物騒なネタ
前世の母子三人がニコルの屋敷で密談するようになって早二年。
ジルベルトは13歳になり、少年と青年の間の危うくも瑞々しい色香を放つ『不可侵の麗騎士様』と女性達に囁かれる存在になっていた。
麗しく色気もあるのに誰のモノにもならないのが決定しているから、と付けられた渾名だが、相変わらずの恥ずかしいセンスでも『麗しき死の刃』よりはマシだと思っている。
厨ニ臭さも悶えるが、王族を断頭台に送りそうな縁起の悪い渾名を呼ばれ続けるのは本気で回避したかったのだ。
ニコルは11歳になり、順調に資産を増やしながら、自らも美容系商品の広告塔として華やかな美少女っぷりを満開にしている。
相変わらず狙われては、正当防衛したり、クリストファーに撃退してもらったりしている。
クリストファーは、垂れ目泣きぼくろの可愛い系美少年の外見で油断を誘いながら伸し上がり、10歳になった現在ではコナー家を掌握してしまった。
表向きは今も当主は父のコナー公爵であり、後継者は兄のウォルターだが。
「王家に叛意も無ければ国のためになるようにも動いているんだから、俺の行動を縛るな」
そう言って、コナー家に属する誰よりも完璧に強い実力を見せつけたクリストファーを、止められる者はいなかったのだ。
コナー家を掌握したクリストファーは、早速父親に、当主のみが知り得る情報の開示を迫った。コナー家が過去から現在まで処分して来た、犯行の詳細を表沙汰にできない禁書関係の資料を含む、『排除対象の詳細な記録』だ。
王宮の禁書庫には王族しか入室を許されない。この場合の『王族』の範囲は、王族として生まれた者と、その正式な伴侶であり、公妾や愛妾は含まれない。
更に王族の伴侶は、生まれながらの王族の同行が無ければ入室不可だ。
そして所蔵されている禁書は、当然持ち出してはならない。これは、生まれながらの王族、例え国王でも、だ。
だから、コナー家の当主が管理する資料にも禁書そのものは無い。あくまでも、過去に禁書を用いて罪を犯しコナー家に処分された対象の詳細情報として、禁書の内容の一部が記録されているのみだ。
禁書庫には、模倣者が出てはならない犯罪史や、秘匿しなければならない表舞台から退場した王族の人生、非人道的だが効果の認められる病気や怪我の治療方法に美容方法、禁止薬物のレシピなどの他、現代では行った者の身分も年齢も狙った効果も関係無く極刑とされる、『呪い』の詳しいやり方など、決して衆目に触れさせてはならない書物が目白押しのように思われる。
コナー家当主が管理する資料に記載されているのが犯罪関係ばかりだから、その手の書物しか所蔵されていないのかという印象を抱くが、実際は稀少で値が付けられないだけで内容は薄い本や、発売禁止になった過激なエロ本やゴシップ本も所蔵されている。年頃の王子が真っ先に向かう棚はその辺だ。
禁書庫の鍵は国王が即位する際に作り直され、国王本人とその直系の血を持つ者だけが触れられるよう、風火水土四種の魔法が施される。禁書庫の扉は、対となるこの鍵でしか開けられない。
残念ながら、持ち出しを防ぐような便利な魔法はこの世界には無いが、禁書の持ち出しが発覚すれば容疑者は簡単に絞られる。
鍵を使うことが可能である現国王の直系の子供と正式な伴侶のみを調べればいいし、直系王族とその伴侶には、護衛と監視を兼ねたコナー家の者が常に密かに付いている。
禁書庫の中まではコナー家の者も入り込まないが、誰がいつ出入りしたのかは誤魔化しようが無い。
そこまで厳格に管理していても、人間が作ったものに『絶対』なんて無い。
鍵を使える人間が欲望に負けて禁書を持ち出すこともあれば、鍵を使える者が騙されて資格の無い者の同行を許す失態もあった。
人間が欲望を抱えている限り、禁書に由来すると思われる犯罪に、いつの時代でも誰かが手を染める。
コナー家の当主が保管する、『排除対象の詳細な記録』には、禁書を持ち出し己の欲を満たそうとした王族も多い。
その中に、呪いによって王太子を操ろうとした側室と息子の第三王子や、婚約者のいる令嬢を公妾とするために呪いで魅了しようとした第二王子の顛末などを見つけたクリストファーは、「コレか」と思った。
この世界と初期設定が酷似した乙女ゲーム。それが、実際に一度は巡ったヒロインの人生ではないかと考えてから、ずっと探していた理由。
隠しルートのヒーローである第一王子エリオットが、何故ヒロインに攻略されてしまったのか。
最初は、魅了の魔法や魔道具のようなものが存在するのではないかと考えた。
だが、この世界の魔法は、風火水土の妖精の力を借りて行うものだ。
妖精の力が及ばない事象は引き起こせない。
即死する程の威力の物理的ダメージを与える攻撃魔法は存在するが、ゲームでお馴染みの『即死魔法』のようなものは無い。
もしあれば、商人のニコルが狂喜乱舞するであろう『空間魔法』や『マジックバッグ』も無い。
この世界では、人間という生物も四元素で構成されているという理が働くのか、妖精の加護が多ければ多いほど健康体になり、病気にかかりにくく怪我も治りやすいが、治癒魔法や回復魔法は無い。
魔道具も、その物質と相性の良い妖精の力を注入したりコーティングして魔法の力を持つ道具にしているだけなので、風火水土の組合せから外れる力を発揮するような道具も無い。
つまり、精神を操ったり、病や死そのものを魔法で与えることはできないのだ。
毒や麻薬や洗脳という手段も考察してみたが、トラウマ持ちのチョロい少年達を籠絡するのと、『完璧王子』と称される、誇りも王族の自覚もある25歳の立太子が内定している第一王子を転がすのは、難易度の桁どころか次元が違う。
第一王子に毒や麻薬を盛るチャンスなどそうそう無いだろうし、一発で言いなりにできるヤクなど禁書庫に収められたレシピでも作れない筈だ。そんなものが作れたら、少なくともコナー家が使用する自白剤には応用が許されている筈だ。
だったら、繰り返し、毒物を、ガッチガチに護衛された次期国王に盛る? まだ学生の男爵令嬢が?
不可能犯罪だ。
洗脳も繰り返しの接触が必要だし、第一王子が正気の内は二人切りになどなれない。護衛や側近や従者の前で怪しげな言動があれば、二度と近づくことは叶わなくなるだろう。
第一王子にも一言で効くようなトラウマがあれば、洗脳の可能性をゼロと言い切れないが、原作でもエリオットのトラウマは出て来ないのだ。
各攻略キャラクター達の原作での堕とし方は、アンドレアとモーリスがコンプレックスを、ジルベルトとクリストファーがトラウマを利用する遣り口だ。
ハロルドは、女慣れしていない脳筋騎士の庇護欲を掻き立てる手管で堕とす。実際には堕ちていなかったのだろうが。
エリオットの場合は、エリオットの望みをヒロインが勝手に推測して勝手に動き、叶えるまでの間はエリオットと対面することが無い。「エリオットの望みを叶える」と選択肢にもあったし、それが正解でもあったが、エリオット自身が「それが望みだ」と言ったり、ヒロインへ「お願い」などしていない。
けれど、ストーリー上は、「ヒロインがエリオットの望みを叶えたから」という理由で唐突に溺愛が始まる。
この溺愛が始まると、エリオットは正にヒロインの言いなりだ。王宮の第一王子プライベートエリアの自分の私室にヒロインを招き入れ、請われるままに私物を与え、甘い言葉を囁き賛辞を贈る。
現実として考えれば、とてもではないがエリオットが正気とは思えない。
この世界に精神を操る魔法が無いならば、一体どうやって、あの異常で不自然な状況を作り出せたのか。
やっと理由が分かったと、クリストファーは思った。
クリストファーも『呪い』というものは知っていた。自称帝国が帝国を自称するまでに使われた手段ということで、一般人には知らされないよう統制された情報だが、コナー家の息子として受けた教育で、そういうモノがあることは教わった。
ただ、教わったのが、「死や病を与える呪いを用いて周辺の小国の王家を次々と滅亡させ、王族の死に絶えた国を侵略した」という、自称帝国の成り立ちだったから、「呪い=呪殺」の図式が刷り込まれていたのだ。おそらく、その刷り込みも意図された教育だったのだと今なら分かるが。
魅了や精神操作ができてしまうような儀式が存在することなど、知っている人間は少ないほどいい。
当主のみが閲覧できる禁書関連の資料はヤバ過ぎた。
病や死を与える呪いの存在を知り、興味を持って詳細を調べ、情報を入手できたとしても、どうせ儀式に必要な材料を手に入れることはできない。
クリストファーも教わった当時に興味を持って調べ、クリソプレーズ王国の人間が手に入れられるものではないと断定していた。
病や死を与える呪いの詳細を調べられたのは、それらは国家機密ではあるものの、一定以上の国の上層部の人間なら申請と許可で目を通せる、同盟の条約の別冊に記載されているからだ。
コナー家当主のみが閲覧可能な資料を見られるようになってから、数年前の騎士団長失脚を狙った奸臣が、通じていた自称帝国の人間から提示された報酬が、この『材料』の一部だったことを知った。それは、王位簒奪の野心ある人間には、その希少性故に魅力的な報酬だったのだろう。
本来なら手に入らないブツが必要だったとしても、知識があれば「実行してみたい」欲に負けてしまうのが大半の人間だ。
だと言うのに、魅了や精神操作の呪いの儀式に必要な『材料』は、多少の伝手さえあればクリソプレーズ王国の男爵令嬢でも入手可能なモノだというのが資料から判断できる。
こんな情報、劇薬のレシピよりヤバいじゃないか。
自称帝国が現れる前の時代であれば、禁書で得た知識から呪いの儀式を行い欲を満たそうとする者がいても、禁書庫に入る資格を持つ身分の者であれば、醜聞対策として生涯離宮で幽閉という程度だった。
流石に王太子を操ろうとした側室と第三王子は毒杯を与えられたが、魅了の呪いで令嬢を手に入れようとした第二王子や、他国に嫁ぐ必要の無い王女が妻のいる護衛騎士に魅了の呪いを行った件では、どちらも離宮に幽閉で済んでいる。
しかし、自称帝国の侵略の手口が明らかになり、対自称帝国の同盟を周辺国で結んだ時に、呪いの儀式を行った者は、身分、年齢、効果の種類、呪いの成否に関わらず、等しく公開しての極刑とすることが条約に盛り込まれた。
次期国王が自国の男爵令嬢に呪いをかけられたなど、当然あってはならない酷い醜聞になる。それでも、呪いを行った者への公開しての極刑は遂行しなければならない。
幸いとも言えないが、実行者は男爵令嬢でしかない。醜聞による国力の衰退は避けられないが、男爵令嬢への厳しい断罪と処刑法で同盟国にアピールすれば、一応だが国の体面は保たれる。
エリオットルートのバッドエンドは、「呪いの行使による公開しての極刑」、だったということだ。確実にR15レベルでは済んでいない。
コナー家の人間ですら、当主以外は禁書関連の資料の中身を知ることはできない。
原作のクリストファーは、呪いがどういうものかは知っていたとしても、現実のクリストファーのように、死や病をの呪いの材料が入手不可能であることまでは知っていても、現在のクリストファーのように、魅了の呪いが存在することも、比較的簡単にそれが行えてしまうことも、最初は知らなかっただろう。
だとしたら、ヒロインにそれを知る機会を与えたのは、禁書庫に入る資格を持つ身分の人間─王族─だ。
王族の協力の下、次期国王に呪いをかけた。
その王族が攻略済のアンドレアである可能性は非常に高いが、原作のアンドレアの知識や教養では呪いに関する禁書を正確に読み解けたとは思えない。資料を見ればコナー家の教育を受けた人間なら理解するが、他国の地理や歴史に精通していなければ、材料を揃える手段を示せないのだ。
だとしたら、王族が資格の無いヒロインを禁書庫に同行しただけでなく、禁書の持ち出しを容認し、知識と教養のある誰かが、禁書の解読に協力している。
───立場的に考えれば、その協力者は、禁書の実物さえ見れば、理解できてしまう教育を受けていた筈の、クリストファー・コナーだ。
王族が呪いのやり方を記した禁書の持ち出しに協力し、国王に絶対の忠誠を誓うコナー公爵の息子が不正に持ち出された呪い関連の禁書の解読に協力し、自国の貴族の娘に次期国王が呪いをかけられた───国の上層部に同情してしまう、命懸けの揉み消し必須案件だ。揉み消せなければ国が崩壊する。
ヒロインは、「ヒロイン自身が自称帝国と通じていた主犯」として、対外的に公表する全ての罪を犯した奸婦として扱われただろう。
そして原作のクリストファーはバッドエンドで家から刺客を送られて始末され、原作のアンドレアはゲーム内では幽閉で終わっているが、バッドエンド後にはおそらく、王太子に無事正統な子供が必要な数生まれたら病死したことだろう。
原作のモーリスは隠しルートのバッドエンドで、「モーリス・ヒューズは廃嫡され自殺した」と拷問官がヒロインに告げる台詞に出てくるが、事実を隠してヒロイン一人の犯した大罪ということにするならば、ヒロインと懇意にしていたモーリスの『自殺』も怪しいものだ。原作ジルベルトの「廃嫡され放浪の旅に出て行方不明」も怪しい。
「と、いうネタを掴んでの考察結果なんだけどさ」
「とんでもなく物騒な話をブチ込んできたな」
深夜、ジルベルトの部屋に侵入したクリストファーが、ソファで軽食を摘みながら淡々と話す内容に、ジルベルトは向かい側のソファで長い脚を組み、見惚れるような所作で紅茶を飲みながら冷静に応じた。
ニコルには聞かせられない内容なので、お茶会という名のニコルの屋敷での密談には持って行けなかったネタなのだ。
二人にニコルを仲間外れにする意図はなく、その身分と立場では、知っただけで処分対象となるようなネタだからだ。
「ジルはどの辺まではニコルに開示していいと思う? ある程度は知っていた方が、無茶もしないし自衛もできるだろ」
「そうだな。原作でヒロインが材料の入手に頼った伝手は、ニコルだろうからな。『お前の友人だったばかりにニコル・ミレットは処刑されたぞ』という台詞もあった。この現実で、そんなことは許さない」
うっそりと笑うジルベルトに、優雅な所作以上に見惚れていたクリストファーは、不意に合わせられた深い底まで見透すような濃紫の双眸にドキリとする。
「お前が始末されるようなことも、私は許さない。クリス」
「・・・そんなヘマしねぇよ」
大切に思われていることが嬉しくありながらも、中身が母で外見は「成長するほど好みどストライクの実体化」なジルベルトに見つめられると、クリストファーは何とも複雑な気分だった。
「もしもヒロインに一度目の記憶があれば、呪いに必要な材料の揃え方も覚えているかもしれない。不審な動きに目を付けられ尋問されて、クリストファー・コナーから教えられただの、ニコル・ミレットに売りつけられただの名前を出されては面倒だぞ」
「あー、可能性あるよなぁ」
「口にするだけでマズいワードは『呪い』か?」
「・・・だと思う。考えたこと無かったけど、この世界って『おまじない』って言葉無くねえ?」
眉を寄せて首を捻るクリストファーの言葉に、ジルベルトも暫し記憶を手繰り寄せる。
年若い御婦人方、幼い少女達、想いを寄せる男性の話で盛り上がる場面、前世であれば出てきてもおかしくはないワード、『おまじない』。考えてみれば、一度も聞いたことが無い。
クリストファーは市井へ出ての調査も頻繁に行っているが、転んで泣く子供に駆け寄る母親が「痛いの痛いの飛んでけー」的な『おまじない』をする場面を見たことは一度も無かった。
「そうか・・・。この世界では下手に願いを口に出してはならないんだ」
ジルベルトが思い至ったように呟く。クリストファーもハッとして手を打った。
「ああ! 『妖精さんにおねがい』になるからか!」
加護を持つ者が『お願い』を口にすると、妖精は力を貸す。その力を借りて人々は魔法を使う。
明確に誰かに物事を頼む「お願い」には反応しないが、「お願い」した対象がいないのに「お願い」めいた言葉を口にすれば、妖精は「力を貸してくれと言われたのは自分だ」と判断するのか、力を渡して来る。
魔法の使い方を習う時に最初に教わることだ。「妖精の誤解を招かないように」と。
特にジルベルトは加護が異常発生かと引くほど多かったから、ダーガ侯爵は幼いジルベルトに、よくよく言い聞かせたものだ。
「これは、ニコルにも『口にしてはマズい単語だ』と教えておいた方がいいな。商用目的でうっかり使いでもしたら、」
「下手したら俺にニコルの排除命令が下る」
前世では何の気なしに口から出ても咎められることなど無い単語だ。口にするだけで国から排除命令が出るような言葉だと自覚を持っていなければ、気にもしないだろう。
だが、この世界においては、しっかり気にしておかなければ命の危険に曝されるような物騒ワードのようだ。
「ジル、明日ニコルの屋敷に来れるか?」
「時間を作る。クリスから相談があると繋ぎが来たとアンディには申請する。表に出せる『相談』を用意しておけ」
「了解」