大変に興味深い
「なるほど。大変に興味深い話だな」
クリソプレーズ王城の国王執務室にて、古代王国に縁の深い植物が齎す不可思議な成果の可能性についてアンドレアから報告を受けたジュリアンは、右手を顎に添える息子そっくりのポーズで感想を口にした。
現在、室内にはジュリアンとアンドレアとジルベルトの他は、国王の侍従長と宰相のヒューズ公爵、国王専属護衛が二名のみで、他の護衛は扉の外に立っている。
外の護衛達は、ジュリアンから、アンドレアとの話が終わるまでは余計な耳を近付けないよう指示されていた。
侍従長も、高位貴族ではない為に表舞台には上がらず、国王側近にも名を連ねていないが、ジュリアンにとって長い付き合いの信頼の置ける腹心である。
「お前のところのメンバーならば、書物や記録からの調査力は存分に足りているだろう。国外の現地情報や国外に根差した情報源の人脈が欲しければ、暇を持て余した老人どもを使ってやれば良い。お前が声をかけてやれば、嬉々として如何様な無茶振りでも聞き入れ尽力するぞ。扱き使ってやれ」
「・・・はい」
あのストーカー爺さんか。
と、異様に目付きの悪い美形老人の熱量に満ちた視線を思い出し、少々ゲンナリしていたアンドレアが間を置いて返事をする様を、ジュリアンが面白そうに眺めている。
そのジュリアンを、「困った人だ」と、表情は変えずとも苦笑の雰囲気で眺めるのは侍従長。彼は、ジュリアンと父親の確執を知る数少ない人物の一人だ。
「同盟各国にて発生・解決済みの自称帝国民絡みの事案は、既に全て目を通したか?」
「はい」
今朝一番に出来立てホヤホヤで届けられた、同盟各国国主会談の議事録は、最優先で記載された情報を頭に叩き込んでいた。
厳重に封を施された最高機密文書だったが、アンドレアは自身の権限で自分の執務室メンバーには回覧させた。
機密情報の共有人数を増やしたことで問題が起きた場合、全ての責任を負う覚悟は、当然とうの昔に出来ている。
少数精鋭で動く第二王子執務室は、全メンバーが情報を共有せずにいて、任務遂行効率が下がったり、各自の認識に齟齬が発生する方がリスキーでデメリットが大きい。
議事録によれば、各国の国主から報告があった「自国内で発生した自称帝国による国境封鎖線破壊を目的とする陽動作戦」は、手法は様々だが、「王族・要人の暗殺」か「要所へのテロ行為」の二種類に大別される。
アイオライトでは、「王族の暗殺」の作戦が採られた模様。
クリソプレーズ王国への作戦と同じく、自称帝国民は自分達では実行せずに刺客を送り込んで来ていたが、最後まで「きちんとしたプロ」の刺客が送られていた。
これは、アイオライトとクリソプレーズでは、王族や要人の暗殺単価に倍以上の差があるからだろうと見られている。
しかし、アイオライトを拠点とする暗殺者達の多くが「アイオライト王族の暗殺」を忌避せず相場価格で請け負ったのは、亡きアデライト王女の所業によるところが大きい。
アデライトの父親である前王ザッカリーが、最高権力で以て幾ら事件を揉み消し、真相を隠蔽しようと、事実そのものが消える訳では無い。
『事件』と『被害者』は、確かに、その時、その場に実在したのだ。
事件の結果、アデライトに恨みを抱える者が闇稼業に身を落としたり、裏社会と関わりを持つようになった過去が、幾つも存在する。
表側では「純粋な王女」や「若くして病没した悲劇の王女」と取り繕われていても、アイオライトの『裏の者達』にとって「アデライト王女の暴虐」は、まぁまぁ知られている話だ。
同業に身を落とした『元表側』の話を直に聞けば尚更、心情は「アイオライト王族憎し」に傾くのが人情だろう。
この世界は、まだまだ大陸各地で戦も内乱も散発し、社会はそれらの影響を受けて治安の向上と悪化が繰り返されている。
不安定な社会では、裏社会の人口が増える。
闇稼業の人間には、根っからの悪党や、好きで身を落とした者、生まれた時からそれ以外の世界を知らない者も当然居るが、平穏が寸断される社会では、望まぬ様々な事情で『表側』から身を落とした者の割合も想像以上に多い。
議事録に記載された、捕らえた刺客達の通り名や経歴を見れば、その手の者達が特に、アデライトを生み出し、育て、庇護し、増長させた「アイオライト王室」への批判精神を強く持って仕事を受けた可能性が高い。
死後も迷惑を振り撒くお騒がせ王女だが、アデライトの存在で恨みの方向が明確であったお陰で、現アイオライト国王サミュエルの策が上手く嵌った。
アイオライト国王サミュエルは、アデライトの生母である側妃イザベラを伴って幽閉中の前王ザッカリーが入る離宮の警備を緩め、その情報を意図的に流出させて、『アデライトの製造元』と裏社会で揶揄される二人を囮にしたのだ。
勿論、囮に使った当人達には何も知らせていない。
そして、囮に掛かって捕らえた刺客達へ、彼らの恨みと怒りの向く『アデライトの製造元』を、「今回の襲撃で受けた傷が元で助からず儚くなったことにする」と約束し、その約束を取引の対価として、暗殺を依頼した自称帝国民のアイオライト国内における潜伏先の情報を入手。
自称帝国民らの身柄を確保した。
王族暗殺の実行犯は、死刑以外の刑罰が無い。
捕らえた刺客達は、情報提供の功績による減刑を以てしても、拷問せず苦しまずに死ねる毒を与えるのが限界だ。
ましてや、事実がどうであれ、「前王と側妃が襲撃の傷が元で亡くなる」という悲報を発表することになるのだ。
記録上は、捕らえた刺客達の処刑は既に全員、済んでいる。
ただ、その記録のままを事実として信じた者は、今件の議事録に目を通した者には居ない。
おそらく、死んだことにして最も厳しい誓約を課し、サミュエルの直属暗部として使っているのでは、というのが大方の予想だ。
まだ、アイオライトの前王と側妃の訃報は発表されていないが、「療養中の離宮の襲撃」と「前王を庇った側妃が重傷」と「前王も傷を負った」という記事は、新聞にも載っていた。
クリソプレーズの祝い事に水を差さぬよう気を遣われたと推測されるので、そろそろ訃報が届く頃合なのかもしれない。
パイライト王国で採られた作戦も、「王族の暗殺」だった。
そして、パイライト国王グレゴリーも、王族を囮に使った。
尤も、グレゴリーは、如何にもソレをやりそうな御仁である。
囮にされたのは、グレゴリーの正妃アビゲイル。つまり、現在のパイライト王妃だ。
普通ならば、本物の王妃が囮に使われることは無い。
だが、グレゴリーは、自身の正妃である本物の王妃を囮に使い、「重傷を負った」として「二度と寝台から起き上がれぬほど弱っている」と公表している。
グレゴリーの息子であるパイライト王太子ベンジャミンの正妃エロイーズは、表に出て来ない王妃アビゲイルの代わりに、輿入れ以降ずっと王妃の公務も担っている。
現王妃アビゲイルは、元モスアゲート王女だ。
モスアゲート王国の王侯貴族の教育の実態を知れば、これまで妊娠や出産や産後を言い訳に、パイライト王妃として表に出て来なかった──おそらくパイライト王家によって出してもらえなかった理由は想像に難くない。
王妃アビゲイルの年齢は五十歳を過ぎている。
もう、『産み胎』としての役目を果たすことは出来ない。
王妃の公務も十分に果たせる王太子妃を、既にパイライト王家は手に入れている。
実利を求める冷酷な王グレゴリーが、現状『働かない穀潰し』となってしまったアビゲイルを、「この機会に始末」の方向に誘導した疑惑は尽きない。
一応、こちらもクリソプレーズ王国の祝典に配慮をしているのだろう。
アビゲイル王妃は重体ではあるが、未だ息があると報されている。
落ち着いた時分に、国葬が行われることだろう。
カイヤナイト王国では、「要所へのテロ行為」が作戦として選ばれ、王都内での破壊活動が企まれていた。
カイヤナイトに潜入した自称帝国民らは世間一般の噂を鵜呑みにしたのか、カイヤナイト国王ジェフリーを「地味で温和な王」であると侮ったようで、噂を逆手に取ったジェフリーの采配により、滑らかに一網打尽と絡め取られた様子である。
上昇志向と不穏な野心の境界がまだまだ曖昧な世界情勢であるこの世の中で、『平穏な治世』を国家として維持していることが、どれほど統治者として辣腕で稀なことか。
他国を侵略する以外の国の発展方法を考えもしない自称帝国民には、理解出来なかったのだろう。
ジェフリーの治世が平穏であるのは、彼が国の実権を握って以降、徹底して不穏分子の力を削ぎ、不穏の芽が成長する養分を不足させ、それらの采配と結果が世間を騒がせないよう、衆目を集めない程度に緩やかな衰退をさせ、静かに「ジェフリーの治世に要らないモノ」を退場させる、という偉業に成功し続けているからだ。
大捕物は無く、震え上がる粛清や断罪劇も無く、国民の不安を煽る大悪党の発生も無く、それらの原材料となりそうなモノ達を、それと世間が知らぬ間に、いつの間にか衰退させている。
その手腕と見通す目を、どうして侮れるのか、ジュリアンやアンドレアには不思議でならないが、政治や軍事、治安に携わる立場に在る者達の中にも、ジェフリーを侮る者は少なくない。
そんなジェフリーの「お膝元」であるカイヤナイト王都だ。
とっくに不穏分子検知の網は敷かれ、実戦経験も十分に稼働している。
カイヤナイトに陽動作戦目的で潜入した自称帝国民達は、王都入場を即座に検知され、企図確認の為に監視網に包囲されたまま敢えて泳がされ、毒物を撒く班と放火・暴動扇動班に分かれて動き出したところで、カイヤナイト王国民が被害を受ける前に速やかに捕獲された。
国家が平穏を維持する同一方向の意思でまとまり、国民の精神状態も比較的穏やかに安定しているからこそ、成功した捕物である。
王族を含め、国の上層部の気質柄、少なくとも今代、次代のクリソプレーズ王国では難しい治安維持の遣り方だろう。
モスアゲート王国も、採られた作戦は「要所へのテロ行為」だった。
だが、モスアゲートは国の崩壊目前で、自称帝国の『玄関口』も存在していた国である。
今も国王ブライアンを筆頭に、国の上層部が身を粉にして「真っ当なモスアゲート王国」の再建に尽力しているが、圧倒的な人員不足は否めない。
モスアゲート王国と自称帝国との国境に関しては、モスアゲート国王ブライアンに限らず、他のモスアゲート王族やモスアゲート王国の要人にも、一切の権限が持たされていない。
それは、隠されてもいない事実だ。
モスアゲート王国で陽動作戦を行う自称帝国民らも、その事実を知っていたのだろう。
モスアゲートで行われた『テロ行為』にて、モスアゲートの要人が直接狙われる事は一切無かった。
モスアゲート王国で行われた『テロ行為』のターゲットは、全て、「他国人が多く立ち寄る場所」だった。
元々モスアゲート王国には、他の同盟国とは桁違いの数の自称帝国民が潜伏していた。
他の同盟国と異なり、国家主導で自称帝国に連なる者の検知と排除を一切行わずに来たのだから、当然の結果だ。
奴らは長きに渡る潜伏の成果として、モスアゲート王国民の日常に溶け込み、ごく普通の一般市民の隣人のような顔をして生活して来た者も多い。
そして今回、「長くモスアゲートに暮らす一般人」に見せかけていた自称帝国民達は、モスアゲート王族や貴族は誰一人として狙わず、他国人が立ち寄る場所や関わる建物だけを次々に襲撃して破壊し、火をかけ、そこで働く人々を無差別に殺して回った。
直接攻撃はせずとも、モスアゲート王国の王侯貴族への、他国からの不信感やヘイト感情を煽る狙いはあったと思われる。
元から機能していないに等しかったモスアゲート王都の同盟各国大使館は、ブライアン即位の際に「国情が安定するまで危険度が計り知れない」として完全に立ち退き指示が出され、現在は蛻の殻で人的被害は出さずに済んだものの、打ち壊されて火がかけられた。
他にも、同盟国と交易をしている商会や、国外に資本のある商会、他国人が多く利用する宿泊施設や飲食店などが襲撃に遭った。
後手に回り、人的なものを含め大きな被害は出てしまったが、ブライアンはそれらの対応の全てを少ないモスアゲート王国の人員で賄い、国境封鎖の護りへの影響を及ぼさずに抑え切った。
ブライアンが王城で全体の指揮を執る間、王妃フレデリカは自ら部隊を率いて各所を駆け巡り、前線にてテロリストに対する容赦無き殲滅戦を敢行。
味方全軍の士気を上げ、目にした臣民達に鮮烈な印象を残している。
このテロリスト殲滅戦によって、『首蒐集の粛清王』と渾名されるブライアンの王妃フレデリカは、『血浴の魔女』と称され畏怖されることになった。
・・・「血腥い粛清王子」と呼ばれる自分の実姉が「首蒐集の粛清王」に嫁いで「血浴の魔女」と呼ばれている現状。
アンドレアは、後世の歴史学者が、この時代のクリソプレーズ王国について記す内容が少々気になるところだが、気にしても仕方の無いことだと流すことにした。
「議事録にあるように、我が国以外では作戦に呪いは使われていない」
「そうですね。だが、人数の桁が違うモスアゲートは外して、所持していた物資に大差があったとは思えない」
「そうだ。身柄の拘束と同じく、奴らの所持品の押収は当然、各国で為されている筈だ」
「議事録に記載はありませんけどね。我が国の分も」
その辺りは、互いに明らかにしたくない部分であった為に、誰も誰にも問い質さない会談の場であったようだ。
「各国、少なくとも押収した分は、簡便な儀式で願いが成就する呪いに用いる植物は、入手しているでしょうね」
「そういうことだ。呪いに用いる植物が、古代王国でも特殊な由来を持つ物であること、現代においても有益な作用を齎す可能性の高さ、これらの話が決して外部に漏れぬよう心せよ」
「御意」