フラグ
「ジル様、何か疲れてませんか?」
クリストファーからネチネチクドクドと、コッテリ一晩中、嫌味と皮肉まみれに叱られた翌日。
表面上はいつも通りの静かな微笑を湛えたまま勤務を開始したジルベルトに、鼻の利く犬が首を傾げて訊ねて来る。
「そうか。私もまだまだだな」
具体的な答えは何も無しに受け流したジルベルトだが、内心は結構ゲッソリと萎れた気分だ。
昨夜の時点で抱えていた『気がする』という感覚の「先の話」は、洗い浚い吐かされた。
昨晩降りたてホヤホヤの、近い内に妖精とまた話すことになりそうなことや、鮮明映像なんてモノが初めて現れた「イェルトの世界を壊す宣言」もだ。
どうやら、イェルトは本当にジルベルトにとって『切り札』となる存在のようだ。
更に、今後は『そういう気がしても』事前相談無しで一人で動かないことを約束させられた。
クリストファーの前で項垂れる自分の姿が、先日、反省を促されながら消沈していたニコルと重なって居た堪れなかった。
クリストファーからは、もし、ジルベルトが約束を破って勝手に自己犠牲めいた行動を取ったなら、「俺とニコルに『剣聖』と同等の加護があると公表してやる」と脅されている。
流石にもう、同じ轍は踏めない。
昨晩の、『勘に従っての独断専行』は、「今動かなければ」の「今」の期限が昨晩だったから覚悟を決めて動いたが、結局のところ、自称帝国や『黒幕』に対して何一つ変化を齎す動きとはなっていない。
割と近い内に再度、妖精とは話すことになるようなので、そこで『黒幕』側の動きが鈍るような取っ掛かりでも掴めれば良いのだが。
勿論、人間を辞めるのは無しの方向で。
イェルトなら、『魔王』が物語の中の存在でしか無いこの世界で、初代魔王として君臨して世界を滅ぼすくらいのことは出来そうな・・・ああ、ビジョンが、鮮明映像が、また降りて来た。勘弁してくれ。
「ジル様、頭痛ですか?」
蟀谷を指で押さえたジルベルトに、目敏く気付いてハロルドが問う。
「いや、朝から済まない。バダック、目の覚めるようなのを一杯頼む」
「畏まりました」
「珍しいな、ジル。平気か?」
「はい。情けないですね。申し訳ありません。久しぶりに自室のベッドで眠ったところ、気が緩んだのか少々特殊な夢を見たものですから」
「どんな夢だ?」
「ワンワン魔王パラダイス、血と炎の惨劇に世界の滅亡を添えて」
「は?」
「ワンワン魔王パ」
「いや、聞こえたから」
「そうですか」
涼しげな声音で返すジルベルトに、もう通常との差は覗えない。
強烈なミントの匂いを放つカップをバダックから受け取って、相当に辛い筈のソレを眉一つ動かさずに平然と飲んでいる。
アンドレアがハロルドに視線を送ると、ハロルドが首を横に振る。
と言うことは、ジルベルトが「ワンワン魔王パラダイス」なる夢を見たせいで頭痛を覚えている、というのは嘘ではない。
そんな奇天烈で不穏な言葉まで添えられるような夢を見たなら、それは休まらなかっただろう。
アンドレアはジルベルトへ労りの視線を向けた後は、自身の執務へ戻った。
体調などに特に不安も見えない。問題は無いだろう。
アンドレアはアンドレアで、頭の痛くなるような案件が続々と舞い込んで来ている。
イェルトの協力もあり、図鑑にも載っていない生物の特徴や生態も知ることが出来たお陰で、自称帝国が国外との連絡手段として使っている可能性のある生物リストは、完成度が相当に高まった。
国外から自称帝国内部への連絡手段として使われていたのは、生態のあまり知られていない小型の蛇だった。
一部の虫のように女王を中心に営巣する習性のある、成体になっても体長10センチほどのその蛇は、巣を離れても自分の女王の居る巣へ戻る本能があると言う。
自称帝国との国境近辺で捕獲した件の蛇の腹からは、国外の状況を暗号化した文書入りカプセルが発見された。
ハロルドが最初に発見した蜥蜴とは別の種類だが、習性は同じ「番を目指す」蜥蜴も、腹にカプセルを飲み込んだ個体が各国の自称帝国との国境付近で多く捕獲されている。
蜥蜴は内から外への連絡手段のようで、暗号は指示を表す内容が9割超を占める。
指示ではなく、暗号解読後も意味が不明である暗号文については、「予め仕込んであるキーワード」の疑いが濃厚だ。
自称帝国の国外残存勢力は、全員が精神操作の呪い下にある。
ネイサンが予想した「時限式で指示を仕込んでいる可能性」への警戒と並行し、「キーワードによる指示の発動」に対しても、それぞれの「切っ掛けによって発動する指示内容」の予測、解明が急がれる。
そんな中で、本日新たに飛び込んで来た一報が、第二王子執務室の空気をヒリつかせる。
緊急で届けられた報せは、アイオライトと自称帝国の国境付近で捕獲した蛇の腹から出て来た指示内容だ。
解読された暗号文が示す意味は、
『クリソプレーズ王国、騎士ハロルド・ヒューズの抹殺』
である。
同盟各国の要人への暗殺指示は、特段珍しいものではない。
だが、ハロルドは対外的には「国家の要人」として指名される立場ではない。
ハロルドは王族の専属護衛であり、『剣聖』は別として、現在「国内最強騎士」の称号を持ってはいるが、それだけだ。
将来を嘱望される若き実力者だが、過去の実父のように国軍を預かる役職に就いている訳でもない。
身分も、宰相公爵の令息ではあるが血の繋がらない養子であり、血統的には伯爵位。しかもその生家は醜聞により廃絶している。
確かに、ハロルドは、現在二名しか居らず、他に代わりも務まらない『第二王子アンドレアの専属護衛』だ。
しかし、それを「重要性の高い人物」である理由として、指名してまで暗殺しようとするならば、その目的は「アンドレアの護りを薄くする」以外に考えられない。
ならば、わざわざ護衛を名指しで暗殺するような遠回りをせずとも、アンドレアを指名するのが普通だ。
これまで自称帝国がハロルドを、個人を名指しで指定してまで暗殺しようという動きを見せたことは無かった。
対外的にも国の要人である、「第二王子」で「粛清王子」なアンドレアや、『剣聖』ジルベルトは、これまでに数え切れないほど名が挙がっていた。
「アンドレアを護衛ごと」、という暗殺指示にならば、ハロルドも暗殺対象に含まれていた。
だが、今回は、この時期にハロルドだけを名指しだ。
それが示す意味は───
《同盟国の軍または国家上層部の中に、自称帝国へ機密を洩らす裏切り者が居る》
である。
モスアゲートの砦で大手柄を立てたハロルドが、「精神操作の呪い下にある人間の匂いを嗅ぎ分けられる」という情報は、『同盟国間の軍事機密』という扱いになっている。
この早さで、自称帝国がハロルドを名指しで抹殺する判断を下し、指示を出したとなれば、「裏切り者は居らず、潜入した自称帝国の間諜が情報を抜いてから本国へ送った」のだとは考えられない。
あまりに速攻だ。
同盟国の軍または国家上層部に在籍する人間が、ハロルドの情報を入手して即座に直接、自称帝国へ『同盟国間の軍事機密』を送ったと見られる。
最悪だ。
執務室内の空気がヒリつくのも当然の状況であり、アンドレアは今朝のジルベルトのように蟀谷を指で押さえる。
バダックがスッと差し出して来るのは、激甘の「本日のアンディスペシャル」だ。
ベースは今朝ジルベルトの目覚ましに淹れた強烈ミントのようだが、砂糖の量が半端ではない。更に加えられた、フルーツを漬け込んで風味を付けたシロップが苛立ちを鎮めてくれる。
「ここに来て、内部、しかも深部の裏切り者か」
空のカップを傾け、息の塊を吐き出すように言葉を吐いたアンドレアに、モーリスが応じる。
「我が国は除いていいと思いますがね。ハリーの変態嗅覚など、我が国の軍や上層部では、当然の共通認識でしたから」
「かもしれんな。人前に出る公務や式典や夜会などで、紛れ込んだ暗殺者だけでなく敵意や害意を抱えているだけの人間まで嗅ぎ分けるのを、間近で何度となく目にしている」
「今代のコナー家には、『真の支配者』も現れてますしね」
「ああ・・・、あいつがトップに立ってから洗い直しがあったな。その後も配下の練度精度は更に高まっていると聞く。騎士団も今はジルにビビり散らかした連中の再生後だしな」
「泳がされている小悪党は居ても、『自称帝国と密通』は流石に見逃されないでしょう」
「自称帝国と密通は・・・黒い駒と灰色の駒の国とは?」
アンドレアの、思い出したように零れた呟きに、側近達の意識に緊迫感が高まる。
公にまではしていないが、現在、極限られた国家上層部に於いて、調査報告会で黒い駒と灰色の駒が地図上に置かれた国は『潜在敵国』に指定されている。
クリストファーに依頼し、コナー家の方でも、王侯貴族や国の有力者、王城や王宮周辺の『潜在敵国』出身者の洗い出しを進めている。
しかし、当主直系の縁戚、姻戚までは直ぐに明らかになっても、使用人や使用人の家族親戚の縁者とまでなると、身分が下るほどに掴み難い。
下位貴族では、王族や高位貴族ほど使用人の身元を厳しく調べて雇う余裕が無いケースが多いからだ。
とは言え、高位貴族であっても、無下に出来ない相手からの『紹介状』を持つ人物には、「厳しい調査の後で雇う」という対応は難しい。
王城に出仕する人間、使用人、王宮の下働き、その中で、王族と直接に相対することの無い職務の者には平民も多い。
平民であっても、『クリソプレーズ王国民』しか雇用はされないが、親の片方が他国からの移民という者まで弾いてはいない。
「『潜在敵国』との関係の深さから言えば、同盟国の中ではアイオライト王国がトップでしょうね」
ジルベルトの言葉を、モーリスが眉根を寄せて肯定する。
「アイオライトは隣がシュンガイトです。両国間で婚姻を結ぶ貴族家は少なくありません。軍部にも」
「・・・臭いな」
「蛇が飲んでいた『指示』も、見つかったのはアイオライトとの国境でしたね」
「サミュエル陛下の胃薬の量が増えそうな話だな」
アイオライト王国の国王サミュエルは、即位間も無い若き王だ。
彼は、前王と異母妹の尻拭いと、未だ前王の同世代が中心となっている国政の掌握を両立させた上で、同盟各国との足並みを揃えた軍事行動や周辺国との折衝を行わなければならない。
これで、既に自国内にズブズブと侵食している『懇意な隣国』であるシュンガイトが、自称帝国と通じる『潜在敵国』であり、そのせいで自国から同盟への裏切り者を出した、などということになれば、どれだけの政治的ダメージか。
「と言うことは、『シュンガイトの人間と縁を結んだアイオライト貴族の家』と繋がる我が国の貴族も注視が必要か」
「アイオライトの貴族家との縁組は、我々の親世代であれば、そこそこありましたからね」
「我が国の貴族が潜在敵国に与しているとまでは考えたくないが、親戚宅という隠れ蓑で、知らぬ間に物資や人員の配置拠点にされる恐れはあるかもしれん」
「あ」
ハロルドが、思いついたように声を上げた。
「どうした、ハリー」
「いますよ。潜在敵国に与していると考えられてしまう我が国の貴族家。この前、俺、会いました」
「「「ああ」」」
納得の声を上げた数名。
「「シュンガイトの王孫を娶ったゴジル侯爵家」」
アンドレアとハロルドの声が重なった。