14歳の執務室
乙女ゲーム展開時期までの日常風景。一年一話です。
アンドレアの執務室。一度休憩を入れましょうと、モーリスが茶の用意を始めて皆を促した。
執務室で茶の用意をするのは大抵モーリスだ。『血腥い王子様』であるアンドレアは、日々恨みを大量に買い付けながら生きているため、王族であるという理由だけでなく暗殺を企てられることが多い。
そのため不用意に当番制の給仕を使うことなく側近が茶の用意をし、用意をした者が毒見役も兼ねているのだが、ジルベルトやハロルドが毒見をして「大丈夫」と判断を下しても、規格外に頑健な二人ではイマイチ不安が残ると、結局大抵の場合モーリスがお茶係を担うことになった。
今日も茶を淹れるモーリスを眺めながら、休憩になった途端に「貴方の犬と呼んでください!」と鬱陶しいハロルドを往なし、ふと思いついたようにジルベルトは言った。
「モーリス、お前は呼んで欲しい愛称のようなものは無いのか?」
アンドレアは側近には「アンディ」呼びを許している。
ジルベルトは、アンドレアと側近仲間、友人のクリストファーからは「ジル」と呼ばれている。
ハロルドはジルベルトに「犬」呼びを要求し、最近はアンドレアとモーリスからは「ハリー」と呼ばれている。
距離を感じるということでも無いが、そう言えばモーリスだけ愛称で呼び合ってないな、と気が付いたのだ。
ジルベルトの前にシンプルかつ上質なティーカップを音を立てずに置いて、モーリスはフッと口許を緩めた。
「君に甘い声で『モル』なんて呼ばれたら、うっかり危ない扉でも開きそうになりますから。結構ですよ」
そうか。モーリスの愛称は「モル」だったか。「結構ですよ」は聞き流し、ジルベルトは全員にお茶を配り終えたモーリスの前に立ち、両肩に手を置いて蒼い瞳を覗き込みながら、ふんわりと微笑んだ。
「モル?」
甘い、甘い優しげな声。仕事中には見せない緩められた目尻。
毒見済みの紅茶を噴き出しそうになり根性で耐えたアンドレア。嫉妬でモーリスをガン見するハロルド。
モーリスは、努めて冷静さを装いながら、額に青筋を浮かべてニーッコリと笑った。
「・・・ジル。そ・う・い・う・と・こ・ろ・ですよ!」
「最近よくモーリスに怒られるが、ヤバそうな相手にはやってないぞ」
「では訊きますが、僕がハリーみたいになったら君はどうするんですか?」
ちょっとした冗談は人を選んで仕掛けているのだが、毎回モーリスに怒られているジルベルトは、しばし想像の世界に飛ぶ。
毎回モーリスに怒られているのは、ヤバそうな相手を避けた結果、常にモーリスだけを選んで仕掛けているからなのだが、本人に自覚は無い。
犬と呼べと迫るモーリス。蹴られて「ご馳走さまです!」と叫ぶモーリス。瞳孔を開いて変態発言をするモーリス。
「・・・不思議だ。犬ほど鬱陶しくない」
沈思黙考の後、真顔で呟くジルベルトに、今度は耐え切れずにアンドレアは紅茶を噴出した。
床に蹲ったハロルドは、「試練、試練」とブツブツ呟いている。
真顔で呟くところまでが自分に仕掛けられた冗談としてのワンセットだと気付いているモーリスは、笑顔を深めた。
「ジル、おイタが過ぎると犬をけしかけますよ。アンディ、父から回ってきた仕事、今日中に仕上げてくださいね。ハリー、次に嫉妬の視線を僕に向けたらジルと徹底的にシフトを離しますよ」
「おい、アレの締切は三日後だったろうが。七面倒臭い裏取りがあるから延ばした筈だろ⁉」
「スケジュール管理横暴反対!」
「アンディの能力なら死ぬ気でやらなくても半殺しくらいで前倒しできますよ。ジル、自分の飼い犬は躾けて黙らせてください。シフト、離して欲しいでしょう?」
「・・・犬、黙れ」
自分の快適さを追求した結果、モーリスの言いなりになったジルベルトが、「ひどい!」と叫びたいのにご主人様の命令を守って涙目で口をパクパクさせるハロルドの頭をポンポン叩いて気を逸らし、「八つ当たりだろコレ」と頭を抱えるアンドレアに心の中で手を合わせる。
だが、ヤレヤレという態度で自分の紅茶に口をつけるモーリスを見ていると、ジルベルトはつい突付きたくなる。何故かモーリスには、ちょっかいを掛けたくなるのだ。
もしかしたら自分はモーリスに甘えているのかもしれない。長い脚を組み替えたジルベルトは、そう結論を出して口を開いた。
「モーリスは、この執務室の『お母さん』みたいだな」
「お母さん」
「お母さん」
復唱するアンドレアとハロルド。
無言で紅茶を飲むモーリスの蟀谷に浮かぶ青筋。
満足したようにモーリスから視線を外して窓の外を眺めるジルベルト。
変態犬より、横暴秘書より、血塗れ王子よりも、この執務室で一番の問題児なのは、性悪麗人なんじゃないかと考えた、アンドレア14歳の晴れた夕方だった。
本日中に15歳、16歳の分も投稿します。