早く選んじゃって!」
「分かったわよ。私は買い物が済んだら店の馬車で帰るから、クリストファーはダーガ卿とうちの馬車を使いなさい」
「姉さまは行かないの?」
「剣聖様のダーガ卿と馬車に同乗するなんて、たとえ弟が一緒でも良く思われないわ。私は遠慮するわよ」
「申し訳ない。コナー公爵令嬢」
「いいえ、お気になさらず。私、ニコルにプレゼントするコサージュを他の店に選びに行く予定でしたの」
「あ、絶対に僕の色を入れてよね!」
「はいはい」
微笑ましい仲良し姉弟と仲の良い友人同士、そんなやり取りは、打ち合わせ通りに人目に触れさせるためのもの。
この店は、コナー家に属する人間が経営している。表向きは普通の服飾店だが、コナー家の人間が仕事をする際の中継地点や隠れ蓑に使われる店だ。
その事実を知る者は、国の上層部にもほとんどいない。ジルベルトも、今日ここで落ち合おうとクリストファーに持ちかけられて初めて知った。
ジルベルトは適当にサイズの合う紳士用の既製の夜会服を購入し、ダーガ侯爵家へ届けてもらうよう手配する。
プリシラは二着ほど既製のドレスを店員に運ばせて試着室に入り、ややあってから一点だけを運ばせてコナー公爵家へ届けるよう指示を出していた。
「じゃあ、姉さま、僕、ジルと行って来るね!」
「ええ。時間は守るのよ」
「はーい」
クリストファーとジルベルトは店の外に出ると、クリストファーが乗って来たコナー家の馬車に二人で乗り込む。
御者台に座るのは、先程店内の試着室で店員の一人と入れ替わったプリシラだ。流石コナー家の直系。普段クリストファーに苛められていても、男装も変装も板に付いているし馬車の操縦もお手の物だ。
プリシラに変装した店員は、店内で帽子を購入し、「日差しが強いから、このまま」と目深に被り、近くの普通の服飾店で、青系のグラデーションが美しいコサージュをプレゼント用にラッピングさせて購入すると、最初の店に戻って店の馬車でコナー家に向かった。
「ジルの勘だから絶対に何か出るとは思ってたけどな、想像以上に黒かったわ」
馬車が走り出すと、「可愛い僕」の仮面を脱ぎ捨ててクリストファーが土産を語り出す。
黙って耳を傾けるジルベルトは、途中で吐きたくなる溜め息を堪えながら聞き続けた。
騎士団長を務めるランディ・パーカー伯爵は、王国最強の軍人であり、国王陛下の忠臣であり、大変な愛妻家であり、そして残念なことに脳筋だった。
陛下の正妃様に御懐妊の兆しが見えた頃、ランディの愛妻も懐妊した。
正妃様に王子が生まれたら、次期国王となる初めての御子だ。最強の軍人として、騎士の家系として、是非とも専属護衛となる側近を。そう考えたランディだったが、パーカー家に生まれたのは娘だった。
正妃様は無事に第一王子をご出産なされた。だが、女を王子の側近にするのは御法度だ。
第一王子の側近に女がいては、どれだけ「能力を買ってのことだ」と声高に主張しても、同盟国から輿入れする王女の気分を害するものだ。
娘では第一王子の側近にできない。国王陛下から王子の側近に我が子をと望まれているのに、主君の希望を叶えられなかった。
落ち込むランディの元に、愛妻から再び懐妊の報せが舞い込んだ。
今度こそと狂喜乱舞のランディだったが、生まれたのは次も娘。
床上げもまだの状態で謝り続けて涙を流す愛妻の様子に反省し、ランディは休暇を取って愛しい妻を労った。
逆算すると、その労り期間に仕込まれたであろう子供がランディの三人目の子供だ。いい加減、節操を持てと年配の大臣らから苦言が入った。大事な妻を殺す気か、と。
生まれたのは、またも娘。その頃には、ランディも第一王子の側近に我が子を、という考えは捨てていた。
陛下の望みを叶えられない己の不甲斐なさを感じることはあっても、生まれる子の性別など如何ともし難い。妻の責任では決して無いし、最強軍人でも不可能なものは不可能である。
開き直ったランディは、しばらく仕事に邁進した。
つまり、忙しさにかまけ、あまり家には帰らなかった。
当主である父親が帰らない家で、娘たちは親の知らない間に燻っていた。
ランディの妻は、ようやく訪れた体力回復休養期を満喫し、乳母や家庭教師に任せ切りで、娘たちの様子を細やかに気にかけることは無かった。
これは別に責められるようなことではなく、貴族の家では当主の妻は、産むという大役さえ果たせば育てることは求められない。
ランディの妻への溺愛っぷりや執着加減を知る使用人達が、国王陛下が求める息子を産めなかったランディの妻を責める代わりに、当主の留守中に娘たちに心無い言葉を吹き込んで育てていたことに気付かなかったのも、貴族の家なら「あるある」なことだった。
長女が生まれて6年後、たまに帰って来ては愛妻の顔を見て共に数時間部屋に籠もって再度出て行く生活をしていたランディの元に、最愛の妻から「出産した」という報せが届いた。
仰天したランディが飛んで帰宅すると、愛妻の腕の中には生まれたばかりの息子がいた。
待望の嫡男、ハロルドだ。
ハロルドの出産後、病弱となった愛妻リナリアを失わないために、今度こそランディ・パーカーの子作りは終了となった。
パーカー家はハロルドの誕生を得て沸きに沸いた。
国王陛下からお祝いの言葉まで戴いた。三人の姉達の誕生では無かったことだ。だが、これも別に珍しいことではなく、後継ぎとなる嫡男の誕生だけを特別に祝うことなど、ほとんどの貴族の家がそうだし、平民の家でも少なくない習慣だ。
責められるようなことではない両親からの無関心に見える扱いも、珍しいわけではない嫡男の誕生だけを特別に祝う習慣も、受ける側が納得していなければ後々問題として表面化することもある。
ただ、娘ばかり三人続けて生まれた家に息子として生まれただけのハロルドに、何の罪も責任も無いのは明白。
だが、弱者の攻撃というものは、さらなる弱者へ向かうもの。
6歳上のナディア、5歳上のベロニカ、4歳上のアメリアら三人の姉達は、生まれたばかりの赤ん坊である弟ハロルドに肉体的な虐待を加え始めた。
娘ではあるが騎士の家系の子供。対象が死なないレベルに加減をする術は知っていた。
三人の娘たちは、燻る憤懣を庭に迷い込む小動物で解消していたから、幼児でありながら既に経験豊富な拷問官の貫禄だった。
ハロルドは、物心がついた頃には姉達から虐待されることが日常だった。しかし、当時のハロルドは、それが虐待だという自覚が無い。
姉達はハロルドへの虐待を「鍛錬」と称していたし、脳筋の父親は「弟想いの姉で良かったな!」と傷だらけでボロボロのハロルドを脳天気に激励していた。病弱な母親には、ショックを与えてはいけないからと、姿を見せることを禁じられていた。
肉体的な虐待は、ハロルドが加護を授かるまで絶え間なく続けられた。
加護を授かった後は、ハロルドには正式な家庭教師が付き、剣術指南も父親が行った。
ハロルドの怪我が急に減ったことに、誰も疑問を持たなかった。加護を授かると怪我の治りが早くなることは、ままあるからだ。
実際は、姉達からの肉体的な虐待が無くなったからだった。
魔法を習得したハロルドには、本気で抵抗されたら三人がかりでも敵わない。
姉達はハロルドへの攻撃の方法を変えた。
タイミングを見計らってハロルドの近くで怪我を負い、ハロルドにやられたと泣く。
まだ、魔法が上手く使えないのだろうから怒らないでやってくれ、などと庇い、「俺じゃない」と抗議するハロルドを三人で悪者になるよう誘導する。
3対1、女性対男性。数の暴力に、性別と年齢による口の達者さの違い。女性は男性よりか弱いという社会的通念と、女性は男性が守るものという騎士の家の教え。それらの全てがハロルドに不利に働いた。
子供とはいえ、貴族女性の肌に傷を負わせる罪は重い。己の罪を認めず言い訳をすれば尚更だ。
食事を抜かれる、罰則として過酷な鍛錬を課せられる日々を繰り返し、ハロルドは「パーカー家の問題児」として扱われるようになった。
姉達が初潮を迎え、身体つきが「女」になって来ると、ハロルドへの攻撃の方法は、また変わった。
姉の誰かに呼び出された部屋にハロルドが行くと、別の姉の一人が着替中で肌を晒しているのだ。肌を見られた姉は叫ぶ。駆けつける家人達。責められるハロルド。「呼んでなどいない」と嘯く姉。
姉の呼び出しに応じなければ、後から何故か怪我をした姉が現れて、「倒れた台の下敷きになってハロルドに助けてって言ったのに見捨てられた」と泣かれる。
呼び出された先で肌を晒した姉が叫ぶ事態を甘受すれば、今度は「呼んでなどいない」ではなく、「この部屋で着替中だから来てはいけないと言ったのに」と泣かれる。
年齢一桁で、ハロルドは姉の着替えを覗くエロガキの汚名を着せられた。
自分の存在価値も生きる意味も必要性も分からなくなっていたハロルドに、「国王陛下の推薦で第二王子の側近候補になっている」という情報は、救いの光だった。
そこに、「ダーガ侯爵家の息子が爵位と美貌で側近の座を不当に手に入れたから貴方は未だ候補でしかない」と唆されたら、冷静に真実を見極められる8歳児がいるだろうか。
あの茶会での騒動後、ダーガ侯爵家でジルベルト預かりとなったハロルドが、ジルベルトに傾倒して変態犬になってしまったのは、ハロルドが元から変態の素質を持っていたからではない。
生まれた時から、悪意を持って肉体も精神も痛めつけられてきたハロルドにとって、救うための折檻を与えるジルベルトは、彼に生きることを赦し、命を与えた『救い』の権化だ。
しばらくの間、パーカー家に戻さずダーガ侯爵家で生活をさせたことも、ハロルドの生き方を変えた一因だろう。
姉達の攻撃を心配せず、己のために生きることのできる日々は、ハロルド本来の才能を伸ばし、大きく躍進させた。
ダーガ侯爵家からパーカー家に送り返されたハロルドだが、アンドレアの側近として正式に決定すると、王宮の第二王子プライベートエリアの一角に用意された専属護衛用の待機部屋で寝起きするようになり、姉達が全員嫁いで家から出るまで一度も実家に帰らなかったそうだ。
長女のナディアは第一王子の側近と婚約しているために、まだ籍は入れず、婚約者の実家で同居する事実婚状態だが、次女のベロニカと三女のアメリアは、それぞれ近衛騎士と子爵家の嫡男に嫁いでいる。
騎士団長の父親とはどうせ職場で会うし、母親には用も無いから実家に帰る必要は感じていないそうだ。
ハロルドは、夜会や茶会など社交の場では、話しかけられたら他人行儀に返すが、決して自分から母親や姉には近付いていない。
次女と三女は、婚家でそれなりに幸せにやっているようで、もうハロルドを甚振ることに興味は無いようだが、長女は年齢的にも落ち着いた環境で子を成したいと望んでいても、婚約者が第一王子の側近なので、主君の婚姻が無事済むまではと頑なに入籍も挙式もしてもらえない。
不満を燻らせるナディアの耳に入って来るのは、第二王子達の輝かしい功績の数々。
甚振って玩具にして弄んでいたハロルドまでが、側近として評価されている。
ハロルドに自分が負けたように感じることが許せないナディアは、婚約者が側近を務める第一王子の評価を、どんな手を使っても上げようと、婚約者を激励した。
実力の片鱗を見てから水面下で誘いをかけては断られていたという、『剣聖候補』の第一王子派への引き入れ。
ジルベルトが『剣聖』の称号を得ても、その忠誠の誓いを先延ばしにさせるよう、ナディアの婚約者であるゴードン・ファーレル公爵令息が国王陛下に嘆願し、その願いは聞き入れられていた。
第一王子が直々に命じれば、『剣聖』は喜んでこちらに下る筈だった。
だが、『剣聖』は、次期国王の側近という栄誉を断った。第二王子の側近でいたいと、ハロルドなんかの仲間でいることを選んだ。
憎い、憎い、憎い。
ナディアの心の底から噴き出す感情は、矛先だけ違う一種類だった。
誘いを断ったジルベルトが憎い。
分を弁えないハロルドが憎い。
勝手に幸せになって舞台を降りた妹達が憎い。
憎い奴らが大事にしている全てが憎い。
大事にしているものが憎いと言っても、手を出せる相手とそうではない相手がいる。
第二王子や宰相の嫡男に攻撃などできない。ジルベルトの友人も、次男だとしても公爵家の生まれでは手を出したらマズい。
ダーガ侯爵家の人間も、爵位は婚約者より下でも外務大臣の家だからマズい。
妹達の婚家は武力かお金がある家だから、子供を誘拐することも難しそうだ。
ハロルドには側近仲間以外の親しい人間が一人もいない。
丁度いいのがいた。ナディアは閃いた。
親は新興子爵。本人も商会を持ち資産家。年齢は若い。王命で守られ公爵家の次男と婚約しているが、今も多くの人間から身柄を狙われている。
傷付けるのでも、手に入れるのでも、どちらでも好都合だ。
傷付ければ、ジルベルトの大切にするものを壊せて溜飲が下がる。
手に入れれば、国力を増強させるほどの商品を産み出す資産家の女を第一王子派のモノとして公表できる。
そうなれば、第一王子の評価は上がり、側近の婚約者の自分の評価も上がる。
焚きつけるのは簡単だ。
第一王子の側近を務める彼らは、ずっと前からニコル・ミレットを欲しがっていた。自分に既に婚約者がいることを嘆いている令息もいたくらいだ。
『剣聖』を手に入れることに失敗した今、起死回生を図るにはニコル・ミレットを第一王子派に組み込むしかない。私はそのためなら愛する婚約者から身を引いてもいい。それは、国のためなのだから。
ファーレル公爵家の別邸で、愚痴をこぼしに集まっていた第一王子の側近達に熱弁を振るった。
流石ファーレル公爵家が選んだ女性だ、王国貴婦人の鑑だ、口々に褒め称えられ、ゴードンからは「あとは上手くやるから何も心配しなくていい」と言われた。
「クリス、一つだけ訊いてもいいか?」
そろそろ郊外に差し掛かるほど馬車が進んだ頃合いで、ジルベルトは一度口を挟んだ。
「ああ。何?」
「その、妙に臨場感があり、個人的な感情や主観も入り、異常に過去のパーカー家の内情に詳しいのだが、一体どういうルートからの土産なんだ?」
途中まではハロルドの受けた虐待の数々に、黙して憤っていたジルベルトだが、徐々に困惑が湧き上がり、耐え切れなくなって語り手に訊ねてみた。
長々と語っていたクリストファーは、「何だそんなことか」と、いい笑顔で事も無げに答えた。
「ジルの勘が外れることは無いから、ナディア拉致って自白剤かました」
「はあぁっ⁉」
ハロルドの、全然笑えない女性敵視と変態犬になった事情でした。