気になった
お待ちいただいている方々、いつもありがとうございます。
久しぶりの本編の開始となります。宜しくお願い致します。
ストックがある間は、一日一つのペースで投稿します。
一回は人物紹介のみの投稿となる日があります。
エリオットの成婚と立太子の式典への来賓が帰路へ就いた頃、クリストファーから内密に呼び出されていたジルベルトは、王都内の紳士向け服飾店を訪れていた。
店の名前は『宵闇の翼』。
店名に因んだ紺藍の片翼をモチーフとした服飾小物シリーズは、若い男性への贈り物として、クリソプレーズ王都で人気の高い品々となっている。
貴族紳士の「普段着」に相当するランクの服や小物を扱う『宵闇の翼』は、国へも商業ギルドへもクリストファー直下の『仮面』の一人をオーナー経営者として登録しているが、実際の持ち主はクリストファーだ。
未だ学生の身ではあるが、成人から二年経ち、一度目とは異なり成長期をしっかり迎えたクリストファーは、見た目もすっかり大人びた。
もう、「可愛らしい美少女」に見紛う者は居ないだろう。
内面にそぐわない見目なのは相変わらずだが、「垂れ目で柔和な笑顔の似合う、長身細身の美青年」に見えている。
クリストファーと『宵闇の翼』の表向きの関係は、「プライベートで訪れることもある、お気に入りの店」でしかない。
そして、それを仲の良い親友にも勧めただけだ。
同じ店を「お気に入り」として利用する客同士であれば、偶々顔を合わせる、そんな時もあるだろう。
学年が離れていることで、片方の卒業後は気軽に内密の話が出来る状況に持っていけなくなったのは、ジルベルトとクリストファーもである。
双方とも学生の間は、「学生の友人同士」ということで、クリストファーの暮らすコナー公爵家王都本邸へジルベルトが頻繁に訪れても、衆目の余計な注意を引くことは無かった。
だが、現在は、クリストファーは公爵家とは言え「ただの令息」であり、ジルベルトは、侯爵家ではあるが、「学院を卒業した完全に大人と見做される高位貴族」且つ「第二王子側近の『剣聖』」という見られ方をする。
学生同士の時のように、ジルベルトがクリストファーの為にコナー公爵家の屋敷を頻回に訪れるならば、コナー家の役割を知らない貴族達からは、「一人前の高位貴族で王族側近な国の最重要人物でもあるジルベルトを、単なる公爵令息に過ぎない学生が、不躾に自邸へ何度も呼び付けている」ように見做される。
ソレは、この国では非常識で不自然な状況に見え、不要な注目を浴びることになるのだ。
因みに、クリストファーも学院を卒業して「一人前の大人の高位貴族」と見做されるようになれば、ジルベルトがクリストファーに会う為にコナー公爵邸を訪ねることは、再び「高位貴族の友人同士が自邸で会う為の自然な訪問」として見られるようになり、現在のような無駄な手間は省けるようになる。
馬鹿馬鹿しく面倒だとは感じるものの、郷に入っては郷に従えの精神で、日本人庶民の記憶を持つクリストファーとジルベルトも、この世界、この国の、『貴族の暗黙の了解』に沿った手間隙を掛けて動くのにも随分と慣れたものだ。
店内に入って直ぐに、ジルベルトは「この店のオーナー」によって『特別室』に案内される。
貴族と貴族に匹敵する資産家が主な客層であるこの店には、店側が『上客』と判断する、「問題を起こした事が無く金払いの良い常連客」をもてなす為の、『特別室』が二部屋用意されている。
それ以外の客も、結局は貴族や富豪といった「特別扱い」に慣れた人種故に、必要に応じて個室に案内する対応になる場合が多いが、その際に通される個室は、『特別室』よりは広さも内装のグレードも下がる部屋だ。
自ら「特別室に案内しろ」と要求する貴族も中には居るが、その手の輩が通される事は決して無く、意外と要求の取り下げも早い。
『王族御用達』の看板も許されているこの店で、「特別室は使用中で御座居ます」と告げられてしまえば、他の店では身分を傘に着てゴネる者達も、万が一を思って二の足を踏むからだ。
目新しい功績を上げず、血統や爵位のみで権力を振りかざしていた有名人達が、この十年ほどの間に何人も第二王子の手により粛清された記憶は、簡単に薄れはしない。
アンドレアが『宵闇の翼』の小物を愛用している場面は、王城勤めの者達に多く目撃されている。
御用達な王族は、第二王子アンドレアであろうと想像が結び付くのは自然な成り行きだ。
とは言え、この店の『特別室』は、何も知らない客達にとって、「通されれば社交界で自慢になり、いつか案内されることを心待ちにする場所」ではある。
だが、実は、一般人が其処へ通される日は永遠に来ない。
店の最上階に並んだ『特別室』は、二部屋が隠し扉で繋がっている上に、どちらの部屋にも外部へ繋がる隠し通路と監視用の隠し小部屋、更には殺傷力の高い罠を含む、数多くの仕掛けが備えられている。
この部屋に通されるのは、仲間か獲物のみ。
哀れな一般人が迷い込むことが無いよう、わざと目立つ配色の制服を着用した護衛が十分な数、其処彼処に立っている。
ジルベルトは案内されるまま、護衛二人の間を通り、手前の『特別室』の扉を潜る。
背後で扉が閉まると、そのまま勝手知ったる隣室への隠し扉へ向かい、オーナーの操作で開いた隠し扉を通り、もう一つの『特別室』へ。
「待たせたか」
「いや、大丈夫。忙しいのに悪いな」
中では既にクリストファーが応接セットのソファに座り、何かの書類に目を通しながら待っていた。
テーブルに置かれたカップの中身の減り具合を見れば、クリストファーの到着から、そこそこの時間が経過していることが推察される。
「忙しいのは、お前もだろう」
現在、第二王子執務室メンバーは国王からの指示で、対自称帝国関連の大っぴらに調べられない諸事の調査や、収集した情報の解析を担っている。
多忙と言えば大変に多忙ではあるが、「表の顔」を維持して学生生活を送り、学院では生徒会長に就任し、狙われまくる婚約者のニコルを護り、『コナー家の真の支配者』として采配を振るうクリストファーに気遣われては、微妙な気分になってしまう。
「まぁな。お陰で、『気になったこと』をアンタに話せる程度まで考えをまとめてたら、呼び出すのが今日になっちまった」
肩を竦めて応じながら手で向かい側のソファを示され、ジルベルトは「なるほど?」と片眉を上げて座る。
オーナーは二人分の紅茶を淹れて下がり、室内にはクリストファーとジルベルトのみとなった。
「気になった時点から結構経っているのか?」
湯気と香気を上らせるカップを見惚れるほど優美な所作で持ち上げ、訊ねてから一口含んだジルベルトに、クリストファーは書類の束を自分の座るソファの座面に投げ出し、空いた手で疲れたように水色の髪を掻き混ぜる。
「あー。実は結構経っちまってる。ニコルのヤバい傷薬の原料を聞いた時が『気になった』最初だ」
「そうか・・・」
ジルベルトはカップをテーブルに戻し、「ニコルのヤバい傷薬」に関連する記憶を辿る。
クリストファーの言う薬は、昨年の夏頃に報告の上がった物のことだ。
今は各種人体実験も終え、実戦配備となっている。
尤も、クリストファーも言う通り、あまりにも「ヤバい」薬なので、配備や管理、使用を許されているのは極々一部の者のみである。
その薬の名は、『イカサマ絵具』と言う。
この世界の『普通じゃない薬』には、「名前だけで明確に効能が判明しない名前」を付けるというルールが古来からあるらしい。
一応、「普通じゃない」の分類基準は、効能の特殊性や強さ、現れ方などであるのだが、その手の名前を付けられる薬の種別の殆どが、毒や媚薬や堕胎薬や麻薬といった後ろ暗い目的で使用するモノであるため、本当の基準を知る者は貴族にも少ない。
ニコルの開発した『イカサマ絵具』は、塗るタイプの傷薬だ。
この世界には、治癒魔法や回復魔法も無ければ、前世のゲームでは当たり前に出て来たポーション類も、存在しない。
だと言うのに、『イカサマ絵具』は、ゲームのワンシーンのように、塗るだけで塗った直後に傷が塞がり、塗った部分の組織が再生して傷が消える。
絵具でも塗って、絵具の下の傷を見えなくしたかのように。
多岐に渡る実験の結果、再生されるのは塗って浸透する部分のみであり、失った血液は戻らないし、解毒効果も無い。
それでも、切り傷、裂傷、火傷は、患部に正しく塗り込めて浸透させれば、古傷までもが、まるで初めから無かったように治るのだ。
この世界では、有り得ないにも程がある薬である。
「あれは、ニコルが粒餡の再現に執念を燃やした結果・・・の魔が差した副産物、だったか」
「ああ。これまで作った餡菓子は、小豆が見つからずに他の豆やなんかで似た風味や食感を再現しただけだから納得が行ってないってな。で、ようやく見つけた『小豆と限りなく近い見た目の植物』が持つ猛毒を抜き去る研究を続け、その途中、丁度手掛けていた他の商品に、魔が差して、小豆に似た植物から抽出した成分を混ぜてみたら──ヤバい効果の傷薬が出来上がった」
その当時、ニコルが開発を手掛けていた商品は、現行の最上級アンチエイジング化粧品の更に上を行く効能を持たせたリペアクリームだった。
元々、老化やダメージで肌トラブルを起こしている皮膚の速やかな修復を促す目的で開発されていたクリームには、様々な「お肌のための有効成分」が使用されていた。
そこに、魔が差して、私的な趣味の研究途上の成分を追加したら、「出来ちゃった」のである。
「・・・何だか既視感を感じるな」
少し遠い目をするジルベルトが思い出しているのは、用法用量を守って一定期間の服用を終えると毒物の効かない体質になる「普通じゃない薬」、『巌窟王への誘い』だ。
アレも、ニコルが前世で食べた「太らないフライドポテト(そんなモノは無い)」を再現しようと、材料だと聞いていた「秘密のイモ(そんなモノは無い)」を探し、見つからないから(当たり前)自分で開発しようと、大陸各地から芋と芋に類似する植物を取り寄せて研究に勤しみ、丁度その頃ジルベルトの依頼で手掛けていた「頻繁に毒殺を仕掛けられる第二王子の安全対策」の一環で、製作途中だった解毒薬の一つに、魔が差して、研究中の芋に似た植物から抽出した成分を混ぜ込んだところ、「出来ちゃった」ブツである。
「・・・学習、しないのか」
「結構ギッチリ叱っといたんだけどな。巌窟王の時も。自重がどっか行ってるんだろ。前世の母親の腹の中に置いて来たとか」
「・・・私に、どう答えろと・・・」
ニコルの前世の母親は、前世のジルベルトである。
前世の自分の腹の中に、今のニコルに欠けている「自重」という成分の置き去り疑惑を掛けられては、どんな顔でどんな回答を用意すれば良いのやら、という心持ちだ。
「まぁ、冗談はさておき」
「ああ。冗談で置いておいてくれ」
「二つの薬の原料は覚えてるか?」
「ああ。作れるのがニコルだけだと言っても、効能がヤバ過ぎて、あの二つの薬に関しては一切、データを記録に残す訳にもいかないからな。全部頭の中だ」
『巌窟王への誘い』も『イカサマ絵具』も、レシピはおろか原料も、クリソプレーズ王国王宮の禁書庫にさえ記録を収めていない。
当然、恐ろしく高い有用性から、「国の為に」の文言で国王周辺から要求はあった。
だが、それをクリストファーが、『コナー家の真の支配者』の権限で退けたのだ。
人類には過ぎた領域の効能を持つ薬は、「一瞬の奇跡」として歴史に埋もれさせるべきである。
そう、主張して。
クリストファーの主張は、神に成り代わろうと外道を尽くしたモスアゲート王国のアルロ公爵や、自らを神と崇めよと宣う自称帝国の自称皇族の存在を、言外に匂わせていた。
それらの邪道を誅する正道であれと自らに課す国王ジュリアンや王の側近達は、強硬に国益の為と主張し続けることは出来なかった。
「巌窟王の方には『厄瘤根』、イカサマの方には『罪血豆』が入ってただろ?」
「ああ。どちらも稀少だが猛毒を有する植物だ。いくら芋や小豆に姿形が似ていたからと言って、何故あれらを食しようと考えたんだ」
呆れの溜め息を吐くジルベルト。
厄瘤根は、地面から出ている部分は、ジャガイモよりも大葉に似ている植物で、根にジャガイモによく似た瘤が出来る。
あくまでも根の瘤であり、地下茎ではない。
地上の茎や葉も有毒だが、根の瘤は触れただけでも危険な猛毒だ。
罪血豆は、見た目の形状だけは前世で見た小豆にそっくりだが、色が禍々しいほど赤黒い。
赤黒いのは、葉も根も茎も蔓も蕾も萼も花も鞘も実も、とにかく全身全体が、である。しかも、汚泥の沼のような臭気を放っている。
臭気を吸い込んだだけでも粘膜に炎症を起こすほどの有毒植物であり、豆の部分は河豚毒を超える猛毒だ。
どちらも入手困難な、かなり珍しい植物であり、一般に流通もしておらず、知る者も少ない代物である。
男性貴族向けの高等教育でさえ、取り上げられることの無い知識だ。
これらの植物の知識をジルベルトとクリストファーが持っているのは、クリストファーはコナー公爵家の生まれ故に、ジルベルトは王族の専属護衛として主君を暗殺から護る為に、「珍しい毒」をも網羅する必要があったからである。
しかし、それらの毒に関して、毒の強さや効果、入手経路や流通地域や価格、使用法や使用者の特徴などの知識はあっても、その有毒植物の背景物語までは習得していない。
クリストファーは、『イカサマ絵具』を差し出された時、ニコルが作った二つの「ヤバい薬」に、彼女が「魔が差して入れた」成分の共通項が、自分の持つ知識外にもあるのでは、と、ふと気になった。
けれど、気になった部分を他者へ説明出来る程度に掘り下げて考察し、伝える根拠として何らかの裏付けも欲しいと調査の手を広げている内に、時間は飛ぶように経過して行く。
クリストファーは、自分で自覚している以上に多忙な身だったのだ。
「これ以上、俺だけで抱えておいて、何か起きた時に後手に回るのは避けたいから、取り敢えず今ある情報だけでも伝えておく」
そう前置きして告げられたクリストファーの話──『巌窟王への誘い』に使われた『厄瘤根』と、『イカサマ絵具』に使われた『罪血豆』の共通項は、腹の底がゾワリと不気味に粟立つような内容だった。
厄瘤根が採取されるのは、大陸北部に在る険しい岩山の一部である。
何ら資源も得られず、人間に有用な作物も育たない不毛の山であり、現在は何処の国も領土としていない山だ。
その山が見える近隣の国々では、親が聞き分けの無い子供を脅かす際に、「山から血塗れの鬼が来るよ」や「人殺しの怪物が出るあの山に捨ててしまうよ」などと言うらしい。
どの国でも、「山の化け物」は、「血塗れ」で「人殺し」だ。
何故、単なる不毛の岩山に対して、広い範囲の異なる国で共通の「恐ろしい山の化け物」イメージが根付いているのか。
過去の事件の記録や伝承にヒントを探して調べたところ、それなりに陰惨な事件の現場となった記録も見つかったが、それ以上にクリストファーの勘に引っ掛かったのは、「あの山は、古代王国の祭儀場だったらしい」という伝承だった。
研究者らが再現した古地図とも照らし合わせ、古代王国の伝承に絞って当該地域との関連を漁れば、厄瘤根の群生する場所は、伝承中の古代王国祭儀場で、祭壇が組まれていたとされる場所と、ほぼ重なる。
古代王国に関するしっかりとした記録は殆ど現存しておらず、伝承は眉唾ものとしか思えない話や正気を疑うような内容も多い。
その中では、比較的「現実味のある話」が祭儀場と祭壇には残っていた。
祭儀の種類・目的によって異なる供物が捧げられた、という伝承だ。
古代王国の祭儀の供物は、古代王国研究者達の推論によれば、総じて「人体」である。
例を挙げれば、肺の疫病を鎮める祈願祭では、頑健な戦士の肺を取り出して捧げ、王族の子孫繁栄を願う新年の祭儀では、その時一番若い王族が丸ごと捧げられた、という具合だ。
伝承と研究者達の推論が事実であれば、何とも血腥い祭壇の跡地に厄瘤根は群生しているものだ。
厄瘤根の群生地は、大陸中、他に確認されていない。
罪血豆が採取されるのは、大陸中央部西寄りの不毛地帯の一部で、やはり現在は何処の国にも属さない放棄された土地だ。
ぽっかりと空いた雑草も生えぬ不毛地帯の中央部分に罪血豆の群生地は在る。
大陸中、その他の地に罪血豆の自生は確認されていない。
古地図では場所が判然としないものではあるが、伝承によれば、古代王国には「監獄都市」と呼ばれる死刑囚の収容地が存在したらしい。
地名などの登場は無いものの、『監獄都市』の話は、「長老の昔語り」の一種として、一部地域で語り継がれている。
その中で語られる、「監獄都市から見える山の数や形や方向」、「海から遠く河川も避けた水路の無い地である」等の風景描写。
囚人の生活として、「一歩動く毎に『王廟』の方角へ投地拝をしなければならない」、という行での「王廟の在る方向と距離」などから、クリストファーは『監獄都市』の実在した場所を推察し、割り出した。
それは、現在の罪血豆の群生地を擁する不毛地帯と重なり、その中央部に位置する罪血豆の群生地は、おそらく処刑場であったと思われる。
「・・・そんな謂れのブツを、あの娘は食用にしようとしていたんだな・・・」
「ああ、うん、そっちも気になるよな。けどまぁ、あいつだし。で、このネタ、どうする?」
ゲンナリと第一感想を吐き出した後、クリストファーに促され、ジルベルトは第二王子側近としての判断を下す。
「第二王子執務室で預かり、調査対象範囲を広げる」
「頼んだ。で、───アンタの勘は?」
切れ味鋭く細められた紺色の垂れ目を静かに見返して、ジルベルトは無機質な声音でクリストファーの望む結果を告げる。
「この世界の理に抵触しかねない結果が出るような気がする」
クリストファーが、前世から絶対の信頼を置く「外れない勘」。
それが齎した答えに、気分は高揚し、血は滾る。
「結果を、楽しみにしている」
「ああ。そうだな。私も」
楽しい結果が出るとは思えないが。
そう、外れない勘が告げているが、ジルベルトがそれを誰かに伝えることは無かった。