『黒幕』も『世界』も奴には玩具
「この先へ質問を進める前に、聞きたいことが二つあります」
ジルベルトの言葉に、妖精は頷いた。
『はい。何でしょう』
「前回のダンテの行動を訊いた場合、その答えを聞いた我々が『世界の時を戻す方法を得た』と判定され、それを咎められてダンテ同様に排除される、または人間を辞めさせられることはありますか?」
妖精は、暫し瞳を閉じる。
少し眉根を寄せたり、小さな口を「への字」にしたりの後、「よろしい」とでも言うように頷いてから瞳を開けた。
『世界の時を戻す方法を、正しく再現可能なほど具体的な儀式の手順を聞かない限りは大丈夫です』
・・・コレ、『神』の方は、やっぱりソレで引っ掛けて人間辞めさせる気満々だったんじゃないか?
妖精に「誘導しろ」「引っ掛けろ」と指示を出して、拒否されたんじゃないのか?
見れば、クリストファーも同じ意見に行き着いたらしく、顔を引き攣らせて妖精を見ている。
イェルトは、何故か妖精に視点は合っているが妖精自体を見ているような感じがしない。そして、瞳孔が可笑しなほど開いている。
取り敢えず、言質は取れた。
次だ。
「では、もう一つ。『世界の邪なる意思を統べるナニか』とは、元は妖精と同じような存在、神の眷属だったのではないでしょうか」
妖精の瞳が、驚きに見開かれる。
だが、そこに敵意や警戒は無い。
そして、痛ましげに瞳を伏せて、肯定した。
『そうです。あれらは、元は妖精でした。
傷付いた世界を癒す過程で、許容量を越える過剰な負のエネルギーに侵食され、邪なるモノに堕ちた、“妖精の成れの果て”なのです』
「負のエネルギーとは?」
『世界に満ち溢れ、染み込まされた、人々の負の感情。それと、幾度も本来の在り様を歪められ、傷を深められた世界自身の苦痛や人類への拒絶などの感情です』
「世界は、感情を持っているのですね」
『はい。最初から持っていたのではありません。
世界は、この世界を構成する自然は、始め、ただ其処に在るだけでした。
感情を持つようになったのは、夥しい血と共に大地に染み込まされた、人々の怨嗟や悲しみや絶望、呪い、それらの影響を受けたこと。
そして、理を捻じ曲げられ、無理矢理に時を戻されることを繰り返し、治らぬ傷を重ね、在り様を歪められ、やがて悲鳴を上げ始めことが、感情を持つ切っ掛けでした』
「今も、世界は悲鳴を上げていますか?」
『はい。ですが、古代の王族が完全に消滅して、一方向だけに時間を進められるようになり、徐々に安定はしていました。
石から生まれた眷属が興した国々が安定して栄えることで、世界に生きる人々の感情も負のものにばかり偏ることが無くなった、というのも大きいです。
それに、信仰の対象となったことで、世界の回復力は増し、世界が人類を拒絶する感情は減りました』
それを台無しにしたのが、前回のダンテと言う事か。
そして、放置すれば今後も古代の王族のように、己の都合で幾度も世界を捻じ曲げようとする恐れがある、と。
「では、それらを踏まえて質問を続けます」
『はい、どうぞ』
ジルベルトは、まだ輪郭だけの勘を、少しずつ明確な形を持った確信へと近づけることにする。
「前回、ダンテは自称帝国から国外へ出て、今回は転生者となっている人物達の内、数人に接触しましたか?」
『はい』
「それは、エリカ、イェルト、バダック、ネイサン、現在リオと名乗っているモスアゲートの第三王子ですか?」
『はい』
ここまでは、勘が降りて来る前から考えていた「仮説」だ。
「前回のダンテは、エリカを、クリソプレーズ王国に混乱を齎すよう誘導していましたか?」
『そうですね』
前回のエリカに、工作員の手先のような印象を抱いたのは正解だったようだ。
だが、妖精の答えは、質問に対する単純な肯定だけ、というニュアンスではない。
そこを、掘り下げて訊く。
「前回、エリカに接触し、唆していたのは、ダンテだけではないのですか?」
『はい』
「・・・その人物が誰か、教えてもらえますか?」
『前回の、イェルト・ローナンです』
勘が作っていた朧げな輪郭が、明確な姿になった。
イェルト・ローナンが「唆す側」に追加されたとしても、前回のエリカが「スパイの手先」めいた言動をしていたことに不思議は無い。
イェルト・ローナンも、その生まれから、その手の知識を持っているのだから。
そして、前回のエリカの、「ダンテからの指示にしては引っ掛かりを覚える動き」は、イェルトの指示だったのではと疑念が湧く。
具体的には、「前回から今回へ、魂が記憶を引き継ぐ際に、今回のエリカの動きを誘導した」辺りだ。
ダンテは自称帝国の人間なのだから、対自称帝国同盟を結ぶ国の一つであるクリソプレーズ王国に混乱が齎されることは、喜ばしい事態かもしれない。
だが、それは自身が制御可能な状況に於いてだろう。
徒に、不確かに、混乱が起きる可能性だけ。
しかも、それが起きたとしても、その時に自分は前回の記憶が無い。
そんな不安定な工作を、「自称皇太子ダンテ・ビセント・メメット」が望んで行った、という事態は腑に落ちない。
ジルベルトが思考に沈んでいる間に、クリストファーのギョッとした視線がイェルトに突き刺さっている。
「ボクじゃないよ」
「分かってる」
じっと、見上げられて、ジルベルトはピンクゴールドの頭を撫でる。
クリストファーの視線も妖精に戻ったのを確認して、ジルベルトも質問を再開した。
「前回のダンテが、世界の時を戻す為に、魂を捧げるよう話を付けたのは、前回のイェルト・ローナンだけだったのでしょうか」
『はい』
「では、ダンテが接触した残りの四名は、魂を捧げて『やり直し』が出来るなどと言う話を、ダンテからは聞いていない?」
『はい』
「けれど、その四名も魂を捧げています。それは、前回のイェルト・ローナンから唆されたのでしょうか」
『はい』
ああ、やはり、そういう事か。
「前回のダンテが接触した、イェルト・ローナン以外の四名へのダンテの接触目的は、内乱や戦争の火種を撒き、国の崩壊を招く綻びの一つとなるよう唆し、多くの人間や妖精の命が出来るだけ早く失われるように、と言う事でしょうか」
『そうです』
「それは、世界の時を戻すという目的の為に、多くの人命や妖精の命が必要だったから、ですね?」
『はい』
これで、前回の世界に於いて、『黒幕』の印象に似つかわしく無い、違和感を覚えるような効率無視や整合性の無い動きが発生していた謎は解けた。
それらの違和感を覚える動きを実際にしていたのは、『黒幕』のダンテではない。
『黒幕』で遊んでいた、前回のイェルト・ローナンだ。
ジルベルトは、本来のイェルトに思いを馳せ、死んだ魚のような目付きになる。
本当に、同質の魂だったんだな。と。
そして、死んだ魚のような目付きのまま、妖精に問い掛ける。
「前回のイェルト・ローナンは、面白がって魂を捧げる存在を増やしたんですね?」
それは、今回のイェルトを前世から知るジルベルトの、確信である。
『そうです』
目的があって「やり直し」を望み、「世界の時を戻す方法」を知っていた筈の前回のダンテが、わざわざ「魂を捧げる者」を増やし、戻る時点が絞り難くなるような真似をするのは妙だと感じていた。
だが、世界の時を戻したい前回のダンテの事情など、前回のイェルト・ローナンにとっては他人事だ。
前回のイェルト・ローナンにとって、「世界の時を戻す方法」は、『面白そうな遊び』でしかなかっただろう。
だから、彼は、自分の魂までベットして費やすからにはと、全力で状況を弄り倒して引っ掻き回したのだと思われる。
魂を捧げる者を増やして回ったのは、その一環だ。
他には、前回のエリカが今回のエリカへ記憶を引き継ぐ際の記憶の編集の仕方も、前回のイェルト・ローナンの指示だろう。
弄り倒し引っ掻き回す一環で、「やり直し後の世界」でも混乱が起きるように種を蒔いたのだ。
別に、制御下でなかろうが、上手くいかなかろうが、彼にとっては構わない。
ただ、彼にとって面白くなりそうな『災いの種』を、自分が存在しなくなった世界へも蒔きたかっただけだろう。
そもそも、前回のダンテは、エリカが『ナニか』へ魂を捧げて死ぬことさえ知らなかったのだから、その辺の指示などダンテからは出しようも無い。
ウワァ、という目でクリストファーがイェルトを見ている。
このイェルトの所業では無いと分かっていても、「同質の魂」に心底納得しているからこその視線だ。
「前回のイェルト・ローナンは、どこまで知っていて魂を捧げる人間を増やしましたか?」
『・・・世界の時を戻す方法の全容を、知っていました』
「・・・それは、どうして、知っていたのでしょう?」
『前回のダンテに、協力者として懐に入り込んでいたからです』
「前回のイェルトは、ダンテ本人から聞いていたのですね?」
『はい』
「そして、協力者の立場を利用して、ダンテの望みが思った通りには叶わないよう、状況を弄り回した。全ては、面白そうだから」
『そうです』
ウワァ、という視線が、妖精のものまで合わせてイェルトに集中する。
「だから、ボクじゃないってば」
「分かってる」
ポンポンとピンクゴールドの頭を撫でながら、「けどなぁ、お前も同じ状況なら同じ事するだろ?」という本音は飲み込むジルベルト。
「前回のイェルト・ローナンは、魂を対価に妖精に願った者が居たことは把握していたのでしょうか」
『いいえ。多分それは知らなかったと思います。
実は、前回のイェルト・ローナンは、実際に魂を捧げた四名の他にも、各国で複数の人間に、魂を捧げて人生をやり直さないかと声を掛けていました。その中に、前回のジルベルト、クリストファー、ニコルは居ませんでした』
声が掛かったのは誰だろう?
転生者は既に全員が明らかになっているのだから、それ以外の声を掛けられた人物は、結局のところ話には乗らなかったのだろうが。
「・・・前回のイェルト・ローナンは、ダンテで遊ぶ為に、戻る時点の候補範囲をもっと広げようとしたものの、結果として、四名以外は話に乗らなかったのですね」
『そういう事だと思います』
「前回のイェルト・ローナンが話して回ったのは、魂を捧げる勧誘だけでしょうか。世界の時を戻す方法は触れ回ってはいませんか?」
『それはしていませんでした。記録に残す類の行為もありません』
まぁ、ソレをしていたなら、頼まれ事は、「ダンテの排除と石板の消滅」だけでは済んでいないか。
「ところで、今更の疑問なのですが、今のダンテには前回の世界の記憶が無いのですよね?」
『はい』
「具体的な儀式の方法に当てはまるなら答えなくて結構ですが、古代の王族も、時を戻す前の記憶を持てないような儀式を何度も行っていたのでしょうか」
『いいえ。古代の王族は、今は完全に世界から失われている、他の邪法を更に重ねて使っていましたので、王族だけは記憶を保持していました』
「完全に世界から失われていることは、確実ですか?」
『はい。古代の王族の魂に刻んだ邪法ですから。全て、“神”により消滅済みです』
・・・それを聞くと、やはり『神』とは凄まじい権能を持つ存在だと感じるな。
侮る気は一切無いが、怯えて退けば、待つのは望まぬ眷属化とイェルトの魔王化だ。
ジルベルトは気を取り直して、質問を続ける。
「結局、今回が始まった時間が『アグネッタ誕生の瞬間』になったのは、前回の誰の願いを叶えた結果なのでしょう」
『前回のイェルト・ローナンですね。
彼はダンテから、アグネッタが雷に打たれる前に時を戻したいという話を聞き出していたので、“儀式が成功する可能な限り過去の時間へ”戻ることを願いながら、魂を捧げて死にましたから』
「その願いは、どういう理由からか、分かりますか?」
『”もしも戻り過ぎて、最愛の妹が生まれて来ない世界になったら面白くていいな”、という理由です。面白いのは、前回のイェルト・ローナンが、です』
「・・・願いの理由は叶っていないのでは・・・?」
『いいえ。ダンテも知らなかったのでイェルト・ローナンも知らなかった事ですが、アグネッタは自分の魂を捧げてしまっていました。
だから、アグネッタ誕生の瞬間まで時が戻れば、ダンテの愛したアグネッタは生まれて来ません』
「ああ、そう言えばそうですね」
今のアグネッタは、生まれた瞬間から中身は『國村美姫子』だ。
前回のダンテが愛したアグネッタは、今回の世界には一度も登場していない。
「だから! ボクじゃないでしょ!」
思わず視線が吸い寄せられるピンクゴールド。
今のイェルトから抗議の声が上がる。
「分かっている。分かっているぞ?」
一応。
宥めるようにイェルトを撫でながら、口には出さずに付け足すジルベルト。
そして、いくら「世界の理」に行動を縛られるのだとしても、『神』に対して『人間』のイェルトが『切り札』になり得るのは、前例があるからなんだな、と密かに納得した。