大人になりました
短めです。
アンドレアが監視を追い払った後に出した指示を持って、ジルベルトはクリストファーとの約束通りニコルの屋敷を訪ねた。
いつもの密談なお茶会の用意を整えたニコルは、三人だけになった室内で常より真剣な表情を見せる二人に何かを察した。
「ヤバいことになったの? 私、どうされるわけ?」
「今すぐ何かされるわけじゃねぇけど、気をつけてもらいたいことがある。下手を打てば俺がお前を始末する王命を出される」
何処かの断るのが難しい相手からの囲い込みの話か、作りたくない類の商品の開発の強要辺りかと見当をつけていたニコルは、想像と別方向のヤバさに眉を顰める。
「私、叛逆行為なんかしてないわよ。今後もするつもり無いし」
「分かってる。けど、お前には前世知識があるだろ。お前の今の身分じゃ知ってるだけで処分対象な知識が、前世の日常生活の中にあったんだよ」
「は? ナニソレ」
訳がわからないという顔でニコルが呆れた声を出す。
今まで、それなりに世間に商品を流通させ広告も出してきたし茶会にも参加してきたが、何も問題が起きたことは無い。一体前世の何がそんなに危険な知識なのか、しかも日常生活で出てきそうな知識など、皆目見当がつかなかった。
「まずな、『まじない』とか『おまじない』って言葉は絶対に口に出すな。俺らも最近気が付いたんだが、この世界には前世みたいに、ほのぼのした『おまじない』の概念は存在しない。この世界で『まじない』とう言葉が指すのは国家機密レベルの重大犯罪の隠語だとでも思っておけ。言葉を知ってるだけで重大犯罪の関係者と目される」
「は・・・」
口を「は」の形に開けたまま、ニコルが固まる。あまりにも想像の外の要求だった。
ジルベルトはニコルへの説明をクリストファーに任せ、黙って紅茶を飲んでいた。この屋敷の機密保持状況に信頼は置いているが、無言で紅茶を飲みながら感覚を研ぎ澄ませて、他に話が漏れていないか探っているのだ。
今話しているのは、かなり苦しくても「妄想の与太話」と言い張れる『原作』の話ではなく、現在進行形でニコルが巻き込まれかねない生命の危機の話だ。
ジルベルトの警戒レベルも最高値まで引き上げられている。
「いや、それが必要なことなら理由を聞かずに言う通りにするよ。冗談の空気じゃないし、クリスやジルベルト様が私を守ろうとして言ってくれてる事なんだろうし。けど、意外だわ。想定外だわ。ナニソレ」
こちらの要求を飲むことに異論は無いようだが、かなり面食らった様子のニコル。
残念な言動はあれど、愚かではなく元来聡明な彼女がゴネるとは最初から考えていないが、やはり「ナニソレ」感はあるだろうな、とクリストファーとジルベルトは思った。
けれど、詳細を語って聞かせるわけにはいかない。ニコルを守るために。
「まぁ、ヤバい隠語だから絶対に口にするなよ。マジで本気で心底ヤバいからな。俺やジルでも庇えないヤバさだと心に刻みつけておいてくれ」
「え、そんなに?」
「そうなんだよ。いいな?」
「うん」
普段くだらない言い合いや口喧嘩をしていても、前世から兄の本当に必要な言いつけは全肯定で疑問を挟まず守ってきたニコルだ。
人間不信で相当ひん曲がった彼女に全肯定で指示を守らせられるのは、前世では兄と母だけだった。今生ではクリストファーとジルベルトがそうなるだろう。
「で、だ。そのヤバい重大犯罪に使うことがあるブツってのを、俺がコナー家を掌握したことで知ったんだがな。商人のお前が簡単に輸入できちまうモノだったんだよ」
「はぁっ⁉ いやいやいや、無実! 無実だよ! 知らないよ⁉」
まさかそんな疑惑をかけられることになるとは。流石に青くなって慌てるニコルの手を、クリストファーは少し力を込めて握った。
「落ち着け。まだ大丈夫だ」
顔色はまだ悪いものの、口を噤んで話を聞く体勢を取り戻したニコルに、クリストファーは手を握ったまま話を再開した。
「取り敢えず入手を避けてもらいたいのは、『カギグルマ草』って香草と、アンティークの宝石だ」
「また珍しい香草だね。化粧品の香料として使えるのは知ってるけど、クリソプレーズ王国から大分離れた国の山岳地帯で採れる植物だし、コストを考えると、うちの商品に使う予定は無いよ。魅力のある効能があるわけでもないし。アンティークの宝石は、富豪向け高級ドールで使う計画もあったけど中止する」
「そうしてくれ。あとは詳しく言えねぇが、何となく『おまじない』に使いそうなおどろおどろしい感じのモノは避けろ。変なもん買わないか持ち掛けられたら、直ぐ、俺かジルに言え」
「うん。変な仮面とか人形とか古そうな怪しげなものとか、売り込まれたら報告する。まぁ、うちも実家も骨董系は取り扱い無しなんだけどね。手間がかかる割に儲けが少ないし、下手打てば詐欺罪になるし」
「そうか。現状維持で頼む」
「うん」
非常に素直でいいお返事だ。ニコルは、世の中には知らない方が安全で、大切な人に迷惑をかけずに済む情報というものがあることを、知っているし納得もしている。
自分だけ仲間外れとか、教えてもらえないとモヤモヤする、という感情が湧くことは無い。
立場に応じて必要になる知識や情報は異なり、不要なモノを得れば自分だけではなく周囲も巻き込んで身を滅ぼすこともあると、経験上理解しているのだ。
そういう点でも、前世でそれなりの年齢まで生きて、敵の多い二つの職種でそれなりの成功を収めていた記憶があることは、ありがたいと思っている。
それでも、知らないままでも二人の役に立てることがあるのなら、何かしたいとニコルは考えている。
この二人に利用されることは、ニコルにとって全く嫌なことではないからだ。
「一つ聞きたいんだけどさ。うちが国内でカギグルマ草やアンティークの宝石の入手が困難な方向に流通操作するのはヤバい? 叛逆行為に見られちゃう?」
ニコルの意図は、直ぐにクリストファーに伝わった。しばし思案の後、思案中と同じく顎に指をかけたまま答える。
「そうだな。あからさまにその二つが注目されるようなやり方だとマズい。だが上手くやれるなら、こっちもありがたいな」
「その二つ以外にも生きるのに必需品じゃない商品や原料を幾つかピックアップするから、後日問題が無いか確認して。今のところ、国内でそれらが無いと困るってことは無い筈なんだよね。薬の原料でも、それらが無いと倒産するような専売屋がいるわけでもないし。だから、あと他に五種類くらい同じ条件のものに流通制限や市場価格の操作を仕掛けて、自然に国内に入って来ないようにする。入って来ても、その辺の貴族じゃ簡単に購入できる価格じゃないようにね。別に禁制品じゃないのに、そこまでして欲しがるなら何らかの目的があるかもだし、単純に買おうとすれば目立つんじゃない?」
情報を与えなくても、こちらの望むような手の貸し方を提案してくれるニコルに、クリストファーは「相変わらずだな」と呆れながら嬉しく思った。
「そうだな。動機も自然になるように、利点の多い代替品が流通し始めるなら尚いいな」
「うん。行けると思う」
既に頭の中に候補品があるのだろう。若干視線を上向けながらニコルが頷く。
普段とは違う緊張感の漂うお茶会から、いつもの密談なお茶会に変わった空気にニコルの口が滑った。何の意図も無かったが。
「で、エリオットが攻略された理由って分かった?」
一瞬、ジルベルトの紅茶を飲む動作が停止し、クリストファーが短く息を飲んだ。
「・・・ごめん。ヤバい?」
即座に何かに思い当たり、ニコルが首を竦める。
クリストファーは飲んだ息を吐き出すように溜め息を吐いた。
「いや、反応しちまった俺が悪い。だから言ったろ? 国家機密レベルのヤバい重大犯罪だって」
「あー・・・うん、だね。納得。ごめん。アレ、絶っっっ対に口にしない」
詳細を聞かなくても、ニコルにも『おまじない』がどんな犯罪行為なのか理解できてしまった。
(めっちゃくちゃヤバいでしょ! 次期国王を『おまじない』?して操るって! ああ! だからエリオットルートのバッドエンドは大罪で処刑エンドなのか。ん? てことは。)
「ニコル処刑の原因て犯罪幇助?」
「・・・それも二度と口に出すなよ。正解だと俺も思うけど」
「うん」
(けど、原因が分かって良かったわ。ここは現実で『ゲームの強制力』なんか無いのは分かってたけど、ヒロインの友人てだけで道連れ処刑は勘弁願いたかったからね。勝手にグイグイ来て自称友人になる輩は何処にでもいるわけだし。)
『お話が纏まったようなので、そろそろこちらの話も聞いてもらえます?』
「「「え?」」」
今まで何の気配も存在も無かったテーブルの上に、30センチほどの人型の存在が、ちょこんと鎮座していた。
中性的で美しい顔立ちの人間の大人を身長30センチまで縮小し、虹色の羽を生やしたようなその姿は───。
「「「妖精の大人⁉」」」
『はい』
驚愕の声を揃える三人に、にっこりと笑ってソレは肯定した。
ジルベルトがアンドレアから受けていた指示は、ニコルへの説明はクリストファーに一任する(最悪でもコナー家当主が知る以上の情報は漏れないから)ことと、その時の会話が他者に絶対に漏れないようにすること、ニコルへの口止め、でした。