クリストファーの考察
「あのゲームがヒロインが実際に生きた人生の記憶だと仮定すれば、乙女ゲームにしちゃ妙だと感じた諸々の辻褄が合うんだ」
クリストファーは、前世でも母や妹と違って『妖精さんにおねがい♡』を遊んだわけではなく、母の全ルート完全クリアのために研究していたのだ。
その過程で、奇妙なチグハグ感を幾度も感じていた。
途中経過では、キャラクターの人物像はそれぞれ一貫していて台詞にも臨場感を感じられるのに、幾つかのエンディングではヒーローの人格が別人とすり替わったかのように、言い回しや喋り方の癖が急に変わる。
全年齢対象ではなくR15のゲームだったのに、エンディングが大人し過ぎる。
ラストにキスシーンすらなく、婚約の申し込みか愛の告白だけのハッピーエンド。逆ハーレムは卒業パーティーで攻略キャラを侍らせてるだけ。
R15の理由は、リアルかつ陰惨なバッドエンドの表現のためだと専らの噂だった。
誰とも結ばれないノーマルエンドでは、ヒロインが卒業後、ニコルの実家のミレット商会で働くことになるのだが、ここではヒロインの口調や言葉の選び方が、急に台本でもあるかのような作り物めいた印象に変わる。
ゲームのエンディングは、最初から登場する攻略キャラクターごとのハッピーエンドとバッドエンド、誰とも結ばれないノーマルエンド、最初から登場する攻略キャラ全員を堕とす逆ハーレムエンド、隠しルートで登場する第一王子のハッピーエンドとバッドエンドで、合計14通りある。
ストーリーや登場キャラの属性は手垢のついた王道と言えるが、ゲームとしては難易度が高く、乙女ゲームの愛好家よりもパズルゲームや推理ゲームの愛好家がやり込んでいたという話も聞いていた。
クリアの難解さに目隠しされていたが、ヒロインの行動を全部分解してみれば、一つの人生に集約できるのだ。
よくラノベで、乙女ゲームに転生したヒロインが逆ハーレムを狙って失敗し、「リアルで逆ハーレムなんかできるわけないでしょ」と嘲笑される展開があるが、このゲームでは、むしろ逆ハーレムルートが一番自然だと感じられた。
何しろ、デートイベントが他の攻略キャラと一切被らない。
例えば、ハロルドが優勝する陛下御前の剣術大会に一緒に行けるのはジルベルトだけ。どのルートを選んでいても、何故かジルベルトとしか一緒に行けない。
他にも、「別のキャラのルートなのに何故?」という、相手が固定のデートイベントが幾つかある。
それに、時系列を見れば、同じ日、同じ時間に他の攻略キャラと発生するイベントが一つも無い。
正しい選択肢を出現させるための条件をクリアする必要があったりと、スムーズにストーリーを進めることが簡単ではなかったために誤魔化されていたが、実際にやるなら逆ハーレムルートが一番違和感無く進められるだろう。
と言うか、全選択肢で正解を選び続ければ、勝手に逆ハーレムエンドになる。むしろ他のルートに入れない。
ヒロインの行動、起きるイベント、各種エンディング、全部をパズルのピースのようにバラバラにして、後から作り出して紛れ込ませたと感じられるような要らないピースを弾き出せば、一枚の絵が完成する。
逆ハーレムエンドのエンディングだ。
そこに至るまでに必要なのは、各攻略キャラクターのハッピーエンドの直前までのピースと、モーリスとジルベルトから婚約を申し込まれるハッピーエンドのピース、クリストファーから愛を告げられるハッピーエンドのピースだけ。
それぞれのバッドエンドのピース、アンドレアとハロルドのハッピーエンドのピース、ノーマルエンドのピースは必要無い。極めて不自然であったり実現度0%のそれらは、無かったことだ。
隠しルートは、逆ハーレムエンドの続きとして開かれる。
第二王子とその側近達を誑し込み、コナー家の次男を味方に付けたヒロインは、男爵家の庶子で未だ学生の身でありながら、王宮に出入りする許可を得る。
そこで第一王子と出会い、何故か攻略してしまう。
攻略ができてしまった経緯も真相も不明だが、とにかく攻略はできた。
だが、それがハッピーエンドに繋がる可能性はゼロだ。
隠しルートのハッピーエンドが、この世界では実現度0%な内容で描かれていることが、余計にそう思わせる。
逆に、バッドエンドの現実感、臨場感は非常に高く、これを描くためにR15にしたのかと感心したくらいだ。
バッドエンドでヒロインは、突然エリオットと会えなくなり、近衛騎士らに拘束されて地下牢に放り込まれ、同盟破棄を目論み国家転覆を謀った大罪人として、拷問の後の公開処刑を言い渡される。
処刑の日まで繰り返される拷問の合間に、ヒロインは自分と関わった人間達がどんな処分を下されたのかを聞かされては詰られるのだ。
処刑当日には、怒りと侮蔑を滾らせた群衆に怒号を浴びせかけられながら、ヒロインに巻き込まれる形で処刑された多くの人々の知己らから憎悪と怨嗟を突きつけられ、即死できる人道的な死刑ではなく、火あぶりの刑にて死に至らしめられる。
「第一王子が攻略されちまう理由が謎だってのを一旦置いておけば、学院に編入してきた妖精の加護が多めの男爵家の庶子の令嬢が、第二王子や目ぼしい高位貴族の令息達を籠絡して王宮に出入りする権利を入手し、対面が叶った第一王子を何らかの手段で堕としたところで手段が非合法だったことが発覚して拘束され、踏み台にした多くの人間諸共バッドエンドを迎えた。そういう一つの人生しか、完全な形ではこのゲームから抜き出せないんだよ」
クリストファーの考察を聞いて、嫌そうな顔をするニコルと納得してしまったジルベルト。
ニコルが現段階で持っているこの世界の知識は学院入学前の貴族令嬢としては豊富という程度だが、ジルベルトは外交官だった父が執務室から図書室に移動させていた専門的な資料まで頭に入っている上に第二王子の側近だ。
同盟破棄を狙ったのだと目されることの重大さ、深刻さもリアルに理解できている。
ジルベルトの主である第二王子は、反逆者の始末に、いずれ国王となる第一王子を関わらせないのだ。
『第二王子がいるんだから、次期国王が汚れ役をやる必要は無い。恨まれる血腥い王弟に命令できる唯一の存在が国王なら、強欲狸どもも軽んじることはできないだろ』
そう言ってニヤリと笑ったアンドレアを、側で護り続けられる人生に、ジルベルトは満足している。
アンドレアの専属護衛であるジルベルトは、反逆者達がアンドレアの命によって制裁を受け人生を終わらせる様も、共に見てきた。
反逆罪の中でも、自称帝国に利益を与える類のものは格別に罪が重くなる。同盟破棄を目論むなど、その最たるものだ。
前世のゲームで描写されたR15のバッドエンド程度の内容ではない、日本人には凡そ直視に耐えない内容の罰も課せられたものと思われる。
取り敢えず、火あぶりに処せられるシーンで五体満足に見えたのは、多分縫い合わせたのだろうな、と、ニコルには聞かせられない感想をジルベルトは内心に浮かべた。
「で、ヒロインが実際に生きた記憶だと考えると、ハロルドは逆ハーレムルートでも攻略されてるわけじゃないんだと思う」
「そうだな。隠しルートでもハロルドは『剣聖』のままだった」
クリストファーの言葉にジルベルトは同意する。
ハロルドが逆ハーレムルートで他の攻略キャラのようにヒロインに懸想していれば、逆ハーレムルートの続きとして描かれる隠しルートの時点では『剣聖』でいられない。
剣の鍛錬一筋で女慣れしていないハロルドがヒロインに振り回されたり、「弱い者いじめをされている」と涙ながらに訴えるヒロインを慰めたり庇ったりするハロルド攻略の途中経過は、別に恋愛感情をヒロインに抱いていなくても起こり得る内容だ。
ハロルドはヒロインに攻略されていない、という視点で見れば、ハロルドがヒロインを気にかけ守るのは、ヒロインに攻略されていた主君からの命令だったのではと推察される。
アンドレアルートでアンドレアの護衛としてハロルドが登場することは多く、ヒロインとハロルドの会話シーンの大半は、アンドレアと会っている時のものだ。そもそも、ハロルドルートはアンドレアルートからしか分岐しないのだ。他に入口が無い。
ゲームでは、「アンドレアの騎士であるハロルドと交流を深めた」ことになっているが、ハロルドは攻略されていないという視点で現実的に考えれば、「主君のお忍びデートの護衛中に、主君のデート相手に話しかけられたから、気を悪くさせないように対応した」だけにも見える。
逆ハーレムルートのエンディングでも、ハロルドが侍っていたのはヒロインにではなく、ヒロインに侍る主君にだろう。
「じゃあさ、今私達が生きてる世界って、二回目ってことになるのかなぁ」
「どうだろうな。だが、一度はそういう流れの運命があったんじゃないかと俺は考えている」
「他の大陸のことは分からないけど、クリスの言うように隠しルートが実際に起きてバッドエンドに到達したとしたら、その更に後のバッドエンド後の世界って碌なモノじゃないよね?」
ニコルの疑問に、国政の裏や諜報員からの報告を知る立場にあるクリストファーとジルベルトは沈黙した。
戦争は、確実に起きるだろう。世界滅亡とまでは行かないかもしれないが、この大陸は相当荒れると思われる。
「何者の意思で、どういう力が働いて今の状況なのかは俺には分からない。ただ、そういうことがあって、それをやり直したいと考えた何かが、今の状況を生み出したんじゃねぇかな。あ、俺達が転生した理由も分からねぇからな」
「理由は分からないが、その何かに一度目との変化を期待されたのかもしれないな」
「うーん、じゃあさ、ヒロインって一度目の記憶があったりするのかな?」
それは面倒臭そうだと全員が思った。
一度目とここまで違った人物像と展開に、変化を齎した犯人探しでもされたら厄介だ。
「ヒロインが『妖おね』プレイ経験のある転生者って可能性もゼロじゃないよね?」
「まぁ、ゼロではないな。ニコルやジルとは顔合わせて速攻で中身が分かったけど、もしかしたら中身が転生者でも知らない奴や会いたいと思ってない奴なら分からないのかもしれないしな」
「互いが分からないなら転生者だとしても然程問題ではないが、相手からはこちらの正体が分かるのならば対策が必要だ」
ジルベルトの言葉にクリストファーは物騒な対策方法を数パターン脳裏に過ぎらせる。
こちらが転生者だと知られなければ、「私には異世界の記憶があるの!」などと宣うヒロインは、ただの狂人として何処かに収容してしまえばいい。
だが、自分達の会いたいと思ってない知人が一方的にこちらの正体を掴んでいたら、面倒な敵になる。
問答無用でサックリ殺ってもいいが、疑わしいだけで裏が取れないまま殺るのは好ましくない。倫理的な理由からではなく、「疑わしきは殺る」の方針を打ち出してしまえばキリが無くなるからだ。ヒロインを殺った後に疑心暗鬼の殺人鬼に成り果てる未来が浮かぶ。
「クリスがヒロインの確認に行った時には何も感じなかったか?」
「ん。変装して直接顔合わせたんだけどさ、自分の容姿が周りより可愛い部類だって自覚してる、よくいる可愛くねぇメスガキだった。正直、あの手の女は前世でも今生でも珍しくないから判別がつかない」
うんざりした表情のクリストファーに、ニコルとジルベルトは労るような視線を送る。
前世のクリストファーは、幼少期から自分がゲイだと自覚していたのに、女の子達からモテモテだったのだ。特に、事実から勘違いまで、「私ってカワイイでしょ♡」という女の子からよくモテた。それはクリストファーの一番嫌いなタイプなのに、だ。
前世のクリストファーを殺したストーカー女も、三十路でゆるふわフェミニンとガーリーメイクの「私ってカ・ワ・イ・イ♡」女だった。
ゲッソリするクリストファーをジルベルトが宥める。
「クリスは無理にヒロインに接触しなくていい。一度目の記憶があるにしろ、この世界を自分がヒロインのゲームだと考えているにしろ、私の主に近づこうとするだろう。常識を弁え知性があれば、男爵令嬢の身分で妄りに王族に近づきはしない。アンディに近づこうとしたら仕事として私の権限でヒロインの調査も尋問も可能だ」
浮かべる静かな微笑みに、クリストファーは仕事中に見かけるようになった母の今生の隠さない恐ろしさを嗅ぎ取り、喜びで喉をゴクリと鳴らした。
「ああ、任せる。けど、ヒロインがジルに敵意を向けたら、俺、サックリ殺っちゃうかも」
「自重しろ」
クスリと笑うジルベルトは、台詞と裏腹に止める意思は持っていない。
この世界、この立場は、ある意味前世よりも随分自由に生きられる。それを邪魔する気は、互いに無いのだ。
「よし! じゃあ、クリスはエリオットが攻略された理由を調べて。ジルベルト様はヒロインが接触してきたら担当よろしく。私は密談できる場所の維持と提供、あとは自由に動かせる資金作りってことで」
勝手にまとめているようでいて、前世からこの三人で行動を話し合えば決定を出すのはニコルだったし、何故か彼女の決定が失敗に繋がったことは無い。
了承の意で口端を上げたジルベルトとクリストファーは優雅な所作で紅茶を飲み、本日のお茶会は終了となった。