各所への指示
集まった情報から立てた仮説を元に、アンドレアはそれらの報告と、各所へ出す予定の指示の許可申請を、国王ジュリアンへ済ませていた。
ほどなく、全ての指示に対する許可は下り、アンドレアは速やかに各所へ指示を飛ばす。
麻薬の製造工場、麻薬密売組織の本拠地などと自称帝国の繋がりの裏取りの為に、騎士団長レアンドロとコナー家のクリストファーの協力を得て、騎士、兵士、暗部から選抜した人員を混合した特務部隊を結成。
部隊は既に、王都を出発した。
ハロルドは、世間の目から隠さなければならない患者が長期入所する、国有の療養施設へ向かわせた。
その施設には、「大罪人・娼婦エリカ」によって精神操作の呪いを受けていた、元クーク男爵が入所している。
エリカが死んだことで、既に呪いの効果は消えているが、現在クリソプレーズ王国内で確認されている『生きた精神操作の呪い被害者サンプル』が、彼一人しか存在しないのだ。
元クーク男爵は、今は健康上の問題は何も無いが、本人の希望もあり、施設から出ていない。
どうやら、施設から出た途端に口封じで殺されるのでは、という考えに囚われて怯えているらしい。
今のところ、国側にそのような意思は無いのだが、状況の変遷によってよくあることではあるのだから、賢い選択と言えよう。
ハロルドには、その理解不能なまでに性能の良い嗅覚で、精神操作の呪いの痕跡の匂いを嗅ぎ分けて記憶するよう指示を出した。
成功すれば、ハロルドにはモスアゲート王国の砦へ出立してもらう。
あの場所が、現時点で最も確実に「自称帝国から出て来た人間」を捕獲出来る場所だ。
それに、最初から精神操作の呪い下にあることを前提とするならば、尋問の仕方と内容も変わる。
ハロルドがモスアゲートへ出立する際には、ハロルドの補佐としてクリストファーの『右腕』リオを借り受けている。
相性的な部分が少々不安だが、ハロルドは必要であれば私情を一切排せる男だ。
リオは、実年齢が歳下とは思えないほど大人の対応をする男なので、大丈夫だろう。
ハロルドをクリソプレーズ王都から出してモスアゲートの砦まで派遣するのは、ハロルドの特殊能力を期待した適材適所という理由の他に、ハロルドの実父である元パーカー伯爵ランディが王都へ帰還すると、ジュリアンから聞いたからだ。
ランディは現在、平民の身分となり、ジュリアンの専属冒険者として大陸各地を回り、指令内容をこなしている。
しばらく大陸の西側を重点的に回らせていた筈だが、想定外の事態が起きたようで、直接報告と指示を仰ぐ為に、一度クリソプレーズ王都への帰還を決めたらしい。
直接報告となれば、ランディが王城に足を踏み入れる。
最近、自称帝国の暗躍が背後に見える国からの縁談がハロルドに持ち込まれたばかり、と言う現況と、こちら側の想定を遥かに超えた「自称帝国の勢力と影響力」を認識したことで、アンドレアは、ランディがハロルドと対面する機会を可能な限り消す判断を下した。
ランディは、執着する「最愛の妻リナリア」の為ならば、息子や息子の主を敵国へ売るくらいのことは、簡単にやりかねない男だからだ。
一応、クリソプレーズ国王ジュリアンへも、『唯一の忠誠』という執着をしていることから、ランディの中で「クリソプレーズ王国を損なう行為」に当たる事は仕出かさない筈だが、例えば、「リナリアの望みを叶えられる内容の報酬」と引き換えに、「第二王子側近兼専属護衛の息子との婚姻を結ばせる」くらいは、躊躇い無く全力で遣り遂げようとするだろう。
次代の実情を何も知らされていないランディにとっては、アンドレアは「単なる第二王子」でしかない。
第一王子エリオットが既に無事「次期国王」である王太子になっていて、未婚の王弟レアンドロも王都に帰還している現状、ランディの中ではアンドレアは、「もしもハロルドを敵国へ売ったことで害されても国王ジュリアンは困らない、複数居る『王族の血スペア』の中の一人」だ。
ジュリアンが然程困ることも無いならば、優先されるのは「最愛の妻」である。
世間をよく知らない内に、ランディの執着愛によって囲い込まれたリナリアは、性質のあまり良くない人格の女性になっている。
言葉で表せば、「幼稚でありながら高慢」であり、「権利意識と被害者意識が強い」上に、「俗物かつ欲深い」人物だ。
平民となった今でも、ランディはリナリアの「アレが欲しい、コレが欲しい」の要求を全て叶えようとしている。
もう、貴族ではないのだから、いくらランディが『国王専属冒険者』であり、遠方や危険な地域への派遣及び命懸けとなる可能性の高い任務を請け負う分、高額な報酬を得ていても、「伯爵夫人で騎士団長夫人」だった頃と同じ懐具合とはいかない。
金が原因で飼い犬に手を噛まれないよう、ランディの報酬は十分に支払われているが、そろそろランディの留守中に『潜在敵国』の間諜辺りと不貞を行えるよう、リナリア周辺のガードを緩めようか、とジュリアンが話していた。
リナリアが敵国に取り込まれると、ランディが付いて行くことになるだろうと、これまでは、リナリアが怪しい人物と容易に接触出来ないよう、暗部には監視だけでなくガードもさせていた。
だが、平民になり、貴族の社交界で夫の身分や功績を傘に権力を振るったり、それらに阿る人々からチヤホヤされる状況に飢えているリナリアは、ガードを緩めれば直ぐにでも引っ掛かるだろう。
最愛の妻の願いには何でも応えようとし、妻の性格の悪さも毛ほども気にせず、上位の身分の女性への無礼も窘めすらしなかったランディだが、浮気や不貞だけはリナリア本人へ怒りが向く。
過去には、疑惑の浮上だけで、「お前を殺して俺も死ぬ」状態になったこともあった。
もしもリナリアが不貞を犯せば、「ランディ不在中のリナリアを護り切れなかった」と恨みを買う部分はあるかもしれないが、「平民だが『国王専属冒険者の妻』であるからと、国税で賄う国家の人員で、周辺警護の為に十分以上の人数を配置していた」という事実と、「生活に支障を来さないよう、警護スタイルは遠巻きに陰ながらであった」という至極当然の現場判断には、ランディも納得せざるを得ない。
あとは、「リナリアが自ら不貞の相手として敵国の間諜を引き入れた」動かぬ証拠を保全し、遠巻きに陰ながら警護していた者達は、「ランディの妻が自ら自宅へ男を招き入れた。男が細君へ危害を加えるようなら踏み込むが現在待機中」という報告を速攻で上げ、ジュリアンが、その報告を以てランディへ緊急帰還を求める鳥でも飛ばしてやれば。
──ランディの最愛の妻を護る為に、国王ジュリアンが、この上無く手を尽くしていたと言うのに、当の本人が自ら良からぬ輩を招き入れてしまった。
そんな、ランディが勝手に恨みを抱いたところで「一方的にリナリアが悪く、恩ある国王に顔向け出来ないほどの失態を演じた」状況の出来上がりだ。
まぁ、その辺りの工作は、ジュリアンが必要と判断した時機に、必要な箇所へ命令を下すだろう。
今回の王都帰還で、ハロルドが任務で国外へ派遣されているにも関わらず、ランディからハロルドとの面会要請や縁談の持ち込みなどのやらかしがあれば、ジュリアンの「リナリア破滅への誘導」命令は、近日中に下されることになるものと思われる。
これ以上ハロルドに持ち込まれる縁談が増えないよう、牽制の一環で受け入れた、「ハロルドの元血縁者との面会」だが、それでも「面会の実績」は出来てしまった。
ハロルドとの婚姻を狙う輩が、「元父親」のランディを利用すれば面会までは行けるのでは、と考える可能性が無いとは言えない。
それを警戒しての、「ランディ王都滞在中のハロルド国外派遣」指示だ。
尤も、あの面会以降、ハロルドへの縁談を持ち込む者達を評する噂として、
『本人が全く望んでもいない縁談を持ち込む厚顔無恥な輩だ』
『幼少の砌の姉達の虐待によって女性への酷い生理的嫌悪感まであるのに、無理矢理女性を紹介するのは攻撃行動では?』
『虐待の傷で子を成せないことと女性への過度な生理的嫌悪感から、国も、養父である宰相公爵もハロルドが生涯独身であることを認めているのに横槍を入れるなんて何様だ?』
『そこまでして、家からも国からも本人からも歓迎されない相手へ無理矢理嫁がせたいなんて、どれほど、その女性を憎く思ってのことかしら』
『婚姻は、女性の意思で結ばれるものではなく、当主や家門の利益を求めて差し出される契約。家からも国からも本人からも歓迎されていない婚姻が利益に繋がるかしら』
『全方位から歓迎されていない婚姻を無理矢理結ぶことで、その女性の不幸や排除が叶うことが利益なのでは?』
というようなモノが出回っており、周囲の反応を伺う程度に冷静さを失っていない相手からは、「ほとぼりが冷めるまで」かもしれないが、格段にハロルドへの縁談持ち込み数は減っている。
出回る噂は、手を回し、こちら側の都合の良いように装飾した尾鰭背鰭を付けた内容ではあるが、事実を曲げたものではなかった。
元々、クリソプレーズ王家やヒューズ公爵家を通してハロルドへ申し込まれる縁談は、申し込んだ家や国の区別無く、その全てに対し、「本人の意思に任せている」という理由で断って来ているのだ。
これは、クリソプレーズ王家とヒューズ公爵家が、「ハロルドの婚姻を家や国として強制しない」という姿勢を公にしている事と同義である。
そして、ハロルド本人が何者とも婚姻を望んでいないことも、クリソプレーズの社交界では隠されてもいない事実だ。
加えて、同年代の令嬢達の間では、ハロルドの女性への過度の生理的嫌悪感も、常識レベルの周知の事実である。
クリソプレーズ王国内に於いては、立場や経歴や功績から「優良物件」ではあるハロルドとの縁組に旨味を感じ、家門の令嬢との縁談を仄めかす貴族も居なくはないが、彼らは「ハロルドにその意思無し」と見るや直ぐに引く。
彼らは初めから、「取り敢えず一応」や「反応を伺うだけ」くらいの意識での仄めかしが目的であり、「年齢が上がって、もしかしたら女性嫌いが薄れたかもしれないから」という様子伺いが動機なのだ。
だから、仄めかしを越えてグイグイ押して来ることが無い。
もしもそんな事をすれば、『自国内の情報も情勢も把握していない恥ずかしい輩』と、クリソプレーズ社交界で笑い者になるからだ。
よって、現在、ゴジル侯爵家の人間は、当主のみならず、夫人も息子夫婦もクリソプレーズ社交界の笑い者に成り果てている。
モーリス辺りが追撃すれば、引退した前当主と同様に、「お外怖い。人の目が怖い」な隠遁生活を送るようになるのかもしれない。
モーリスも忙しいので、ゴジル家が大人しくしているなら、当分の間は追撃など無いだろうが。
そのモーリスはネイサンと共に、引き続き古代王国に由来のある特殊な植物の調査に当たっている。
ジルベルトは、ハロルドがアンドレアの側を離れる為に、常時アンドレアと行動を共にすることになる。
アンドレアが王宮の私室で休む間は、繋がる隣室の護衛待機部屋で仮眠は取れるが、ダーガ侯爵邸への帰宅は不可だ。
アンドレアに専属以外の護衛が居ないという訳では無いし、クリストファー直下の精鋭も影から護衛の任に就いているが、アンドレアの立場上、『見せつける護衛』が必要であり、その役割は他の王族より大きい。
ジルベルトのような『剣聖』、ハロルドのような「『剣聖』を除けば国内最強の騎士」という専属護衛は、国王以上に命を狙われることの多いアンドレアが伴うに相応しく、抑止力にもなる。
少々の恨み程度では、手出しを諦めるほどに、歴然とした力の差が見えることが重要なのだ。
だからアンドレアの専属護衛は、実力と忠誠心はあっても無名の騎士では果たせない役割となる。
あまり長く屋敷に帰さないと、レスターとイェルトに恨まれそうだな。
そんな思考が過ぎり、アンドレアはそっと溜め息を吐いた。