王子の首を懸けた信頼
ジルベルトはクリストファーの同意を得て、「コナー家の当主のみが閲覧可能な資料を見たクリストファー・コナーから教えられた情報」を元に懸案事項が発生したと、アンドレアにだけ報告した。
内容が、本来禁書庫に入る資格を持つ王族かコナー家の当主しか知っていてはならない扱いなので、他の側近達にも下手に知らせられないのだ。知っているという事実が知られただけで物理的に首が飛びかねない。
クリストファーがそれを知っていることは、当主であるコナー公爵から、コナー家の事実上のトップがクリストファーになったことを陛下には報告済みであり、クリソプレーズ王国への叛意など無いことも併せて宣言しているので、アンドレアには伝えて構わないと本人から言われている。
「あー、クソ。悔しいな」
完全に人払いをしての報告後、アンドレアの第一声にジルベルトは首を傾げる。
「禁書関連のネタを知り得る立場の者が他者に伝えるというのは、その相手のせいで自分の首を落とされることになっても構わないという、命を懸けた信頼なんだ。王族とコナー家当主以外は知っているだけで処刑モノのネタだからな。知らせるからには全責任を負い一蓮托生となる覚悟がいる。俺は当然、お前になら首を預けられる。だが、俺より先にその信頼を、お前に預けた者がいることが、俺は悔しい」
普段の王子様スマイルを消し、何処か苦しげに表情を歪めるアンドレアに、ジルベルトは跪いた。
「私の忠誠は貴方だけにある。私の首はとっくの昔に貴方に預けてある。クリストファー・コナーからの友情による信頼は喜びだが、私の唯一の主である貴方からの信頼は、私にとって何にも代えがたい至上の喜びだ」
騎士が主へ捧げる礼の姿勢を取りながら言葉を紡ぐジルベルトに、アンドレアは小さく「参ったな」と呟いた。
「俺は、本当にいつでもお前に守られ救われているな。俺が王族であれるのは、お前の・・・お前達のお陰だ。モーリスとハロルドも呼ぶぞ。いい機会だからあの二人にも呪いのことを話そう」
立ち上がり、仲間にだけ見せる素の笑顔でジルベルトが頷くと、扉を開けて続きの間に控えていたモーリスとハロルドを招き入れた。
「深刻な話のようですね?」
親友兼主と仲間である二人が、人前では見せない素の笑顔でありながら何らかの決意を秘めた空気を漂わせているのを感じ取り、モーリスも嬉しそうに温度のある笑顔を浮かべる。
ハロルドも、野生の勘で命のやり取りを感じ取ったのか瞳孔を開いて獰猛な笑顔を見せた。
扉が完全に閉まったことを確認し、アンドレアは楽しげな口調で同意する。
「ああ。深刻も深刻だ。呪いに関する話だからな」
モーリスとハロルドの目が僅かに見開かれた。公の場や仕事に関する話の場では滅多に動揺を表に出さない二人の表情を崩す、呪いのネタにはそれだけの破壊力があった。
ジルベルトもモーリスもハロルドも、第二王子の側近として正式に決定後は、ある程度は「王族しか知り得ない話」を知らされている。
王族が最優先で守らなければならない同盟に関する内容や、王族を狙う犯罪行為の中で特殊なものまで防ぐために必要な知識・情報などだ。
その中には、自称帝国が侵略を成功させる手段とした呪いのこともある。
だが、三人ともクリストファーが刷り込まれたのと同じく、「呪い=呪殺」と思い込むような知らされ方をしていた。
それでも三人が知らされていた話は、コナー家の次男に過ぎなかったクリストファーが最初に教育された内容よりは深い。
自称帝国が周辺国の侵略のために取った手段である『呪い』。
自称帝国は、それを用いて周辺国の王族達に死や病を与え多くの王家を滅亡させた。
その呪いは非常に非人道的な儀式である。
生贄及び目的に応じた様々な材料を『この世界の邪を統べるナニか』に捧げる儀式である。
生贄は妖精、又は妖精の加護を多く予定される無垢で美しい幼子でも良い。
呪いをかける対象には、直に接触した経験が必要である。
病を与える呪いには、古代王家の墳墓遺跡にのみ自生する稀少種の薬草一種類と古代の化石が生贄とは別途必要である。
死を与える呪いには、古代王家の墳墓遺跡にのみ自生する稀少種の薬草を最低四種類組合せた香と、古代の人骨と、古代の王の墓を暴いて盗んだ宝石が必要である。
これが、アンドレアの側近となった三人が知らされた呪いに関する内容だ。
同盟の条文の別冊に記載されているものよりも掘り下げられている。
前世の記憶のあるジルベルトは、「邪を統べるナニかって何だよ」と内心で突っ込んだが、世界そのものが神である偶像崇拝禁止の今生では、神に敵対する超常的な存在もまた、姿も名前も無いことに誰も疑問を持たない。
それでもそのナニかは確実に存在はしているようで、儀式を行えば捧げた生贄や材料は、きちんと消えるそうだ。
クリソプレーズ王国の貴族の子供の商品価値が特に高いのは、生贄目的もあったんだな、と胸糞悪くなったことも覚えている。
自称帝国が呪いという手段を、侵略を繰り返すことが可能なほど幾度も取れたのは、自称帝国の本来の領土である小国の王家の領地が、大陸が一つの王国だった古代に王家の墓所だったからだ。
国が丸々墳墓遺跡の上に存在しているのだ。
現代には種が残っていない呪いの儀式に必要な稀少種の薬草は、当時の人々が鎮魂のために墓所に植えたものだ。
現在、外部との接触を絶たれた自称帝国の領地から呪いに必要な材料が入って来ることは無い。クリソプレーズ王国では、それらを入手しようとしたことが発覚すれば、麻薬や毒薬や一般的な盗品や人身売買に関わるよりも、最速で身の破滅に至れる最悪の禁制品だ。
自称帝国としても、残弾数に限りのある自分達の最強武器を外に流出させはしない。
───唆すための交渉の材料にはするが。
それでも、三人とも最初に呪いに必要なアレコレを知った時のクリストファーと同様に、クリソプレーズ王国内での実行は、ほぼ不可能だと判断していた。
材料と条件を全て満たすことが可能とは考えられなかったからだ。
だから、呪いを行った者は、どんな立場や理由があったとしても公開しての極刑と同盟の条文に定められていても、どこか他人事だった。
その処罰対象になり得るのは、自称帝国から潜入した工作員くらいだろうという思い込みがあったのだ。
ジルベルトは、昨夜クリストファーから魅了の呪いの話を聞いた時には、冷静を保って聞きながらも心臓に嫌な汗をかくような感覚がしばらく止まらなかった。
今、アンドレアから聞かされているモーリスとハロルドも同じだろう。
呪いには、もっと手軽なものが存在する。
直に肌に接触した経験も必要なく、対面して存在を認識された経験があれば可能。
儀式で捧げるのは生贄の他、多少珍しい程度の一般に流通している香草とアンティークの宝石。
効果は、精神操作又は魅了。効果は香草の種類と宝石の色により異なる。
方法さえ知っていれば、生贄を捧げるという行為に心理的な枷が働かなければ、王族に呪いをかけることさえ、条件を満たすことも材料を入手することも、貴族であれば難しくはない。
貴族が王族以下の身分の相手にかけるなら、もっと簡単だろう。
「何ですか、そのヤバ過ぎるマズ過ぎるネタは」
モーリスが蟀谷をグリグリと指で押しながら苦い声を絞り出す。
瞳孔を開き切ったハロルドがジルベルトを凝視しているのは、ジルベルトに呪いをかける者がいれば口に出せないような方法で滅殺してやると考えているからであって、自分が魅了の呪いをジルベルトに使うことは考えていない。その辺はきちんと信用できる仕上がりになっている。
公にされていなくとも、死や病を与える呪いの儀式に必要な材料を求める、又は入手すると、国家から秘密裏に暗殺されるか、大衆の耳に入っても支障のない罪名を公表されて処刑されることになっている。
だが、珍しい程度の特殊でもない香草やアンティークの宝石を入手したところで、咎めることなど出来はしない。
それらを取り締まり対象とするのは、国家といえどもあまりに横暴であり、取り締まり対象とするならば正当な理由を公表する必要が出てしまう。
しかし理由を公表する方が、むしろ危険もデメリットも大きいだろうことが予測された。
「クリスは、婚約者であり護衛対象であるニコル・ミレット嬢の身命を守るために、呪いのことは伏せて件の香草とアンティークの宝石への注意を彼女に促すことを考えている」
ジルベルトが告げると、モーリスが首を傾げた。
「必要ですか?」
「それらの香草の本来の利用目的は化粧品の香り付けらしい。今まで彼女が開発してきた化粧品には使用されていないが、この先は分からない。アンティークの宝石に関しても、女性向けの商品を多く開発する彼女が素材として求めれば、紛れ込む可能性は低くない」
「正当な理由で入手したものであり、呪いの儀式さえ行わなければ処罰対象にはなりませんよ」
「ニコル・ミレット嬢が儀式を行うことは無いだろう。だが、正当な理由で入手した品を、何も知らずに悪意ある者に譲渡、又は販売した結果、その悪意ある者が呪いの儀式を行い、それが発覚したら、」
「連座ですね」
ジルベルトの言わんとすることを理解し、モーリスは溜め息を吐いた。
ニコルだけではなく、国内の善良な商人の全てが同じ危険に曝されている事実に気が付いてしまった。
「そこそこ手軽に行えてしまう呪いの存在と、正しい儀式の行い方を知らなければ起こらない事態とはいえ、情報は持っていても目に見えるものではない。例えば、工作員が危険な情報を持ち込み、我が国へ混乱を齎すためにそれを誰かに与える。その誰かがその情報を使って勝手に罪を犯すのを待つだけで、リスクも資金も非常に低く抑えられる国家破壊工作の一手になる」
「証拠になるブツを所持していなければ、罪に問うことは難しいですからね。単純な儀式のやり方と簡単な材料の名前くらい、暗記できない工作員はいません」
「魅了で問題が起きる前に呪いが発覚しても、国力増強の功績を出し続ける王家が庇護を公言しているニコル・ミレットの不名誉な形での排除が叶えば、て言うか工作員が狙うなら、そっちが本命の目的っぽいですね」
「ミレット嬢以外の国に貢献する有力商人も狙われる可能性が有りますね」
ハロルドとモーリスの眉間にシワが寄る。
モーリスが、蒼い瞳を鋭く細めて言った。
「王族が不自然な言動に陥りかねない魅了の呪いをかけられたら発覚は早いでしょうが、身分がそれほど高くはないが他国が引き抜きたい人間に魅了をかけられたら・・・」
「ニコル・ミレットは男爵令嬢だな。婚約者がいる若い未婚の女が『恋しちゃったから駆け落ちします』とか言って姿を消しても、呪いに結びつけて考えられる人間はいないだろう」
ハロルドがモーリスの言葉を繋いで思いついたことを言う。
モーリスの眉間のシワが深くなったところで、アンドレアが否定の言葉を出した。
「いや、ニコル・ミレット嬢はおそらく呪いにはかからないぞ」
側近達三人の視線が主に集中する。
かなり強い「どういうことだ?」という視線にたじろぐことなく、アンドレアは表情を改めて答えた。
「ここからは、呪いに関する禁書を実際に隅から隅まで読み込んでいる者しか知らない話になる。コナー家の当主が管理する資料にも記載されていない筈だ」
室内の緊張感が高まる。
この話を聞くことは、アンドレアの首を預かる意味を持つ。とっくにその覚悟はできていても、空気が張り詰めるのは仕方のないことだ。
「呪いの効果の強さは、生贄として捧げた妖精の数に比例する。だから、自称帝国の奴らが滅亡を目論んだ王家王族への呪いの儀式では、確実性を期して大量の生贄が捧げられた」
ここまでは、第二王子の側近としてのお浚いのようなものだ。
全員が理解していることに一つ頷くと、アンドレアは続けた。
「妖精を生贄に捧げる方法は二つ。自分に加護を与えている妖精を生贄にすること。そして、多くの加護を授かりそうな子供が加護を授かった瞬間に、その子供ごと妖精を生贄とすることだ」
これも、各々正解を想像していた内容だった。人間側の意思で触れたり捕獲することができない妖精を、任意に生贄とする方法など他に無い。全員話について来ているのを確認し、アンドレアは続ける。
「王族というのは大抵の場合その他の人間より加護が多い。確実に呪いの効果を発揮させるには、対象の加護以上の数の妖精を生贄に捧げる必要がある。だから、自称帝国の奴らは多くの子供を購入、又は拉致したんだ」
大量の生贄の理由が対象の加護の量を上回る目的だったことは初耳だが、言われてみれば意外性は無かった。
納得した表情で、モーリスはアンドレアに確認した。
「この国で、ニコル・ミレット嬢の加護を超える生贄を用意しようとしたら目立つでしょうね。コナー家の目と耳が、目的を果たす前に気付くくらいには」
「ああ。自分に加護を授けている妖精を生贄にするだけじゃ足りないだろ。ニコル・ミレット嬢個人の屋敷の防衛魔法を見れば、加護の量が王族以上なのは分かる奴には分かる。アレを超える加護を持ってそうなのは、俺はジルくらいしか知らん」
「私が呪いに頼ることなど未来永劫無い」
クリソプレーズの瞳で視線を流されて、呆れたようにジルベルトは肩を竦めて答えた。
「知ってるよ。魅了や精神操作など、会えるほど近くにいなければ意味を為さないが、国内で確実性を求めた量の生贄を捧げ儀式を行おうとすれば、コナー家が察知して潰す───だろう?」
室内には四人しかいない。
だが、アンドレアは天井の左隅に視線と片方の口端を上げて問う。
ジルベルトとハロルドもその場所にいる存在に気付いていたし、モーリスは場所の特定はできていなくても「どうせいる」とは思っていた。
「期待してるから裏切らず働けよ? お前らが俺を国家の敵と断じれば排除するのと同様に、俺もお前らが役立たずだと気付いたら潰すからな? ───俺が禁書のネタを信頼する側近達に与えたことを、よく覚えておけ。このことで俺への牽制にこいつらを使うなら、俺はこの首を懸けてお前らに引導を渡してやる」
その、発光しているかのような不思議な色合いの翠の瞳を細め、形の良い唇の両端を急角度に吊り上げて、麗しの王子様の相貌で悪魔の笑顔を作り出し、支配者側の威厳を微塵の容赦も無く発揮した宣言は、アンドレア監視の任に就いていたコナー家の精鋭に動揺を齎した。
禁書の内容を知る立場に在る者が、それを他者に伝えるならば首を預けるも同じ。それを堂々と監視者に見せつけ、首を預けた部下を己の保身のために切り捨てる気は無いと宣言する。
──格の違いを見せつけられたようなものだ。誰とのとは死んでも口にできないが。
「アンディの首は、私が護るに決まっているだろう?」
濃紫の双眸がゆらりとして、薔薇色の唇が静かな微笑の形に整えられた。
「アンディを敵に回そうとするなんて、付随する戦力をどう計算して勝算があると勘違いしているんでしょうね」
蒼い瞳と薄い唇で色合い通りの冷笑が浮かべられると、天井付近の空気がじわりと温度を下げ始めた。
「ご主人様の主の邪魔をする道具に俺達を利用って、命いらねぇの? 手足とか首とかいらねぇんだな」
夕焼け色の両眼が血塗れの黄金のように剣呑な光を湛え、物騒な台詞が、似合わない明るい声と楽しげな口調で紡がれた。
「おや、天井が微かに振動したな。上でネズミでも震えているようだ」
ニヤリ。アンドレアが苛烈な視線を叩き込んだ瞬間、気配は限界だったのかその場から消えた。
今日の監視役は、もうしばらくはアンドレア番にはなりたくないだろう。
「さて、指示を出すぞ。ジル」
完全に監視役が消えたのを感じ取り、アンドレアは信頼する側近に囲まれながら、望まない未来を引き寄せぬための指示を与えた。
ハロルドの口調は、ジルベルトとアンドレアには敬語。モーリスにはタメ口です。
一人称は、アンドレアとハロルドとクリストファーが「俺」。モーリスが「僕」。ジルベルトが「私」ですが、15歳で夜会に出られるようになれば公の場では全員一人称は「私」になります。
ちなみに、原作ではクリストファーの一人称は「僕」でした。