ヒロイン?
クリソプレーズ王国、王都の城下町に小さな借家があった。
住んでいるのは若く美しい母親と一年前に生まれた女の赤ん坊。
母親は訳ありなのか、未亡人ではないようだが夫や娘の父親の姿を見ることはない。
刺繍や縫い物を請け負って日々の糧を賄い娘を育てる母親は、売り物よりも美しく仕上がった刺繍の数々を娘の眠る揺り籠の周囲に飾っているが、近頃急に妖精が娘の側に近寄る素振りを見せなくなったことに不安を感じていた。
平民には、ほとんど妖精の加護を持たない者もいるし、加護がそこそこあっても高度な魔法を使うほどではない者も多い。かと言って、全く妖精が近寄らない子供というのは聞いたことが無いのだ。
ましてや女の子で妖精の加護がゼロでは、将来嫁の貰い手を探すのに苦労するだろう。妖精は美しいものが好きだ。その妖精に全く好かれていないと思われてしまえば、素顔や見えない服の下が酷く不細工なのではと邪推されてしまう。母親は、それが心配だった。
一方、揺り籠の中で身動ぎもせず目を閉じる赤ん坊は、数日間泣き叫んだ不安に馴染み始め、現状を受け入れるために思考を巡らせていた。
赤ん坊には、前世らしき記憶があった。
らしき、としか言えないのは、それがひどく曖昧なものであるからだ。
覚えているのは、自分が何者であったのかすら忘れてしまうほどの間、閉じ込められていた白く孤独な空間。
その空間は白い部屋で、窓も扉も無かった。いや、扉はあったが、内側に取っ手もドアノブも鍵穴も無かった。
食事は起きると部屋の中にあったので飢えることはなかったが、いつ誰が運んだのか知ることは終ぞ無かった。
食事を食べると眠くなり、寝て起きると食事が用意されていて身体も清潔になっていた。
不思議な空間だったが、あれが何処だったのか、何故自分がそんな所にいたのか、まるで分からない。
その空間に入れられる前は、別の暮らしがあったような気がするが、何一つ、自分の名前すら思い出せないまま人生を終えた。
多分、自分は人間だっただろうということは、辛うじて覚えている。
けれど、自分以外の人間を、その空間で見たことは一度も無い。いや、その空間では、自分の姿を見たことすら一度も無かった。自分の姿を映す物すら無い部屋だったから。
もしかしたら、自分は人間ではなかったのだろうか。
そんな曖昧な記憶を持ち、ようやく生きることから解放された頃、何かに強い力で引っ張られた。
その何かが傲慢な口調で言ったのだ。
『見つけた。私と魂を同期できるほどに本質の似た人間。一度は失敗したけど、この力を利用すれば、もう一度やり直せる』
何を言っているのか分からなかったが、久し振りに聞く他人の声と言葉に意識が囚われた。
『あと少しだったのよ。あと少しで、誰よりも可愛い私に相応しい地位を手に入れることができた。誰よりも可愛い私は誰よりも愛されて望まれて優遇されるのが当然なの』
傲慢な口調の主は、どうやら若い女らしい。それは、人間がどういうものか曖昧になっていたけれど、どうにか思い出して、見当をつけることができた。
『あなた、私として生きなさい。悔しいけど私の意識はもうじき消滅してしまう。だけど、あなたは笑っちゃうくらい私と同じだわ。私と違うのは容姿が残念なことくらいね』
よく分からなくても、この傲慢な口調の主に貶されていることは感じた。
『私の、誰よりも可愛い容姿の身体をあげるわ。だから、私として存在して、私として生きて、私として世界に名を残すのよ! そうすれば、世界中の人々が崇めるのは私になるわ! 上手くいくように、成功した私の記憶をあげる。失敗する直前までは、人生チョロ過ぎて笑っちゃうくらい幸せよ。あなた、そういうの好きでしょ? だって、私と同じだもの!』
自分が何を好きだったのか、思い出すことはできなかった。それでも、何となく惹かれるものはあった。
『私自身がやり直しできたら良かったんだけど。私自身を生贄として捧げるしかやり直す力を使わせる方法が無かったのよ。あなた、失敗しないでよね。三度目は無いんだから』
よく分からないことを勝手に喋り散らす、傲慢な口調の主の気配が唐突に掻き消えたと思ったら、白くない部屋で小さな身体に入っていた。
緑色の髪にピンクの目をした女に覗き込まれているのを察知し、驚いて泣き声を上げた。
緑色の髪もピンクの目も、前世らしき記憶の中には存在していなかったことは何となく分かった。
ここが何処なのか、さっぱり分からない。
けれど、あの白い部屋よりはいい所だろう。
数日の間で、自分が「エリカ」という名前の女の赤ん坊だということは分かった。
傲慢な口調の主の記憶が絶え間なく流れ込むのが鬱陶しいけれど、それはとても気持ちの良い記憶だった。
幼い頃から「可愛い」「可愛い」とチヤホヤされて、たまに女の子から意地悪をされても、必ず男の子達が味方になって守ってくれる。
裕福ではない子供時代だけど、身の回りで目に付いたものは、「欲しい」と言えば誰かがくれる。それが他の誰かのものでも、譲ってくれたり、違う誰かが持ち主から取り上げて与えてくれた。
可愛いから何を着ても似合うし褒めてもらえる。
近所の男の子は皆「エリカ」のことが好き。
この世界には「妖精」というものがいて、「妖精」は可愛い「エリカ」のことが大好きだから、「お願い」すると「魔法」で何でもできちゃう。
この世界には「魔法」があるらしい。それが使えるのは「特別」なことで、「特別美しい」「特別可愛い」人間だけの特権。
10歳で母親と死別して孤児院に入るようだけど、そこでも歳上のボスみたいな男の子達のグループに、お姫様のように扱われていた。
悪くはないけど、孤児院のお姫様なんてパッとしないな、と思っていたら、「妖精」の加護が「特別」多い「エリカ」のことを知った貴族の男の人が迎えに来た。
その男の人は「エリカ」と同じ栗色の髪で、母親と同じピンク色の瞳の「エリカ」を、「自分の娘」だと引き取って養女にした。
母親は少女時代に、その男の人の家のメイドで、お手付きになって妊娠して出て行ったんだって説明された。
男の人には貴族出身の奥さんも、奥さんが産んだ子供もいるけど、「妖精」の加護が「特別」に多い「エリカ」を家に迎え入れることに反対は無いからって。
誰よりも可愛い「エリカ」は貴族令嬢になった。やっぱり自分は「特別」だったんだって、よーく分かった。
小さい頃から密かに、「エリカ」はおとぎ話のお姫様みたいだと思っていたけど、それを口に出しても変じゃないくらい「特別」な女の子なんだって思った。
だけど、きちんと礼儀作法や教養を身に付けないと、豪華なドレスを着てお城の舞踏会には連れて行けないって言われて、仕方無く家庭教師から色々習うことになった。
面倒臭かったけど、貴族にも階級があって、「エリカ」を養女にした男爵っていう位は、貴族の中じゃ最下位だって言われたから、ちゃんと「特別」な「エリカ」に相応しい身分を手に入れるために頑張った。
まぁ、ちょっとサボったけど。男の家庭教師は「エリカ」が可愛いから何でも許してくれたし。
頑張ったのにムカつくのは、貴族の子供は皆、14歳になったら貴族学院ていうところに入るって聞いてたのに、必要な作法や教養が身に付いてないからって15歳まで入れなかったこと。
貴族学院に入れば、本物の王子様とだって会えるのに!
けど、15歳で編入してみたら、もう笑っちゃうくらい王子様も高い身分の貴族の男の子達もチョロかった。
ちょっと優しくして笑いかけたり、あざとく拗ねてみせるだけで簡単にオトせた。下町のインチキ占い師や酒場の酌婦が相談に乗る振りをする時みたいな、誰にでも当てはまりそうでいて、自分だけだと思わせるような、耳触りのいい印象に残りそうな言葉を選んだだけなのに。
王子様も偉い貴族の息子達も、「エリカ」の言うことだけを信じて他の女の子達に冷たく当たったから、とーっても気持ち良かった!
チヤホヤされるのが気持ち良いし、誰か一人に絞るのも勿体ないし、学院でオトした王子様は第二王子だから将来王様にはならないし。
上手いこと転がしてたら、王子様達の卒業後にプライベートで王宮に呼ばれるようになった。
すっごい「特別待遇」だから、やっと現実が「エリカ」に追いついたんじゃない? って思った。
そこで運命の出会い!
将来王様になる第一王子と偶然バッタリ!
なーんて、第二王子から、隣のエリアは第一王子のプライベートエリアだから入るなって言われてたから、わざと迷子になっただけなんだけどね。
その後も、第二王子に招かれて王宮に行った時に偶然会って第二王子のエリアまで送ってもらったりして。
この時は本当に偶然だったんだけど、オトす糸口を探りながらお話してたら、第一王子は第二王子に付いてる専属護衛が欲しいんだって気が付いた。
礼儀正しいし美形なんだけど、「エリカ」より第二王子を優先するから面白くなかった騎士のことみたい。『剣聖』っていう称号を持ってるから、本当は第二王子じゃなくて将来王様になる人の専属護衛になるのが普通っぽい。
専属護衛は主に忠誠を誓ってるから、主からの命令でも無ければ仕える相手を変えられないから困ってる、って。
そんなの聞いたら、利用するしかないじゃない?
おねだりすれば「エリカ」の言うことを何でも聞いちゃう第二王子に、専属護衛に第一王子の所に行けって命令させて、第一王子からキラキラ笑顔で感謝された。
あんなに感謝されたんだから、「エリカ」は第一王子の「特別」になったに決まってるのに、全然お呼びがかからない。
呼び出すのは第二王子ばっか。その第二王子も専属護衛を譲ったくらいでウジウジしてるし。
鬱陶しいから、何か楽しいことしたいって言ったら、王族しか入れない禁書庫とかいう秘密の場所に連れて行ってくれた。
よく分からない難しい本がいっぱいあったけど、高そうな本を一冊、ドレスの下に隠して持ち出した。
売り払ってお小遣いにするつもりだったけど、「エリカ」が学院でオトした偉い貴族の息子の一人、王様の下で裏仕事をやってる男の子から、それが『呪い』っていう儀式のやり方を書いた本だって教えてもらって、面白そうだから一緒に読んだ。
死とか病とか気持ち悪い感じのは、説明も難しいから飛ばしたけど、『魅了』っていうページで指が止まった。
これで、まだ「エリカ」を呼び出さない第一王子もオトせると思った。
結果は大成功!
第一王子も「エリカ」にメロメロ!
やっと、やっと、「エリカ」に相応しい身分になるんだわ!
そう思ったのに、何故か急に第一王子に会えなくなった。騎士達に乱暴に拘束されて暗くて薄汚い地下牢に放り込まれて、同盟とか大罪とかワケわからないこと言われて───あとは、思い出したくない。
『あなた、失敗しないでよね。三度目は無いんだから』
傲慢な口調が頭の中に響く。
流れ込んだ記憶に同調するように、自分の意識は「エリカ」のものに馴染んで行った。
だって、「エリカ」の記憶の中で「エリカ」が持った感想に、何も反発することが無かった。
まるで、最初から同じ人間だったのかと思うくらい、考え方も感じ方も、しっくりきた。
曖昧な前世の記憶だけど、どうやら自分は「エリカ」のように外見に恵まれてはいなかったらしい。
けれど、今の自分は「エリカ」だ。
誰よりも可愛い「特別」な「エリカ」。
人生勝ったも同然。笑っちゃうくらいチョロく美味しい人生を始めよう。
私は、エリカ。
───そう思ったのに。その筈だったのに。
「全然違うじゃない。エリカ」
15歳になり、ようやく記憶と同じように貴族学院への編入に漕ぎ着けたエリカは、何もかも思い通りにならない現実にギリッと奥歯を噛み締めた。
また、二日おき投稿に戻ります。