暗鬱
とりとめも無く、アンドレアの思考がベースとなっている一話です。
ゴジル侯爵フリードの取り調べは、最初から『辞世の告解』が使用された。
悠長に拷問にかけている余裕は無いという判断と、生きている脳の残存数には余裕があるからだ。
今回の取り調べ対象となるゴジル家の人間に対して、人として扱い尊厳を守ってやる必要など無いとアンドレアは考えている。
この国で、貴族の中でも高位に位置する侯爵位を賜り、代を重ねてその身分の恩恵を受けておきながら、呪いになど手を出したのだ。
早々に正気を失い、殺して貰える運の良さが、いっそ口惜しいほどだ。
アンドレアの怒りは深い。
国内の大掃除の区切りは付いていた。
大物の駆除、負の遺産の清算、大物の陰で小狡く身の丈に合わぬ権勢を振るっていた者等、排除または力を削ぐことで、国政は大分正常化している。
しかし、大掃除と同時期に、「大人しくしていれば無害な小物」までを一気に排除とは行かなかった。
それは、過剰な清浄化となり、却って国を荒らし、国政に障りを出す。
だが、小物は小物故に、誘惑に弱く、怯えから正常な判断を失い易い。
己の権勢が衰えることに怯え、資産が目減りすることに怯え、次代の地位が下がることに怯え、名声が過去の物になることに怯える。
そして、その怯えが隙を生み、甘言を囁かれて容易く誘惑される。
フリードの自白によって、ゴジル侯爵邸の地下室で行われようとしていた呪いの種類と対象者が判明した。
呪いの種類は、『永眠の呪い』。
成就すれば、対象者が死ぬまで眠り続ける効果のある呪いだ。
尤も、他の呪いと同様に、対象者が死ぬ前に儀式を行った人間が死ねば、呪いは解けるのだが。
必要な供物の稀少性の割に効果が微妙なことで、過去の使用例の少ない呪いである。
ただ、眠ったままでは水分も栄養も十分に摂取は出来ないのだから、衰弱はして行く。
衰弱死するまで逃げ切れば、呪いを行った事実さえ露見しないと、フリードは唆されていたようだ。
対象者は、ハロルドだった。
これは、儀式の主催者として確保されたのがフリードだったことから、自白前にも既に予想はついていた。
呪いは、「互いに名前と顔を認識し合う仲」でなければ、儀式を行っても成就しない。
一方的に知ってる相手や、疎遠で存在が認識から薄れている相手などは対象に出来ない。
あの、縁談を持ち込んだ面会が無ければ、ハロルドの中でフリードは、「互いに名前と顔を認識し合う仲」の相手では無かった。
あの面会が、敵方の布石だったのか、あの面会で縁談の持ち込みに失敗したことで次策に移行したのかは今は分からない。
だが、また後手に回った感は否めない。
敵に、我が国の貴族を良いように使われたのだ。
不甲斐ない自分への怒りを押し殺し、アンドレアは奥歯を強く噛み締める。
儀式に必要な供物や儀式の手順などを書いた紙は、滞在の礼として渡された手土産の箱の一つに入っていたと言う。
その箱は、7歳のネリーの実の甥から手渡されていた。
『大人の紳士向けの品?だから一人で開けてくださいって』
と、意味の分からない顔で手渡された箱の中には、それを渡して来た幼い子供と、その妹を生贄に捧げる呪いの儀式の手順が記されていた。
フリードは、手順を記した紙にあった指示の通り、内容を頭に入れて紙は完全に燃やして灰にしたそうだ。
紙には、当然、署名などは無かった。誰からの指示なのか、フリードは分からなかったと言う。
だと言うのに、フリードは、指示を書いた紙を読み、側に居た息子の妻のネリーから囁くように大罪を唆され、言う通りにすれば落ち目の現状から返り咲く未来が保証されていると、信じた。
溺愛する孫娘キャロルとの縁談を袖にしたハロルドは、シュンガイト国王の不興を大変に買っている。
その不届き者に、この国の人間が責任を持って密かに天罰を下すことで、この国への心証は改善される。
そう、嫡男の妻ネリーに囁かれた。
よって、ハロルドに永眠の呪いを行使することは、クリソプレーズ王国への忠義であり、それを成し遂げたフリードは、シュンガイト国王の覚えも目出度くなり、それによってクリソプレーズ王国内での評価と影響力も回復する。
夢想、妄想の類だと、理性があれば判断するような戯言だ。
抜け殻のようになっていたフリードは、既に精神が壊れていたのだろう。
それだけが、唯一つのゴジル侯爵家再起の道だと、ネリーの囁きを飲み込み、縋ってしまった。
そこまでの弱さを、面会終了の時点で見抜けなかった。
それほど弱いのならば、いっそ、早々に追い討ちを掛けて完全に潰さねばならなかった。
アンドレアの胸に苦い後悔が染みる。
非生産的な感情に、かまけている暇など無いと言うのに。
国内で、侯爵位にある貴族が呪いを行う寸前だった。
その事実が、この先、国王ジュリアンの手を酷く煩わせることになる。
国の内外への発表、同盟国間の立ち位置、諸々どう調整を付けるのか、方針も未定ではあるが、何れ難事である。
陛下の補佐として、次代の実権者として、アンドレアは後悔を噛み締めている時間など無いのだ。
幸い、ゴジル侯爵邸制圧の際、ジルベルトは邸内の人間を全員、生きたまま確保してくれていた。
シュンガイト王国の人間も。
シュンガイトの人間への取り調べに、『辞世の告解』を使用するつもりは無い。
肉体に傷の付く拷問も禁じている。
その方が、世間に公表する自白内容に真実味が増す。
フリードの自白からも、フリードは従犯であり、現場を主導していたのはネリーだと判明している。
事実、主犯はシュンガイトの人間なのだ。
その事実に、クリソプレーズに有利な方向へ色を付け、自白として五体満足で正気のシュンガイト人から取り、彼らの口から公式の場で喋って貰うことにするか。
意識を取り戻したネリーを連行した牢は、貴族牢だ。
其処は一般の貴族牢とは棟も違う場所に在り、中でウォルターが待ち構えているが。
十分に環境の整った貴族牢であることには、変わりない。
ネリー以外の、使用人や護衛の枠でクリソプレーズに入国しているシュンガイトの人間も、それぞれ特殊な取り調べ官が待っている牢へ連行された。
救出した、生贄にされかけた子供達は、現在はヒューズ公爵家の王都邸で保護の形を取っている。
世話をしているのは、モーリスの妻となった元コナー公爵令嬢プリシラと、コナー家の精鋭すら恐れる執事長ルーデルだ。
彼らには、子供達が、「可哀想な被害者として保護された後の密命」を帯びている様子が無いかを探ってもらっている。
早熟な子供は、6歳、7歳ともなれば、己の年齢や見た目を利用して、間諜行為でも暗殺でも、指令通りに動ける。
子供達が密命を帯びていた場合は、大人と差異の無い厳しい尋問が行われることになる。
出来れば杞憂であって欲しい、と思うのは甘いだろうか。
ゴジル侯爵邸の現場に於いて、儀式を実行しようとしていたフリードを唆し、犯行を主導していたのはシュンガイト人のネリーだ。
だが、更にその後ろ、シュンガイト国王を唆して呪いを持ち掛けたと思われる自称帝国の存在は、疑惑の影だけで実体は姿を掴めていない。
だが、確実に、裏には奴らが居る。
解読しても意味の通らない文章にしかならない「蜥蜴の腹の中身」は、予め与えていた指示の発動用キーワードだった可能性が高まったとアンドレアは考える。
キーワードにより指示が「発動」された自称帝国の国外残存勢力が、シュンガイト王を唆す動きに出たのではないかと。
背後に奴ら無くして、シュンガイト王や、ましてやリートン公爵家が『永眠の呪い』に必要な供物を用意出来るとは考えられないからだ。
永眠の呪いは、使い勝手の悪さから、実行例が非常に少ないものだ。
儀式の手順は、精神操作や魅了のものより数段複雑で、唱える定型句も長く難解である。
そして、供物の内、二種類の植物が自称帝国内にしか自生していない。
必要な供物には、他に「生物の一部を素材としたアンティークの櫛かブラシ」と「捧げる櫛かブラシが製造されたのと同じ年代の人間の毛髪」と言った、入手が大変に困難な物が並ぶ。
今回、押収した品の中には、アンティークと呼べる古い鼈甲の櫛があったが、ソレに付着した毛髪が、本当に櫛の製造時期と同じ時代の人間の物かは判明していない。
もしも儀式が実行されていたとして、成就していたかどうかは怪しいところだ。
供物の真偽だけでも怪しいが、そもそも、最初の指示を出した人間は、呪いの成就の可否など気にしていないのではないだろうか。
今件での敵の狙いは、初めからハロルドの殺害では無いと、アンドレアは推測している。
鼻の利くハロルドを、自称帝国が邪魔に思い、排除したいと考えているのは本当だろう。
実際、暗殺指令も出ているのだ。
だが、例え儀式が成功していたとして、『永眠の呪い』でハロルドを殺せるとは思えない。
ハロルドの加護は並みの王族より多い。
呪いの生贄は、対象者の加護を大きく超えなければ成就しない。
果たして、子供二人で成功したか?
否である。
ならば狙いは何か。
我が国上層部の混乱、同盟国間に於ける我が国の立場や発言力の低下、同盟国間の亀裂誘発。
その辺りか。
となれば、現時点で手が出せる対抗策としては。
先ずは、既に不味い立場に立たされているアイオライトの国王を完全に抱き込むよう、アイオライトの筆頭公爵を紐付きにしているダーガ侯爵に依頼を出そうか。
後々、背後から姿を見せずに支援して、「懇意な隣国」であるシュンガイトへ、アイオライトから外交圧力をかけてもらう布石となるように。
ゴジル侯爵邸で確保した人間達は、それぞれの行き先に振り分ける前に、子供達も含め全員、ハロルドの嗅覚による事前検査が行われている。
この検査結果を公式の記録に残すことは無く、正式に証拠として使うことも出来ないが、此方側の判断の助けにはなり、記録に残さないことも却って都合が良い。
ハロルドの嗅覚では、「全員素面」と出た。
精神操作の呪いによる支配を受けている者も無く、洗脳や思考誘導に使われる薬物、依存性の高い薬や麻薬の使用者も無し、と言うことだ。
素面の状態で、クリソプレーズ王国貴族が呪いに手を出した、という状況は非常によろしくない。
しかし、ハロルドの嗅覚判断を記録に残す必要は無いのだ。
だから、公式の記録に残すことになる彼らの自白には、此方の望む色が付けられる。
此方の思惑に沿った彩色をした自白により、シュンガイトを『完全悪』として有名にしてやろう。
実際、シュンガイトがやっている事は、真実のみが流布されたのだとしても、国際的に批判を浴びるような事柄だ。
ソレを、もう少し、嫌悪感が増すように盛るだけだ。
より、非道に、下衆に、醜悪に、彩りは、あくまでも自然に、「あの国ならやりそうだ」と、「あの国王なら如何にも」と、受け入れ易い濃度に色味を調整して。
汚い事ばかりに思考を割く日々に少しばかり倦みながら、いつもと同じように、アンドレアの夜は更けていく。
タイトルの『暗鬱』は、アンドレアの心境です。
アンドレア達の職務上、やることが『汚れ仕事』になりがちですが、クリソプレーズ王国の通常の司法では、自白内容の捏造等はありません。