待たされる冒険者達
夕刻、第二王子執務室の面々はそれぞれの執務を黙々と熟している。
『王族用』応接室の冒険者達は、未だ放置のままだ。
先程、午後の休憩を取ろうという頃合で、国王執務室から二人の冒険者達の王都入場後の行動を紙面に纏めた報告書が届けられた。
彼らは、それを茶請けに休憩を取ったばかりである。
王都入場後、ランディはフローライトの瞳の冒険者を「登城前に汚れを落とせ」と通りがかりの宿に押し込み、城へ王都帰還の報告もせずに最愛の妻の居る家へ直行した。
ランディの家には、妻の他にメイドと家政婦と料理人が暮らしている。使用人達は、ランディが自身の稼ぎで雇った者達だ。
使用人の居ない生活を想像すらしていなかった、貴族としてしか生きたことの無いリナリアの為である。
三人の使用人は全て平民の女性であり、雇い主のランディから、「家の中に決して男を入れるな」と厳命されていた。
リナリアはメイドを侍女のように連れ歩いて外出もするが、流石に平民のメイド一人に「男を一切近付けるな」の命令は、下したところで無理がある。
それはランディも理解していたので、「家の中に決して男を入れるな」の厳命で妥協した結果だ。
帰宅したランディは妻との再会を喜び、愛を囁いた。
リナリアはランディが「遠くへ行っていた間の話」を聞きたがったが、相手が最愛の妻とは言え任務の話を洩らさない程度の分別は、『騎士団長』から『国王専属冒険者』になった今も失っていないらしい。
だが、ランディが「遠くへ行っていた間の話」をリナリアが聞きたがる状況を、「自分に興味を持っている」と単純に喜んでいる点は、『国王専属』として鈍過ぎる。
騎士団長現役時代も、リナリアさえ絡まなければ、ランディは軍人としても剣士としても大陸で指折りの実力者だった。
だが、リナリアが絡んだ途端、嗅覚が鈍る。
近頃リナリアがメイドを伴って散策する先で、幾人かの男性店員と親しげに挨拶を交わし、雑談に興じる程度の付き合いが出来ている。
それらが、おそらく何処かの国の間諜だ。
自分が貴族の身分を失い平民となった今でも、平民を同じ人間とも思っていないリナリアが、「付き合い」を保つ相手だ。
容姿は「貴族の血混じり」が推し測れるもの。物腰や口調に粗野な部分や下品さも見当たらず、身なりは質素ながら小ざっぱりとしてセンスとそれなりの資金力の感じられるもの。
総じて、丁度良い具合に魅力的な男達である。
貴族と並んで見劣りしない容貌と色合いだが、せいぜい下位貴族レベル。
美形ではあるが、華やかさよりも誠実さ、もしくは愛嬌が滲み出る系統。
既に孫がいてもおかしくない年齢のリナリアが、無意識下で「若過ぎる」と対象外にするほど若くはない年代。
「金持ち」には見えないが、平民の中では「自由に使える金」が多そうな出で立ち。
近頃は、そんな男達が、あからさまな媚び諂いは微塵も使うこと無く、ほどほどにリナリアを持ち上げて、気持ち良く雑談に興じさせている。
男達は、言葉巧みに「リナリアの夫が冒険者であり、大陸中を仕事で回っている」という話を引き出すと、そんな素晴らしい夫がいるリナリアを「凄い凄い」と持ち上げながら、夫が何処の国に行ったのか、これから行くのか、何をしに行ったのか、何をして来たのかを聞きたがる。
リナリアが具体的に答えられないと、気にしない素振りをして愛想良く笑いながら、微妙な失望感をリナリアに気取らせる。
不特定多数の人間からチヤホヤされる状況に飢えているリナリアは、「ようやく戻って来た快感を得られる日々」を失う可能性に怯える心理が働く。
ランディに囲い込まれて「箱入り娘」のまま年を取ったリナリアは、間諜達にとっては罠を疑うほどに容易く転がせる「馬鹿な獲物」だろう。
そしてリナリアは、帰って来たランディの仕事の話を熱心に聞きたがった。
今までは、ランディが持ち帰った贅沢品の土産の説明か、手に入った報酬の話にしか興味を示さなかったと言うのに。
それでも流石に任務の内容は口に出来ないランディは、リナリアが喜びそうな話題で気を引くことにした。
『スティヒタイト王国の姫君が、俺達の息子との婚姻を望んでいるんだ。どうだ、凄い栄誉だろう?』
『まぁ素敵! そうしたら私、お姫様のお義母様になれるのね!』
その辺りで、茶請けにバダックに朗読してもらっていた報告書に、全員の視線が突き刺さった。
「うわ、あの夫婦死んだな」
というアンドレアの呟きは、忖度により独り言として他の皆からは聞かなかったことにされた。
最愛の妻リナリアが「お姫様のお義母様」になることを望んでいる。
ならば、ランディはハロルドを売るだろう。
血の繋がった実父であろうと、既にランディは何一つハロルドに関する権利を有していないのだが。
スティヒタイト王国は大陸西側に位置する『石の名前を戴く王国』であり、あの報告会で地図上に「灰色の駒」が置かれた国である。
現在は、既に国王ジュリアン周辺及び第二王子アンドレア周辺では、『潜在敵国』に指定されている国だ。
茶を噴き出しそうな心持ちを齎す茶請けには、まだ続きがあった。
リナリアは、「王族の義母になるのだから貴族に戻れる筈」という思考に取り憑かれ、もうすっかり貴族になった気分で浮かれていた。
リナリアがずっと、貴族の身分を失ったことで気を塞いでいたのを知るランディは、無邪気(ランディ視点。ランディの独り言から推察)に喜ぶ最愛の妻を微笑ましそうに、愛おしそうに、ウットリと眺めながら、世迷い言を重ねた。
『こんな風に、国に貢献する形で君を喜ばせることが出来て俺も嬉しいよ。陛下もきっとお喜びになる。君の願いは必ず俺が叶えるからね』
いくらランディには、国家機密に当たる内容は限定的な情報しか与えられていないにしても、コレは無い。
ジュリアンが喜ぶと、忠誠心から本気で思っている所が特に最悪だ。
ランディには軍人としての実力や勘は備わっていたし、国王ジュリアンへの忠誠は熱烈で、騎士や兵士と言った体育会系な集団を纏め上げるには適性が高かった。
だから、騎士団長として働いている間は、問題が表出することは無かった、或いは事前に止められていた。
当時は、近くに居た宰相ヒューズ公爵が、フォローし、根回しし、尻拭いを常に買って出ていたというのも大きい。
ヒューズ公爵オズワルドがランディのフォローやら尻拭いをしていたのは、親友でもある国王ジュリアンの為であったが。
今のランディからは、オズワルドは一切手を引いている。
加えて、貴族だった頃のランディにはあった、「ジュリアンの為に貴族の体裁を守る」という枷も外されている。
貴族の体裁を守る、というのは、「行動する前に、それが貴族として相応しいか」と考えてから動く、という一線も含まれる。
本来、本能に忠実な性質だったランディは、身分を失ったことで一線を守ることも無くなった。
それでも、世間一般の常識を踏まえて行動する程度の分別はあったから、「使える内は使う」という方向で放置されていた。
だが、リナリアが熱望していた「貴族の身分を取り戻す」という願いが、叶えられるかもしれないと思える餌の前には、ソレさえランディの中から飛んだ。
思えてしまった所が、何よりマズイ。
ハロルドはランディと血の繋がった子供であり、ランディはハロルドの実父だ。
だが、現在は法的に絶縁が成立し、ランディは平民、ハロルドは貴族であり、しかも公爵家に籍がある人間だ。
世間一般の常識でさえ、ランディが勝手にハロルドの婚姻を結ぶ権利など無い。「実の父親なんだからある」と言う輩は、「常識知らず」の誹りを受けるような話だ。
ランディには、「貴族の常識」も知識として頭に入っている筈である。
脳筋とは言え、伯爵家の貴族教育から落第するレベルの頭ではなかった。そこまで粗末な頭なら、いくら戦闘力が高くても『騎士団長』になど任命されていない。
頭の中に一応「貴族の常識」が残っていたから、即決せずにジュリアンへ報告と相談という形で持ち帰ったのだろう。
貴族の婚姻は、例え親でも国王の許し無く勝手に成立させることは出来ない。
ましてや相手は他国人。もしも「国外へ婿に出す」ような話ならば、「クリソプレーズ貴族の国外流出」を、国王の許し無く勝手に約束するということになる。
だが、ランディは王都帰還後、城への報告や国王との謁見より先に、最愛の妻へ国王に伝える筈だった内容を洩らした。
そして、それを最愛の妻が喜んだことで、ランディの心は固まってしまった。
辛うじて頭の中に残っていた貴族の常識も、世間一般の常識さえも飛ばした、利敵行為に全力を尽くす方向に。
このように紙面で纏めた情報を第二王子執務室と共有すると言うことは、ジュリアンは国王として、ランディをリナリアと共に切り捨てる決意を固めたのだろう。
いくら前線に出す兵としての実力だけはあっても、愚かが過ぎれば、国で、王として、飼い続ける利がリスクを越えない。
噴茶ものの茶請けで取った休憩後、第二王子執務室の面々は夕食時まで執務に集中し、夕食を取った後も仕事を続けた。
そして、程よい頃合でバダックが香りの高い茶と軽食を用意する匂いが彼らの意識を引いた。
「茶請け第二弾が届いております。そろそろ御一服されてはいかがでしょう」
先程、室外へ出た時に受け取ったらしい紙束を片手にニコリと控えめに微笑むバダック。
各々、区切りを付けて執務机からソファの方へ集まる第二王子執務室メンバー。
前世の記憶から引用してるだろう、バダックが用意した数種類のパニーニそっくりなホットサンドと、香りが高く色も味も濃い目の茶にミルクを注いだ夜食を前に、アンドレアを筆頭に興味の視線がバダックの手元の紙に注がれる。
さて、再び噴飯噴茶ものの朗読を背景に、第二王子執務室の休憩タイムが始まった。
朝の王城一般開門時刻に合わせて登城したランディと『フローライトの瞳の冒険者』は、『王族用』応接室へ案内された後、最初に茶を一杯出された後は、「この部屋でお待ちください」と告げられ完全放置をされていた。
室内にはティーセットの載ったワゴンはあるが、簡易キッチンは無い。そこに残されていた「ティーセット」は、茶器と茶葉のみだ。
因みに、『王族用』応接室はトイレ付きの部屋なので、「用を足したい」というのは出歩く理由にならない。
焼き菓子一つも供されないまま昼食時刻も夕食時刻も放置で待たされ続けた二人だが、『冒険者』を生業にしているならば、カップ一杯の水分で昼食と夕食を抜くくらい耐えられる筈である。
放置され、長い時間待たされて、更に空腹が苛立ちに拍車をかけたのだろう。
ランディは、謁見を求めているのが国王なのだから、放置はともかく「長く待たされる」ことへの反発心は無かったようで、昼頃にはイライラと落ち着きを失い始めた連れを窘めていたが、夕刻近くなっても音沙汰の無い状況に、『フローライトの瞳』の方が立ち上がって鬱憤を爆発させた。
『何故、これほど待たされる⁉ ランディ殿の謁見相手は国王陛下なのだから、待つのに納得もいくでしょう。ですが、私が面会を求めたのは平民の侍従の一人だ!』
台詞部分を朗読するバダックの表情が、やけに愉しげだ。
「王族の、その王族にとっては現在唯一の『専属侍従』と、就業時間中に何故会えると思うのか、頭の構造が不思議だ」
首を傾げてジルベルトが零した感想に、他の面々も頷く。
取り敢えず、夕刻に不満を喚き散らした際には、渋々ながらランディの宥めに応じて着席し、イライラと貧乏揺すりをしながら待機を再開した模様だ。
しかし、外が暗くなっても音沙汰は無い。『フローライトの瞳』の冒険者は、立ち上がって室内をウロウロと歩き回り、小声で悪態をつく。
『賤業婦の血のくせに馬鹿にしやがって。何様のつもりだ。亡命など、薄汚い裏切り者のくせに温々と。祖国の大事だと言うのに。王族の誇りの無い奴はこれだから。今こそ祖国の為に立ち上がり凱旋すべき時だろうが。クソクソクソッ。役立たずめっ』
バダック、愉しそうだな。
執務の疲れを癒やしながら、のんびり軽食セットを摘むメンバーの心の声は似たりよったりである。
悪態のネタのバリエーションがすぐに尽きたのか、十三周ほど変わらぬ内容を小声で怒鳴るという器用な真似をした後、『フローライトの瞳』の冒険者は、「もう我慢ならん!」と叫んで部屋から飛び出し、扉の前で警護の任に当たっていた近衛達に取り押さえられた。
二時間ほど前のことだ。
以前は「カリスマ騎士団長」だったランディだが、醜聞と失脚で陛下の顔に泥を塗ったことで、大分騎士達の求心力は失っていた。
それに、現在のクリソプレーズ王国騎士団は、近衛も含め、レアンドロとジルベルトの模擬戦にビビり散らかした後の、新生クリソプレーズ王国騎士団だ。
彼らの認める「最強騎士団長」は、ジルベルトに人外な攻撃力でボロボロにされても生存しているレアンドロが唯一無二。
そして、骨の髄まで叩き込まれた「強者への恐怖心」は、第二王子専属護衛ジルベルトへのものが唯一絶対である。
既に彼らは、「元カリスマ騎士団長ランディ」への、過去の栄光や名声を根拠とする尊敬や遠慮を取り払っている。
つまり、ランディ本人が相手であっても遠慮容赦無く制圧行動が出来る心構えを構築済みだ。
単なる連れて来られたオマケなど、目の色が何色だろうが問答無用だ。
喚くオマケに猿轡を噛ませ、「国王への謁見を求め『王族用』応接室での待機を指示されていたと言うのに、勝手に出て行こうとした」と言うことで不敬罪を適用され、オマケは騎士団の詰め所へ捕縛されたまま連行された。
ランディは最初、「彼が面会を求めたのは平民の侍従であり、陛下への謁見は私だけだ」と庇ったようだが、不敬罪を持ち出されると黙った。
元々、連れて来たオマケに思い入れなど無かったのだろう。
おそらくランディが『フローライトの瞳』の冒険者を伴ったのは、『国王専属冒険者』となったランディの初任務が、フローライト国王が各国の『剣聖』の拉致か暗殺を自国の暗部に命じた件に関わるものだったからだ。
せいぜい、「陛下が亡命者の他にもフローライト国王を近く知る者から話を聞きたいかもしれない」くらいの気持ちで、クリソプレーズ王国に亡命したバダックに会いたがっていた『フローライトの瞳』の冒険者を連れ帰ったのだと思われる。
忠誠を捧げたジュリアンへの不敬罪を問われているならば、見捨てるのが当然という心境だろう。
「現在、騎士団詰め所にて尋問中だそうでございます。茶請け第三弾は、明日の午前辺りかと思われます」
ニコリと締め括ってバダックは一礼する。
丁度、軽食の皿もティーカップも空になった絶妙のタイミングだ。
完全に茶請け扱いになっている冒険者達と、時間を取ってまで直に会う必要は、既に誰も感じていなかった。