狂言回し
ジルベルトが王都のダーガ侯爵邸に帰宅すると、ピンクゴールドの塊が胸に飛び込んで来た。
「お帰り、ジル兄」
「・・・ただいま帰った」
居るだろうとは思っていたが、何故この屋敷に居て、家人のようにジルベルトを迎えるんだ。
最早、当たり前の光景となって誰も突っ込まないが、イェルトはダーガ侯爵邸に部屋を借りて留学生活を送っている訳では無い。
ただ、さも当然のことのように、『御主人様の家で御主人様の帰宅を待つ犬』として正しい振る舞いをしているだけだ。
同盟国の高位貴族令息が、同じく侯爵令息のジルベルトを『飼い主』と懐いて侍り、自分を『犬』と胸を張って公言することが「正しい振る舞い」かどうかは、考えてはいけない。
飛び込んで来たイェルトを危なげなく受け止めて、ジルベルトはピンクゴールドの頭をポンポンと撫でる。
これも、飼い主の勤めである。
受け止めた際の頭の位置は、再会時より大分育ったものの、まだジルベルトより20センチは低い。
こうして「何故居る」状態でイェルトから帰宅を迎えられると、ジルベルトはどうにも前世の記憶が脳裏を過って仕方がない。
前世でも、一般的な若い女性の一人暮らしならば十全なセキュリティが備わっている筈のマンションの部屋に、鍵を開けて帰宅すると居た。
それで、「おかえり、ソラ姉」と飛びついて来るのだ。
勿論、合鍵など渡していなかった。
結局、他の侵入者は無かったし、危険な番犬が最凶セキュリティシステムと化していた為に、何処にも苦情は入れずに済ませたが、おそらく「普通の人間」ならば叫んで通報案件だったんだよな、とジルベルトは転生して今頃ようやく考える。
家令に他の家族達の本日の予定と現在地を訊けば、母は聞いていた通り王妃殿下に呼ばれて王城、父は通常通り仕事で王城、弟レスターは、ダーガ侯爵邸の鍛錬場で我が家の護衛達と共に鍛錬中だった。
「夕食の用意が出来たら呼んでくれ。レスターと、お帰りであれば母上と共にとる。その後、また城に戻る」
「畏まりました」
家令に指示を出した後、恭しく頭を下げた彼から、まだジルベルトに貼り付いているイェルトへ視線を落として命じる。
「イェルトは私の部屋へ付いて来い。本来のイェルトについて聞きたいことがある」
再会した時、前世のその後の状況の聞き取りはした。
だが、その後の騒動や多忙さに流され、イェルトが『元のイェルト』から伝えられた内容の聞き取りは、未だ為されていない。
それを今これから聞かせろと、ジルベルトは言っている。
「うん。何でも訊いて」
正しく、意味を受け取ったイェルトが頷く。
ポンポンと、褒めるようにピンクゴールドの頭を撫でてから、再び家令へ視線を戻した。
「仕事の話も入る。しばらく私の部屋に人を近づけるな」
「畏まりました」
コナー家を使って密談用に耳目を排除された場所のように、完全な人払いは出来ないことは分かっているが、それでもジルベルトに近づくチャンスを伺ってソワソワしているような使用人を遠ざけることは可能だ。
ダーガ侯爵の王都邸ともなれば、雇う人数は多くなる。
また、古くからの繋がりで、取り敢えず一度は雇い入れなければならない『紹介』を受けて来る者も少なくない。
外務大臣を務めるブラッドリーや『剣聖』で第二王子側近のジルベルトの立場から、それらの者達は問題を起こせば即解雇することが出来るが、最初から拒むには理由が足りないのだ。
幼き頃のジルベルトや一度目のジルベルトを、性犯罪目的で追い回していた「ダーガ侯爵家の使用人」は、そういった「断れない筋からの紹介で一旦は雇い入れた者」に偏っている。
ダーガ侯爵邸で働きたい者は、諸々の思惑も絡んで列を成して順番待ちの状態だ。
ダーガ侯爵家の使用人として足らない者達は、次々と「問題を起こした」として解雇しても人員不足は起こらない。
ジルベルトの指示を受けた家令からの指示を無視した者が、ジルベルトに近付こうと私室付近をうろつけば、「主が仕事上の機密を話すからと人払いしたのに命令違反を犯した」という立派な理由が生まれ、即時の解雇が可能だ。
ダーガ侯爵邸に、素人レベルの使用人は要らない。
現当主ブラッドリーの代になって、大分、「昔からの付き合い」で一度は受け入れなければならない使用人の割合は減った。
だが、先代や先々代の恩義に報いる形での「無視の出来ない筋」は未だ残る。
ブラッドリーが、王都邸の出入り禁止とジルベルトへの接近禁止を通達しているが、先代夫妻は領地で健在なのだ。
先代夫妻が直接、ジルベルトに何かをした、という訳では無いが、ジルベルトや他の家族へ犯罪行為に類する問題を起こした使用人達を紹介して来た複数の筋と縁が切れない間は、『ブラッドリーにとって大事な家族』に近付ける許可を出せないという判断である。
ブラッドリーにとって『大事な家族』に、彼の実の両親である先代夫妻が含まれていない辺りから、彼自身も若い時分に両親と繋がる筋からの迷惑を被っていることが推測される。
ジルベルトほどではないが、ブラッドリーも貴族の中に在ってさえ目を引く色男だ。
それも、女性ウケの良い威圧感の無いタイプの美形であり、由緒正しいダーガ侯爵家の嫡男だったのだ。
本性を隠していたことも相俟って、「手が届きそう」と思われていたであろう若き日のブラッドリーの煩わしさは、如何ばかりか。
付近の人払いが済んだ私室の中へ入っても、ジルベルトほどの国の要人から『コナー家の目』が外されることは無い。
だが、今のジルベルトに付けられているのはクリストファーの直属だ。
意味合いは、「監視」より「不測の事態の即時感知を目的とした見守り」の方向となっている。
特に、イェルトが出入りするようになってからは、「二人きりの主従タイムを邪魔して下手に刺激するな」という指示が、クリストファーから出ている。
イェルトがジルベルトを害する可能性を皆無だとクリストファーは判断しているし、クリストファー直属の精鋭でも、イェルトに敵認定されたら勝ち目は無いからだ。
精鋭の部下を、日常で使い捨てになどしていられない。
更に、イェルトとジルベルトが居る室内に襲撃をかける侵入者が現れたとして、その二人が迎撃する場に於いて確実に他の者は足手纏いだ。
クリストファー直属の精鋭であっても。
だから、イェルトと二人でダーガ侯爵邸の私室に居る間は、ジルベルトに付く『コナー家の目』は、室内の邪魔をする者の出現の警戒と排除に向けられる。
室内の二人への注視は、行われない。
知っていたその状況を、ジルベルトは利用する。
クリストファーへ、詳細な報告が上げられない状況。
勘の良い彼への隠し事をしたまま、現状と、この先を考察する為の材料を集めて、方針を決めてしまうには、それが必要だった。
「さて、話を聞こう」
室内に入り、薄く感知していた視線が自分達から外されることを感じ、大ぶりのソファに腰を下ろしてジルベルトが口を開く。
「うん」
当然のようにジルベルトの隣にピタリと付いてソファに座ったイェルトが、体重を預けるようにジルベルトの方に身体を傾けて頷く。
前世からの慣れもあり、まるで動じないジルベルト。
そして、イェルトは話し出す。
注視は向けられていなくても、聞き取れた程度の内容では、「いつものイェルトの突飛な話」にしか聞こえないように。
「最初の話はね、ボクはボクをすぐに見つけたんだけど、そう簡単には死ななそうだったから、世界をアチコチ見て回ってたって話」
どうやら、『ナニか』に魂を捧げて『やり直し』を願った『本来のイェルト』は、あの世界に己と同質の魂を探しに来て早々に『山川タロー』という、魂の同期が可能なほどに本質の似た人間を見つけたらしい。
だが、発見した時点では、山川は死にそうになかった。
・・・まぁ、サバイバル能力の卓越した野生児は、そう簡単に死なない。
山川の寿命が尽きるまでの暇つぶしに、イェルトは魂の状態で、あちらの世界を見物していたようだ。
「それから暇だったボクは、架空の物語を紡ぐことを生業にしてる何人かの人達に、ボクが別世界で見た景色を夢で見せることにしたんだ」
山川の死を待つ間、暇を持て余し、こちらの世界でイェルトが見た光景を、「夢」という形で作家等の仕事をする人間に見せた・・・?
まさか・・・。
ジルベルトは溜め息を吐いて、頭を抱えたくなった。
前世で入院中に、母子揃って熱心に解き、完全クリアした異色の乙女ゲーム。
この世界と酷似した固有名詞と外見のキャラクターが登場する、『妖精さんにお願い』の世界は、イェルトの与えた「夢」が元ネタとなっていた故に、転生した我々にとって既知の世界のように感じられたということだ。
イェルトが「夢」として見せたゲームの元ネタの光景は、今のクリストファーが推理したように、『一度目』のこの世界で現実に起きたこと。
そして、『一度目』でイェルトは、それらを眺められる位置に居た。
山川と本質が似ているイェルトは、性格や考え方などだけではなく、それらに大きな影響を与える「天才」という特徴も同一だっただろう。
そして、生家の立場も前回と変わらないのだから、「高位貴族でスパイの親玉の息子」だ。
表では手に入らない情報も得た上で、イェルトはクリソプレーズ王国の貴族学院で起きた「異常事態」を見物し、事件の舞台が王城や王宮に移っても見物を続行した。
・・・『一度目』のクリソプレーズ王城や王宮のセキュリティには、大いに問題があるということでもあるな。
「それでね、ボクがボクと出会った時には、人に夢を見せたせいで容量が減っちゃってたの」
本質が今のイェルトと似ているだけあって、元のイェルトも随分と自由気儘な人間だったようだ。
「ボクがボクに伝えたのは、世界を壊す目的で唆して回ってる奴がいるってことと、退屈したら留学オススメってことかな?」
「なるほど」
寄り添われたピンクゴールドの頭を、慣れから無意識に撫でつつジルベルトは思案する。
世界の『やり直し』を望み、それは『ナニか』に魂を捧げることで可能だと、正確な方法の伝授と共に唆して回る黒幕は、やはり存在していたようだ。
だが、妖精の話によれば、当の黒幕本人は、魂を捧げての『やり直し』をしていない。
自分の魂は自分のモノのままで、唆した他人の魂を捧げさせて『世界のやり直し』を実行させた。
ならば、自分の魂を消費したイェルトは、『黒幕』ではない。
けれど、彼は随分と、他の唆された生贄達とは異なり、事情を把握していそうな上に、事態を楽しんでいるような気配も感じる。
「狂言回し、か・・・」
イェルトは恐らく、『一度目』の世界が彼にとって面白くなるように、見物人の立ち位置を取りながら、誘導や異常事態回復の妨害もしていた。
そして、最後は退屈しのぎに『黒幕』に協力した、というところか?
ならば、『黒幕』は誰だ?
唆した相手は、把握しているだけでも、「フローライト王国の王の落胤」、「カーネリアン王国の宰相の息子」、「モスアゲート王国の隠された第三王子」、そして、「カイヤナイト王国の情報局長の息子」だ。
範囲は大陸全体に及び、いずれも接触が容易な立場の人物ではない。
少なくとも、高位の身分を偽っても見抜かれない程度の見た目と振る舞いが身に付いている人物でなければ、袖の下を握らせて密かに近付くことさえ可能かどうか。
実際の扱いはどうあれ、彼らは全員が高貴な血統であり、所在地も、王の後宮や、それぞれの国の高位貴族の私有地内だった筈だ。
後ろ暗い扱いをしていたなら尚更、外部の人間が簡単に接触出来るほど浅い場所には居場所を与えられていない。
大陸中を移動して回る財力。
明らかに「高貴な血を引いている」と、初見で思える容貌。
袖の下を握らせて密会を願うにしても、「下賤の侵入者」には見られない高位の身分を匂わせる所作。
最低でも、それらを兼ね備えた人物。
今の世界ではなく、一度目の世界で、それを可能とする地位、立場の人間。
それは、
───自称皇族、ではないだろうか。
モスアゲートの『玄関口』は、『一度目』でも存在しただろう。
今回とは違い、存在が露見しないまま自称帝国は資金調達に成功し、潤沢な資金と自由に出入り可能な国境、偽の身分証での通過に協力的な国のお陰で、大陸周遊も無理な話では無い。
自称皇族は、ごく普通に周辺国と国交を持っている国の王族よりも、金も時間も自由になる身の上だ。
自称帝国は、呪いを用いて周囲の小国家群を併呑し、支配下に置く土地を拡大した国家だ。
呪いの他にも、邪法とされる禁術の知識が蓄えられている可能性は、他の国々より高いと見られる。
元のイェルトと自称皇族の関係性は不透明だが、『黒幕』は自称皇族と仮定して、イェルトは、その『黒幕』すら利用して物語を引っ掻き回し、自分が「面白い」と思える方向へ、話の流れを左右していた。
狂言回しでもあるが、まるで、運命を弄び、『一度目』の世界を玩具にしていたような・・・。
「ジル兄?」
じっと、濃紫の視線で見つめられ、コテリと首を傾げる今のイェルトに、ジルベルト静かな微笑を向けて、軽く首を振る。
見てくれは随分とかけ離れたが、元のイェルトと、中身が山川タローの今のイェルトは、確かに本質が同一だ。
恐らく前世、山川は素良と出逢っていなければ、『世界を壊す遊び』くらいは、やってのけていたような人間だった。
そして、反則級の能力の高さで、切り札として使えば勝ちが確定する、ジョーカーのような男だった。
それは、「イェルト」となった今も変わらない。
「お前は、私の切り札でいるか?」
「なに当たり前のこと言ってるの? ジル兄」
「いや? ただの当たり前なことの確認だ」
今回のイェルトは、『狂言回し』ではなく『切り札』だ。
そして、イェルトが協力するのは、『黒幕』ではなく、こちら側である。
別の魂での『やり直し』をしていない『黒幕』が、今回どう動いているのか、今後どう動くのか、未入手の必要不可欠な情報は膨大となるだろう。
だが、今回は、決して『黒幕』の望み通りのエンディングを迎えさせるつもりは無い。
決意を新たに、手の中に戻ってきたジョーカーの使い所を思うジルベルトの不穏さを感じ取り、イェルトは蜂蜜色の瞳を恍惚の熱で染め、甘えるように御主人様へと身を寄せた。