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ニコルの屋敷

夏の話なので、せめてクリスマスイブとクリスマスは投稿を避けました。

 夏季休暇に入る前日に行われる学院のサマーパーティーも近づいて来たある日、ニコルの屋敷を訪れたクリストファーとジルベルトは、恒例の茶会で密談をしていた。

 ニコルの屋敷の機密保持レベルは王宮を超える。

 王宮ほど広くないことも一因ではあるが、屋敷の敷地全体を覆うように施されたヤバい魔法による侵入阻止や防御の結界と、ニコルへの忠誠心が崇拝の域に達する狂信者共の働きに依るものだ。

 年嵩の使用人、護衛達の誰もがニコルによって人生を救われた者であり、ニコルと同年代の使用人や護衛達は、ニコル発案の『養成所』の出身者である。


 ニコル発案の養成所は、発案当初は前世にあった職業訓練所のようなものだった。

 保存食品の開発のために、貴族の役割としてスラムへ炊き出しに赴いた時に、スラムの世話役に住民をモニターとして雇いたいと交渉したのが最初の縁。

 別に崇高な志や善意など無かったが、基礎能力の高そうな人間がゴロゴロいるのが勿体ない気がして、真っ当な仕事の斡旋をモニターの報酬に加えたのだ。

 その流れで、子供達には幼い頃から手に職をつけさせれば、更に優秀な人材が出来上がるのではと、何となく面白くなって養成所の運営に力を入れてみた。

 読み書きと一般的な職業訓練がカリキュラムだった筈だが、運営を世話役に任せてしばらくすると、様々な特殊能力を持つ非常識に優秀な少年少女が屋敷の使用人として紹介されて来た。

 どういうことだと世話役に詰め寄るも、いい笑顔で「()()()()しかしてませんよ」と答えられた。


 養成所の出身者は、ニコルへの忠誠心というか崇拝心を全身くまなく滾らせて、ニコル専属として仕えている。

 執事や侍女、従僕といった一般的な貴族の屋敷で仕えるのに必要な知識や技術も身に付けながら、護衛や諜報の技術はクリストファーが引くほど高い。

 どうしてスラムの世話役に任せた養成所で、貴族の屋敷で通じるような知識や技術を身に付けられたのか不思議に思ったが、世話役は元没落貴族の家令だったらしい。

 スラムには、優秀で主家への忠誠心があったばかりに主達から疎まれ、貧民街に追われた人間が世話役の他にも数人いたと言う。

 そういった人間を教師として若い人材を育てたのだと世話役は言った。戦闘力や諜報の技術が思った以上に育ったのは嬉しい誤算らしい。

 戦闘訓練と諜報技術の教師は誰なのか訊ねると、戦闘訓練は既に屋敷の護衛となっていた元冒険者と元剣士で、諜報技術は適性のあった子供達の独学という話だった。

 スラムの人材の宝庫っぷりが凄まじい。


 ニコルが定期的な外出をするようになってからは、目に付いた店に業種を問わず片っ端から入ってみていたが、借金のカタに売られて奴隷のように酷使される子供達を何人も見かけた。

 特別な善意も思惑も無く、その店の店主が気に入らないからと、あちらこちらの店でニコルはそういう子供達を買い取っては養成所に送り込んだ。

 養成所には食事が出る寮が完備されている。

 後から考えれば、養成所の子供達にニコルへの忠誠心が芽生えるのは当然の成り行きなのだが、当の本人は何の思惑も無かった。

 おかげで今は頭を抱えている。

 その様子を前世の兄は、「母さんの娘だしな」と半笑いで引き気味に眺めていた。

 ニコルの父親であるミレット子爵が再婚した女性も、ニコルが人生を救ったニコルの崇拝者なので、異母弟が生まれても家族仲は非常に円満だ。

 ニコル周辺の人材の能力と忠誠心にドン引きのクリストファーだが、ジルベルトは「ニコルを護る者達が強そうで良かったな」と、ほのぼのとした笑顔で宣っていた。そんな前世の母に、「似た者母娘」とクリストファーがドン引きしたのは言うまでもない。


 そんなニコルの屋敷の中で、使用人達は何を見聞きしようと死んでも外には漏らさない。

 うっかり不敬な言葉を口に出そうが、この世界では頭がおかしくなったと思われかねない言動をしようが、国家転覆の謀をしているように聞こえようが、彼らの絶対は国でも王でもカネでもなく、ニコルだけだ。

 自白剤や麻薬を用いられたら正気を失う前に自害する暗示を、積極的に志願して自らにかけるくらい彼らの忠誠心は強い。

 今ではクリストファーとジルベルトにとっても、ニコルの屋敷は唯一の気を抜いて休める場所になっていた。


 クリストファーは、ニコルが盛夏から売り出す予定の清涼感の強いハーブとドライフルーツをブレンドした紅茶を口にしながら、エリカの観察経過を報告する。


「言動はどう見ても()()()の記憶持ちか()()知識のある転生者なんだが、とりあえず転生者だとしても、()と互いに知り合いってことは無いだろう。奴にとってクリストファー・コナーは初見ではなさそうな反応だが、俺を前世の俺と認識している感じは全く無い。ただ、決定的な言葉が出ねぇ。警戒心が強いのか、思考を口に出さねぇタイプなのか、自室に一人でも無言で虚空を睨んでるぞ」


「え、何それ不気味」


 ニコルが頬を引き攣らせると、ジルベルトもクリストファーの報告に補足した。


「一度、クーク男爵の寄親に当たるバルディ伯爵が主催する夜会に、男爵に同伴してエリカ・クークが来ていたようだ。男爵が招待されていても養女には参加資格が無いからと、入口で警備に帰されたらしいが、非常識な振る舞いで寄親に恥をかかせたクーク男爵は、それ以降どの家の夜会にも招待されていない」


「男爵、おかしいよね」


「おかしいが、物的証拠が何も出ねぇからな。ヤクも出なけりゃ拷問や人質を取っての脅迫の痕跡も無い」


 クーク男爵が精神操作の(まじな)いで操られているのだとしても、それが()()()の記憶を元に行われたものなら、禁書という物的証拠は家捜ししても出てこない。

 それに、厄介なことに儀式によって捧げられた生贄も材料達も、見えないけれど存在するらしい『邪な()()()』が受け取ると跡形も無く消えるのだ。

 実際、クリストファーが家人らに気取られぬよう徹底的に家捜しをしても、(まじな)いに繋がるモノは何一つ出て来なかった。

 クーク男爵の行動は異常と言えるが、長年放置して苦労をかけた娘への贖罪の気持ちから、度を超えた我儘も受け入れているのだと見えなくもない。

 まだ引き取って数ヶ月だ。病死したエリカの母親の病は、裕福であれば死ぬような重篤なものではなかったとも調べがついている。外見だけは良いエリカへ同情的な意見も無くはない。

 今すぐエリカを引っ張ったとしても、禁書や禁書の知識を持つ人物との接点がまるで無い現状では、たとえエリカが自白しても、エリカを(まじな)いを行った犯人と断定して裁くことはできない。


「で、何もハッキリしないまま、最初のデカいイベントが来る」


「サマーパーティーかぁ」


 三人が意識する「イベント」は、学院の行事と言うよりも原作のイベントという意味合いが強い。

 乙女ゲーム『妖精さんにおねがい♡〜みんな私を好きになる〜』の、導入と出会い部分をクリアした後の最初のイベントスチルは、『初めてのサマーパーティー』だ。

 貴族学院のサマーパーティーは、夜会を模した、学院の生徒は全員が参加するパーティーだ。

 授業の一環であり、開催される時間は午後から夕方で、アルコール飲料は供されない健全な内容となるよう生徒会が監視する。

 学院の規則で、初めて参加する生徒は必ず給仕役を務めなければならない。王族でも高位貴族でも例外は無い。


 ジルベルトも一学年の時は、同学年のアンドレアやモーリス、ハロルドらと共に給仕役をやった。給仕される先輩達が哀れなくらいビクビクしていたが、四人とも嘘臭い笑顔でやり切った。

 ニコルも昨年は給仕役を務めた。もっとも、クリストファーの姉のプリシラがニコルを独占し、侍女らと共に囲い込んで他の生徒達に給仕として使わせなかったが。

 プリシラも必死だった。失敗してニコルを護り切れなければ、ジルベルト(現在の雇い主)からクリストファー(悪夢の支配者)に返品されてしまう。ホワイトな職務環境は死守したい。コナー家におけるクリストファーの恐怖政治は深層心理の奥底まで浸透していた。

 斯くしてニコルは何事も無く給仕役の年を終え、今年はプリシラや鉄壁の護衛達に囲まれながら招待客役として参加していれば単位が貰える。


「原作でも、一年目のサマーパーティーって給仕役しか無いよね。ノーマルルート以外どれも同じスチルになる強制スチルだし」


 ニコルが口にした「強制スチル」は、原作ファンの間で使われていた造語だ。

 避けようの無い条件で発生する「強制イベント」のあるゲームは多いが、『妖精さんにおねがい♡』では、誰のルートを進んでいても、強制的に取得させられるスチルがあった。

 例えば、ハロルドが参加する剣術大会を見に行くと、どのルートでも必ず『ジルベルトと観戦デート』というスチルが取得される。

 同一のスチルを何回取得したか、という条件で開放される選択肢やスチルがあるなど、完全クリアと全スチルゲットが困難を極めた原作は、乙女ゲームという認識でプレイしていたら途中で挫折するような鬼畜仕様だった。

 同一のスチルを☓☓回以上取得すると凍結されてしまう、という条件の選択肢開放の鍵もあったため、どのルートでも必ず同じスチルになるこれらは「強制スチル」と呼ばれ、プレイヤー達の壁として立ちはだかっていた。

 『初めてのサマーパーティー』では、ノーマルルート以外では最初から最後までアンドレアの側で給仕役を続けるスチルになる。アンドレアの側には側近のモーリスとハロルドとジルベルトがいるので、どのルートでも同じ。一緒に給仕役を務めるクリストファーのルートでさえ、取得するスチルは同じだ。

 ノーマルルートでは、「忙しく先輩達の給仕をしている内に、初めてのサマーパーティーは終わっていた」というヒロインの独白が流れる無人のパーティー会場の遠景が、取得できるスチルとなる。

 この『初めてのサマーパーティー』は通過するごとに必ずどちらかのスチルが強制的に取得させられるので、前世の三人も条件の計算に苦慮したものだ。


 現在の問題は、勿論そんな非現実的な事柄ではない。現実にはスチルも選択肢の開放条件も無いのだ。

 問題は、給仕役というのは、ある程度自由に動き回れてしまうということだ。

 現状、状況証拠ではエリカはクーク男爵への精神操作の(まじな)いの犯人として真っ黒だ。

 この状態で、精神操作の(まじな)いの存在とやり方を知っているクリストファーやアンドレアと側近達との接点を持つという()()を作られるのは避けたい。

 (まじな)いの行使に関った疑惑を掛けられるリスク回避の目的以外にも、既にエリカが(まじな)いを成功させているのなら、()()に行き詰まれば安易に手段として(まじな)いを用いるだろうことが予測される。()()()()()()とされていた男達は、エリカに「顔を合わせて認識された」と思われると(まじな)いの対象にされる可能性が高い。

 成功する確率が少なくても、完全にゼロという訳ではない。(まじな)いを行使した者が死ねば効果が切れると言っても、何の影響も残らないという保証も無い。

 不愉快なリスクは避けられるだけ避けたい。


 状況証拠が真っ黒だと断定した時点で、クリストファーは、エリカの共犯に仕立て上げられる自称帝国の工作員を手に入れようと画策しているのだが、ジルベルト達の年代の茶会デビューから発展した騎士団長失脚を狙う奸臣らの大粛清の後は、クリソプレーズ王国内に自称帝国の工作員が入り込んだ形跡が無い。

 当面は警戒し、クリソプレーズ王国以外の国で暗躍しているのだろうが、他国に出向いて工作員を自国まで引っ張って来るような馬鹿な真似はできない。そんなことをすれば自分がスパイとして処刑される。


 ニコルには、(まじな)いの詳細は何も伝えていない。

 エリカがニコルを名指しで共犯扱いしても、ニコルの名前は有名だ。有名人が、勝手に名前を使われて騒動に巻き込まれることは少なくない。

 ニコルにとって不可能だと断言できる犯罪であれば、共犯だと騒ぎ立てられても多少の醜聞と大きな同情が結果として残るだけだろう。

 それに、ニコルがクリストファーから聞かされたのは、魅了の(まじな)いに使う香草と、色を指定していない「アンティークの宝石」という文言だけだ。エリカが行った(まじな)いが精神操作だけである今なら、エリカが何を()()しようと、ニコルの関与が認められることは無い。


 できれば、ニコルをエリカと関わらせたくは無い。

 折角、今のところはニコルが学院に在籍していることを知られないまま過ごせているのだ。

 ニコルの存在を知れば、エリカは絡んで来るだろう。原作では『お助けキャラ』として描かれていたくらいエリカにとって便利な存在だったのだ。

 それに、顔を合わせて認識されたと思われれば、精神操作の(まじな)いの対象にされるリスクは男達と同様だ。ニコルを危険に曝したくはない。それは本心だ。

 あの女は、鉄壁の護衛がいても、図々しさとイコールの鈍感力を発揮して近寄って来そうだ。

 ()()()でも紳士的な態度と好青年風笑顔の下に女性への敵意を滲ませていたであろうハロルドの対応を、「私に堕ちた」と勘違いできたくらいの鈍さだ。

 原作はエリカ視点の()()()という仮説で考えれば、エリカ視点ではハロルドはエリカに「攻略」されていたことになる。

 入学してから然程ハロルドと女生徒が関わる場面を目にしていないクリストファーでさえ、ハロルドの女性に対して滲み出る敵意は、「オイオイ」とツッコミたくなるほど酷いものだ。

 前世で女性に殺された、ゲイのクリストファーからツッコミが入るほどの敵意を浴びて、なお揺らがない「自分は愛されている」の自信は狂気と言える。

 その狂気でニコルを利用せんと近寄って来る害虫(エリカ)。本心では関わらせたくない。本当だ。

 それでも、クリストファーはニコルに提案した。


「ニコル、お前、サマーパーティーではプリシラ達と固まってるだろ? そこでエリカ・クークを給仕として独占してくんねぇ?」


 キョトンとするニコル。

 ジルベルトは、クリストファーが何を考え、十分悩んだ後で、どういう理由でこの提案を口にしたのか理解していた。

 もしも、ニコルが(まじな)いの対象とされても、王族や国の中枢を担う立場の男達よりも、か弱き令嬢の方が各方面への影響は少なく、国家としての醜聞も小さな傷で済む。実行前の準備段階で、(まじな)いの行使という大罪を理由に始末できれば、理想的な形で綺麗に憂いが消える。

 だがそれは、国と、ジルベルトやクリストファーが守りたい者を守るために、ニコルを囮として使うということだ。

 クリストファーが、本当はそんなことを望んでいないことは知っている。

 前世ではニコルの母であったジルベルトには、それが最善だと分かっていても出せない提案だった。

 クリストファーが口にすることを期待していた訳ではない。

 けれどジルベルトは、その提案を前世の情で撤回させることもしない。

 ニコルの判断に任せ、バックアップとフォローには全力を尽くすつもりだ。ジルベルトとクリストファーの『守りたい者』の中には、勿論ニコルも入っている。


「メインで奴と交渉するのはプリシラにやらせる。今は、奴と原作の攻略対象を接触させるのはマズイんだ。頼めるか?」


「うん。わかった」


 詳細を知らせずとも、クリストファーとジルベルトへ全幅の信頼を寄せて了承するニコル。

 残念と両立されていても、才能豊かで聡明なニコルは、追加で指示を仰ぐ。


「何をすれば“余計なコト”になるか教えておいてくれると動きやすいかな」


「特に縛りはねぇよ。俺と婚約してるのも、貴族なら事情も込で常識として知ってるしな。まぁ、新興といえど貴族の血しか入ってない子爵家の令嬢が、男爵と平民の間に生まれた庶子の質問に一々答えてやる必要は、貴族の常識的にねぇな」


 前世で子供の頃にしたように、くしゃりとニコルの頭を撫でるクリストファー。

 ニコルはその手を払い除けることなく受け入れ、心を許した相手にだけ向ける気安い笑顔で緩く答えた。


「りょうか〜い」


 爽やかな紅茶を飲みながら二人の様子を微笑ましげに眺めていたジルベルトは、クリストファーがニコルの前髪を目にかかるように撫で付け視界を塞いだ一瞬で、紺色の瞳と視線を合わせた。

 クリストファーの片眼が、「了解」の意味を持って僅かに眇められる。

 前世でも今生でも、ニコルは二人の大事なお姫様だ。不快な場所へ放り込むなら、核シェルター並みのポットで包んでからだ。

 その打ち合わせは、お姫様のいない所で。それも、ずっと変わらない二人のルールだった。

ニコルの屋敷の使用人や護衛、養成所の人間達の話は、「乙女ゲーム編」の後に番外編で書こうと思います。

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