問答の先に
『お久しぶりになりますね』
ジルベルトの呼びかけに応え、妖精が姿を現した。
今も「コナー家の目」が付いていることは分かっているが、構わなかった。
今、ジルベルトに付いているのはクリストファー直下の精鋭だ。
ここで何を見聞きしても、クリストファーへの報告より前に他の誰かへ洩らすことは無い。
ならば、「知ってしまった者」をどうするかはクリストファーの判断に委ねればいい。
クリストファーに甘えている自覚はあった。
一人で妖精を呼び出したことも、完全な人払いの出来ない此処で呼び出したことも、その後の勝手な決断も、確実にクリストファーを激怒させるだろう。
けれど、それでも、『人の世界の秩序』を守る為に動けず、再び『人が手にしてはならない力』を使われる危機に瀕している今、後悔せずにいるには、コレが必要な動きなのだと、何故か前世から外れたことの無い奇妙な勘が告げるのだ。
「貴方が出て来ましたか」
『おや、我々の見分けがついていましたか』
現れたのは、明るい茶色の髪と瞳の妖精だ。
ジルベルトの前に、最初に姿を現した個体である。
「ええ。もう、それなりに長い付き合いですから。軍艦リーゼントもゴスロリメイドも、お似合いでしたよ?」
『・・・本当に、見分けられているのですね』
ジルベルトの皮肉に、目を伏せて苦笑する妖精。
今は最初に現れた時と同じ、スーツに似た格好と落ち着いた口調だ。突飛なコスプレ姿とアホっぽい口調で踊り狂う集団に参加していたことが、バレていたとは思わなかったらしい。
「質問に、答えていただけますか?」
『答えられることならば』
ジルベルトは頷き、ふと気付いたように一度立ち上がり、羽織っていただけのバスローブの前を合わせて腰紐を結んだ。
気の緩んだ格好であることは変わらないが、露出狂のような格好よりはマシだ。
気を取り直し、ジルベルトは質問を開始する。
「古代王国と現代人が呼ぶ王国の在った時代、この世界は時を戻したことがありますね?」
『・・・・・・ハァ・・・言えません』
考え、嘆息し、決意の後の返答は、肯定。
このレベルの内容までは、答える気がある、答える気になった、ということか。
ジルベルトは質問を続ける。
「古代王国の時代に世界の時が戻ったのは、一度ではなく複数回ですね?」
『・・・言えません』
是、だ。
「古代王国にて現代人が非現実的だと感じるほどに人命が奪われていたのは、世界の時を戻す為ですね?」
『答えられない内容が含まれています』
「世界の時を戻す為には、膨大な数の人命が必要ですね?」
『答えられない内容が含まれています』
「世界の時を戻す為には、膨大な数の妖精の命が必要ですね?」
『答えられない内容が含まれています』
「答えられない理由を教えて下さい」
『世界の理に抵触します』
ほぅ、と、緊張感を逃がす息を一つ、ジルベルトは吐き出す。
ここまでは、予想通りだ。
答えられないと返されることも、その理由が人が知るべきではない領域だからであろうことも。
勝負は、ここからだ。
ジルベルトは質問を再開する。
「貴方達は、人が世界の時を戻すことを阻止したいと思っていますね?」
『・・・言えません』
やはり、これについては、是。
「貴方達は、人の手から、『世界の時を戻す方法』を失わせたいと思っていますね?」
『言えません』
これも、やはり是。
それはそうだろう。
人間が勝手に何度も世界ごと時を戻せてしまう方法など、世界を滅茶苦茶にする邪法だ。
「貴方達は、異世界から転生させた私に、人間が世界の時を戻す行いを阻止させ、方法を人の世から完全に破棄させたいと、思っていますね?」
『っ・・・! それはっ! ・・・ですが・・・私達が、貴方を愛しているのも、真実なのです』
私達が、愛しているのも真実。
それが、答えだと、ジルベルトはストンと理解した。
妖精は、『神』ではない。『神』の眷属のようなもの、とされる。
ジルベルトが先程から口にしている「貴方達」は、「神と、その眷属」を指す。
妖精は、『神』の指示で動いている。
それは、ずっと思っていた。
この世界の『神』は『世界』そのものであり、人型はしておらず自然を指す。
そう、この世界の人間として習った。
だが、それが真実だとして、『世界』が意思を持たず、指示を出さないとは言えないだろう。
世界を滅茶苦茶にする邪法を駆除したいという、『目的』を持つ者、『願い』を持つ者、どちらも「そう思っている」という言葉ならば一括りだ。
目的の為に、転生者を使いたいのが『神』。
神の目的と同じ願いを抱えつつも、転生者であるジルベルトを愛する想いも偽りではない『妖精』。
どちらにしても、主導は『神』だった。
『妖精』は『神』に従う。
だが、『妖精』には『妖精』の想いが、『神』の思惑とは別に存在している。
『神』が、どのような考えで転生者を使おうとしたのか、何故自分だったのか。
器となる「ジルベルト・ダーガ」の本来の魂と本質が似ているという条件はあったのかもしれないが、それさえも、どちらに合わせて選ばれたのかは分からない。
所詮、ジルベルトは前世も含めて人間に過ぎない。
神々の考えなど、理解どころか想像すら及ばない。
分かっているのは、自分が勝手に誰かに今の世界を「無かったこと」になどされたくない、ということ。
その為に必要ならば、『神』の目的に利用されることも厭いはしない、という意志。
「貴方は、私に、この世界でどのような生き方を望みますか?」
『幸せを感じて、暮らして欲しいです』
苦しげに、震える声。
「貴方達は、私に、この世界で何をさせたいと思っていますか?」
とうとう、小さくすすり泣く声が洩れる。
しばらくして、答えは返された。
『世界の理に抵触する内容になります』
「世界の理に抵触するような事を、人間の私にさせたいと思っているのですね?」
『いいえ』
ああ。
ジルベルトは、天井を仰いだ。
概ね、予想の通りだ。
妖精の意思は分からないが、少なくとも『神』は、転生させたジルベルトに、いずれ人間を辞めさせるつもりだったのだ。
世界の理に抵触するような事を、ジルベルトにやらせたい。
だが、それを人間のままやらせるつもりは無い。
ジルベルトの中に、理不尽への怒りが湧き上がる。
そのつもりなら。
最初から、そのつもりで転生させたなら。
何故、人間として転生させた?
『神』とは古今東西、世界を異にしても理不尽なモノなのであろう。
だが、そんな真理と、腹が立つことは別である。
人間として生き、人間として関わり、この世界に、この世界の人間に、愛着を持つようになってから、人間を辞めさせようなどと。
ああ、そうか。
この世界に、愛着を持たせる為に人間として先ずは置いたのか。
この世界に、今の世界に愛着を持てば、「無かったこと」にされるのを拒み、自分の意志で『神』の目的に協力しようとするから。
ふざけるな。
そう、怒りのままに叫びたい衝動はある。
だが、ジルベルト自身が、今の世界を「無かったこと」にしたくないのだ。
ジルベルトは、深く息を吸い、そして深く吐いて怒りを鎮め、覚悟を決めた。
「私に何をさせたいのか、具体的に教えて下さい」
明るい茶色の瞳が、驚愕に見開かれる。
『よく、考えて下さい。聞けば人間でいられなくなります!』
小さな手の人形のような細い指先を震わせて、ジルベルトに縋るように腕を伸ばし、妖精は悲痛に叫ぶ。
そうか。
食えない奴らだと思うことも屡々あったが、妖精が『剣聖』を愛していることも、幸せを願っていることも、嘘では無かったんだな。
あの、言動の幼い妖精達の保護者然として余裕ぶっていた「大人らしい大人の妖精」が、ジルベルトが望まぬ生き方を選ぼうとするならば、悲しみ、痛みを覚えている。
その様子は偽りや演技には見えず、これが演技で騙されているのであれば、悪いのは騙された自分だと納得出来る。
ジルベルトは、それでいいと、構わないと、応じようと口を開いた。
だが、言葉を発する前に、眼の前に暗器が飛来した。
暗器は、加護を与える妖精が常に展開している物理攻撃防御の護りによって弾かれ、床に落ちた。
「ふざけんじゃねぇよ」
ジルベルトに向け、暗器を飛ばしたのは、いつの間にか姿を現したクリストファー。
ジルベルトには向けられたことの無い、だから聞いたことも無い、低く、重い怒りを込めた声で詰られる。
「クリス、何故お前が」
本当に珍しくも、呆然とするジルベルトに、馬鹿にするような嗤いを浮かべてクリストファーは吐き捨てる。
「アンタの様子がおかしい事には、少し前から気付いてた。だから、少し前からアンタ付きの『コナー家の目』は俺だったってワケ」
怒りも露わに、垂れている筈の紺色の両眼をキツく吊り上げてクリストファーはジルベルトに迫る。
「良かったぜ、油断しないでおいて。俺の知らないところで、アンタ勝手に俺と違うイキモノ? 種族? 存在かなんかになろうとするし。未来を一人で勝手に決めちまうし。人間辞めました〜なんて、事後に言われてこっちが承諾するとでも思ってたのかよ!」
呆けて動きもしないジルベルトの眼の前まで迫ったクリストファーは、怒鳴りつけた勢いのまま、ジルベルトを両腕の中に囲う。
図らずも、ジルベルトが寝台の上に座っていた為に、ベッドに押し倒すような構図になった。
コイツ、後から冷静になったら頭を抱えて悶えそうだな。
呆けた状態から正気に戻って来たジルベルトが、今口にしたら更にクリストファーを怒らせそうな感想を内心で持つ。
だが、悔しげに歪められた表情のクリストファーから絞り出すように溢された言葉に、茶化すような意識は霧散した。
「俺は、いつまでアンタの子供なんだ」
「クリス」
名を呼んだが、「そんなつもりは無い」、とは続けられなかった。
その意識が完全に無くなっていたとは、言えないと自覚していたのだから。
認めてはいる。
頼ってもいる。
甘えてさえいる。
けれど、どうしても、子供のように守りたいという意識は、完全に消えることは無い。
それは、消せない。
おそらく、幾つになっても。
前世の享年を考えれば、そして前世の各々のスペックを考えれば、前世のジルベルトより前世のクリストファーの方が、多分、ずっと大人だった。
その経験と記憶を持って転生しているのだから、ジルベルトがクリストファーを子供扱いするのは相応しい態度では無いとも思っている。
「俺はそんなに頼りねぇか! 俺はまだアンタが巻き込むには足りねぇか! 一言の相談も、態度すら見せねぇって、どれだけ物の数に入ってねぇんだよっ!」
ジルベルトを囲って手をついた寝台のシーツをぐしゃりと握り締め、血を吐くように叫ぶクリストファーを、ジルベルトは何も言えずに見上げる。
傷つけるのは分かっていた。
怒らせるだけではなく、彼の心もプライドも、傷つけるのだと、予想はついていた。
それでも、何故か、こうしても最悪な事態にはならないと、勘が告げたから、動いたのだ。
そして、こうしなければ最悪の事態になり後悔するとも、勘が告げていたから。
それを、どう事前にクリストファーに説明すれば良かったのかは分からないが。
今も、どう説明すれば良いのか、よく分からない。
だから、ジルベルトは簡潔に事実だけを述べた。
「クリス、勘なんだ」
「は?」
「今回、私は勘で動いた」
「勘・・・って、いつものアレか? 絶対外れねぇヤツ」
「自分の意思では使えない、勝手に降りて来るような類のモノだがな」
「・・・どこからどこまでだ」
相変わらず、低い怒りを込めた声で、ジルベルトの上から囲って見下ろしたまま訊ねるクリストファー。
その強い「逃さねぇ」という意思表示に、ジルベルトは困ったように眉を下げる。
どうやら、この体勢のまま話さなければならないらしい。
「妖精から、人間として暮らしているなら知ることの出来ない、または知ることが難しい話を聞き続けると、『望まない未来を招く』気がした。
その時点では、クリスの余裕を見て相談しようという考えもあったが、お前の負担を考慮して見送った。
それが、お前の激怒を招くことは勘で分かっていたが、そう決めてしまった。
情報が集まり、広範囲の状況が推測出来るようになってから、『今動かなければ後悔することになる』気がした。
『動けば最悪の事態を回避出来る』気がする、その期限が、今夜中だった。
実際、人間を辞めるのが最悪の事態だったとすれば、それを諾と明言する前に、お前が止めに来た」
「・・・止められるの前提だったのか?」
「いや。どういう形の『最悪の事態』が起き、どういう形で『最悪の事態』が回避出来るのかは勘では分からなかった」
「そうか・・・」
深く溜め息を吐いてから、クリストファーはジルベルトの上から身を退けた。
そして、身体を起こしたジルベルトを睨むようにして告げる。
「アンタが『世界の理に抵触するような事』をする為に人間を辞めるなら、最低でもイェルトは巻き込んで人間辞めねぇと、アイツが世界を壊すぞ。アイツなら、どうにかしてヤッちまえるぞ、多分」
最低でも、と来た。
ジルベルトが黙って勝手に人間を辞めたら、他の犬も、もしかすると前世の子供達や今生の大切な仲間達まで巻き込んで、「こんな世界、壊しちゃって良いよね?」とガラス玉のような視線で無機質に宣うイェルトの姿が、やけに鮮明に脳裏を過った。
いや、ちょっと待て。
コレ、勘だ。
ジルベルトは頭を抱えた。
今、脳裏を鮮明に過った映像は、もしジルベルトが一人で勝手に、望んでもいないのに人間を辞めたら、『そうなる気がする』というヤツだ。
しかも、通常の『気がする』の時よりも、随分とハッキリとしている。そもそも鮮明映像なんか、降りて来たのは初めてだ。
「妖精よ」
頭を抱えたまま、ジルベルトは不安げに佇んだままの妖精に声を掛ける。
『はい、何でしょう。ジルベルト』
「妖精達に指示を出す存在に、伝えて下さい。そうなる未来を望まない私に人間を辞めさせることは、却って、この世界を危機に陥れると」
『何か、確信があるのですね?』
「・・・貴方達は、私に奇妙なほど当たる勘があることを知っているのではありませんか?」
『・・・そういうことですか』
やはり知っていた。
自在に使えるモノではないので、然程『転生させた存在』から着目されているとは思っていなかった特性だが、コレも込みでの選択だったのだろうか。
問うて答えがあるとは思えないので、わざわざ問う気も無いが。
だが、向こうが勝手にコレの信頼性を高く評価して納得するなら、それでいい。
『ジルベルト、今はこれ以上の話は進められないでしょう。今回はこれでお暇させていただきます』
明るい茶色の髪を揺らして、妖精が辞去の礼をする。
「ええ。いずれ、また」
そう遠くない日、また会うことになる。
それも、外れない勘。
前世でも、ここまで頻回に、この勘が降りて来ることは無かった。
自分で制御出来るモノではないので、何故これほど、よく働いているのかなど知らない。
だが、今ジルベルトが真摯に対応すべきなのは、言いたい事が山程鬱積していそうな様子で腕組みをして視線を突き刺して来るクリストファーの話を聞くことだ。
「着替える時間をくれ」
黙して頷くクリストファーに背を向け、ジルベルトは項垂れながらバスローブから部屋着に着替える。
気分は、これから親に叱られる子供だ。
だが、自業自得。
激怒させる覚悟は、していたつもりだ。当然、その怒りを受ける覚悟も。
「待たせた」
振り返ったジルベルトは、クリストファーを寝室から出たリビングスペースのソファへ促して、長い夜に備えて棚からグラスを取り出した。