急転
昨夜はハロルドから帰邸を勧められ、「明日はお前が帰れよ」と言っての帰邸だったが、今朝の「職場で不調を見せてしまう」という失態により、心配したハロルドから本日も帰邸を強く勧められたジルベルト。
アンドレアにまで口添えされては、ハロルドを夜勤に回し、自身は帰らざるを得ない。
それでも屋敷へ戻るのは深夜なのだが。
昨夜と同じく、夕食は城で済ませているので家令に断り、私室周辺への人払いを命じる。
特に何をするつもりも無くとも、こうして一言命じておけば、「仕方無く雇ったが、さっさと辞めさせたい不要な使用人」を解雇する理由が生まれやすい。
ジルベルトが私室に入り、扉を閉めるやいなや、昨晩対面したばかりの明るい茶色の髪と瞳の妖精が姿を現した。
『ジルベルト! お願いします! 幼い妖精達を助けてください!』
必死なその様子に、ジルベルトは今閉めたばかりの扉に背を預けて寄り掛かり、腕を組んで首を傾ける。
「どういうことです?」
『この近くの屋敷で幼い妖精達が数多、呪いの儀式の生贄にされようとしているのです』
妖精の言葉に、最悪の予想として思い当たる節がジルベルトにはあった。
「ゴジル侯爵家か・・・」
思い当たる節が、呟きとなって零れる。
ゴジル侯爵家は、当主がハロルドにシュンガイトからの縁談を持ち込んだ日から、コナー家の監視の人員を精鋭に入れ替え、人数も増やして警戒している。
当主は抜け殻のようになり、当主夫人は離縁を申し出て実家へ戻っているらしいが、嫡男の妻──シュンガイトから嫁入りしたシュンガイト国王の王孫の元へ、生家のリートン公爵家から昨日、幼い甥と姪が訪ねて来ている。
当然、警戒中の人間を警戒中の国から訪った人間だ。調査は厳しく入れている。
だが、ゴジル侯爵家に嫁いだネリーの、実兄の次男と長女にあたる7歳と6歳の甥と姪も、子供達に付けられた護衛と侍女も、全て本物であり、裏も取れていた。
護衛や侍女も、それ以外の職位を持つ類の人間ではないということだ。
警戒度は高めているが、「本物の公爵令息と令嬢が、侍女や護衛でしかない者達を伴って他国に嫁いだ親戚宅を訪ねた」だけでは、監視以上の手は出せない。
公爵令息と令嬢の国外旅行だ。持ち込まれた荷物は大きい。
当然、相手が公爵家だろうが、王都へ入る前に荷物は検められている。
犯罪者と確定している相手では無い、他国の公爵家の馬車だ。
全ての荷物を解いて詳細に調べる訳にはいかなかったが、少なくとも、生贄となりそうな「加護の多そうな子供」が詰められた箱などは無かった。
加護の多そうな子供は、荷物として持ち込まれてはいない。
生贄は、自分の意思で馬車に乗って来た?
本物の、リートン公爵家の子供達を、奴らは儀式の生贄にするつもりか。
「事態は一刻を争いますか?」
『はい。もう、祭壇の準備が整いそうです』
「なるほど。助けることは可能でしょう。ですが、そちら側から対価を頂きたい」
酷薄に濃紫を細めるジルベルトに、妖精が息を呑む。
しかし、直ぐに、理解したように問い返した。
『何を、対価に望みますか』
ジルベルトは、昨晩の「今動かなければ後悔する」と「動けば最悪の事態にはならない」の勘の意味が、ようやく分かってスッキリしながら要求を突き付ける。
「私達の誰も人間を辞める事無く、そちら側が私に人間を辞めさせてやらせたかった事の具体的な内容、及び、世界の理に抵触する内容の質問であっても、質問へは具体的な内容の答えを聞かせて貰えること」
一瞬、明るい茶色の瞳を閉じた妖精は、パッと目を見開き、大きく頷いた。
『対価を、差し上げます。ですから、どうかお願いします。助けてください!』
「承知した」
ニヤリと、急角度に口端を吊り上げて承諾したジルベルトの前に、クリストファーが降り立った。
驚きもせず、ジルベルトはクリストファーに依頼を出す。
「ゴジル邸の周囲の人払いと封鎖を。アンドレア殿下への報せを」
「了解。今し方、眠る子供二人を抱えて当主らが地下へ降りて行ったと報告が届いた。一人で行くのか?」
「妖精の要求に『剣聖』が従っただけ、という形にした方が後から障りが無いだろう。イェルトだけ連れて行く。どうせ外に出れば、その辺に居る。アレは足手まといにもならないし、私に飼われていると公言しているからな」
「了解。どうせ邸内の人間は全員最終的には処刑だ。屋敷外に被害を出さねぇなら好きにしてくれ」
煽る言葉を残して姿を消したクリストファー。
ジルベルトも、表情だけは常の静かな微笑に戻し、濃紫の輝きは凶暴なまま部屋を出て、屋敷を出る。
「イェルト」
囁くような小さな声で、名を口にするだけで彼は現れる。
ジルベルトから離れたくないイェルトは、ジルベルトが屋敷に戻っている夜は、ダーガ侯爵邸の外壁近くに身を潜めて眠っているのだ。
「お前、そこまでするなら、いい加減我が家で部屋を借りて暮らせばいいだろう」
「んー、夜は、フラフラすることも多いから。それに、いちいち使用人を撒くのも面倒」
「そうか」
イェルトも、ジルベルトとは方向性が違うだけで人外の美形だ。
その、人の記憶や想像力の理解を越えた美しさは、理性を溶かす。
つまり、面倒事を生みやすい。
無理に勧めるものでも無いので、それ以上は言わず、ジルベルトは駆ける。
イェルトは、何も訊かずジルベルトに従う。そして、全力で駆けるジルベルトに、難無く付いて行ける。
到着は直ぐだった。
ダーガ家もゴジル家も共に侯爵家だ。王都の屋敷は、概ね同じ爵位の家が同じ辺りに集まっている。
門衛に誰何される前に、ジルベルトとイェルトが無言で沈める。
示し合わせた訳でも無いのに、それぞれ左右の一人ずつを仕留めている。
そのまま、開門の必要も無いとばかりに高い門扉を飛び越えて二人はゴジル邸内への侵入を果たす。
落ち目と言われるだけあって、門扉から屋敷の扉までの間に警備の者の姿も無い。
先代の領地隠遁から使用人の数は減り続け、今や当時と比べて二割ほどだとか。
先日までは三割ほどだったと言うが、ハロルドに縁談を持ち込もうとして反撃を食らい、逃げ出す使用人が急増し、今の数まで減ったらしい。
今、この屋敷に留まっている使用人は、「ゴジル侯爵家」への忠義から滅びへの随伴を選んだ人間か、逃げ遅れた不運な人間。
その他は、思惑があってゴジル家に居着いた人間だ。
人間性の種類が全く異なる向きもあろうが、今この時までゴジル家に留まり、ゴジル家側の人間として仕えている者の辿らされる末路は一つだ。
邸内の使用人を、老若男女の別無く、一つの声も抵抗の音も上げさせること無く無力化していくジルベルトとイェルト。
互いに、後ろに、いや、全方向に数多の目でも付いているかのような、無言かつ何某かの合図すら不要とする連携である。
同じ平面上に人の気配が無くなり、濃紫と蜂蜜色の視線が交差する。
上方には、生き物は居ない。
クリストファーの指示で、二人の邪魔にならないように、コナー家の監視達も退避している。
交わした視線で互いの認識の確認が取れた二人は、そのまま二つの視線を下方、床へ向けた。
気配は、床の、その下だ。
「この真下だな」
「悪事は地下室でするって決まりでもあるのかな?」
「カイヤナイトでも悪党とは地下での遭遇率が高いのか?」
「自分家だと大体が地下。自宅の敷地内の離れとかでも地下。所有者不在の廃墟でも地下」
「悪人は地下が好きだな。まぁ、この大陸は地震も無いからな。重い石に囲まれた密室は秘密を護ってくれそうで安心するんだろう」
「馬鹿と権力者は高い所が好きだと思ってたんだけど、この世界の犯罪者は地下好きだね」
「小物だからかもしれんぞ。この世界でも大悪党は、塔の上でコソコソしているかもしれん」
「結局コソコソなんだ」
雑談のような会話を交わしながら、イェルトは慎重に、床の数箇所へ目印のように投げナイフを放って突き立てている。
その間、会話の隙間で口中の呟きにてジルベルトがしていた事は、魔法を使う為の妖精への指示と力を借りる「お願い」だ。
「このナイフの間なら、ブチ抜いて大丈夫」
イェルトの言葉を聞いた瞬間、確認を繰り返すこと無く、ジルベルトは用意していた魔法を発動する。
ゴッソリと、床を切り取って、そのまま真下の地下室へ、切り取った床ごと落ちたのだ。
ジルベルト達が立っていたのは床だが、それは真下の地下室の天井でもあった。
この屋敷の地下室の天井と一階の床の間には空間も無く、一枚切って落とすだけで済んで楽だったな、と感じたジルベルトだが、厚さ1メートルに及ぶ石と木を接合した建材を「一枚」と呼んで良いものかは定かでは無い。
轟音を立てて天井が落ちて来た。
地下室に居た面々には、そう感じられた。
呆然としたのも束の間、即座に護衛は護衛対象を護る動きを見せる。
幸い、天井が落ちて来たのは人の居ない場所だった。主達が怪我をした様子も無い。
しかし、彼らの動きは、細かな瓦礫や煙のような埃が収まり、天井と共に落ちて来た存在の全貌が現れることで、停止する。
「上から失礼?」
絶美の麗人が、落ちて来た筈なのに、優雅な立ち姿で常の静かな微笑を湛えながら、小首を傾げて巫山戯た挨拶を寄越して来たからだ。
地下室に居たのは、屋敷の主であるゴジル侯爵、嫡男夫妻、彼らの護衛。
それに、祭壇の上に拘束された幼い子供達。
屋敷の主としては、怒るべきだ。
相手は乱暴な侵入者である。
それが、『剣聖』という国の最重要人物の一人だと知っていても。
護衛ならば、怒るべきだ。
護るべき護衛対象を危険に曝す侵入者である。
怒る前に先手必勝で攻撃するという選択肢も有り得る筈だ。
だが、動けない。
足下の、天井だった筈の、高さ1メートルほどの舞台から、麗人が飛び降りて、足音を響かせて一歩一歩近付いて来ていても。
その、常と変わらぬ表情の中で、微笑の形に細められた目許の奥の、濃紫に宿る禍々しい凶気が、人ならぬ存在への原始的な恐怖を呼び覚ますのだ。
ジルベルト自身、多少の自覚はあった。
あちら側の思惑に乗って人間を辞めずとも、既に相当に自分は人外の存在になっていると。
多少の自覚しか無いのは、前世から引き継いだ自己評価への鈍さ──「普通の感性を持つ人間のフリ」の演技が通じているという思い込みのせいだ。
ジルベルトは歩を進める。
この地下室に初めから居た大人達全ての視線を、逸らすことを許さず一身に注がせて。
石像のように固まったまま、現実感の乏しい美麗なる恐怖の権化に視線を奪われていた悪党達は、唐突に現れた意識外の第三者の声で我に返る。
「押収、救助完了」
ハッとして、今夜の大事を行う為に設えた祭壇を振り返ると、そこにも目を疑うほどに美麗な人間が存在した。
ジルベルトが意識と視線を引き付けている間に、儀式の供物や証拠品の押収と、妖精ごと生贄にされる予定だった子供達の救出を行ったイェルトだ。
クリストファーから「好きにしろ」とは言われているが、衆目に見える形で責任を取らせる生きた罪人は一定数確保したい。
本物のひ孫を生贄にすることも厭わないシュンガイト王に対して意味があるかは分からないが、一応は王孫のネリーも交渉材料として役に立つかもしれない。
「イェルト、やれ」
命令一つ。
イェルトは、ジルベルトの「やれ」の意味を取り違えない。
今回の「やれ」は「殺れ」じゃない。
斯くして、王都のゴジル侯爵邸の制圧は終了した。
今はまだ、一人の人命も失わずに。