不穏を考える
ハロルドが王城へ帰還し、第二王子執務室メンバーは、互いに報告や情報と認識の共有を済ませた。
モスアゲートの砦付近で捕獲した自称帝国民への尋問は、最初から『辞世の告解』を用いて行われた。
『辞世の告解』は、クリソプレーズ王国に於いて、極刑が初めから決まっている囚人に使用される激烈な効果の自白剤の名だ。
国や軍や暗部の最上層部以外へは存在も秘匿された薬物の為、使用時にも正式名称を口にする者は、ほぼ居ない。
原料が稀少故に、滅多に使用される機会も無かった薬でもあるのだが、近年は大罪人として公開処刑された「娼婦エリカ」を始め、捕獲した自称帝国工作員などに使われ、尋問の現場での登場回数が増えている。
とは言え、扱う許可を持つ人間も極一部に限られる薬だ。
当然、他国の人間の前で使うわけにはいかない。
砦で捕獲された自称帝国民の尋問は、自白内容は同盟国間での共有が義務となるが、直接尋問をする権利は、捕獲した者及びその同国人が有する。
これは、どの国も、自国独自の秘匿したい自白剤や拷問方法などを持っているからだ。
アンドレアの側近であるハロルドは、『辞世の告解』の使用許可を持っている。
クリストファーの『右腕』であるリオもだ。
そして、それぞれ現物を主から手渡され、所持していた。
クリソプレーズ王国騎士団副団長であるギリアムは、砦への派遣部隊隊長であり、『辞世の告解』の存在は知る立場だったが、使用許可は持たない。
それほどに、扱いが厳重となる特殊な薬物なのだ。
尋問は、『辞世の告解』の使用許可を持つハロルドとリオだけで行われた。
尋問を行う部屋の扉の前には、薬の存在を知るギリアムが自ら立ち、目を光らせた。
最初から『辞世の告解』を使用したのは、今までは洗脳教育を下地とした強力な暗示が原因と考えられていたが、どのような拷問にかけたところで、精神操作の呪い下では、支配者が予め「どのような方法であれ他者に伝えるな」と具体的に指示をしている内容は、口にすることも、書くことも、首を振って意思を示すことさえ身体が動かず、出来なくなるからだ。
予めの具体的な指示、という所が、支配する側でも完璧に網羅することが不可能なのだろう。
拷問などでも、指示漏れに引っ掛かっている内容ならば、これまでも引き出すことが出来ていた。
此方側も、まさか、外部に出ている工作員に類する自称帝国民が、総じて精神操作の呪い下にあるかもしれないという可能性など、思いつきもしていなかった。
精神操作の呪い支配下にある前提で行った尋問は、これまでに無い量と種類の情報を吐かせることに成功した。
アンドレアの推測通り、現在国外へ出ることが可能なのは、精神操作の呪いを受けた者だけだった。
呪いをかけるのは自称皇帝だと言う。
そして、それを、奴らは「洗礼」と呼んでいた。
自らを神と崇めよと宣う、自称皇族らしい傲慢さだ。
「洗礼」の儀式を行えるのは自称皇帝のみだということなので、現在国外へ出ている自称帝国民は、全員が自称皇帝の精神操作の呪い支配下ということになる。
禁書にも記載されていない新情報だが、精神操作の呪いは、相手が望んで受け入れる場合は生贄とする妖精の量が減らせるそうだ。
また、望んで呪いを受け入れる相手に加護を与えている妖精を、その儀式の生贄として使えるらしい。
自白内容は共有の義務があるが、これに関しては、ハロルドとリオは秘匿したまま国へ持ち帰った。
共有した「自白内容」は、自称帝国から国外へ出ている人間は、全て精神操作の呪い済みの者であり、呪いをかけたのは自称皇帝であり、その儀式を奴らは「洗礼」と称している。
という部分だけにした。
既に洗脳教育を施された人間への「洗礼」は、崇高なありがたい儀式として、喜んで受け入れられていたらしい。
ハロルド派遣中に王城で起きていた事については、やはりアンドレアの予想通り、血縁上の両親の末路など、毛ほども彼の情緒に触らなかったようだ。
リオの手柄を報告するハロルドに、「成長したな」という保護者のような視線を送る仲間達には大いに情緒を動かされていたようなので、本当に血縁上の両親のことが「どうでもいいモノ」に過ぎないのだろう。
そんなハロルドから、「一度帰邸して休んでください」と、国外派遣で自分も疲れているだろうに勧められ、「明日はお前が帰れよ」と言い置いて、ジルベルトはダーガ侯爵家の王都邸に帰って来た。
時刻は深夜手前だ。
家令に伺われ、夕食は城で済ませてあるので断り、私室付近への人払いを命じて部屋に籠もる。
コナー家の目など気にせず、躊躇い無く服を全て脱ぎ捨てるとシャワーを浴びた。
ジルベルトの私室には、浴槽のある風呂は無いがシャワー室が付いている。
彼が裸になる場所に、使用人を近付ける機会を極力減らす為に、父が後付で設えさせたのだ。
シャワーを浴びた後、腰紐も結ばずバスローブを羽織っただけのしどけない姿で、濡れた髪を掻き上げたジルベルトは寝台に腰を下ろす。
そのまま、脚を組んで、思考に沈んだ。
ジルベルトは、ここ二年ほど、自身の勘に従って『妖精』の呼び出しを避けていた。
人智を超えた裏事情の疑惑が湧くと、つい呼び出して「答え合わせ」をしたくはなるが、幾度か呼び出す内に、友好的ではあるし偽りを口にしているとも感じはしないが、このまま『妖精の情報』を聞き続けることによって自分達にとって望ましくない未来が招かれる気がしたのだ。
そして、その勘は、古代王国に関する情報を集め、資料などからの調査に長けた仲間達によって古代王族の所業が明かされるにつれ、強まっていく。
この世界で現代、「古代王国」というものは、一般人にとっては前世で言えば某「ム」から始まる大陸の名を冠した雑誌に載るような扱いだ。
墳墓遺跡などが存在する為、実在自体に懐疑的とまではいかないが、口伝や地方伝承、古代王国から近い後世の辺りに記された文献等から、現代人の感覚では「本当にそんな国が存在した」という現実感を持てないのだ。
それでも、『大陸を一つの王家が統一支配していた』という歴史が実在するのならば、国家君主としては心擽られる話なのだろう。
王族をスポンサーに、古代王国の研究は現代も続けられている国が多い。
現代人が古代王国という国に現実感を持てない最大の理由は、『魔導具』を始めとする「人間の命の消費の多大さ」だ。
為政者側からすれば、「そこまで殺していて革命もクーデターも無く国を維持し続けられたのが謎」だし、民間人としても、「それだけ殺してたら国民が減りすぎて国が滅びないの?」という疑問が湧く。
尤も、古代王国の研究を資金提供をしてまで続けさせる為政者の中には、「どれだけ民衆を虐げ恨みを買っても君主であり続けられる方法」を古代王国に学びたいと考えている者もいるようだが。
ジルベルトも以前は、古代王国に纏わる話など、おどろおどろしい民話の類のように捉えていた。
だが、今回の調査で掘り下げられた逸話達を聞けば、流石に「殺し過ぎだ」と感じた。
それは、「酷い」や「恐ろしい」という感情からの感想ではなく、何の目的も無いとは思えない数だという推測からである。
ジルベルトは、『世界のやり直し』を可能にする力と儀式について、ずっと考えていた。
対価と引き換えに妖精に願った?
世界の邪なる意思を統べる『ナニか』に願った?
そして、魂を捧げた?
以前、妖精は、それらの問に肯定を示したが、それだけで、そんな大きな力が発動するとは思えない。
妖精の肯定は、嘘ではなかったのだろうが、それが真実の全てでもなかったのだろう。
願うことに必要なのは、対価。
願う相手が『ナニか』ならば、対価は魂に限る。
それを肯定した妖精は、偽りを告げた訳では無い。
けれど、実際に「世界の時を戻す」には、他にも必要なモノがあったのではないか。
だから、考えていた。
実際に大きな力が動くには、膨大な量の、この世界を構成する一部である何らかのエネルギー塊を消費することが、必要なのではないか、と。
その、『何らかのエネルギー塊』を、ジルベルトは『人命』と『妖精』ではないかと考えていた。
だから、『一度目』の『黒幕』は、大陸中の様々な国で、戦争や内乱の引き金になりかねない綻びを作って回ったのではないかと。
例え、世界の時を戻す力の発動が『黒幕』の死後ずっと先のことだったとしても、戻る時点は「魂を捧げた者の願いが叶う時点」なのだ。
魂を捧げる生贄に選んだ者達の「願いが叶う時点」を、『黒幕』が戻りたい時点に重なるように誘導すれば、『黒幕』は自らの魂を失う事無く「やり直し」が出来る。
尤も、今の世界で『一度目』の記憶を持っていた人物は、処刑された「エリカ」だけだったと言うのだから、『黒幕』は「やり直し前」の記憶を持っていない、という間抜けな話になるのだが。
ジルベルトは、『世界の時を戻す』儀式または邪法は、古代王国時代に編み出された、もしくは王族かそれに近しい者が何者かから手に入れたのではないかと、「殺し過ぎ」な古代王国の在り方を知って考えた。
この世界に転生し、『一度目』の存在を疑い、世界の時を戻す方法の存在を知った時、ジルベルト達は危惧した。
忠誠を誓い、命と信頼を預ける主君アンドレアにさえ、その存在を隠すほど。
アンドレアが、『王族』だったから。
そんな有益な方法があるならば、縋ろうとする人間は、何処かの時代で必ず現れると確信しているから。
禁術の扱いにしようが、法で縛ろうが、厳罰を用意しようが、 例え邪法の実行で処刑されてもやり直せるという意識は、恐怖心を軽減し、倫理感や自制心の枷を緩めるだろう。
前世で言えば、リセットボタンの存在に安心してプレイ出来るゲームのようなものだ。
どうせ、時を戻せる。
どうせ、やり直しが出来る。
どうせ、今回は「無かったこと」になる。
そう考えれば、どのような振る舞いも、恥にも恐れにもならないと、そう感じるようになるのではないか。
次は、真剣にやればいい。
次は、慈悲をかければいい。
次は、出し抜いてやればいい。
次は、もっと上手くやれる。
次は、次こそは。
けれど、「次」を「やり直す」為には、膨大なエネルギーを消費しなければならない。
ならば、殺し続ければいい。
出来るだけ多く、早くエネルギーが貯まるように。
殺す理由は何でもいい。
『魔導具』でも、儀式でも、罰でも、処刑でも、嗜好や性癖でも、褒美でも。
もしかすると、殺せる人命を殖やす為に、古代王国は、国民に食糧だけは不自由させない政策を執っていた可能性もある。
いくらお上が産めよ殖やせよと命じたところで、食えずに飢えれば口減らしの為に、大人より弱い子供が勝手に殺されるのを防ぎ切ることなど出来そうにない。
末端の民にとって、日々の暮らしで飢えないならば、「どこか」で「誰か」が国家主導で大量に殺されていても、自分や大切な人が殺される順番が来る日までは、「食わせてくれるお上は良いお上」だ。
古代王国の時代、「世界の時を戻す」方法を握っていたのが王族だったならば、絶大な権力の下でエネルギーを蓄えることが可能だっただろう。
それが可能故に、「世界の時を戻す」ことへの心理的ハードルは低く、それを繰り返していたならば、繰り返す毎に、そのハードルは更に低くなっていたと思われる。
前は上手くいったのだから。
前回の儀式の主催者は上手く出来たのだから。
そんな風に。
ゲームのリセットボタンを押す程度の気軽さで、「困ったら今を止めてやり直せばいい」と考えて。
ジルベルト達が考えていた『一度目』は、実際は一度目では無かったのではないか。
古代王国の時代に、「世界の時を戻す」方法を手にしていた王族が、既に何度も世界を戻しては繰り返していたのではないだろうか。
ならば、妖精達が、ジルベルト達を『黒幕』がやり直しを仕掛けた今の世界に転生させた目的は。
今回は、『黒幕』に時を戻させないこと。
それと、恐らく、そんな邪法の完全なる破棄か。
世界の創造や理など、人間として生きて死んだ経験の記憶しか無いジルベルトには、実際のところ全く分からない。
認識なんか、せいぜい前世で読んだラノベの内容レベルだ。
だが、それでも、人間が数多の生贄を捧げて勝手に世界の時を何度も戻すなんて事をして、世界が無事でいられるとは思えない。
ジルベルトは、重い溜め息を吐く。
ハロルドとリオのお手柄で、国外へ出ている自称帝国民に精神操作の呪いを施しているのは、自称皇帝唯一人だと知れた。
恐らく、前回の世界の時を戻そうと暗躍した『黒幕』は、自称皇帝、もしくは存在するならばだが、『自称帝国の本当のトップ』だ。
自称皇帝として表に名を出し、臣下や民の前に姿を現す壮年の男は居るが、ソレは影武者かダミーではないかと言う疑惑もある。
影武者の場合は本物も似通った容姿や年齢かもしれないが、ダミーであった場合、『本当のトップ』は、人相風体から年齢、下手をすれば性別すら異なる可能性もある。
同盟国による封鎖が実際に効力を発揮するものとなり、外部との連絡手段を順に潰して自称帝国を指揮するトップを追い詰めている現在。
ネイサンが言ったような、「仕込まれている可能性のある時限爆弾的指示」への警戒も強めねばならず、包囲された内側からの「予測不能な未知の邪法による攻撃」の可能性も否めない。
何より、自称帝国の負けが確定しつつある現在、「世界の時を戻す」ような方法を、今回も『黒幕』が握っているならば。
別に、前回と同じ生贄を使う必要は無いのだ。
封鎖された国内から別の生贄を選び、生贄の「願いが叶う時点」を「自称帝国の負けが確定していない時期」へ誘導し、後は、時代が勝手に「必要数に足りる屍の山」を築き終えるのを、死んで待てば良い。
そんな答えに辿り着かないと、誰が言える?
妖精の側の思惑は関係無い。
もう、今の世界を勝手に「やり直し」などさせられるのは御免だ。
異世界からの転生者である自分の魂が、「やり直し」となった時にどのように繰り返されるのか想像もつかないが、もう、とっくに今の世界に、関わる人間に、愛着を持っているのだ。
それを奪おうなど、許せるものか。
けれど、自称皇族殲滅に向けた侵攻は、同盟各国全てが足並みを揃えて行わなければならない。
だから、今直ぐに動くことは出来ない。
一刻も早く、前回の『黒幕』を、今回も暗躍しかねない『敵』を、『世界の時を戻す』邪法を実行する前に、殺してしまわなければ。
凶暴な焦りが渦巻く内心を、顔を覆った手のひらの中の深い溜め息で鎮静する。
そして、ジルベルトは、「今動かねば後悔する」という勘に従い、「クリストファーに激怒される」と勘が告げる行動を取る。
「質問に答えてくれますか。妖精よ」
『辞世の告解』の使用許可を出す権限を持っているのは、現在は国王ジュリアン、次代の実権者アンドレア、暗部の真の支配者クリストファーです。
エリカに使用した当時は、クリストファーが未成年だった為に、権限を持つのがジュリアンとアンドレアだけでした。
基本的に、平時には滅多に使用されない劇薬ですが、今は有事扱いなので増産されて結構頻繁に使われています。