意外と馬が合う
GW後半の二話同時投稿の一話目です。
クリソプレーズ王国王都、貴族向けの高級店が建ち並ぶ通りには、『美食の領』と讃えられるヒューズ公爵領の、日本で言うところのアンテナショップのような店が在る。
モーリスが子供の頃、仲間達へ差し入れに持ち込んだヒューズ公爵領産の茶葉や地元特産品を用いた焼き菓子等を、ジルベルトが「王都でも気軽に買える店があればなぁ」と呟いたことが、実は発端。
初めは、いつでも表情の崩れない友人を驚かしてやろうと店作りに着手したモーリスだったが、凝り性で完璧主義なところのあるモーリスである。
アレコレとアイディアが浮かぶ度に、作ろうとしていた店のクオリティが、宰相公爵である父親が引くほど高まって行った。
店の名前は『絶佳招来』。
購入した商品を味わえば、美食のみならず風光明媚な様も多くの詩人が歌い上げてきたヒューズ公爵領の景色が瞼に浮かぶだろう。
そんな宣伝文句に掛けた店名だ。
・・・ということに表向きはしているが、実際は、ジルベルトの呟きに触発されて店を作ったモーリスが、「そのうち彼が来店することもあるだろう」と、「絶世の美形が招き寄せられる店」の意味で付けた店名である。
子供の頃のモーリスがノリと思い付きで付けた店名だが、表向きの意味しか知らない人々には、「流石ヒューズ公爵の御嫡男。知性溢れる御命名です」と感心されている。
茶葉とスイーツ、スイーツの材料として使っている特産の果物のジャムやドライフルーツが主商品の店は、落ち着いたデザインで統一された広めの半個室のイートインスペースも完備され、今やクリソプレーズ王国王都の観光スポットの一つにもなっていた。
そんな『絶佳招来』の店内で、灰色の長髪に薄紅色の知的な瞳を持つ若い紳士と、長い銀髪と怜悧な蒼眼の若き店のオーナーの視線が合う。
「「おや」」
声が重なった。
ネイサンとモーリス、休日の偶然の邂逅である。
「これはネイサン殿、御来店ありがとうございます」
社交の場でも滅多に笑わないモーリスが浮かべた親しげな笑顔に、店のスタッフも周囲の他の客も、ネイサンがモーリスとかなり親しく近くに在る人物だと想像する。
それは、公爵家嫡男のモーリスと親しく付き合える身分であり、ぞんざいな対応など許されない相手であると彼らに記憶させる。
「フフ、甘味には目が無いものでして。今日から始まる期間限定スイーツを、宣伝告知が出た時から楽しみにしていたんです」
「それはそれは。では、こちらへどうぞ。オーナーの私から説明させていただきましょう」
「ああ、やはりモーリス殿のお店でしたか。ヒューズ公爵領の特産品が王都に居ながら買える素敵な着眼点のお店だと、その発想に感服しておりました」
「実は、僕はジルの呟きから着想を得ただけなので、本当の発想者はジルなんですよ」
肩を竦めて一人称もプライベートなものへ変え、ファーストネームで呼ばれても咎めず、より親しげに会話を進めるモーリスの姿に、普段のモーリスを知るスタッフ達は、「このネイサン様というお客様は当店にとって本物のVIPだ」と認識。
周囲の客達は、未だ水面下の交渉でさえ婚約者内定の噂を聞かない「次期ヒューズ公爵家当主」であるモーリスの、プライベート情報を得ようと聞き耳を立てる。
それらを感知し、モーリスはスタッフの一人へ「限定品と新商品を全てオーナー室へ」と指示を出し、自身はネイサンをイートインスペースではなく店の奥へ案内する。
重厚な木製の扉に装飾付きの金属のプレートでオーナーの部屋を示す、その部屋の中へ、モーリスはネイサンを招き入れた。
ネイサンにソファを勧め、従僕を手で制して自ら茶を淹れて自身の分と二つテーブルに並べ、スタッフが指示通りの品を運び込んでテーブルへの設置が済むと、モーリスは人払いをする。
「うちのスタッフは我が家の執事長に躾けられた者達です。僕達に付けられるのはクリス直下のみらしいので、余計な耳を気にせず会話を楽しみましょう。商品への忌憚無い意見も歓迎です」
協力して大任に当たることの多かったクリストファーとは、モーリスも「クリス」と愛称呼びをする仲になっていた。
因みに、次代の実権者であるアンドレアは立場上、コナー家の真の支配者と愛称で呼び合うことを避けているので、現在も「クリストファー」呼びだ。ハロルドは嫉妬から愛称でなど呼ぶ気が無い。
生徒会で共に過ごすネイサンとイェルトも、本人から許可されて愛称で呼んでいる。
ともあれ、この部屋は、外から視認出来る場所への侵入者はヒューズ公爵家の執事長ルーデルに心得を叩き込まれた猛者達が阻み、視認出来ないような場所からの侵入者や潜む者も、国内の貴族や有力者に付けられるコナー家の目が、クリストファーの友人枠であるこの二人にはクリストファー直属部隊の者が付けられることになっているので、単なる監視役に収まらず、影からの護衛役や敵の拘束・排除も担っているから近付けない。
「それは頼もしいことで」
胡散臭い紳士的微笑みを浮かべて応えたネイサンが、ゆったりとした仕草で紅茶の香りを味わい、口に含む。
『絶佳招来』の宣伝告知には、この二人の間で予め決めておいた符丁が仕込まれている。
ネイサンは、『絶佳招来』がモーリスの店であることなど留学当初から知っていたし、モーリスはネイサンが自ら足を運んでスイーツ巡りをするほど甘味好きであることを把握していた。
休日の偶然の邂逅は、芝居だ。
モーリス達の学年が卒業したことで、未だ、卒業後はアンドレアの側近として第二王子執務室に入ることを公には出来ないネイサンは、アンドレア達と大っぴらに話の出来る環境で会うことを控えねばならなくなった。
煩わしい憶測を呼び、各方面から妨害を受けることを避ける為である。
指示や報告だけならクリストファーの部下を経由しての受け渡しが可能だが、やはり定期的に対面での情報共有や認識の擦り合わせも必要だ。
新商品や限定品の宣伝告知には、ネイサンの来店を促す意味の符丁と、来店を禁じる意味の符丁が、必要に応じて仕込まれていた。
来店を禁じる符丁も必要だったのは、卒業早々にモーリスの店で再会して密談に適したオーナー室に連れ込めば、「卒業前に示し合わせて密談しているのでは」という邪推が生じ易いからだ。
事実、示し合わせて密談の為に連れ込んでいるのだが、そうだと確信されないように『見える事実』を整えるのは、貴族の様式美である。
卒業から数ヶ月は、店で遭遇しないよう、モーリスが店に顔を出す日にネイサンの来店を禁じる意味の符丁を仕込み、ネイサンは指定された日を外してランダムに複数回店を訪れ、周囲に「常連客の一人」であると印象付ける。
今回は、モーリスが店に居る日に来店を促す符丁が仕込まれ、「何度も足を運んだ店で偶然、学院で親しくしていた先輩と再会した」ように見える状況を作った。
今後も数回ごとに符丁を変え、「親しい先輩後輩の関係なオーナーと常連客が、偶然会った時にはオーナー室で歓談している」という印象を持たれるよう、モーリスとネイサンの遭遇率を調整していく予定だ。
どの道、アンドレアの側近で『氷血の右腕』と呼ばれるモーリスの行動は、警戒する者には警戒されるし、邪推したい者は邪推する。
その手の輩を除いた「ただの目撃者」にまで、余計な憶測をさせない体裁を整えているだけだ。
「グラナ伯爵家の方の進捗は予定通りですか?」
限定スイーツに舌鼓を打ちながら、甘くない内容の話は開始される。
グラナ伯爵家は、ネイサンが卒業後すぐに一人娘と婚姻を結び、婿養子となって当主を継ぐ予定の家である。
過去に側妃腹の王子が婿入りしたこともある古くから続く家門であり、当主も娘もクリストファーの調査でも特段の問題が見当たらず、領地や家の事業で隙になりそうな弱みや借金も無い、こちら側にとって理想的な家だ。
グラナ伯爵家側にも、五年前に後継者となる筈だった嫡男を当時七歳で落馬事故によって失い、現在、伯爵の子供は二十歳の娘が一人のみという事情があった。
親類から養子を取って徒に後継者争いの火種を熾すことも、長男を失って憔悴している妻を離縁して若い妻を娶ることも望まなかった伯爵は、未だ婚約者を定めていなかった長女に婿を取り、婿養子として家を継がせることに決めた。
しかし、当時既に長女は十五歳。
それまでグラナ伯爵家は、領地も事業も堅実に運営維持が出来ていたことで、娘を政略結婚に使う必要も無く、「余程家の害になる令息でなければ構わん」と、娘の結婚相手を真剣に探していなかったのだ。
第一王子が同盟国の王女と成婚して立太子した後に、王族との縁を結べる家格の適齢期の令嬢達が本格的に伴侶を決定する風潮が、ここ数代のクリソプレーズ王国では続いている。
当然、その時期から探すのではなく、既に水面下で仮契約の交渉済みか、囲い込んだ候補の中から一人を選ぶということだ。
だから、五年前から当時十五歳の娘の相手を探しても、「婿養子として婿入りし、次期グラナ伯爵を任せるに足る、家格と年齢の釣り合う令息」に、「完全フリー」の状態の人物など既に見当たらなかった。
娘が後継者を産むことを考えれば、あまり年齢を下げて探す範囲を広げても意味が無い。
今回の打診は、グラナ伯爵側にとっても渡りに船の救済策となった。
「ええ。万事、順調です」
ラムレイ公爵の養子となったネイサンは、ラムレイ公爵家の王都別邸で暮らしているが、養子先の家族との仲は良好であり、王都本邸との行き来も交流もある状態だ。
グラナ伯爵夫人と令嬢が、貴婦人達の集うサロンでラムレイ公爵夫人と次期ラムレイ公爵夫人から声を掛けられて「良好な交友」を結び、屋敷に招かれる。
グラナ伯爵夫人と令嬢がラムレイ公爵家の王都本邸に招かれた日、養子のネイサンも偶々本邸に訪れていた。
そんな形を整え、密かに当人同士の顔合わせも済んでいる。
互いの印象と相性も悪くないようだ。
グラナ伯爵令嬢の方は、自分が歳上であることに引け目を感じているようだが、中身は令嬢の倍以上生きた人生の記憶を持つネイサンにとって、二十歳の御令嬢は「女の子」という感覚だ。
顔を合わせて話している内に、令嬢もネイサンを「歳下の少年」と感じて気負う気持ちが抜けて行った。
「それは重畳。第一王子の成婚後に、第二王子と側近達に既婚者が僕一人というのは、あまり宜しくない状態ですからね」
「モーリス殿の方も、問題無く?」
「勿論」
ネイサンをアンドレアの側近に、という案が出るまでは、第二王子執務室メンバーの中で、『既婚者になることが可能な人間』がモーリスだけだった。
アンドレアは、国を割らない為に生涯独身の誓いを立てている。
ジルベルトは、『剣聖』なのでそもそも色事が厳禁だ。
専属侍従のバダックも、「亡命中の『国の色』を持つ王子」という複雑な身の上なのだから、婚姻や血を繋ぐ事態は避けるべきである。
ハロルドは、女性への嫌悪を超えた殺意が生理的反応のレベルである。無理矢理抑制出来なくはないが、仕事に支障を来すほどに反動が出る。
ハロルドの生家は廃絶しており、養子先のヒューズ公爵家を継ぐのはモーリスだ。ハロルドが妻を娶ることはメリットよりデメリットが多い。
それでも、地位、身分、財産のある、貴族と見做される男性の未婚状態は「貴族の義務を果たしていない」と追求する輩が必ず出る。
大義や正当な理由があろうと、追求したい輩には関係が無い。
それを穏便に躱す為には、「第二王子執務室の未婚率」を下げるのが手っ取り早い。
既婚者がモーリス一人では、「一人しか義務を果たしていない」という声に流されて同調する者が湧きやすい。
しかし、二人とはいえ複数人が既婚者であれば、「可能な者は全員義務を果たしている」という主張の効力が強まる。
確固たる自身の意見を持たず流されて他人に同調する類の人間は、「勝ちそうな方」の尻馬に乗るものだ。
責めたい相手の力量が同等であれば、単純に「一人から二人に増えた」だけでは、まだ「二人しか」と、正義の使者面をして責め立てる『声の大きい方』に、その手の輩は流されるかもしれない。
だが、敵に回す相手は第二王子執務室メンバーである。
その上、責任を果たしているモーリスとネイサンに、論戦を挑むことになるのだ。
元から恐れられているモーリスだけでなく、最初の一人が、ノーマークだったネイサンにまで言い負かされた時点で、分の悪さを覚った残りの者達は一斉に意見を翻すだろう。
日頃より小五月蝿い輩がぐうの音も出なくなるであろうその日を、モーリスは今から楽しみにしている。
「御来店のお嬢様方は、貴方の妻として選ばれる夢を見ている方も多いようですが。お気の毒に」
クスリと笑って限定のコンフィチュールを使った焼き菓子を摘んで言うネイサンに、「心にも無い同情を」とモーリスも笑って返す。
双方、笑顔に毒は含まれているが、眼の前の相手に対するものではない。
出会った当初、同族嫌悪で反発し合うのではと懸念されたネイサンとモーリスだが、周囲が驚くほど二人の関係は上手く行っている。
得意分野の重なる二人は、協力体制を取ることにも長けていたのだ。
元々、二人とも調整や管理の能力が優れていたこともあるし、私情より現実的な利益を優先する性格も共通している。
更に、ネイサンの中身など知らないモーリスにとっては、ネイサンは「歳下で後輩」である。
表面的にはモーリスとキャラクターの被っているネイサンが、実はハロルドに通じる過激さを内包していることに気付けば、仲間達から心の中で「第二王子執務室のお母さん」扱いされているモーリスだ。
気に掛けて面倒を見ずにはいられない。
モーリスは、周囲の評判通りに冷酷冷徹な人間ではあるが、懐に入れた相手には情が深く、面倒見の良い男だ。
ネイサンとしても、仲間と認めた相手には案外お人好しなモーリスの若さに、「御主人様の仲間でもあるし、支えて護るのも吝かでない」と考えている。
そして何より互いが感じているのは、
『痒いところに手が届く』
という感覚だ。
双方がサポート能力の非常に高い人間であり、自らも率先して動ける人間でもある。
共に業務に当たれば、爽快なほどに効率が良い。
一々指示や依頼を出さずとも、双方が数手先まで不足している物や必要な物を用意や手配をし、物も人も情報も必要となる順番に整理されている。
互いが常に現状を把握して、最新の「要・不要」に振り分け、優先順位を更新して現場の最適化を図っている。
しかも、それらが対立することが無い。
仕事をする上で、モーリスとネイサンは、物凄く気が合うのだ。
モーリスの在学中、この二人が共同で業務に当たると、何も考えずに無言で手を伸ばした先に、自分では用意していない欲しい資料が存在するような、摩訶不思議な執務環境が完成していた。
モーリスは、ネイサンの第二王子執務室入りを心の底から待っている。
負担が半分以下に軽減する実感が忘れられない。
有能な後輩を逃さない為に、自領の特産品を用いた甘味の開発規模まで拡大したモーリスは、やはり凝り性である。
そんなモーリスに、せっせと前世の食知識や、この世界の他国の商法を参考にした販売アイディアを提示して、より素晴らしい甘味との邂逅を目論むネイサンに、前世の彼を知る面々は偶に呆れた視線を送っている。
本日も、仕事の話が終わればスイーツの意見交換会だ。
ネイサンとの対話を終えて帰城したモーリスが、主に『絶佳招来』での遣り取りを報告すれば、「もう、お前ら二人で甘味の店出せよ」と揶揄われる。
「それも良いかもしれませんね。御成婚と立太子の裏の諸々が落ち着いたら彼と相談します」
「今回は、うちは前に比べりゃ随分楽だけどな」
ハハッと皮肉げに笑ったアンドレアに、バダックが各部署から回収して来た書類を渡した。
第一王子エリオットの婚約者であるアイオライト王女クローディアが、来春三月、アイオライトで学院を卒業する。
五月にはクリソプレーズ王国へ輿入れとなり、エリオットの立太子の式典と重ねて盛大に祝宴が開催されることが決まっている。
その裏で進行する、祝い事とは表情の異なる諸事の下準備や支援が、今回第二王子執務室に課せられた任務だ。
「確かに、前回に比べると仕事量は減っていますね。回収される書類の厚さから違う」
アンドレアの手にした紙の束に視線を向けてハロルドが頷く。
「新人が入って来れば、一人当たりの仕事量は多分もっと減るぞ」
「貴方の上司は、こなせる仕事量が増えたことを見逃す御方でしたっけ」
アンドレアの希望はモーリスの予言で一瞬で散った。
「それでも使える奴が増えれば、俺達のやれる事も増えるし、やりたいようにやれるようにもなる。良いことだ」
「モーリス×2ですもんねー。バリバリ処理しそう」
「・・・」
「ハリー、しばらく黙って仕事です」
ハロルドの台詞に怖い光景を想像して絶句したアンドレアに溜め息を吐き、困った義弟を窘めるモーリス。
第二王子執務室は、本日のところはまだ、修羅場からは遠い日常が送られている。